コンテンツにスキップ

1967年の野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1967年 > 1967年のスポーツ > 1967年の野球

1967年の野球(1967ねんのやきゅう)では、1967年の野球界における動向をまとめる。

競技結果

[編集]

日本プロ野球

[編集]

ペナントレース

[編集]
1967年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ84464.646---
2位中日ドラゴンズ72584.55412.0
3位阪神タイガース70606.53814.0
4位大洋ホエールズ59715.45425.0
5位サンケイアトムズ58725.44626.0
6位広島カープ47838.36237.0
1967年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝阪急ブレーブス75554.577---
2位西鉄ライオンズ666410.5089.0
3位東映フライヤーズ65654.50010.0
4位南海ホークス64663.49211.0
5位東京オリオンズ61697.46914.0
6位近鉄バファローズ59712.45416.0

日本シリーズ

[編集]
1967年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月21日(土)第1戦読売ジャイアンツ7 - 3阪急ブレーブス阪急西宮球場
10月22日(日)第2戦読売ジャイアンツ1 - 0阪急ブレーブス
10月23日(月)移動日
10月24日(火)第3戦阪急ブレーブス1 - 6読売ジャイアンツ後楽園球場
10月25日(水)第4戦阪急ブレーブス9 - 5読売ジャイアンツ
10月26日(木)第5戦阪急ブレーブス6 - 3読売ジャイアンツ
10月27日(金)移動日
10月28日(土)第6戦読売ジャイアンツ9 - 3阪急ブレーブス阪急西宮球場
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続9回目)

個人タイトル

[編集]
 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手王貞治巨人足立光宏阪急
最優秀新人武上四郎サンケイ高橋善正東映
最優秀投手小川健太郎中日
沢村栄治賞小川健太郎中日
首位打者中暁生中日.343張本勲東映.336
最多本塁打王貞治巨人47本野村克也南海35本
最多打点王貞治巨人108打点野村克也南海100打点
最多盗塁柴田勲巨人70盗塁西田孝之東京32盗塁
最多安打[1]藤田平阪神154安打土井正博近鉄147安打
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治巨人276出塁張本勲東映.439
最優秀防御率権藤正利阪神1.40足立光宏阪急1.75
最多勝利小川健太郎中日29勝池永正明西鉄23勝
最多奪三振[1]江夏豊阪神225奪三振鈴木啓示近鉄222奪三振
最高勝率堀内恒夫巨人.857石井茂雄阪急.692

ベストナイン

[編集]
 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 小川健太郎中日足立光宏阪急
捕手 森昌彦巨人野村克也南海
一塁手 王貞治巨人大杉勝男東映
二塁手 高木守道中日D.ブレイザー南海
三塁手 長嶋茂雄巨人森本潔阪急
遊撃手 藤田平阪神大下剛史東映
外野手 近藤和彦大洋土井正博近鉄
柴田勲巨人長池徳二阪急
中暁生中日張本勲東映

オールスターゲーム

[編集]

ドラフト会議

[編集]

高校野球

[編集]

大学野球

[編集]

社会人野球

[編集]

メジャーリーグ

[編集]

できごと

[編集]

4月

[編集]
  • 4月7日 - 第39回選抜高校野球大会の決勝戦が午後1時2分より甲子園球場にて行われ、津久見高校が高知高校を延長10回の末2-1で破り優勝[2]。
  • 4月8日
  • 4月11日 - サンケイの徳武定祐がこの日の神宮球場での対広島1回戦に出場せず、連続試合出場の記録が821試合で途絶える[6]。
  • 4月25日 - 東京の坂井勝二が東京スタジアムでの対東映4回戦に先発し、東映を9回まで無安打無得点に抑えるが、10回表先頭打者の種茂雅之に三塁打を打たれた後2失点し、チームは東映に0-2で敗戦したため敗戦投手となる[7]。

5月

[編集]
  • 5月3日 - 東映の尾崎行雄が大阪球場での対南海4回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[8]。
  • 5月4日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対東映5回戦の2回裏に2号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[9]。
  • 5月17日 - 近鉄の監督兼選手の小玉明利が東京スタジアムでの対東京7回戦に出場して通算1710試合出場を達成し、パ・リーグ最多試合出場の新記録となる[10]。
  • 5月18日
  • 5月19日 - 東京の小山正明が東京スタジアムでの対南海5回戦で勝利投手となり、プロ通算250勝を達成[13]。
  • 5月22日 - 法政の田淵幸一が東京六大学春季リーグの対慶應3回戦の二回表に9号本塁打、延長11回に10号本塁打を打ち、六大学野球新記録の通算10本塁打を達成[14]。
  • 5月23日 - サンケイは監督の飯田徳治がチームの成績不振を理由に休養し、ヘッドコーチの中原宏が監督代理となることを発表[15]。
  • 5月31日 - 東映の張本勲が日生球場での対近鉄7回戦の二回表に11号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[16]。

