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奴隷貿易廃止法 (1807年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(1807年奴隷貿易法から転送)
奴隷貿易廃止法
英: Slave Trade Act 1807
議会制定法
正式名称An Act for the Abolition of the Slave Trade.
法律番号47 Geo. 3 Sess. 1. c. 36
適用地域イギリス帝国
日付
裁可1807年3月25日
発効1807年5月1日
廃止1861年8月6日
他の法律
改正奴隷貿易重罪法 (1811年)
後継1861年制定法整理法
関連奴隷貿易重罪法 (1811年)
現況: 廃止
法律制定文
Text of the Slave Trade Act 1807 as in force today (including any amendments) within the United Kingdom, from legislation.gov.uk

奴隷貿易廃止法(どれいぼうえきはいしほう、英: Slave Trade Act 1807)は、1807年にイギリス議会で成立した、イギリス帝国における大西洋奴隷貿易を禁止する法律である[1][2]。正式な長題は「奴隷貿易を廃止する法律」(英語: An Act for the Abolition of the Slave Trade)であり、法令番号は47 Geo. 3 Sess. 1. c. 36であった[3]。

同法は1807年3月25日に国王ジョージ3世の裁可を受け、同年5月1日から施行された[4][2]。ただし、この法律は奴隷貿易を禁止したものであり、イギリス帝国における奴隷制度そのものをただちに廃止したわけではなかった[5][2]。

背景

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イギリスと大西洋奴隷貿易

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17世紀から18世紀にかけて、イギリスは大西洋奴隷貿易に深く関与した。Royal Museums Greenwichによれば、1662年から1807年までに、イギリスおよびイギリス植民地の船舶は約341万5500人のアフリカ人を購入し、そのうち約296万4800人が大西洋横断航海を生き延びてアメリカ大陸で奴隷として売却された[2]。また、1699年から1807年までに、イギリスおよびイギリス植民地の港からは1万2103回の奴隷航海が行われたとされる[2]。

イギリスにおける奴隷貿易は、アフリカ、西インド諸島、アメリカ大陸を結ぶ大西洋経済の一部であった。イギリス国立公文書館は、1807年の法律について、アフリカ、西インド諸島、アメリカ大陸の間で行われたイギリスによる奴隷貿易を廃止したものと説明している[6]。

奴隷貿易廃止運動

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18世紀後半、イギリスでは奴隷貿易に対する批判が強まり、奴隷制度廃止運動が拡大した。1787年、トマス・クラークソンやグランヴィル・シャープらは奴隷貿易廃止促進協会を設立し、奴隷貿易の廃止を奴隷制度そのものの廃止に向けた第一段階と位置づけた[5]。廃止運動の参加者は、奴隷船の実態を知らせる出版活動、奴隷労働によって生産された商品のボイコット、議会への請願などを行った[5]。

オラウダ・イクイアーノなど、元奴隷としての経験を語った人物の著作も、奴隷貿易に対する世論形成に影響を与えた[2]。Royal Museums Greenwichは、イクイアーノの自伝が何度も再版され、奴隷貿易批判の重要な文献となったと説明している[2]。

議会内では、ウィリアム・ウィルバーフォースが奴隷貿易廃止運動の中心的役割を担った[5]。ウィルバーフォースは1780年代末から奴隷貿易廃止を議会で主張したが、法案は長く成立しなかった[4]。

成立過程

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1805年、奴隷貿易廃止法案は議会で再び否決された。UK Parliamentによれば、これは15年間で11度目の失敗であった[4]。その後、廃止派は請願運動を再開し、1806年にはイギリス人による外国植民地への奴隷輸入を禁じる法案が成立した[4]。この1806年の法案は、イギリスの奴隷貿易全体を廃止するための前段階となった[4]。

1807年1月2日、首相のグレンヴィル卿は、奴隷貿易廃止法案を貴族院に提出した[4]。貴族院では第二読会で賛成100票、反対34票により可決され、その後、法案は1807年2月10日に庶民院へ送られた[4]。

1807年2月23日の庶民院審議では、約10時間にわたる討論が行われた。採決では賛成283票、反対16票で法案が可決された[4]。その後、法案は残る手続きを経て、同年3月25日に国王の裁可を受けた[4]。

