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1962年のテレビ (日本)

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1962年のテレビ(1962ねんのテレビ)では、1962年(昭和37年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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NHK教育テレビ、地方に相次いで大量開局。

この年、NHK教育テレビが地方都市にて20局も開局する(詳細は、「#開局」の項目を参照)。


名古屋放送、広島テレビ放送、仙台放送が開局。

全てテレビ単営局。前者は東海地区で3局目、広島テレビ・仙台放送は、広島・宮城の各県で2局目の民放テレビ局となる。


NHK総合、10月1日から毎日全日放送となる。


東京→北陸→大阪で、初めてカラーテレビの下りネット回線が開通。北陸で、地方初のカラー放送が開始。


テレビ番組
  • TBS・JNN系列局にて、日本初のキャスター制のニュース番組『JNNニュースコープ』放送開始。夕方ニュースの看板番組として、1990年4月1日まで27年半も続く長寿番組となる。
  • 中部日本放送にて、2025年9月現在も継続中の長寿番組『キユーピー3分クッキング』放送開始。
  • NHK名古屋放送局、総合テレビにて、全国放送のテレビドラマ『中学生次郎』放送開始。後に『中学生時代』→『高校生時代』→『われら高校生』→『中学生群像』→『中学生日記』と番組タイトルを変え、2012年3月16日まで長きに渡って放送された。
  • 朝日放送・TBS系(当時)にて、藤田まこと主演の公開コメディ番組『てなもんや三度笠』放送開始。前田製菓一社提供番組とあり、藤田の「あたり前田のクラッカー」の決め台詞で人気を博す。
  • TBS系、米ABC放映の、神経外科医の物語のテレビ映画 『ベン・ケーシー』放送開始。翌年の第37回放送(1963年1月11日)では、日本で放映された海外ドラマの視聴率歴代ナンバー1となる50.6%を記録(ビデオリサーチ・関東地区調べ)。他に同放映のテレビ映画『コンバット!』もこの年に放送開始。


番組関係のできごと

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1月

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2月

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  • 7日 - RKB毎日放送、交通事故防止テレビキャンペーン番組を特集( - 3月29日、全16回)[1]。
  • 20日 - NHK総合、アメリカの人間衛星船「フレンドシップ7号」の打ち上げで、外国放送受信部にカメラを据え、アメリカからの実況中継を同時通訳で放送[1][2]。
  • 28日 - TBS系、『ニッポン情報』で、アイドホール(テレビ投影機)を使用した「アイドホール時代 解説バラエティー・ショー」を放送[1]。

3月

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4月

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  • 2日 - NHKが番組改定[1]。
  • 6日 - NHK総合、カラー放送の音楽クイズ番組『シャープさんフラットさん』放送開始( - 1970年3月30日)[1][6][7]。
  • 7日 - NHK総合、名古屋放送局制作による、テレビドラマ『中学生次郎』放送開始[1]。後にこの名古屋放送局制作ドラマ枠は、『中学生時代』→『高校生時代』→『われら高校生』→『中学生群像』→『中学生日記』と番組タイトルを変え、2012年3月16日まで長きに渡って放送された。
  • 9日 - NHK総合、海外ロケを行ったドラマ『二つの橋』放送開始( - 7月2日。作:北条誠、出演:安井昌二、ヴェーラ・ベズッソ ほか)[1]。
  • 11日 - NHK総合、『海外取材番組』で「東欧を行く」が放送開始( - 6月27日、全12回)[1]。
  • 23日 - 日本テレビ系、この日の「日本プロレス中継」特番にて、力道山VSフレッド・ブラッシーの試合中にブラッシーが流血する事故があり、それを見ていた老人3名が、更に同月27日の通常放送でも、グレート東郷VSブラッシーの試合中に東郷が流血した場面が放送され、それを見ていた老人3名が各々ショック死(実際には2試合合計で20人前後がショック死したとされる)する事故があった(ちなみに、この2試合はモノクロで放映された)。この影響を考慮し、日本テレビはその後、同番組に於いてのカラー放送を一時自粛したり(1964年1月31日から再開[8])、同番組内での場外乱闘や流血シーンの放映のアップを避けるような対策をとった[9]。又、系列ネット局の読売テレビでは、翌月1日にプロレス中継の自粛を表明した[1]。

5月

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6月

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  • 5日 - 民放テレビ共同企画による特別番組『三党首座談会』をNETで収録、同月7日以降、各社それぞれの放送時間・題名で放送[1]。
  • 9日 - NHK教育、特別番組『日本の美』放送開始。第1回であるこの日は「日本の文様」が放送された[1][16]。
  • 25日 - TBS、月~土の18時50分台で、おとぎプロダクション制作による国産テレビミニアニメ番組『まんがカレンダー』放送開始[1]。

