徳宮
| 德宮 | |
|---|---|
| 伏見宮家 | |
| 続柄 | |
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| 称号 | 集功徳院(法号) |
| 身位 | 皇族 |
| 出生 |
1858年9月21日 (安政5年8月15日) |
| 死去 |
1858年10月8日(0歳没) (安政5年9月2日) |
| 埋葬 |
1858年10月10日 (安政5年9月4日) 京都相国寺(伏見宮墓地) |
| 父親 | 伏見宮貞教親王 |
| 母親 | 鷹司積子 |
德宮(のりのみや、1858年9月21日〈安政5年8月15日〉- 1858年10月8日〈安政5年9月2日〉)は、日本の皇族。伏見宮貞教親王の第一王子。母は関白鷹司政通九女・鷹司積子[2]。伏見宮家の嗣子であったが、生後わずか半月で夭折した。
生涯
安政5年(1858年)8月15日午刻、誕生。同年8月21日には不例のため、七夜の儀が延引された。3日後の8月24日に無事儀式が執り行われ、幼称を德宮(のりのみや)と定められた。
しかし、その後も快方に向かうことはなく、同年9月2日寅刻に薨去した。享年1歳(満0歳)。薨去の事実はすぐには公にされず、御養生(建前上の闘病・静養)という体裁をとった上で、相国寺の塔頭である心華院へと移された。
血縁
脚注
- ↑ 東京大学史料編纂所
- ↑ “伏見宮〔世襲親王家系図〕-公卿類別譜(公家の歴史)”. geocity1.com. 2026年10月16日閲覧。
- ↑ “『親王・諸王略傳』 德[德②]”. nss.o.oo7.jp. 2026年10月16日閲覧。