高昋

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高 昋(こう けい、生没年不詳)は、北魏の人物。字は明珍[1]。本貫は渤海郡蓨県[2]。

経歴

高䐗児の子として生まれた。侍御史を初任とした。奉朝請・員外散騎侍郎の位を受けた。延昌年間、叔父の高徽とともに西域への使節として赴いた。帰国途中に河州で反乱軍の包囲攻撃を受け、城が陥落すると殺害された。太昌元年(532年)、使持節・都督冀滄二州諸軍事・征東将軍・冀州刺史の位を追贈された。永熙年間、さらに侍中・都督青徐光三州諸軍事・驃騎大将軍・儀同三司・青州刺史の位を贈られた。諡は文景といった[1]。

子女

脚注

  1. 1 2 3 魏書 1974, p. 754.
  2. ↑ 魏書 1974, p. 751.
  3. ↑ 『魏書』は諱を「弼」とする。

参考文献

  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。 

伝記資料

  • 『魏書』巻32 列伝第20