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1962年の野球

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1962年 > 1962年のスポーツ > 1962年の野球

1962年の野球(1962ねんのやきゅう)では、1962年の野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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1962年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝阪神タイガース75553.577---
2位大洋ホエールズ71594.5464.0
3位中日ドラゴンズ70603.5385.0
4位読売ジャイアンツ67634.5158.0
5位広島カープ56744.43119.0
6位国鉄スワローズ51794.39224.0
1962年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝東映フライヤーズ78523.600---
2位南海ホークス73573.5625.0
3位西鉄ライオンズ62686.47716.0
4位毎日大映オリオンズ60702.46218.0
5位阪急ブレーブス60701.46218.0
6位近鉄バファローズ57731.43821.0

日本シリーズ

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1962年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月13日(土)第1戦東映フライヤーズ5 - 6x阪神タイガース阪神甲子園球場
10月14日(日)第2戦東映フライヤーズ0 - 5阪神タイガース
10月15日(月)移動日
10月16日(火)第3戦阪神タイガース2 - 2東映フライヤーズ明治神宮野球場
10月17日(水)第4戦阪神タイガース1 - 3東映フライヤーズ
10月18日(木)第5戦阪神タイガース4 - 6x東映フライヤーズ後楽園球場
10月19日(金)移動日
10月20日(土)第6戦東映フライヤーズ7 - 4阪神タイガース阪神甲子園球場
10月21日(日)第7戦東映フライヤーズ2 - 1阪神タイガース
優勝:東映フライヤーズ(初優勝)

個人タイトル

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手村山実阪神張本勲東映
最優秀新人城之内邦雄巨人尾崎行雄東映
沢村栄治賞小山正明阪神
首位打者森永勝治広島.307ブルーム近鉄.374
最多本塁打王貞治巨人38本野村克也南海44本
最多打点王貞治巨人85打点野村克也南海104打点
最多盗塁河野旭輝中日26盗塁広瀬叔功南海50盗塁
最多安打[1]長嶋茂雄巨人151安打榎本喜八大毎160安打
最高出塁率[2]王貞治巨人.376張本勲東映.440
最優秀防御率村山実阪神1.20久保田治東映2.12
最多勝利権藤博中日30勝久保征弘近鉄28勝
最多奪三振[1]小山正明阪神270奪三振米田哲也阪急231奪三振
最高勝率小山正明阪神.711皆川睦男南海.826

ベストナイン

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 村山実阪神稲尾和久西鉄
捕手 森昌彦巨人野村克也南海
一塁手 王貞治巨人榎本喜八大毎
二塁手 小坂佳隆広島ブルーム近鉄
三塁手 長嶋茂雄巨人小玉明利近鉄
遊撃手 吉田義男阪神豊田泰光西鉄
外野手 近藤和彦大洋張本勲東映
並木輝男阪神山内一弘大毎
森永勝治広島吉田勝豊東映

オールスターゲーム

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高校野球

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作新学院が史上初の春夏連覇

大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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  • 1月13日 - 広島は新首脳陣の陣容を発表し、平山智のコーチ兼任に、上田利治が2軍コーチに就任[3][4]。

3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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  • 7月1日
    • 巨人の王貞治が対大洋戦(川崎)において一本足打法を初披露。第2打席で本塁打を記録するなど、この日3安打。
    • 大毎の葛城隆雄が日生球場での対近鉄ダブルヘッダー第1試合の14回戦の九回表に4号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[18]。
  • 7月12日
    • 国鉄の村田元一が後楽園球場での対阪神ダブルヘッダー第2試合に先発し、9回2死までパーフェクトに抑えるも、27人目の打者西山和良に安打を打たれ完全試合達成はならず[19]。試合は1-0で村田が勝利投手。
    • 大洋の秋山登が川崎球場での対広島15回戦の八回表に古葉毅から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[20]。
  • 7月14日 - 近鉄の関根潤三が平和台球場での対西鉄9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[21]。
  • 7月19日
    • 阪神の小山正明が広島球場での対広島17回戦で勝利投手となり、プロ通算250勝を達成[22]。
    • 大洋の鈴木武が川崎球場での対国鉄3回戦に三回表から出場し、プロ通算1000試合出場を達成[23]。
  • 7月21日 - 大洋の森徹が広島市民球場での対広島16回戦で12号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[24]。
  • 7月22日 - 近鉄が東京スタジアムでの対大毎ダブルヘッダーの第1試合18回戦の1回表に、1番の矢ノ浦国満から8番の吉沢岳男まで8者連続得点を記録、パ・リーグ4度目の記録[25]。この試合で近鉄は1回表に8点を挙げ、第2試合の1回表にも8点を挙げる[26]。
  • 7月29日 - 南海の島原輝夫が大阪球場での対西鉄20回戦の5回表に代打で出場し、プロ通算1000試合出場を達成[27]。