内容

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奴隷貿易廃止法は、1807年5月1日以後、アフリカにおける奴隷の購入、売却、交換、移送その他の取引を禁止し、違法とした[3]。同法は、違反者に対して奴隷1人あたり100ポンドの罰金を科すことを定めた[3]。

また、同法は奴隷貿易のために船舶を艤装し、乗組員を配置し、航行させることも違法とし、そのような目的で用いられた船舶を没収の対象とした[3]。さらに、奴隷貿易に関する保険契約も禁止された[3]。

この法律の対象は奴隷貿易であり、すでに奴隷状態に置かれていた人々をただちに解放するものではなかった[5][2]。そのため、イギリス植民地における奴隷制度は1807年以後も存続した[5]。

施行と取締り

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法律の施行により、イギリス船およびイギリス臣民が奴隷貿易に関与することは違法となった[2]。1808年以降、イギリス海軍は西アフリカ沿岸で奴隷貿易の取締りに関与した[7]。

1808年から1860年にかけて、イギリス海軍の西アフリカ戦隊は約1600隻の奴隷船を拿捕し、約15万人のアフリカ人を解放したとされる[7]。一方で、この取締りは危険な任務でもあり、同資料では、病気や戦闘により1500人以上の海軍関係者が死亡したとされている[7]。

国際的影響

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1807年法はイギリス帝国における奴隷貿易を禁止したが、奴隷貿易そのものは他国によって継続された[8]。その後、イギリスは外交交渉や条約、海軍による取締りを通じて、国際的な奴隷貿易抑制を進めた[9]。

1807年法の後、奴隷貿易をより実効的に取り締まるため、1811年の奴隷貿易重罪法など、関連法が制定された[9]。また、19世紀を通じて、スペイン、ポルトガル、オランダなどとの奴隷貿易抑制に関する条約を実施するための法律も制定された[9]。

また、アメリカ合衆国では、1807年3月2日に大統領トーマス・ジェファーソンが奴隷輸入禁止法(英語版)に署名し、翌1808年1月1日に施行された。同法は海外からの奴隷輸入を禁止したが、アメリカ国内の奴隷売買はその後も継続した[10]。

奴隷制度廃止との関係

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奴隷貿易廃止法は、イギリス帝国における奴隷貿易を禁止したが、奴隷制度そのものを廃止した法律ではなかった[5][2]。イギリス植民地における奴隷制度の廃止は、1833年の奴隷制度廃止法によって進められた[5]。UK Parliamentによれば、植民地の奴隷は最終的に1838年までに解放されたが、補償を受けたのは奴隷であった人々ではなく、奴隷所有者であった[5]。

このため、1807年法はイギリスの奴隷制度廃止運動における重要な転換点であった一方、奴隷制そのものの終結には至らなかった[2]。奴隷貿易の廃止後、廃止運動の焦点は植民地における奴隷制度の廃止へと移っていった[2]。

関連項目

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脚注

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  1. ↑ “Parliament and the British Slave Trade”. UK Parliament. 2026年7月9日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 “How did the slave trade end in Britain?”. Royal Museums Greenwich. 2026年7月9日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 “47° Georgii III, Session 1, cap. XXXVI: An Act for the Abolition of the Slave Trade”. Legislation on the slave trade. 2026年7月9日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Parliament abolishes the slave trade”. UK Parliament. 2026年7月9日閲覧。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “1807 Abolition of the Slave Trade”. UK Parliament. 2026年7月9日閲覧。
  6. ↑ “Slavery”. The National Archives. 2026年7月9日閲覧。
  7. 1 2 3 “Britain's war against the slave trade: the operations of the Royal Navy's West Africa Squadron, 1807-1867”. Royal Museums Greenwich. 2026年7月9日閲覧。
  8. ↑ “Slavery and Abolition”. British Online Archives. 2026年7月9日閲覧。
  9. 1 2 3 “Acts of Parliament on slavery and the slave trade”. Legislation on the slave trade. 2026年7月9日閲覧。
  10. ↑ “The Slave Trade”. National Archives. 2026年7月9日閲覧。

外部リンク

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