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1963年の野球

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1963年 > 1963年のスポーツ > 1963年の野球

1963年の野球(1963ねんのやきゅう)では、1963年の野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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1963年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ83552.601---
2位中日ドラゴンズ80573.5842.5
3位阪神タイガース69701.49614.5
4位国鉄スワローズ65732.47118.0
5位大洋ホエールズ59792.42824.0
6位広島カープ58802.42025.0
1963年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝西鉄ライオンズ86604.589---
2位南海ホークス85614.5821.0
3位東映フライヤーズ76713.51710.5
4位近鉄バファローズ74733.50312.5
5位毎日大映オリオンズ64851.43023.5
6位阪急ブレーブス57921.38330.5

日本シリーズ

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1963年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月26日(土)第1戦読売ジャイアンツ1 - 6西鉄ライオンズ平和台球場
10月27日(日)第2戦読売ジャイアンツ9 - 6西鉄ライオンズ
10月28日(月)移動日
10月29日(火)第3戦雨天中止後楽園球場
10月30日(水)西鉄ライオンズ2 - 8読売ジャイアンツ
10月31日(木)第4戦西鉄ライオンズ4 - 1読売ジャイアンツ
11月1日(金)第5戦西鉄ライオンズ1 - 3読売ジャイアンツ
11月2日(土)移動日
11月3日(日)第6戦読売ジャイアンツ0 - 6西鉄ライオンズ平和台球場
11月4日(月)第7戦読売ジャイアンツ18 - 4西鉄ライオンズ
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり6回目)

個人タイトル

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手長嶋茂雄巨人野村克也南海
最優秀新人該当者なし
沢村栄治賞伊藤芳明巨人
首位打者長嶋茂雄巨人.341ブルーム近鉄.335
最多本塁打王貞治巨人40本野村克也南海52本
最多打点長嶋茂雄巨人112打点野村克也南海135打点
最多盗塁高木守道中日50盗塁広瀬叔功南海45盗塁
最多安打[1]長嶋茂雄巨人163安打広瀬叔功南海187安打
最高出塁率[2]王貞治巨人.452ブルーム近鉄.397
最優秀防御率柿本実中日1.70久保征弘近鉄2.36
最多勝利金田正一国鉄30勝稲尾和久西鉄28勝
最多奪三振[1]金田正一国鉄287奪三振稲尾和久西鉄226奪三振
最高勝率山中巽中日.714田中勉西鉄.680
森中千香良南海

ベストナイン

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 金田正一国鉄稲尾和久西鉄
捕手 森昌彦巨人野村克也南海
一塁手 王貞治巨人榎本喜八大毎
二塁手 高木守道中日ブルーム近鉄
三塁手 長嶋茂雄巨人小玉明利近鉄
遊撃手 古葉毅広島小池兼司南海
外野手 江藤慎一中日張本勲東映
近藤和彦大洋広瀬叔功南海
藤井栄治阪神山内一弘大毎

オールスターゲーム

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高校野球

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大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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  • 1月14日 - パ・リーグのオーナー、理事合同会議が午後1時より中之島の新大阪ホテルで開かれ、1963年度の開幕日を4月6日、年間試合数を150試合とすることを正式決定[4]。
  • 1月16日 - セ・リーグは午後1時より銀座のスポーツマンクラブにて理事会を開き、今シーズンは28回総当たり制とすること、引き分け再試合を実施しないこと、などを決定[5]。
  • 1月24日 - プロ野球実行委員会が丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、コミッショナーの内村祐之を実行委員長とすること、12球団の球団代表全員を実行委員とする、野球協約の条文をわかりやすくする、等の案件をまとめたほか、オールスターを7月22日から26日に後楽園球場、東京スタジアム、神宮球場の順番で行うことなどを決める[6]。

2月

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  • 2月4日 - 野球体育博物館に表彰掲載される殿堂入りを決める特別表彰委員会が開かれ、市岡忠男が選出される[7]。
  • 2月15日 - プロ野球機構参事の赤嶺昌志が自宅で脳軟化症と心臓衰弱のため亡くなる[8]。