8月

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9月

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  • 9月2日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対巨人25回戦の九回裏に藤尾茂から三振を奪い、ウォルター・ジョンソンの持つメジャー・リーグの記録と並ぶ通算3508奪三振を記録[37]。
  • 9月5日
  • 9月6日 - 阪神の三宅秀史が川崎球場にて試合前、外野にてキャッチボール中に小山正明の投げた球が左眼に直接ぶつかり、球場近くの川崎市民病院にて診察を受け「最低1週間の入院が必要。失明の恐れはない」との診断をうけ、同球場での対大洋24回戦を欠場。全イニング連続試合出場のプロ野球記録が700で止まる[40]。
  • 9月7日 - 阪急はラリー・レインズとの契約を9月1日付で解除したと発表。レインズからの「家庭の事情により退団したい」との申し出を認める[41]。
  • 9月11日 - 東映が神宮球場での対大毎23回戦の二回から六回まで5イニング連続併殺のパ・リーグ新記録[42]。
  • 9月12日 - 阪神のマイク・ソロムコが1甲子園球場での対大洋24回戦にて2三振を喫し、1957年に巨人・宮本敏雄が記録したシーズン最多三振108のセ・リーグ記録を更新するシーズン109三振となる[43]。
  • 9月15日
    • 国鉄の金田正一が後楽園球場での対阪神22回戦で20勝目を挙げ、12年連続20勝を達成[44]。
    • 巨人の藤田元司が広島球場での対広島20回戦で12勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[45]。
  • 9月18日 - 大毎の葛城隆雄が東京球場での対南海23回戦の四回裏に二塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成[46]。
  • 9月22日 - 大洋は川崎球場での対中日24回戦において、大洋の三原修監督による「ルールのスキをついた」とされる スタメンに偵察メンバーを7人使用。試合は3対2で大洋が勝利[47]。
  • 9月30日
    • 2位の南海が藤井寺球場での対近鉄ダブルヘッダー第1試合で25回戦に4対5で敗れたため、東映フライヤーズが球団創設以来初のパ・リーグ優勝を達成[48][注釈 1]。
    • 大毎の榎本喜八が東京スタジアムでの対東映26回戦の3回表に17号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[51]。

10月

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  • 10月3日 - 阪神タイガースが甲子園球場での対広島26回戦で6対0と勝利し、1947年以来15年ぶり、2リーグ制となってからは初のリーグ優勝を達成[52]。先発の小山正明が完封勝利を挙げ、セ・リーグ新記録となる一シーズン最多の13完封勝利[53]{。
  • 10月5日 - プロ野球の1962年度の最高殊勲選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、セ・リーグは阪神の村山実、パ・リーグは張本勲。最優秀新人にセ・リーグは城之内邦雄、パ・リーグは尾崎行雄が選出される。城之内は満票[54]。
  • 10月6日
    • 大毎の柳田利夫が東京球場での対西鉄26回戦の5回裏に13号3点本塁打を打ち、近鉄・森下重好、大映・加藤正二に次いで史上3人目の5試合連続本塁打を記録[55]。
    • 国鉄は午後3時より東京駅構内のレストラン「東京」にて記者会見し、来シーズンより監督の砂押邦信をヘッドコーチとし、新監督に浜崎真二が就任すると発表[56]。
    • 【MLB】ボストン・レッドソックスはジョニー・ペスキーが監督に就任すると発表[57]。
  • 10月7日 - 中日の権藤博が川崎球場での対大洋26回戦に先発して完封で30勝目を挙げ、セ・リーグ新記録の2年連続30勝を達成[58]。
  • 10月8日 - 沢村栄治賞の選考が東京運動記者クラブ部長会によって午後零時半から銀座西のホテル日航にて行われ、阪神の小山正明が選出される[59]。
  • 10月15日 - 中日は午前10時より東京観光ホテルにて記者会見し、元ピッツバーグ・パイレーツのジム・マーシャルの入団を正式に発表[60]。
  • 10月16日 - 【MLB】ワールドシリーズ第7戦が行われ、ニューヨーク・ヤンキースがサンフランシスコ・ジャイアンツを1対0で破り、4勝3敗で2年連続20度目の優勝を達成。
  • 10月21日 - プロ野球日本シリーズ第7戦が午後1時1分から甲子園球場で行われ、東映が阪神に延長12回2-1で勝利し、初の日本一を達成[61]。
  • 10月27日 - 大毎のオーナーの永田雅一は監督の宇野光雄について「宇野君には一軍の監督をやめてもらう」と言明。夜、松浦晋球団代表も「宇野君にはとうにいいわたしてあった」と認める[62]。

