1954年のラジオ (日本)
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主な番組関連の出来事
[編集]- 1月
- 1日 - 瀬戸内海の民放4社(ラジオ中国(後の中国放送)・山陽放送(後のRSK山陽放送)・南海放送・ラジオ四国(後の西日本放送))共同制作によるラジオ新春特番『初春唄の旅』を放送[1]。
- 4日 - NHKラジオ第1、『新諸国物語「紅孔雀」』放送開始( - 12月31日。作:北村寿夫)[2]。
- 9日 - 朝日放送(ABCラジオ)、バラエティ番組『漫才学校』が放送開始( - 1956年5月5日)[3][4]。
- 16・17日 - NHKラジオ第2・北海道放送(HBC)、『男子スピードスケート世界選手権大会』を、札幌市の円山特設リンクから中継放送。HBCでは、全国18社へネット中継[2]。
- 2月
- 3月
- 4日 - ラジオ長崎(後の長崎放送)、長崎漁民組合長が中国の毛沢東主席(当時)にあてた「抑留船員釈放要求の声明」を、日本語と中国語で放送[2]。
- 16日 - NHKラジオ第1、米がこの月の1日にビキニ環礁で行った水素爆弾(水爆)実験を受け、特別番組『ビキニ環礁の波紋』を放送[2]。
- 4月
- 1日 - ラジオ中国・南海放送・ラジオ大分(後の大分放送)の3社共同制作番組『内海連絡船』が放送開始[1]。
- 4日 - ラジオ東京(後のTBSラジオ)、ドラマ『駱駝祥子 らくだという男の一生』が放送開始( - 12月、全12回。原作:老舎、出演:森繁久彌・東野英治郎・杉村春子 ほか)[2][5]。
- 10日~16日 - 福井放送(ラジオ福井)、婦人週間にラジオキャンペーン「婦人の実力を育てるため」の特集番組を編成[2]。
- 11日
- 13日 - NHKラジオ第1、NHKと郵政省簡易保険局との共同制定による番組『NHK美容体操』が 放送開始( - 1964年4月4日。指導:竹腰美代子 ほか)。ラジオでの番組終了後は、NHK総合テレビに移行し、1年間続いた(1964年4月4日 - 1965年4月3日)[2]。
- 15日 - NHKラジオ第1、連続放送劇『由起子』放送開始( 1956年3月29日、全95回。作:菊田一夫、出演:津島恵子・木村功 ほか)[2][6]。
- 21日 - NHKラジオ第1、特別番組『法務大臣の指揮権をめぐって』を放送[2]。
- 5月
- 1日~9日 - NHKラジオ第2・民放3社(ラジオ東京・中部日本放送(CBCラジオ)・朝日放送)、「第2回アジア競技大会」の模様を、フィリピンの首都マニラから中継。民放3社は共同で特派員を派遣し、民放初の海外中継を行う[2][7]。
- 10日 - NHKラジオ第1、北海道地区ローカルで『へき地教育放送講座』が放送開始。 以後、東北・九州・四国各地区のローカルでも『通信教育講座』が放送開始。[2]
- 22日~25日 - NHKラジオ第2、東京体育館から『1954年レスリング・フリースタイル世界選手権大会』を、テレビと同時に中継放送[2]。
- 6月
- 7日 - NHKラジオ第1、音楽番組『リズムパレイド』が、この日から東京地方(JOAK)のみ、毎週、高音質の広帯域放送(高忠実度放送=ハイファイ音声放送)の試験放送を開始する(同年11月17日の放送から、正式に開始)[注 1][2][8]。
- 7月
- 1日 - NHK、ラジオ番組の改編を実施。教養・教育・報道番組を中心とするローカル放送拡充を行う[2]。
- 11日 - 日本文化放送、深夜放送開始[2]。
- 4日 - NHKワールド・ラジオ日本、東京・築地本願寺で録音した『海外日系人物故者のための盂蘭盆会法要』を放送[2]。
- 21日 - NHKラジオ第1、「第一次インドシナ戦争」の休戦を巡って、特別番組を編成[2]。
- 8月
- 6日 - ラジオ中国、原爆関連特別番組15本を終日放送[2]。
- その中の一番組で、「第9回広島平和式典」は全国ネット中継で放送[1]。
- 7日~23日 - 北海道放送、『天皇・皇后両陛下北海道ご巡幸』を、スポンサー付帯番組として放送[2]。
- 9月
- 10月
- 6日 - ラジオ東京、日本コロムビア提供による、米コロムビア(現:米ソニー・ミュージックエンタテインメント社〈SMEI〉)原盤の洋楽を紹介する番組『L盤アワー』放送開始( - 1969年4月13日)[9]。
- 8日 - NHKラジオ第1、この日の昼過ぎに相模湖で「内郷丸遭難事件」が発生したのを受け、特別番組『相模湖遭難事故をめぐって』を放送[2]。
- 月内(期日不明) - NHKラジオ第1、音楽番組『リズムパレイド』にて、札幌および熊本の両ラジオ第1放送でもこの月の放送分(計4回分)のみ、広帯域放送の試験放送を行う[注 2][10]。
- 11月
- 3日 - NHK、ラジオ第1(左)と第2放送(右)のモノラル音声2波を使ったステレオ放送(当時は「立体放送」と呼んでいた)の、日本初のレギュラー番組『立体音楽堂』が同月13日に放送を開始するのにあたり、そのお目見得番組として、前述の方法にて、放送芸能祭特集「あなたは聞こえませんか」を放送[11]。
