錦島

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錦島(にしきじま)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。初代・錦嶋が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。

14代以降の名跡の流れ

豊山勝男以降は時津風部屋所属の力士に受け継がれてきたが、豊山(14代時代)の停年退職後に名跡を取得した時津海正博[注 1]、霜鳥典雄[注 2]、豊ノ島大樹[注 3]の3人はいずれも実際に錦島を襲名することはなく(詳細は当人の項目を参照)、名跡は高砂一門に所属する高砂部屋所属の朝赤龍太郎の手に渡り、時津風部屋及び時津風一門から離れた。

朝赤龍は2017年5月に引退して17代錦島を襲名後、2020年11月に現役時代の師匠でもある7代高砂(元大関・4代朝潮)と名跡を交換し[1]高砂部屋を継承。7代高砂が18代錦島を襲名したが、2021年6月に不祥事の引責のため退職[2]。その後も、4代朝潮及び4代朝潮の遺族が所有をしていたが、2026年9月1日までに高砂一門所属で九重部屋付きの20代錦島が名跡を取得した[注 4]。

錦島の代々

  • 代目の太字は、部屋持ち親方
代目引退時しこ名最高位現役時の所属部屋襲名期間備考
初代錦嶋三太夫------
2代石ヶ濱吉次------
3代石ヶ濱辰之助------
4代網代木力藏------
5代走り舟猪牙右エ門------
6代錫ヶ嶽金松------
7代大蛇潟大五郎前1宮城野-錦戸-錦嶌部屋?-1916年1月(死去)二枚鑑札
8代大蛇潟粂藏関脇錦嶌-錦戸-錦嶌部屋1917年5月-1933年5月(死去)二枚鑑札
9代大蛇山酉之助前1錦島部屋1934年10月-1956年5月(死去)
10代行司・初代木村今朝三------1956年6月-1968年4月(停年(定年。以下同)退職)
11代豊山勝男大関時津風部屋1968年10月-1969年2月14代時津風に名跡変更
12代黒姫山秀男関脇立浪部屋1982年1月-10月借株
12代山響に名跡変更
13代双津竜順一小結時津風部屋1982年11月-2002年8月15代時津風に名跡変更
14代豊山勝男大関時津風部屋2002年8月(停年退職)11代の再襲名
退職日のみ襲名
15代敷島勝盛前1立田川-陸奥部屋2003年1月-2007年5月借株
23代小野川に名跡変更
16代蔵玉錦敏正前1伊勢ノ海-鏡山部屋2007年5月-2013年12月借株
13代武隈に名跡変更
17代朝赤龍太郎関脇若松-高砂部屋2017年5月-2020年11月8代高砂に名跡変更
18代朝潮太郎 (4代)大関高砂部屋2020年11月-12月(停年退職)
2020年12月-2021年6月(退職)再雇用
19代翔天狼大士前2武蔵川-藤島部屋2022年6月-2025年5月一時的襲名
18代出来山に名跡変更
20代千代鳳祐樹小結九重部屋2025年5月-一時的襲名、のち取得

脚注

注釈

  1. ↑ 時津風部屋力士暴行死事件により15代時津風が解雇された際に、現役を引退し16代時津風を襲名したことにより、規定により錦島株の所有が不可能となったため。
  2. ↑ 時津海正博が16代時津風を襲名した際、規定により年寄株の保有が不可能となり霜鳥へ譲渡したが、大相撲八百長問題により現役引退勧告を受け現役を引退。その際、年寄株を保有できない事情が発生し豊ノ島大樹へ年寄株を譲渡したため。
  3. ↑ 霜鳥典雄から年寄株を譲られたが、朝赤龍太郎へ株を譲渡したため。なお、2020年4月に現役を引退した際は、逆鉾昭廣の遺族から井筒の年寄株を借りて襲名(一時的襲名)したが、2023年1月に退職した。
  4. ↑ 2026年9月1日付の職務分掌で、一時的年寄名跡襲名者で序列の一番高い20代立田川より序列が上位となっているため[3]。

出典

  1. ↑ 「元朝赤龍の錦島親方が8代目高砂として部屋継承」『日刊スポーツ』2020年11月26日。2020年11月26日閲覧。
  2. ↑ 「元朝潮の錦島親方、ガイドライン違反で退職 禁止されていた複数回外食」『日刊スポーツ』2021年6月11日。2021年6月11日閲覧。
  3. ↑ 職務分掌 日本相撲協会公式サイト(2026年9月30日閲覧)

関連項目