天平勝宝7歳(755年)12月に、東大寺写経所から唐院に止観文7巻を返す使いを務めた、という[1]。
また『唐大和上東征伝』によると、師の鑑真が中納言氷上真人塩焼の招待を受けた時、塩焼の父である新田部親王旧邸跡の土をひそかに舐め、寺を建てるべきだと悟った[1]。その際に、「此れ福地なり。伽藍を立つるべき」と法智に語った、という[1]。これにより、天平宝字3年(759年)8月1日に、唐招提寺が建立されている。
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