徳宮

ウィキペディアから、無料の百科事典
德宮
伏見宮家
続柄

称号 集功徳院(法号)
身位 皇族
出生 1858年9月21日
(安政5年8月15日)
死去 (1858-10-08) 1858年10月8日(0歳没)
(安政5年9月2日)
埋葬 1858年10月10日
(安政5年9月4日)
京都相国寺(伏見宮墓地)
父親 伏見宮貞教親王
母親 鷹司積子
テンプレートを表示

德宮(のりのみや、1858年9月21日〈安政5年8月15日〉- 1858年10月8日〈安政5年9月2日〉)は、日本の皇族。伏見宮貞教親王の第一王子。母は関白鷹司政通九女・鷹司積子[2]。伏見宮家の嗣子であったが、生後わずか半月で夭折した。

生涯

安政5年(1858年)8月15日午刻、誕生。同年8月21日には不例のため、七夜の儀が延引された。3日後の8月24日に無事儀式が執り行われ、幼称を德宮(のりのみや)と定められた。

しかし、その後も快方に向かうことはなく、同年9月2日寅刻に薨去した。享年1歳(満0歳)。薨去の事実はすぐには公にされず、御養生(建前上の闘病・静養)という体裁をとった上で、相国寺の塔頭である心華院へと移された。

同日酉刻に入棺、9月4日酉刻に葬儀が執り行われた[3]。

血縁

脚注

  1. ↑ 東京大学史料編纂所
  2. ↑ “伏見宮〔世襲親王家系図〕-公卿類別譜(公家の歴史)”. geocity1.com. 2026年10月16日閲覧。
  3. ↑ “『親王・諸王略傳』 德[德②]”. nss.o.oo7.jp. 2026年10月16日閲覧。