- 13日 - NHKラジオ第1・第2、モノラル音声2波を使った立体(ステレオ)放送の、日本初のレギュラー番組『立体音楽堂』が放送開始[11]。
- 11月中旬から12月上旬(詳細不明) - NHKの東京ラジオ第1放送(JOAK)が、放送マスターから送信所までの回線(STL)の音声の広帯域化工事[注 3]が完了したのに伴い、同放送の広帯域放送が本格的に始まる。これに伴い、従来行っていた『リズムパレイド」に加え、『NHKシンフォニーホール』、『土曜コンサート』、『歌の花ごよみ』、『今週の明星』『なつかしのメロディ』、『虹のしらべ』等、多くの番組が広帯域化された[注 4][8]。
- 27日 - ラジオ東京・文化放送・ニッポン放送が共同で、この日開催中の「第3回全日本オーディオフェア」にて、15時30分から1時間半に渡り、最初の聴取者向けの三元立体放送(=モノラル3波を使った、3チャンネルステレオ放送)による特別番組を実施。各局30分制作で、番組毎に、各局の放送の定位が入れ替わるという演出をした(詳細は特別番組の項を参照)[12][13]。
- 12月
- 23日 - 文化放送で、カルテット編成による日本のジャズ・バンド「ビッグ・フォア」のレギュラー出演を中心に、日本で活躍しているジャズ・ミュージシャンをゲストとして迎える公開ジャズ収録番組『トリス・ジャズ・ゲーム』が放送開始[14]。
- 25日 - NHKラジオ第1・第2、『立体音楽堂』の時間に、テレビ放送(後の総合テレビ)とコラボを組み、三元立体放送を実施(俳優座劇場中継 メノッティ作曲、歌劇『アマールと夜の訪問者』)[注 5][15]。
主なその他ラジオ関連の出来事
[編集]- 1月18日 - 郵政省、日本短波放送(現:日経ラジオ社)に予備免許交付。7月1日会社創立、8月27日開局[2]。日本経済新聞社が軸となり設立された、世界でも類のない民間短波放送。
- 3月15日 - NHKの東京ラジオ第1放送(JOAK)が、放送終了後の23時35分から45分間に渡り、中波の従来の音声周波数帯域を広くして高音質化を図った、広帯域放送(高忠実度放送=ハイファイ音声放送)の試験放送を実施[注 6]。[2][8]
- 3月31日 - 日本文化放送、出力を10kWから50kWに増力。[2]
- 4月1日
- 4月10日 - 朝日放送、月刊「朝日放送」を創刊(翌1955年に「放送朝日」と改名)。[2][7]
- 4月21~27日 - 第2回民放祭が大阪で35社が参加して開催。番組コンクールを実施。[2]
- 4月28日・5月1日 - ラジオ九州・ラジオ長崎・ラジオ佐世保の3社、「KNS協定」を4月28日に締結、5月1日に実施。[2]
- 6月1日 - ラジオ中国、ハワイのワイルク放送局と番組交換を開始。[2][1]
- 7月15日 - ニッポン放送開局。[2]
- 7月23日 - 日本文化放送、呼出名称を「にほんぶんかほうそう」から「ぶんかほうそう」に変更。
- 8月2日 - 日本民間放送連盟、日本体育協会(後の日本スポーツ協会)と、国民体育大会(後の国民スポーツ大会)競技の商業番組放送に関し覚書を交換、民放の国体放送が可能になる。[2]
- 8月5~11日 - ラジオ東京、日本文化放送、電通の3社にニッポン放送を加えた4社共同の「第1回聴取率調査」を実施。[2]
- 10月18日
- 11月10日 - 山形放送が、ニッポン放送と番組(ネットワーク)提携契約。全国初のこころみで民放界を驚かせた。昼の5時間、そのままニッポン放送のラインから流れる番組をそのまま流すというもの。12月1日より実施[16]。
開局
[編集]節目
[編集]番組周年・記念回
[編集]開局周年
[編集]開始番組
[編集]1954年1月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
朝日放送
- 9日 - 漫才学校
1954年3月放送開始
[編集]ラジオ山陰
- 1日 - 音楽の風車
1954年4月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
NHKラジオ第2放送
ラジオ東京
1954年5月放送開始
[編集]NHKラジオ第2放送
1954年10月放送開始
[編集]ラジオ東京
1954年11月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
NHKラジオ第2放送
1954年12月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
文化放送
- 23日 - トリス・ジャズ・ゲーム[14]
終了番組
[編集]1954年3月放送終了
[編集]- NHKラジオ第1
- 終了日不明 - アチャコ青春手帖
1954年4月放送終了
[編集]- NHKラジオ第1
- 8日 - 君の名は
1954年6月放送終了
[編集]- NHKラジオ第1
- 13日 - ユーモア劇場
特別番組
[編集]3月放送
[編集]4月放送
[編集]- 21日 - 法務大臣の指揮権をめぐって(NHKラジオ第1放送)[17]
5月放送
