長野県北佐久郡高瀬村(現佐久市)出身。 旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1926年東京帝国大学仏文科卒業。 東大図書館に勤務しつつ、オノレ・ド・バルザックを主として数多くの翻訳を行った。 豊島与志雄の『レ・ミゼラブル』の翻訳の誤訳や脱漏を指摘し、豊島に喜ばれ、自らの翻訳を刊行した。 明治大学では非常勤講師、中央大学では専任講師としてフランス語を教えた。 バルザック研究者としての子弟関係にあった私市保彦(武蔵大学名誉教授)との縁故により、武蔵大学に蔵書が水野文庫として遺贈された。
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