7月

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8月

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9月

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  • 3日 - NHK総合、海外ロケを行ったミュージカルドラマ『バリ島への道』放送開始( - 11月26日、全13回。作:石山透、出演:近藤圭子 ほか)[1]。

10月

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11月

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12月

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その他テレビに関する話題

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開局

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名古屋テレビ放送・旧本社
名古屋放送(4月1日開局)
広島テレビ放送・旧本社
広島テレビ放送(9月1日開局)

商号変更

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既存局のカラー放送開始

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テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

子供向けドラマ

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NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

ニュース番組

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ドキュメンタリー番組

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バラエティ番組

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クイズ番組

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音楽番組

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トーク番組

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料理番組

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教育番組

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既存番組のカラー化

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年内開始番組を除く

参考文献

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など


脚注

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注釈

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  1. ↑ なお、再放送はここから12時45分〜13時となり、現在まで60年に亘り続いている。
  2. ↑ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなり、朝日放送テレビとなった。
  3. 1 2 番組開始当初から『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』として放送されてきたが、東京オリンピック閉幕とともに『日清ジェットショー~』と改め、1965年5月25日まで放送した。
  4. ↑ 当時は中部日本放送のテレビ放送事業であったが、放送持株会社制移行に伴い、放送事業・免許は2014年4月1日に「株式会社CBCテレビ」が継承。
  5. 1 2 日本テレビ版は翌1963年1月21日に開始した。
  6. ↑ 当時の親局であった北九州局のコールサインはJOHX-TV。1974年に本社・演奏所を北九州市八幡東区から福岡市南区高宮に移転(1996年に同市早良区百道浜に再移転)する。なお北九州局のコールサインは2011年7月24日の地上アナログ放送終了まで使われた。
  7. ↑ 高橋は前年(1961年)にNHKを退局しており、1年間は嘱託契約となっていた。
  8. ↑ 当時は日本テレビ系列とNETテレビ(後のテレビ朝日)系列のクロスネットであった(1973年まで。2025年現在はテレビ朝日系列)。また、これにより、これまでフジテレビ・日本テレビ・NETの3局トリプルネット局だった東海テレビがフジテレビ系列にネット一本化される。
  9. ↑ NHK教育テレビはこの時未だ高規格化せずモノクロ回線のままであった為、同放送の大阪に於けるカラー番組は引き続き、ビデオテープを事前に送って、放送時にそれを同時再生していた。ちなみに教育テレビのネット回線が高規格カラー化され、それによるのに切り替わったのは、翌1963年12月1日からである。
  10. ↑ 開局当初は日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットだったが、1975年にフジテレビ系列局としてテレビ新広島(TSS)が開局したのに伴い日本テレビ系列に一本化。
  11. ↑ 開局当初はフジテレビ系列と日本テレビ系列のクロスネットだったが、1970年にミヤギテレビ(MTB→mm34→MMT)が日本テレビ系列とNETテレビ系列のクロスネット局(2025年現在は日本テレビ単独系列局)として開局したのに伴いフジテレビ系列に一本化。
  12. ↑ その後『中学生日記』へ引き継がれ、2012年3月まで続く。
  13. ↑ 当時のスタジオカラーカメラの性能では、阪神甲子園球場を始め、近畿地区の野球場のナイターの照明の明るさでは、照度不足の為、満足なカラー撮影・放送ができなかった為である。ちなみにそれが改善された機種を導入して近畿地区からのナイターのカラー放送が行われる様になったのは、1968年のことである。