3月

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  • 3月18日 - プロ野球実行員会が丸の内のパレス・ホテルで開かれ、来年度の日程を東京五輪が開催されるためそれ以前に終了させる方向を確認したほか、最高殊勲選手について優勝チームからの選出にこだわらず、大リーグにならいその年の最優秀選手を選ぶことにすることなどを決定[9]。

4月

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5月

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6月

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  • 6月15日 - 【MLB】サンフランシスコ・ジャイアンツのフアン・マリシャルが対ヒューストン・コルト45s戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは1対0[18]。
  • 6月22日 - 阪急の岡嶋博治が西宮球場での対大毎6回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[19]。
  • 6月30日 - 国鉄の金田正一が東京球場での対広島8回戦で六回表から救援登板して15勝目を挙げ、別所毅彦の持つ通算310勝の記録を更新する通算311勝を達成[20]。

7月

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  • 7月6日 - 南海の皆川睦雄が日生球場での対近鉄16回戦に先発し、三回裏に近鉄打線にパ・リーグタイの1回8被安打を記録[21]。
  • 7月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場での対西鉄ダブルヘッダー第1試合の15回戦の一回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[22]。
  • 7月8日 - 東京球場での大毎対近鉄15回戦で、大毎が一回裏に四者連続二塁打のパ・リーグタイ記録[23]。
  • 7月10日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急15回戦の五回裏に本屋敷錦吾からこの試合で5つ目の三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[24]。
  • 7月20日 - 後楽園球場での国鉄対中日15回戦で中日は二回裏に1イニング5失策のセ・リーグ新記録[25]。
  • 7月26日 - 【MLB】ヒューストン・コルツ対ニューヨーク・メッツ戦でメッツが3-7で敗れ、メッツはメジャー新記録となる20連敗[26]。
  • 7月28日 - 巨人の王貞治が広島市民球場での対広島カープ17回戦1回表に大石清投手から右中間へ先制2ランを打ち、プロ通算100本塁打を達成(プロ32人目)。
  • 7月28日 - 【MLB】ニューヨーク・メッツはコルツに2-8で敗れ、1890年にピッツバーグ・パイレーツが記録した22連敗と並ぶ[27]。
  • 7月31日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急17回戦に四番・捕手として先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[28]。

8月

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  • 8月1日 - 国鉄の豊田泰光が広島市民球場での対広島15回戦の一回表に10号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[29]。
  • 8月4日 - 第三十四回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場にて午後6時半から行われ、京都市の積水化学が室蘭市の富士製鉄を4-3で破り、大会初優勝[30]。
  • 8月11日 - 後楽園球場での対巨人23回戦において、巨人の七回表、一死二、三塁の場面で阪神の投手・村山実が救援登板、巨人打者・池沢義行へのカウント2-2からの5球目を球審の国友正一はボールと判定し、村山がこの判定に怒ってマウンドから国友に向かい詰め寄る。国友は村山が暴言を吐いたとして退場処分とする[31]。
  • 8月12日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのスタン・ミュージアルが記者会見し、今季限りで現役引退すると発表[32]。
  • 8月17日 - セ・リーグは、夏の甲子園大会が雨で順延となり20日に甲子園球場で開催予定の阪神対大洋18回戦を延期すると発表[33]。
  • 8月19日 - 大毎の山内一弘が西宮球場での対阪急19回戦の四回表に21号2点本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[34]。
  • 8月20日
  • 8月21日
    • 近鉄のグレン・ミケンズが日生球場での対南海23回戦の九回表一死一塁の場面で救援登板し、南海のバディ・ピートを初球で遊撃への併殺に打ち取り、その裏近鉄が4-3でサヨナラ勝ちしたため、プロ野球史上初めて1球のみ投じただけで勝利投手となる[36]。
    • 大毎の小野正一が東京球場での対南海19回戦の一回表に田中久寿男から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[37]。
  • 8月25日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第一試合の20回戦の九回裏から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[38]。
  • 8月29日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急23回戦の一回裏に35号2点本塁打、六回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[39]。
  • 8月31日 - 広島は那覇市の琉球東急ホテルにて、社会人野球の琉球煙草の安仁屋宗八と正式に入団契約を交わし、沖縄出身の初のプロ野球選手となる[40]。

