大瀧寺
本堂
本堂
所在地 徳島県美馬市脇町西大谷674番地
位置 北緯34度7分18.85秒 東経134度7分37.67秒 / 北緯34.1219028度 東経134.1271306度 / 34.1219028; 134.1271306 (大瀧寺)座標: 北緯34度7分18.85秒 東経134度7分37.67秒 / 北緯34.1219028度 東経134.1271306度 / 34.1219028; 134.1271306 (大瀧寺)
山号 福大山
院号 慈眼院
宗派 真言宗御室派
寺格 準別格本山
本尊 西照大権現
創建年 (伝)神亀3年(726年)
開基 (伝)行基
正式名 福大山 慈眼院 大瀧寺
札所等 四国別格二十霊場20番
四国八十八ヶ所総奥ノ院
法人番号 1480005005053 ウィキデータを編集
大瀧寺の位置(徳島県内)
大瀧寺
大瀧寺
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大瀧寺(おおたきじ)は徳島県美馬市脇町に所在する真言宗御室派準別格本山の寺院。福大山(ふくだいさん)、慈眼院(じげんいん)と号す。本尊は西照大権現(にしてるだいこんげん)。四国八十八箇所総奥の院、四国別格二十霊場二十番札所。

概要

大滝山の山頂
大師堂
不動明王が彫られた石

徳島県美馬市と香川県高松市の境にある大滝山(標高946 m)の山頂近くの標高910 m辺りにあり、別格二十霊場(四国八十八箇所を含めても)のうちで最も高所に位置する。明治初期の神仏分離以前は西照神社本殿から西へ約50 mの同じ壇(標高935 m付近)に当寺本堂があった。また、今は不明になったが、当寺の奥之院が山上にあり滝があったとの伝承がある。往時は、阿波の麓から讃岐の麓まで檀家があったと云われ、夏子ダム方向から来る参詣者が多いが、脇町中央方面からの道で来ると、かつて繁栄していたのがわかる。

歴史

伝承によれば、奈良時代の神亀3年(726年)に行基が讃岐側から大滝山に登り山上に一宇を建立し阿弥陀三尊を安置したことに始まるとされる。空海は、青年期に「阿国大瀧嶽ニ躋リ攀ヂ(のぼりよぢ)」て求聞持法を修したと自著「三教指帰」に記しているが、この大瀧嶽は当山とも、阿南市の太龍寺(舎心嶽)ともいう。平安時代前期の弘仁6年(815年)に空海が再びこの地を訪れて寺院を再興し、西照大権現の像を安置したといわれる。

天安2年(858年)には聖宝(理源大師)が登り、厄除厄流の大護摩を修法したと伝えられている。

江戸時代には徳島藩家老稲田氏の祈願所となり、高松藩の崇敬も集め、西照大権現堂、龍王堂、護摩堂、観音堂、不動堂、弘法大師御影堂、鐘楼堂があり、ずっと下方の民家からすぐ上がったところに仁王門があり、参道には18基の鳥居があったという。また、東方山中に奥の院熊野十二社大権現があった[1]。しかし、幾度かの火災により多くは失われた。

隣接する西照神社とは神仏混淆の山岳信仰宗教施設「西照権現」として存在していたが、明治初期の神仏分離令により大瀧寺と西照神社とに分離された。

その後、大正時代のリョウガ住職の時代は栄え、大窪寺にも当住職の弟子が派遣されたと云われ、四国八十八箇所88番を打って当寺に訪れた遍路もいたことから四国八十八箇所総奥ノ院と云われた。今でも、四国別格札所巡りの遍路だけでなく健脚の遍路は当山を歩きで訪れる。

大瀧寺の境内から吉野川を臨む

境内

広棚花の里

前後の札所

四国別格二十霊場
19 香西寺 -- (41.1 km) -- 20 大瀧寺 -- (47.6 km) -- 1 大山寺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ↑ 現地の由緒書き石碑より

参考文献

関連項目

外部リンク

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