孔覇

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孔覇 (こう は、生没年不詳)は、中国前漢後期の人物で、字は次孺。前漢の昭帝、昌邑王劉賀、宣帝、元帝、成帝[1]に仕えた。中国戦国時代の人物で、儒家の始祖である孔子の十三世孫である。位は侍中まで上がった。

生涯

元帝以前

孔覇は、魯国昌平郷辺境の鄹邑(陬邑、すうゆう)が本貫で(孔子の出身地)、茂陵に住んでいた。[2]

孔覇は『尚書』を学び、太傅である夏侯勝に仕えた。

前漢の昭帝、宣帝の時代、孔覇は書の五経博士となる[3]。

前漢の宣帝の時代、孔覇は大中大夫、皇太子司経となり、変わって太子詹事となった。その後、高密の相になった。

元帝時代

前漢の元帝の時代の永光元年(前43年)、儒教が前漢の国学となると、その宣揚のために孔覇は関内侯の爵位と褒成君の号を与え、給事中・光禄大夫に任じ、長安に住んだ。その後、 元光禄勲であった蕭望之が自殺した為、元帝はそれを憐れみ、新たに孔覇を光禄勲に抜擢したと言う。後、御史大夫の貢禹が死去し、薛広徳が罷免されると、元帝は孔覇を御史大夫(丞相とも)にしたがったが、孔覇はそれを固辞した。

元帝以後

その後の成帝の時代に、九卿を歴任したと言う[4]。

孔覇の死後、東園から秘密の品と金銭が与えられ、さらに侯爵の地位を授与され、皇帝[5]自ら葬儀に参加したと言う。諡號は烈とされた。

その従子の孔吉(孔鮒の五世孫)は哀帝の時代に殷紹嘉侯に封じられた。

人物

孔覇は謙虚で、権勢を嫌い、自身の関内侯の爵位が高すぎると思っていた。

一族

孔覇以前[6]

子~玄孫世代

  • 孔福 褒成君の後嗣。
    • 孔房 孔福の嫡男で、褒成君。
      • 孔均 (長平)孔房の子で、褒成侯。
        • 孔志 (道甫)孔均の子で、褒成侯。
      • 孔尚(父不明、孔福の孫) 後漢の鉅鹿太守で孔融の高祖父。
  • 孔捷 校尉。
    • 孔永(孔捷の子)
      • 孔奮(父不明、孔捷の孫) 後述。
        • 孔嘉(孔奮の子) 後述。
      • 孔奇(孔奮の弟) 後述。
  • 孔喜 校尉。
  • 孔光 (子夏)前漢の丞相。
  • 孔吉 従子(孔鮒の五世孫)で、殷紹嘉侯。
    • 孔何斉 孔吉の子で、殷紹嘉侯。
      • 孔弘 孔何斉の子で、宋公。
        • 孔安 孔安の子で、宋公。

子孫

曾孫には、前漢の王莽時代の議曹掾である孔奮(字は君魚、中国語版)がいて、その弟には孔奇、子には孔嘉がいた[8]。孔奮は孔捷の孫である[2]。

孔融、孔昱は共に孔覇の七世孫と言われる[9][4]。

また、中国後漢末期の人物である曹操に気に入られた孔桂(字は叔林、子には孔徳)もまた孔覇の子孫と言われる。[10]

参考資料

  • 《漢書 列伝第五十一 匡張孔馬列伝 孔光伝》
  • 《後漢書 列伝第五十七 党錮列伝 孔昱伝及び列伝第二十一 郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列伝 孔奮伝及び列伝第七十 鄭孔荀列伝 孔融伝》

脚注

  1. ↑ 後漢書 列伝第五十七 党錮列伝 孔昱 には『成帝時歴九卿』と記されているが、漢書 巻八十一 孔光伝では元帝代に死去している。
  2. 1 2 孔叢子巻九
  3. ↑ 福井重雅 『漢代儒教の史的研究:儒教の官学化をめぐる定説の再検討』汲古書院、2005年3月30日。
  4. 1 2 後漢書 列伝第五十七 党錮列伝 孔昱 
  5. ↑ 元帝の可能性がある。
  6. ↑ 漢書 巻八十一 孔光伝
  7. ↑ 孔子家語
  8. ↑ 後漢書 列伝二十一 郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列伝 孔奮伝による。それには孔覇は侍中であったと伝わる。
  9. ↑ 後漢書 列伝第七十 鄭孔荀列伝 孔融伝
  10. ↑ 『三国志』魏書または魏略の武帝、文帝紀。また、それには、孔子の二十世孫と言われるため、孔覇の子孫と言う。