9月

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  • 9月5日
    • 西宮球場での阪急対大毎ダブルヘッダー第一試合の23回戦で大毎が5-4と勝利し、球団創設1000勝目を達成[41]。
    • 後楽園球場での東映対近鉄26回戦で近鉄は八回裏1イニングに5投手が登板のパ・リーグタイ記録[42]。
  • 9月14日 - 広島球場での広島対大洋17回戦で、大洋のクレスが九回表大洋の攻撃中に、三塁側スタンドのアメリカ人観客の野次に激昂して内野席に乱入して野次を飛ばした観客と掴み合いになるが、同僚の黒木基康と森徹が仲裁に入る。試合が約5分中断[43]。
  • 9月18日 - 南海の広瀬叔功が東京球場での対大毎ダブルヘッダー第二試合の29回戦の五回表に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[44]。
  • 9月21日 - 大毎の山内一弘が東京球場での対阪急25回戦の五回裏二安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[45]。

10月

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  • 10月6日 - 【MLB】ワールドシリーズの第4戦がドジャー・スタジアムにおいて行われ、ナショナルリーグ のロサンゼルス・ドジャースがアメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースに2対1で勝利し、4連勝で4年ぶり3度目の優勝達成。
  • 10月15日 - 巨人は後楽園球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の28回戦に7-0で勝利し、1961年以来2年ぶりのリーグ優勝を達成[46]。
  • 10月16日
    • 南海の野村克也が大阪球場での対西鉄30回戦の四回裏に50号2点本塁打、九回裏に51号本塁打を放ち、小鶴誠が1950年に記録した年間最多本塁打の記録に並ぶ[47]。
    • パ・リーグは、優勝争いをしている西鉄と南海が公式戦150試合を終えて同率首位となった場合、2勝先勝の優勝決定戦を行うと発表[48]。
  • 10月17日
    • 南海の野村克也が南海対近鉄の30回戦の7回裏に52号本塁打を打ち、1950年に小鶴誠の年間51本塁打を破る年間本塁打のプロ野球新記録[49]。
    • 南海は全日程を終了、パ・リーグの優勝は西鉄の残り4試合の結果次第となる。西鉄が4勝全勝なら西鉄の優勝、3勝1敗で南海と同率となり南海と優勝決定戦、2敗すれば南海の優勝となる。
  • 10月20日
    • 西鉄対近鉄のダブルヘッダー29、30回戦が平和台球場で行われ西鉄が第一試合を5-4、第二試合を2-0で勝って近鉄に連勝し、1958年以来5年ぶりのリーグ優勝達成[50][51]。
    • パ・リーグは全日程が終了[52]。
  • 10月23日 - セ・リーグの全日程が終了[53]。

11月

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  • 11月4日 - 日本シリーズの第7戦が平和台球場にて行われ、巨人が西鉄を18対4で下し、4勝3敗で2年ぶり10度目の日本一を達成[54]。
  • 11月7日 - 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ加盟社の部長会によって午後1時から東京・有楽町のレバンテにて行われ、巨人の伊藤芳明を選出[55]。
  • 11月8日
    • プロ野球コミッショナー事務局は午後4時から1963年度のセ・パ両リーグの最優秀選手にセは巨人の長島茂雄、パは南海の野村克也、最優秀新人は両リーグとも「該当者なし」となったと発表[56]。
    • 阪神はフランク・ヤシックに対し1来年の契約を結ばないと通告[57]。
  • 11月13日 - 大毎のオーナーの永田雅一は東京・京橋の大映本社にて、田宮謙次郎の引退を発表[58]。
  • 11月11日 - 大洋は東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し来季の新首脳陣を発表。野球評論家の別所毅彦がヘッドコーチに就任[59]。
  • 11月19日 - プロ野球実行委員会が東京・丸の内の東京会館にて開かれ、来年度は東京オリンピックが開催される10月10日までに日本シリーズを含めた全日程を終了することなどを決定[60]。
  • 11月21日 - 阪神は前大毎コーチだった杉下茂が投手コーチに就任したと発表[61]。
  • 11月25日 - 国鉄は東京駅地下のレストラン「とうきょう」にて記者会見し、林義一が監督に就任したと正式に発表[62]。
  • 11月30日
    • 阪神は午後、梅田の球団事務所にてコーチの青田昇が退団したと発表。青田がこの日球団代表の戸沢一隆に対し「今季の成績不振の責任を取りたい」と申し入れ、戸沢は強く慰留したものの青田の意志が固かったため、辞任を認めた[63]。
    • 国鉄は午後3時、東京・有楽町の球団事務所にて記者会見し、元広島の小鶴誠が打撃コーチに就任したと発表[64]。