11月

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  • 11月5日 - 大毎は午前11時より東京・京橋の大映本社にて幹部会議を開き、来年の新監督として二軍監督の本堂保弥の昇格を決定[63]。
  • 11月7日 - 阪急は午後5時から大阪市梅田区の航空ビル内「シルバー」にて記者会見し、監督の戸倉勝城を解任し、後任にコーチの西本幸雄が新監督に就任すると正式に発表[64]。
  • 11月15日 - 大毎は来年の一軍コーチ陣を正式に発表。一軍監督本堂保弥、打撃コーチ藤井勇、投手コーチ植村義信、内野コーチ坂本文次郎、二軍監督田中義雄[65]。
  • 11月26日 - 西鉄の球団社長の西亦次郎は午後6時半から球団事務所にて会見し、豊田泰光を国鉄へ金銭トレードすると発表[66]。
  • 11月27日 - 広島は広島市のグランドホテルにて緊急の役員会を開き、球団社長の伊藤信之の辞任を了承し後任に東洋工業社長の松田恒次が就任し、また新監督に白石勝巳が就任すると決定[67]。

12月

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  • 12月1日 - 大洋は午後、東京・銀座の球団事務所にて来年の首脳陣を発表。秋山登が一軍投手コーチ兼任、二軍監督に前一軍打撃コーチの宮崎要、スカウト部長に前二軍監督の保井浩一が就任[68]。
  • 12月10日 - 中部日本新聞社は午後3時から球団担当の役員会議を開き、中部日本放送の野球解説者で球団OBの杉浦清を新監督に招聘し、監督の濃人渉を二軍監督とする人事を決定[69]。
  • 12月17日 - 中日の一軍前監督の濃人渉が中日本社にてオーナーの大島一郎と会見し、球団から要請された二軍監督の就任を固辞し、技術顧問として球団に残ることを決定[70]。
  • 12月23日 - 広島の斎藤達雄と大毎の佐々木勝利の交換トレードが成立したと広島が発表[71]。
  • 12月25日 - 巨人は午後、読売新聞社特別会議室にて株主総会を開き、取締役の宇野庄司の退任、読売新聞社取締役の正力亨の副社長就任を承認[72]。

誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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脚注

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注釈

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  1. ↑ なお東映はこの日、当時の監督・水原茂を胴上げした際に彼が着ているユニフォームから、ビジターゲームでリーグ優勝を決めている[49][50]。

