1955年のラジオ (日本)
表示
| 1955年 こちらも御覧下さい |
|---|
| 社会 |
| 政治 経済 法 労働 教育 交通 |
| 文化と芸術 |
|
映画 日本公開映画 音楽 ラジオ 日本のテレビ 芸術 文学 出版 |
| スポーツ |
| スポーツ 日本競馬 サッカー 自転車競技 バスケ バレー 野球 相撲 |
| 科学と技術 |
| 科学 気象・地象・天象 台風 道路 鉄道 航空 |
| 地域 |
| 日本 日本の女性史 |
| 各年のテレビ (日本) |
| 1953 1954 1955 1956 1957 |
| 各年のラジオ (日本) |
| 1953 1954 1955 1956 1957 |
| ■ヘルプ |
主な番組関連の出来事
[編集]1月
[編集]- 4日 - NHKラジオ第1、ラジオ放送劇『新諸国物語 第4部 オテナの塔』が放送開始( -12月30日、全252回。作:北村寿夫、音楽:福田蘭童、出演:山田清 ほか)[1][2][3]。
- 15日 - NHKラジオ第1、5日前に東京・日本青年館で開催された「第1回 NHK青年の主張 全国大会」の模様を放送[1]。以後、1989年度の「NHK青春メッセージ」の大会名変更を経て、大会が終了した2003年度(2004年1月12日放送)まで毎年放送された。
- 31日 - ニッポン放送、翌月27日に投票が行われる「第27回衆議院議員総選挙」を受け、特別番組として、歌舞伎の軍記物形式で構成した『選挙太平記』が放送開始( - 2月28日、全9回)[1]。
2月
[編集]3月
[編集]- 19日~22日 - NHK、ラジオ放送開始30周年記念特集番組を編成[1]。
- 28日~31日 - NHKワールド・ラジオ日本、この期間に東京で開催される「国際連合アジア極東経済委員会(エカフェ、後のアジア太平洋経済社会委員会)第2回総会」を受け、特集番組を編成[1]。
- 期日不明 - ラジオ東京、報道番組『伸び行く子供たち』が放送開始[1]。
4月
[編集]- 3日
- 6日 - NHKラジオ第2、東京放送劇団の第1回公演『大盗大助』を、東京・俳優座劇場から録音中継(3日前にはNHKテレビで先行放送[6])。[1]
- 7日 - ラジオ中国、郷土人の作詞作曲の歌を紹介する音楽ラジオ番組『広島スーベニヤ』が放送開始[7]。
- 8日(7日深夜) - ラジオ東京、この日の『イングリッシュ・アワー』にて、前年のNHK東京ラジオ第1放送に続き、NHKの「広帯域放送」に当たる高音質の「ハイファイ放送」を、日本の民放ラジオで初めて開始[注 1][8][9][10][11]。
- 16日 - NHKラジオ第1(左)・第2(右)、モノラル音声2波を使った立体(ステレオ)放送では初めて、録音ルポルタージュによるドキュメンタリー番組『夜の東京をゆく』を放送[12][13]。
- 16日・17日 - 日本短波放送(後の日経ラジオ社(ラジオNIKKEI))、ソ連からの引揚船「興安丸」に向けて、民放各社が収録した『家族の声』を2日間に渡り放送[1]。
- 24日 - NHKラジオ初のプロ野球解説者に小西得郎を起用[1]。
- 27日 - ラジオ山梨(後の山梨放送)、北富士米軍演習場返還期成同盟結成大会を中継[1]。
5月
[編集]- 3日・23日 - NHKラジオ第1、海外のプロオーケストラとしては戦後初の来日公演となる、シンフォニー・オブ・ジ・エア(元NBC交響楽団)の演奏会を、3日は日比谷公会堂から[14]、23日にはN響との合同演奏会を後楽園球場から[15]、共にNHKテレビと同時に生中継[1]。
- 11日 - NHKラジオ第1・民放各社、「紫雲丸遭難事故」発生を受け、関連ニュース・特別番組を放送[1]。
- 28・30・31日 - NHKラジオ第2、『テニス・デビスカップ(デ杯) イースタンゾーン決勝 「日本 対 フィリピン」』の実況中継を、東京・田園コロシアムからNHKテレビと共に中継[1][16][17][18]。
- 30日 - ラジオ東京、『プロボクシング世界フライ級王座選手権試合 白井義男 対 パスカル・ペレス』を、全国33社へ中継[1]。
6月
[編集]- 13日 - 朝日放送(ABCラジオ)、ミヤコ蝶々と南都雄二の司会によるトーク番組『蝶々・雄二の夫婦善哉』が放送開始。後にテレビでもTBS系(当時)で1963年8月2日から並行して放送開始、局の看板番組となる。ラジオ版は1971年3月29日まで続いた(テレビは1975年4月5日から当時のNET(後のテレビ朝日)系にネットチェンジ、同年9月27日まで続いた)[19]。
- 19日 - NHKラジオ第1、『時の動き』で「売春等処罰法案のかげに」を放送。しかし放送内容をめぐり、日本映画連合会等が抗議したものの、翌7月3日に解決した[1]。
- 20日 - NHKラジオ第1、録音構成『世紀の5分間 セイロンの日食』を放送。しかし、日食は曇天のため観測不能だった[1]。
- 期日不明 - NHKラジオ、大阪地区初のプロ野球解説者に杉村正一郎を起用[1]。
7月
[編集]8月
[編集]- 3日~20日 - NHKワールドラジオ日本、18日間に渡り、特集番組『終戦後10年』を編成[1]。
