中華義荘(ちゅうかぎそう)は、横浜市や神戸市にある華人・華僑系の共同墓地。開設当初は仮埋葬所であり、棺の仮安置場所としての性格が強かった[1]。
神戸・横浜等の中華街を拠点とする日本に在住する華僑・華人の歴史は、近代の開国とともに始まり、彼らのための公共墓地が中華義荘として設立された。日本華僑は、福建・広東・台湾等の出身者を主とする。神戸からは分化し、京都の華僑のための京都華僑霊園が黄檗宗萬福寺に開かれた。鎖国の時代にあっても中国との交易が続いていた長崎では、崇福寺などの唐寺や稲佐悟真寺等に唐人墓地が併設された[1]。
明治時代には、国際貿易港の神戸港や横浜港の近隣に外国人墓地と『中華義荘』があった[2]。同時代の中華義荘は、日本政府が定めた外国人墓地とは異なり、清国人が年に数回ほどまとめて清国へ遺体を移送するための仮墓地であって、航海中や上陸後に死亡した者を仮埋葬するための区域であった[3]。しかし、一部がそのまま放置され、時代とともに華人・華僑系の共同墓地となった。
華僑・華人の墓地と、一般的な日本の墓地との最も大きな相違点は、華僑墓地には「后土」「土神」として、土地神の石碑が立てられることである。長崎では、日本人墓地にも土神が立てられることが現在も一般的であり、これらは中国の習俗が日本に影響を与えていると考えられる。「后土」「土神」等の土地神の石碑の立てられる位置や、墓地における祭祀の方法は長崎、神戸・京都、横浜では異なっている[1]。
座標: 北緯35度25分42秒 東経139度38分10.6秒 / 北緯35.42833度 東経139.636278度
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