出典

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  1. 1 2 当時連盟表彰なし
  2. ↑ セントラル・リーグのみ当時連盟表彰なし
  3. ↑ 読売新聞1962年1月13日6面「広島、新首脳陣を発表」
  4. ↑ “【越智正典「ネット裏」】 ナイターなのに朝イチから…メジャーの監督もうなった上田利治の野球熱”. 東京スポーツ. 東京スポーツ新聞社. 2017年7月9日. 2017年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年8月7日閲覧.
  5. ↑ 毎日新聞1962年4月7日夕刊1面「作新学院が初優勝 センバツ 日大三を完封」毎日新聞縮刷版1962年4月p141
  6. ↑ 毎日新聞1962年4月7日夕刊7面「プロ野球も一斉に 東映・大映は神宮を舞台」毎日新聞縮刷版1962年4月p147
  7. ↑ 読売新聞1962年4月9日6面「杉山が千本安打」読売新聞縮刷版1962年4月p186
  8. ↑ 毎日新聞1962年4月20日9面「毒島、千試合出場」毎日新聞縮刷版1962年4月p413
  9. ↑ 毎日新聞1962年4月23日6面「阪神三宅選手が千試合出場」毎日新聞縮刷版1962年4月p476
  10. ↑ 毎日新聞1962年4月29日7面「土橋がプロ入り百勝」毎日新聞縮刷版1962年4月p603
  11. ↑ 読売新聞1962年5月2日7面「新コミッショナーが誕生 きのう内村就任式」読売新聞縮刷版1962年5月p29
  12. ↑ 毎日新聞1962年5月25日9面「足立(阪急)奪三振17の新記録 カーブでなで切り 南海打線、全く無気力」毎日新聞縮刷版1962年5月p505
  13. ↑ 読売新聞1962年5月27日7面「鶴岡監督、第一線退く 気分一新に 蔭山コーチが代行」
  14. ↑ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、72頁。
  15. ↑ 読売新聞1962年6月3日7面「東京スタジアム 花やかに開場式」読売新聞縮刷版1962年6月p51
  16. ↑ 読売新聞1962年6月18日7面「広島の長谷川 奪三振千五百」読売新聞縮刷版1962年6月p393
  17. ↑ 読売新聞1962年7月1日7面「高倉(西鉄)が千試合出場」読売新聞縮刷版1962年7月p7
  18. ↑ 読売新聞1962年7月2日7面「大毎、近鉄も1勝1敗 葛城通算百ホーマー」読売新聞縮刷版1962年7月p35
  19. ↑ 読売新聞1962年7月13日7面「村田(国鉄)無念の一投 九回二死、完全試合逃す」読売新聞縮刷版1962年7月p289
  20. ↑ 読売新聞1962年7月13日7面「秋山、千五百三振奪う」読売新聞縮刷版1962年7月p289
  21. ↑ 読売新聞1962年7月14日7面「関根(近鉄)千試合出場」読売新聞縮刷版1962年7月p335
  22. ↑ 読売新聞1962年7月20日7面「小山が通算百五十勝 4試合連続完封で飾る」読売新聞縮刷版1962年7月p443
  23. ↑ 読売新聞1962年7月20日7面「鈴木武、千試合出場」読売新聞縮刷版1962年7月p443
  24. ↑ 読売新聞1962年7月22日7面「森、通算百号ホーマー」読売新聞縮刷版1962年7月p485
  25. ↑ 読売新聞1962年7月23日7面「パ、4回目の珍記録」読売新聞縮刷版1962年7月p509
  26. ↑ 読売新聞1962年7月23日7面「二試合とも初回に8点 近鉄、大毎投手陣を粉砕」読売新聞縮刷版1962年7月p509
  27. ↑ 読売新聞1962年7月23日7面「島原、千試合出場記録」読売新聞縮刷版1962年7月p655
  28. ↑ 読売新聞1962年8月3日7面「ノーヒット・ノーラン レッドソックスのモ投手」読売新聞縮刷版1962年8月p49
  29. ↑ 読売新聞1962年8月3日7面「川崎で観客数公表」読売新聞縮刷版1962年8月p49
  30. ↑ 読売新聞1962年8月4日6面「資金面で経営強化 経営の実態は変わらず フジテレビの国鉄参加」読売新聞縮刷版1962年8月p70
  31. ↑ 読売新聞1962年8月8日6面「岡本千本安打を記録」読売新聞縮刷版1962年8月p154
  32. ↑ 読売新聞1962年8月9日7面「南海監督が復帰 まず阪急と星分ける」
  33. ↑ 読売新聞1962年8月13日7面「仰木が千試合出場」読売新聞縮刷版1962年8月p263
  34. ↑ 読売新聞1962年8月20日7面「米田、通算千五百奪三振」読売新聞縮刷版1962年8月p411
  35. ↑ 読売新聞1962年8月26日7面「稲尾(西鉄)通算二百勝を達成 自ら2ランで飾る 大毎は榎本の14号だけ」読売新聞縮刷版1962年8月p537
  36. ↑ 読売新聞1962年8月31日7面「金田、奪三振三千五百」読売新聞縮刷版1962年8月p649
  37. ↑ 読売新聞1962年9月3日7面「金田投手(国鉄)奪三振世界タイ 十三年で三千五百八」読売新聞縮刷版1962年9月p53
  38. ↑ 読売新聞1962年9月6日7面「金田奪三振の世界新 3509個目は坂崎から 対巨人最終戦飾り18勝」読売新聞縮刷版1962年9月p119
  39. ↑ 読売新聞1962年9月6日7面「バルボン千試合出場」読売新聞縮刷版1962年9月p119