- 6日 - NHKラジオ第1・ラジオ中国、広島の原爆投下からこの日で丁度10年になることから、広島市平和記念公園慰霊碑前からの『原爆10周年記念式典実況中継』を始め、関連特別番組を編成[1]。
- NHKラジオ第1では他に、『青年の主張 - 平和への道』等を放送[1]。
- ラジオ中国では、「第1回原水爆禁止世界大会」を、広島市公会堂から中継した[1][7]。
- 12日 - NHKラジオ第2、戦後10周年関連番組として、『教養特集』で「座談会・戦後10年の経済政策を語る」を放送(出演:新関八洲太郎・永野重雄・川北禎一・愛知揆一)[1]。
- 15日 - NHKラジオ第1、終戦記念日のこの日、戦後10周年関連番組として、以下の番組を放送。
- 28日 - NHKラジオ第2、NHK後援による『第1回全日本中学校放送陸上競技大会(後の全日本中学校通信陸上競技大会)実況』を放送[1]。
9月
[編集]10月
[編集]- 1日
- ラジオ新潟(後の新潟放送)、「新潟大火」発生により、非常災害放送を実施。午前3時から臨時ニュースを放送、午前4時15分より類焼間際まで、当時新潟大和(百貨店)の屋上にあった本社スタジオから実況中継し、本社焼失直前から網川原送信所(当時)内の仮施設により放送継続し状況を報じるも、火の手が迫り、20分後に本社からの放送を中断、そこにいた職員は全員そこから退避、それから約1分後に同送信所に置いた仮設スタジオから放送を再開した[1]。その後、本社建物は全焼した[21]。尚、この実況放送の全ては同社の長岡放送局(コールサイン:JODE)で録音されており、その録音は後に網川原送信所へライン送出され、更に無事だった新潟-東京間の専用回線を経由してラジオ東京へ送られ、同社を通じて全国の民放各社で放送された(以上の詳細については、「新潟放送#災害当時の放送体制」内の「1955年新潟大火当時の放送態勢」の項目を参照)。
- 後にラジオ新潟はこの時の報道功績により、同月20日の民放連理事会は同社に対し民放連最初の表彰を決定[1]。更にその後、「第4回民放祭番組コンクール」にて「報道活動賞揚(優秀)」を受賞した[22]。
- 日本文化放送協会、洋楽専門の音楽番組『ユア・ヒット・パレード』を放送開始( - 1976年3月)。
- ラジオ新潟(後の新潟放送)、「新潟大火」発生により、非常災害放送を実施。午前3時から臨時ニュースを放送、午前4時15分より類焼間際まで、当時新潟大和(百貨店)の屋上にあった本社スタジオから実況中継し、本社焼失直前から網川原送信所(当時)内の仮施設により放送継続し状況を報じるも、火の手が迫り、20分後に本社からの放送を中断、そこにいた職員は全員そこから退避、それから約1分後に同送信所に置いた仮設スタジオから放送を再開した[1]。その後、本社建物は全焼した[21]。尚、この実況放送の全ては同社の長岡放送局(コールサイン:JODE)で録音されており、その録音は後に網川原送信所へライン送出され、更に無事だった新潟-東京間の専用回線を経由してラジオ東京へ送られ、同社を通じて全国の民放各社で放送された(以上の詳細については、「新潟放送#災害当時の放送体制」内の「1955年新潟大火当時の放送態勢」の項目を参照)。
- 2日 - NHKラジオ第2、教養番組『原子力と新世界』が放送開始。原子力の平和利用に関して一般の興味と関心が高まったことを受けて番組が開始。物理学者の湯川秀樹・伏見康治・山崎文男ほか、日本における最高レベルの専門家を講師に迎え、原子力の平和利用についてわかりやすく解説した。翌1956年4月1日から『今日の原子力』と番組名が変更になる[1][23]。
- 7日 - ニッポン放送、富士製鐵の一社提供によるクラシックの音楽番組『フジセイテツコンサート』を放送開始。1970年3月31日に富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵(現・日本製鉄)となったことに伴い、『新日鉄コンサート』に番組名を改題。2005年3月27日に番組が終了するまで49年半、全2582回放送される長寿番組となった。
- 9日 - ニッポン放送、クイズ番組『16万円の質問』が放送開始(司会:倉田充男、出題:林髞。富士重工業(後のSUBARU)一社提供)。男女各2人が出場してクイズに挑戦、10問正解の場合、スポンサーである富士重工業のスクーター「ラビット」(16万円相当)がプレゼント。放送7週目に10問正解によるスクーター獲得者が出現した。この番組は、「第4回民放祭番組コンクール」にて「聴取者参加番組(優秀)」を受賞した[1][24]。
- 30日 - NHKラジオ第1・第2、立体(ステレオ)放送で、この年の第10回文化庁芸術祭放送部門参加作品 立体放送劇『青の円柱』を放送(立体放送劇初の芸術祭参加作品)。後のこの劇の調整技術担当者が、同部門の芸術祭奨励賞を受賞[1][25][26]。
11月
[編集]- 1日 - NHKラジオ第1、この年の第10回文化庁芸術祭音楽部門参加作品で、中能島欣一作曲・演奏の自作自演による『筝と三弦のための組曲』を放送。後にこの曲の作曲に於いて、同部門の芸術祭賞を受賞[1][26]。