12月

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  • 12月5日 - 野球体育博物館に表彰掲載される野球人を選出する競技者表彰委員会は午後4時から銀座西のプロ野球コミッショナー事務局にて、元巨人の中島治康が選出されたと発表。11月25日に本年度の投票が開票されたが候補者全員が規定票数に届かなかったため、規定により上位6名を対象に再投票を実施した結果、中島が選出された[65]。
  • 12月6日 - 巨人は球団代表の佐々木孜美が読売新聞本社へ復帰するため退任し、後任に読売興行取締役の佐々木金之助が就任したと発表[66]。
  • 12月11日 - 西鉄は滝内弥瑞生が二軍内野コーチに就任したと発表[67]。
  • 12月18日 - 東映は山本久夫と中日の寺田陽介とのトレードが成立したと発表[68]。
  • 12月20日 - 大毎オーナーの永田雅一が午後、東京・京橋の大映本社にて記者会見し、山内一弘と阪神の小山正明のトレードが成立したと発表[69]。
  • 12月25日 - 国鉄は小川善治が二軍投手コーチに就任したと発表[70]。

誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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出典

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  1. 1 2 当時連盟表彰なし
  2. ↑ セントラル・リーグのみ当時連盟表彰なし
  3. ↑ 1位の関西大が「西川事件」により優勝取り消しとなったため。
  4. ↑ 読売新聞1963年1月15日7面「開幕日など本決まり パ・リーグ」読売新聞縮刷版1963年1月p291
  5. ↑ 読売新聞1963年1月17日6面「セは28回戦制 引き分け再試合しない」読売新聞縮刷版1963年
  6. ↑ 読売新聞1963年1月25日6面「オールスター7月22日から プロ野球 開幕日は決定通り」読売新聞縮刷版1963年
  7. ↑ 読売新聞1963年2月5日7面「市岡氏『野球殿堂』入り 15人目 巨人軍の初代代表」読売新聞縮刷版1963年2月p95
  8. ↑ 読売新聞1963年2月16日6面
  9. ↑ 読売新聞1963年3月19日7面「優勝チームだけに限らず 最高殊勲選手選ぶ プロ野球きめる」読売新聞縮刷版1963年
  10. ↑ 毎日新聞1963年4月5日夕刊1面「下関商が初優勝 10-0 北海の追撃押える」毎日新聞縮刷版1963年4月p101
  11. ↑ 毎日新聞1963年4月6日夕刊2面「パ・リーグ花やかに開幕 神宮球場に4万人 東映ー大毎 土橋・小野の対戦」毎日新聞縮刷版1963年4月p124
  12. ↑ 毎日新聞1963年4月28日9面「関口が千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1963年4月p603
  13. ↑ 毎日新聞1963年4月29日7面「若生(大毎)抑える 第一 田宮の"百号"もむなし」毎日新聞縮刷版1963年4月p629
  14. ↑ 読売新聞1963年5月3日6面「高倉(西鉄)が一千本安打」読売新聞縮刷版1963年5月p29
  15. ↑ 読売新聞1963年5月9日6面「金田、宿願の300勝 史上、3人目の偉業 延長10回、大洋は根負け」読売新聞縮刷版1963年5月p178
  16. ↑ 読売新聞1963年5月15日7面「玉造、千試合出場」読売新聞縮刷版1963年5月p321
  17. ↑ 読売新聞1963年5月21日6面「珍しい『濃霧中止』」読売新聞縮刷版1963年5月p462
  18. ↑ 読売新聞1963年6月17日7面「マリシャル投手が無安打無得点 アメリカ大リーグ」読売新聞縮刷版1963年6月p393