[編集]11月放送
[編集]注釈
[編集]- ↑ 同年12月上旬に、STLの高音質化が整備されるまでは、送信所のテープ再生機を使って放送を行った。
- ↑ 両局へは事前に放送用のパッケージテープを送って、放送と同時刻にローカル送出にてテープを再生して試験放送を行った
- ↑ 音声周波数特性が、従来の50Hzから12000Hz位の高音域の特性を、15000Hz位まで広げたもの。
- ↑ NHK年鑑1956(日本放送出版協会 著)では、「トピックス」内の「登場した広帯域放送」の45ページには、12月上旬と明記されているのに対し、「ラジオ」の「技術」内の「調整技術の現状」においての「広帯域放送の実施」(240ページ)には、11月中旬から随時、会館のスタジオから放送するように改めたということが明記されている。
- ↑ ラジオ第1を左、同第2を右、テレビを中央の定位にして放送。
- ↑ 当時、従来の中波放送の音声帯域は50~9000Hz位で、この特性を現在のFM放送と同じ50~15000Hzまで広げて、高音質化を図ったもの。当時、放送マスターから送信所までの回線(STL)の高域特性が12000Hz位までだったので、送信所にテープ再生機を導入して試験放送を行った。
- ↑ 演奏:NHKオールスターズ。曲目は、「リズムに乗って」、「ブルー・キャナリー」、「ラプソディー・イン・ブルー」、「エブ・タイト」の全4曲。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 株式会社中国放送『RCC20年のあゆみ』株式会社中国放送、1972年、66頁。NDLJP:12239213/66。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 「放送史年表 -詳細版- 1954年」(NHK放送文化研究所)(2026年7月11日閲覧)
- ↑ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、70,274頁。
- ↑ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、70頁。
- 1 2 ラジオドラマ資源:1954年 放送記録(2026年7月11日閲覧)
- ↑ NHKアーカイブス 放送史『由起子』(2026年7月11日閲覧)
- 1 2 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、274頁。
- 1 2 3 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、44,45,46,240頁。
- 1 2 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、173頁。
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、46頁。
- 1 2 3 4 5 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131,132頁。
- ↑ 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、583頁。
- 1 2 朝日新聞 1954年11月27日 朝刊P.5 ラジオ・プログラム 番組表、「聴きもの見もの」番組紹介欄 及び 文化放送(JOQR)番組広告「三元立体放送」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- 1 2 朝日新聞 1954年12月23日 朝刊P.5 ラジオ・プログラム 番組表、「聴きもの見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131,132,274,275頁。
- ↑ 山形放送三十三年誌66頁・山形放送株式会社編
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『放送五十年史 資料編』, pp. 730.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『放送五十年史 資料編』, pp. 732.
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、221頁。
- ↑ 朝日新聞 1954年5月3日 朝刊P.5 ラジオ・プログラム 番組表 及び「聴きもの見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
参考文献
[編集]- 日本放送協会 編『NHK年鑑1955』ラジオサービスセンター、1954年12月1日。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1956』日本放送出版協会、1955年11月1日。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日。