- 27日 - NHKラジオ第1・第2、立体(ステレオ)放送『立体音楽堂』で、この年の第10回文化庁芸術祭音楽部門参加作品 柴田南雄作曲 電子音楽「立体音楽のためのミュージック・コンクリート(具体音楽) 作品18」を放送(演奏:東京フィルハーモニー交響楽団)。電子音楽の放送はNHKでは初。人が楽器を演奏するのではなく、電気音響技術によって各種の実際にある音を録音したのを組み合わせ、リズムを持たせて変奏曲形式に構成。素材として取り上げた音は、人間の心臓の音・ヘリコプターのうなり等を使った。後にこの放送を行ったNHKラジオ局が、同部門の芸術祭奨励賞を受賞[1][26][27]。
12月
[編集]主なその他ラジオ関連の出来事
[編集]- 1月13日 - 日本民間放送連盟、「広告考査細則」制定を決定。[1]
- 1月30日 - ラジオ東京、民放初のCM効果調査を実施。[1]
- 2月25日 - 民放・広告主両者による「商業放送懇談会」が発足する。[1]
- 3月1日 - ラジオ中国、完成した広島市公会堂に放送設備を設置。同年8月6日に同所で開催された「第1回原水爆禁止世界大会」の中継等で活躍する。[7]
- 3月22日 - NHKが放送開始30周年記念式典挙行。その際に、当時のNHK東京放送会館に隣接して、初代の「NHKホール」の落成披露が行われる(2026年現在のNHKホールは2代目で、1972年に完成、翌年から運用を開始している)。[1]。
- 3月23日 - NHK、放送発祥の地・芝浦で放送記念碑除幕式を挙行。[1]
- 4月16日 - 民放の報道責任者会議で、政府企画の鳩山首相・矢部貞治対談の放送申し入れに対し、官製放送はできないと拒否を表明する。[1]
開局
[編集]節目
[編集]番組周年・記念回
[編集]開局周年
[編集]特別番組
[編集]4月放送
[編集]6月放送
[編集]10月放送
[編集]11月放送
[編集]12月放送
[編集]開始番組
[編集]1955年1月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
1955年2月放送開始
[編集]ラジオ福島
- 14日 - 農家の皆さんへ
1955年3月放送開始
[編集]ラジオ東京
1955年4月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
NHKラジオ第2放送
ラジオ中国
- 7日 - 広島スーベニヤ[7]
1955年6月放送開始
[編集]朝日放送
1955年7月放送開始
[編集]ラジオ東京
- 10日 - リクエスト・ミュージック
1955年10月放送開始
[編集]NHKラジオ第2放送
日本文化放送協会
- 1日 - ユア・ヒット・パレード
ニッポン放送
- 7日 - フジセイテツコンサート
- 9日 - 16万円の質問
新日本放送
- 5日 - 素人名人会(ラジオ版)
1955年11月放送開始
[編集]NHKラジオ第1放送
1955年12月放送開始
[編集]民放各局
- 31日 - ゆく年くる年 (民間放送AMラジオ) - 年越し番組[29]
終了番組
[編集]1955年3月放送終了
[編集]NHKラジオ第1
1955年7月放送終了
[編集]新日本放送
注釈
[編集]- ↑ 同番組の毎週木・日曜に「ハイ・フィディリティ・タイム」を設け、ジャズ、クラシック、セミクラシック(今で言うインストゥルメンタルのイージー・リスニング)のアナログ盤を放送。40~15,000Hzの周波数帯域特性を持っていた。
- ↑ 後継番組は、「ジャズはいかが」(ラジオ第2で放送)。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 “放送史年表 -詳細版- 1955年”. NHK放送文化研究所. NHK. 2026年7月28日閲覧。
- 1 2 NHKアーカイブス 放送史『新諸国物語「オテナの塔」』(2026年7月28日閲覧)
- 1 2 ラジオドラマ資源:1955年 放送記録(2026年7月28日閲覧)
- ↑ “NHKクロニクル『邦楽舞踊名流会―R、Tホール― 三都模様競姿絵』アナログ総合 1955年03月22日(火) 午後02:05 〜 午後03:45”. NHKアーカイブス. NHK. 2026年7月29日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『N響特別演奏会 ―R、Tホール―』アナログ総合 1955年03月22日(火) 午後07:30 〜 午後08:30”. NHKアーカイブス. NHK. 2026年7月29日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『舞台中継―俳優座劇場― 「大盗大助」』アナログ総合 1955年04月03日(日) 午後07:15 〜 午後09:30”. NHKアーカイブス. NHK. 2026年7月29日閲覧。
- 1 2 3 4 株式会社中国放送『RCC20年のあゆみ』株式会社中国放送、1972年、66頁。NDLJP:12239213/66。
- ↑ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、123頁。
- 1 2 3 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、327頁。
- ↑ 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、273、584頁。