  19. ↑ 読売新聞1963年6月23日6面「岡島が千試合出場」読売新聞縮刷版1963年6月p536
  20. ↑ 毎日新聞1963年7月1日7面「金田、ついに311勝の新記録 中盤から救援で プロ生活14年目に達成」毎日新聞縮刷版1963年7月p7
  21. ↑ 毎日新聞1963年7月1日7面「ダッグアウト 1イニング10安打」毎日新聞縮刷版1963年7月p153
  22. ↑ 毎日新聞1963年7月8日7面「ダッグアウト 逆風ついて百号目」毎日新聞縮刷版1963年7月p175
  23. ↑ 毎日新聞1963年7月9日7面「ダッグアウト 二塁打四本を連発」毎日新聞縮刷版1963年7月p201
  24. ↑ 毎日新聞1963年7月11日13面「稲尾の奪三振二千を超える 金田につぎ二人目」毎日新聞縮刷版1963年7月p249
  25. ↑ 毎日新聞1963年7月21日13面「金田が完投で21勝 中日 二回に五つのエラー」毎日新聞縮刷版1963年7月p485
  26. ↑ 毎日新聞1963年7月28日13面「メッツ20連敗」毎日新聞縮刷版1963年7月p649
  27. ↑ 毎日新聞1963年7月30日13面「メッツついに22連敗」毎日新聞縮刷版1963年7月p693
  28. ↑ 毎日新聞1963年8月1日13面「野村が千試合出場」毎日新聞縮刷版1963年8月p13
  29. ↑ 毎日新聞1963年8月2日13面「豊田、プロ入り二百号」毎日新聞縮刷版1963年8月p37
  30. ↑ 毎日新聞1963年8月5日1面「京都(積水化学)が初優勝 大接戦で室蘭(富士鉄)を破る 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1963年8月p97
  31. ↑ 毎日新聞1963年8月11日7面「"村山退場"で大荒れ」毎日新聞縮刷版1963年8月p267
  32. ↑ 毎日新聞1963年8月15日13面「不滅の記録残して 引退するスタン・ミュージアル マナーも立派だった」毎日新聞縮刷版1963年8月p341
  33. ↑ 毎日新聞1963年8月18日12面「阪神・大洋18回戦延期」毎日新聞縮刷版1963年8月p412
  34. ↑ 毎日新聞1963年8月20日13面「山内が二五〇号(通算)日本記録にあと十五本」毎日新聞縮刷版1963年8月p457
  35. ↑ 毎日新聞1963年8月21日13面「森下が千本安打」毎日新聞縮刷版1963年8月p481
  36. ↑ 毎日新聞1963年8月22日13面「近鉄六年ぶりの六連勝 ミケンズは1球で勝投手」毎日新聞縮刷版1963年8月p505
  37. ↑ 毎日新聞1963年8月22日13面「小野が奪三振千五百個記録 パ・リーグ5人目」毎日新聞縮刷版1963年8月p505
  38. ↑ 毎日新聞1963年8月26日6面「五百試合目の稲尾」毎日新聞縮刷版1963年8月p594
  39. ↑ 毎日新聞1963年8月30日13面「ダッグアウト 野村が千本安打」毎日新聞縮刷版1963年8月p693
  40. ↑ 毎日新聞1963年9月1日13面「安仁屋(琉球煙草)広島と契約 沖縄から初のプロ選手」毎日新聞縮刷版1963年9月p13
  41. ↑ 毎日新聞1963年9月6日13面「大毎"千勝"を記録 山内が25号と26号」毎日新聞縮刷版1963年9月p129
  42. ↑ 毎日新聞1963年9月6日13面「近鉄が1イニングに五投手」毎日新聞縮刷版1963年9月p129
  43. ↑ 毎日新聞1963年9月14日13面「米国人ファンとつかみあい 大洋のクレス選手」毎日新聞縮刷版1963年9月p341
  44. ↑ 毎日新聞1963年9月19日13面「ダッグアウト 敗戦忘れさす海老原の快勝」毎日新聞縮刷版1963年9月p431
  45. ↑ 毎日新聞1963年9月22日12面「山内が千五百本安打」毎日新聞縮刷版1963年9月p504