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 「放送史年表 -詳細版- 1962年」(NHK放送文化研究所)(2025年7月8日閲覧)
  2. ↑ NHKクロニクル『特設ニュース』アナログ総合 1962年02月20日(火) 午後11:47 〜 1962年02月21日(水) 午前00:23
  3. 1 2 3 4 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、428頁。NDLJP:12274683/481。
  4. 1 2 3 4 よみうりテレビ開局20周年記念事業企画委員会 編『よみうりテレビの20年 : 写真と証言』讀賣テレビ放送株式会社、1979年7月、28頁。NDLJP:12276016/32。
  5. ↑ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、181,288頁。
  6. 1 2 日本放送協会 編『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年10月10日、128, 159頁。
  7. 1 2 朝日新聞 1962年4月6日朝刊 P.8 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ↑ 読売新聞 1964年1月31日 朝刊 P.11 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  9. ↑ 『日本プロレス事件史 Vol.2』、P41
  10. ↑ NHKクロニクル『ニュース速報・字幕スーパー』アナログ総合 1962年05月03日(木)
  11. ↑ NHKクロニクル『特別番組「国鉄三河島二重衝突事故」』アナログ総合 1962年05月04日(金) 午前07:20 〜 午前07:40
  12. ↑ 初回と第5回視聴率は「キネマ旬報」臨時増刊「テレビの黄金伝説~外国テレビドラマの50年~」125P 1997年7月発行 参照。
  13. ↑ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、2頁、54頁、220頁。ISBN 4062122227
  14. ↑ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、290頁。
  15. ↑ NHKクロニクル『ガガーリン少佐にきく』アナログ総合 1962年05月21日(月) 午後10:15 〜 午後10:45
  16. ↑ NHKクロニクル『日本の美 1.テレビドキュメンタリー「日本の文様」 2.解説「紋章と染織文様」』アナログ教育 1962年06月09日(土) 午後10:00 〜 午後10:30
  17. ↑ NHKクロニクル『音楽のふるさと 「北欧のくにぐに」』アナログ教育 1962年07月23日(月) 午前09:00 〜 午前09:20
  18. ↑ 株式会社中国放送『RCC20年のあゆみ』株式会社中国放送、1972年、69頁。NDLJP:12239213/69。
  19. ↑ NHKクロニクル『歌劇「綾の鼓」 ―ザルツブルクテレビオペラ賞参加作品―』アナログ総合 1962年08月09日(木) 午後11:15 〜 午後11:50
  20. ↑ 「NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年」NHKテレビ番組年表 1960-1964
  21. ↑ 日本放送協会 編『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年10月10日、79頁。
  22. ↑ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、334頁。
  23. 1 2 高知放送開局三十周年記念行事実行委員会 社史小委員会 編『高知放送三十年史』株式会社 高知放送、1984年3月1日、573頁。NDLJP:12276182/598。
  24. ↑ “昭和31年度(第11回)〜昭和40年度(第20回)” (PDF). 文化庁. p. 7. 2025年7月15日閲覧。
  25. ↑ NHKクロニクル『実況中継 時速200キロにいどむ~(小田原市鴨の宮駅 平塚市湘南平 平塚市出縄トンネル付近 神奈川県高座郡 相模川橋梁付近 走行中列車内 ヘリコプター)から中継~』アナログ総合 1962年10月31日(水) 午後01:20 〜 午後02:20
  26. ↑ NHKクロニクル『ニュース速報・字幕スーパー』アナログ総合 1962年11月18日(日)
  27. ↑ NHKクロニクル『ニュース(特設・全中)「フィルムリポートを含め,京浜運河事故詳報」(「日本ところどころ」末尾休止)』アナログ総合 1962年11月18日(日) 午後01:15 〜 午後01:20
  28. ↑ 『ニュース(特設・全中)「現場から中継(京浜運河事故)」(「音楽コンクール」冒頭断)』アナログ総合 1962年11月18日(日) 午後01:40 〜 午後01:43
  29. ↑ 青島顕「メディアの戦後史:「ひとりっ子」放送中止 自衛隊巡るテーマで紛糾」『毎日新聞・東京朝刊』2017年5月4日、9面。 - 毎索にて閲覧:冒頭部分は毎日新聞のサイトで閲覧可能。
  30. ↑ 秋津小楠九条の会. “ひとりっ子 上映会のご案内” (PDF). 新日本歌人協会熊本支部. 2025年7月15日閲覧。
  31. ↑ NHKクロニクル『テレビ指定席 「背後の人」―第1部 影の章―』アナログ総合 1962年12月22日(土) 午後08:00 〜 午後09:00
  32. ↑ NHKクロニクル『テレビ指定席 「背後の人」―第二部 光の章―』アナログ総合 1962年12月29日(土) 午後08:00 〜 午後09:00
  33. ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年、272頁。
  34. ↑ 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) 90ページ (渋沢社史データベース)(2023年6月30日閲覧)
  35. ↑ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 38ページ (渋沢社史データベース)(2023年11月8日閲覧)
  36. ↑ 日本テレビ50周年の物語「1960年代」 Archived 2010年09月25日, at the Wayback Machine.
  37. ↑ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、450頁。NDLJP:11954641/241。
  38. ↑ 東芝土曜劇場
  39. 1 2 3 4 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、453頁。NDLJP:11954641/242。
  40. 1 2 日本放送協会 編『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年10月10日、150, 159頁。
  41. ↑ 日本放送協会 編『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1964年10月15日、151, 159頁。
  42. ↑ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、451頁。NDLJP:11954641/241。
  43. ↑ 朝日新聞 1962年2月2日朝刊 P.8 テレビ欄 及び 同年4月5日朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  44. ↑ NHK nenkan - Google Books
  45. ↑ NHK nenkan - Google Books
  46. ↑ NHK nenkan - Google Books


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