- ↑ 毎日新聞 1955年4月7日 日刊(朝刊) P.5 ラジオ欄 番組表及ききもの記事「ハイ・フィディリティ・タイム」(毎日新聞「毎索」にて閲覧)
- 1 2 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、53、151頁。
- 1 2 朝日新聞 1955年4月16日 朝刊 P.5 ラジオ・プログラム 及び「聴きもの・見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ↑ “NHKクロニクル『シンフォニー・オブ・ザ・エア特別演奏会』アナログ総合 1955年05月03日(火) 午後07:03 〜 午後08:45”. NHKアーカイブス. NHK. 2025年5月30日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『シンフォニー・オブ・ジ・エア・NHK交響楽団合同演奏会 ―後楽園球場―』アナログ総合 1955年05月23日(月) 午後07:03 〜 午後08:45”. NHKアーカイブス. NHK. 2025年5月30日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『デ杯イースターン・ゾーン決勝第一日 ―田園コロシアム― 日本 対 フィリピン シングルス二試合』アナログ総合 1955年05月28日(土) 午後01:00 〜 午後04:00”. NHKアーカイブス. NHK. 2025年5月30日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『デ杯イースターン・ゾーン決勝第二日 日本 対 フィリピン ダブルス一試合』アナログ総合 1955年05月30日(月) 午後01:50 〜 午後04:00”. NHKアーカイブス. NHK. 2025年5月30日閲覧。
- ↑ “NHKクロニクル『デ杯イースターン・ゾーン決勝第三日 ―田園コロシアム― 日本 対 フィリピン シングルス二試合』アナログ総合 1955年05月31日(火) 午後01:20 〜 午後05:00”. NHKアーカイブス. NHK. 2025年5月30日閲覧。
- 1 2 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、77,276頁。
- ↑ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、68頁。ISBN 9784309225043。
- ↑ 『放送の五十年 昭和とともに』, pp. 165–166.
- ↑ 第4回民放祭番組コンクール(1956.4.21)入選・事績 日本民間放送連盟
- ↑ NHKアーカイブス 放送史『原子力と新世界』(2026年8月2日閲覧)
- ↑ 放送番組センター 放送ライブラリー『クイズ16万円の質問〔5〕』ニッポン放送(JOLF) 1955年11月13日(日)19:30~20:00(2026年8月2日閲覧)
- 1 2 3 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、137~8頁。
- 1 2 3 4 5 “昭和22年度(第2回)〜昭和30年度(第10回)” (PDF). 文化庁. p. 5. 2026年7月30日閲覧。
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、110, 137~8, 151頁。
- 1 2 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、585頁。
- 1 2 3 4 5 6 朝日新聞 1955年12月31日 朝刊 P.5 ラジオ・プログラム 及び「聴きもの・見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- 1 2 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、151頁。
- 1 2 3 4 5 『放送五十年史 資料編』, pp. 734.
- ↑ 朝日新聞 1955年11月3日 朝刊 P.8 ラジオ・プログラム(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、114頁。
- 1 2 3 4 5 『放送五十年史 資料編』, pp. 736.
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、135,136頁。
- ↑ 毎日放送 編『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日、69,70頁。
参考文献
[編集]- 日本放送協会 編『NHK年鑑1956』日本放送出版協会、1955年11月1日。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1957』日本放送出版協会、1956年11月1日。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日。