  46. ↑ 読売新聞1963年10月16日1面「巨人の優勝決定 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1963年10月p395
  47. ↑ 毎日新聞1963年10月17日7面「野村50号と51号 日本タイ 南海が首位を奪還 延長13回 穴吹がサヨナラ3ラン」毎日新聞縮刷版1963年10月p391
  48. ↑ 毎日新聞1963年10月17日7面「優勝決定戦は三回戦 西鉄と南海が同率のとき」毎日新聞縮刷版1963年10月p391
  49. ↑ 毎日新聞1963年10月18日13面「野村52号の日本新」毎日新聞縮刷版1963年10月p421
  50. ↑ 読売新聞1963年10月21日1面「西鉄五年ぶり優勝 パ・リーグ 26日から巨人と日本シリーズ」読売新聞縮刷版1963年10月p395
  51. ↑ 西日本スポーツ1963年10月21日1面「ついに奇跡なる 西鉄逆転優勝 五年ぶり五度目の感激」
  52. ↑ 毎日新聞1963年10月21日13面「西鉄またも奇跡の逆転 劇的な"最終日の決定"近鉄を四連破」毎日新聞縮刷版1963年10月p483
  53. ↑ 毎日新聞1963年10月24日13面「広島ついに最下位 セ・リーグ全日程終わる」毎日新聞縮刷版1963年10月p557
  54. ↑ 読売新聞1963年11月4日夕刊1面「巨人、6度目の優勝 日本シリーズ 西鉄くだす」読売新聞縮刷版1963年11月p99
  55. ↑ 読売新聞1963年11月8日8面「"沢村賞"は伊藤投手 巨人軍優勝に大きく貢献」読売新聞縮刷版1963年11月p194
  56. ↑ 読売新聞1963年11月9日5面「セ・長島、パ・野村 最優秀選手きまる」読売新聞縮刷版1963年11月p217
  57. ↑ 読売新聞1963年11月9日5面「阪神、ヤシックと解約」読売新聞縮刷版1963年11月p217
  58. ↑ 毎日新聞1963年11月14日12面「田宮(大毎)引退」毎日新聞縮刷版1963年11月p332
  59. ↑ 読売新聞1963年11月12日9面「ヘッド・コーチ別所 大洋、新首脳陣を発表」読売新聞縮刷版1963年11月p303
  60. ↑ 読売新聞1963年11月20日9面「五輪前に日程終了 プロ野球実行委きめる」読売新聞縮刷版1963年11月p527
  61. ↑ 読売新聞1963年11月22日11面「阪神のピッチングコーチに杉下氏」読売新聞縮刷版1963年11月p581
  62. ↑ 読売新聞1963年11月26日9面「林氏、正式就任 国鉄監督」読売新聞縮刷版1963年11月p697
  63. ↑ 読売新聞1963年12月1日8面「青田コーチ阪神を退団」読売新聞縮刷版1963年12月p8
  64. ↑ 読売新聞1963年12月1日8面「小鶴の就任きまる 国鉄打撃コーチ」読売新聞縮刷版1963年12月p8
  65. ↑ 読売新聞1963年12月6日9面「元巨人の中島氏 "野球の殿堂"入り」読売新聞縮刷版1963年12月p142
  66. ↑ 読売新聞1963年12月7日9面「佐々木金之助氏が就任 巨人の新しい代表に」読売新聞縮刷版1963年12月p171
  67. ↑ 読売新聞1963年12月12日9面「西鉄コーチに滝内氏」読売新聞縮刷版1963年12月p312
  68. ↑ 読売新聞1963年12月19日9面「山本久(東映)と寺田(中日)交換成立」読売新聞縮刷版1963年12月p504
  69. ↑ 朝日新聞1963年12月21日13面「小山と山内、トレード 阪神と大毎の話し合いつく」
  70. ↑ 読売新聞1963年12月26日9面「国鉄コーチに小川氏」読売新聞縮刷版1963年12月p685
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