  40. ↑ 読売新聞1962年9月7日6面「三宅選手(阪神)がケガ」読売新聞縮刷版1962年9月p140
  41. ↑ 読売新聞1962年9月8日6面「阪急、レインズの契約を解除」読売新聞縮刷版1962年9月p162
  42. ↑ 読売新聞1962年9月12日7面「パ新の5回連続併殺」読売新聞縮刷版1962年9月p253
  43. ↑ 読売新聞1962年9月13日7面「ソロムコ三振新記録」読売新聞縮刷版1962年9月p275
  44. ↑ 読売新聞1962年9月16日7面「金田、12年連続の20勝 阪神を抑え、自ら決勝打」読売新聞縮刷版1962年9月p341
  45. ↑ 読売新聞1962年9月16日7面「藤田プロ入り100勝 広島を完封、巨人3位へ」読売新聞縮刷版1962年9月p341
  46. ↑ 読売新聞1962年9月19日7面「葛城が千本安打」読売新聞縮刷版1962年9月p411
  47. ↑ “【9月22日】1962年(昭37) 三原監督、ルール守ってアテ馬7人 エースも三塁守らせる”. スポーツニッポン (2012年9月22日). 2015年11月22日閲覧。
  48. ↑ 読売新聞1962年9月30日夕刊1面「東映初優勝決まる パ・リーグ」読売新聞縮刷版1962年9月p647
  49. ↑ “㊷ 第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」 第7節「躍進 東映フライヤーズ日本一!」”. 創立70周年特別寄稿『東映行進曲』. note (2022年5月31日). 2024年11月17日閲覧。
  50. ↑ ““最初の”東京オリンピックを前に……駒沢球場と東映フライヤーズの皮肉 / プロ野球20世紀・不屈の物語【1953~61年】”. 週刊ベースボールONLINE. ベースボール・マガジン社 (2020年5月9日). 2024年11月17日閲覧。
  51. ↑ 読売新聞1962年10月1日6面「榎本通算百号放つ」読売新聞縮刷版1962年10月p7
  52. ↑ 読売新聞1962年10月3日夕刊1面「阪神、15年ぶり優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1962年10月p57
  53. ↑ 読売新聞1962年10月4日6面「阪神、自力で栄冠獲得 小山、最終戦を飾る セの一シーズン完封最多勝更新」読売新聞縮刷版1962年10月p72
  54. ↑ 読売新聞1962年10月6日6面「セ・村山 パ・張本 最高殊勲選手 新人王に城之内 パは尾崎が安藤(元)に大差」読売新聞縮刷版1962年10月p116
  55. ↑ 読売新聞1962年10月7日6面「柳田、3人目の記録」読売新聞縮刷版1962年10月p138
  56. ↑ 読売新聞1962年10月7日6面「国鉄監督に浜崎氏 砂押氏はヘッド・コーチに」読売新聞縮刷版1962年10月p138
  57. ↑ 読売新聞1962年10月8日6面「ペスキー氏にきまる レッドソックス監督」読売新聞縮刷版1962年10月p162
  58. ↑ 読売新聞1962年10月8日6面「権藤(中日)2年連続30勝 セ新」読売新聞縮刷版1962年10月p162
  59. ↑ 読売新聞1962年10月9日6面「『沢村賞』は小山投手」読売新聞縮刷版1962年10月p184
  60. ↑ 読売新聞1962年10月16日6面「マーシャル中日入り 前パイレーツ選手」読売新聞縮刷版1962年10月p342
  61. ↑ 読売新聞1962年10月21日夕刊1面「東映、初の王座に 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1962年10月p463
  62. ↑ 読売新聞1962年10月28日7面「宇野監督を更迭 永田大毎会長が言明」読売新聞縮刷版1962年10月p615
  63. ↑ 読売新聞1962年11月6日6面「大毎監督に本堂」読売新聞縮刷版1962年11月p118
  64. ↑ 読売新聞1962年11月7日7面「阪急監督に西本 戸倉は退陣」読売新聞縮刷版1962年11月p141
  65. ↑ 読売新聞1962年11月16日6面「大毎コーチ陣きまる 大洋の藤井招く」読売新聞縮刷版1962年11月p342
  66. ↑ 読売新聞1962年11月27日7面「豊田(西鉄)国鉄へ移籍」読売新聞縮刷版1962年11月p597
  67. ↑ 読売新聞1962年11月28日6面「広島監督に白石氏復帰」読売新聞縮刷版1962年11月p620
  68. ↑ 読売新聞1962年12月2日7面「秋山がコーチ兼任 大洋、来年の陣容きまる」読売新聞縮刷版1962年12月p31
  69. ↑ 読売新聞1962年12月11日7面「中日監督に杉浦復帰」読売新聞縮刷版1962年12月p245
  70. ↑ 読売新聞1962年12月18日7面「農人(中日)技術顧問に」読売新聞縮刷版1962年12月p413
  71. ↑ 読売新聞1962年12月23日7面「斎藤(広島)佐々木(大毎)交換」読売新聞縮刷版1962年12月p523
  72. ↑ 読売新聞1962年12月26日6面「読売巨人軍 正力亨氏が副社長」読売新聞縮刷版1962年12月p592
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