6月

[編集]
  • 6月2日 - 大洋ホエールズのオーナーの中部謙吉が午後5時から東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し、監督の三原脩が休養し、ヘッドコーチの別当薫が代理監督を務めると発表[17]。
  • 6月6日
    • 阪急の長池徳士が、4日対西宮球場での東映戦第三打席、第四打席で本塁打を放ち、この日の西宮球場での対南海10回戦の第一打席、第二打席でも本塁打を放ち、パ・リーグ新記録となる四打席連続本塁打を達成[18]。
    • 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対南海10回戦で6勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[18]。
  • 6月10日 - 広島の鵜狩道旺がウエスタン・リーグの対近鉄戦において、リーグ史上初の完全試合を達成[19]。
  • 6月7日 - 巨人の金田正一が川崎球場での対大洋10回戦で先発し、16三振を奪い1試合奪三振のセ・リーグ新記録を達成[20]。
  • 6月14日 - 東京の榎本喜八が東京スタジアムでの対東映フライヤーズ11回戦の7回裏に代打で登場して二塁打を放ち、パ・リーグ新記録の通算1828安打を記録[21]。
  • 6月18日
    • 中日の葛城隆雄が広島市民球場での対広島14回戦の一回表に中前安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[22]。
    • 巨人の国松彰が後楽園球場での対大洋13回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[23]。
  • 6月19日 - 東京のオーナーの永田雅一は東京・京橋の大映本社にて緊急の幹部会を招集し、監督の戸倉勝城に休養を命じ、ヘッドコーチの濃人渉を監督代理に任命することを決定[24]。
  • 6月20日 - 中日の葛城隆雄が中日球場での対大洋9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[25]。
  • 6月21日 - 中日の葛城隆雄が中日球場での対大洋10回戦の4回裏に8号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[26]。
  • 6月23日 - 巨人の柳田利夫が南海へ金銭トレードされる[27]。
  • 6月24日 - サンケイの豊田泰光が神宮球場での対大洋11回戦の2回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[28]。

7月

[編集]
  • 7月7日
    • サンケイは5月23日から休養していた監督の飯田徳治が8日の対阪神戦から監督に復帰すると発表[29]。
    • 東映の伊藤芳明が後楽園球場での対南海15回戦の九回表に小池兼司から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[30]。
  • 7月10日
    • 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋15回戦の2回表に25号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[31]。
    • 巨人は前富士鉄広畑の監督の前川八郎がスカウト部長に就任したと発表[32]。
  • 7月19日 - 東映の白仁天が後楽園球場での対近鉄14回戦の9回裏、3-5と二点リードされた場面で本塁打を放ち逆転サヨナラ本塁打となるところが、白は前の走者の吉田正昭を追い越したため、白はアウトとなり、「3点本塁打」が「2点適時打」となり同点にとどまる。試合も延長10回近鉄に6-5と敗戦[33]。
  • 7月23日 - セ・パ両リーグ共に前半戦の日程が終了。セは巨人が2位と6.5ゲーム差の首位、パ・リーグは阪急が2位の8ゲーム差の首位[34]。
  • 7月30日 - 東京スタジアムでの東京対阪急のダブルヘッダー第1試合の2回無死一、二塁の場面で、阪急の二塁手の住友平が一人でトリプルプレーを達成[35]。

8月

[編集]
  • 8月6日 - 巨人の田中久寿男が神宮球場での対サンケイ戦16回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[36]。
  • 8月14日 - 巨人の長島茂雄が後楽園球場での対サンケイ19回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[37]。
  • 8月15日 - 東京はオーナーの永田雅一が東京・京橋の大映本社で午前10時より記者会見を行い、監督が戸倉勝城に代わりヘッドコーチの濃人渉が昇格したと発表[38]。
  • 8月31日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対サンケイ戦で1回裏に39号本塁打、3回裏に40号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[39]。

9月

[編集]
  • 9月7日 - 西鉄の若生忠男が平和台球場での対阪急22回戦に登板し、プロ通算500試合登板を達成[40]。
  • 9月10日 - 阪神対巨人戦で阪神の藤井栄治、中日対大洋戦で中日の高木守道、広島対サンケイ戦で広島の鎌田豊がサヨナラホームランを放った。史上初めて3カードが同日にサヨナラゲーム、しかもホームランで決着した。[41]
  • 9月17日
    • 西鉄の若生忠男が西宮球場での対阪急26回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[42]。
    • 巨人の長島茂雄が後楽園球場での対サンケイ25回戦の6回裏に三塁打を放ち、プロ通算1500安打を達成[43]。
  • 9月23日 - 後楽園球場での阪神対大洋24回戦の1回表、二死満塁で打者森中千香良のカウント2ストライクからの3球目の判定に対し、阪神の監督の藤本定義が主審の大谷泰司に抗議。約30分後に試合が再開されたが、審判団はプレーボールの状態で1分待ったが阪神の選手がグラウンドに入らなかったとして、阪神の放棄試合を宣告[44]。

10月

[編集]
  • 10月1日 - 阪急は西京極球場での対東映ダブルヘッダー第一試合10-6と勝利し、大阪球場での南海対西鉄ダブルヘッダー第二試合で西鉄が南海に4-5と敗戦したため、阪急のリーグ優勝が決まる[45]。
  • 10月3日 - 大洋の監督の三原脩が東京の自宅にて、今シーズン限りで退団すると表明[46]。
  • 10月4日 - 大洋は監督の三原脩の退団を認めたと発表[47]。
  • 10月7日 - 巨人のリーグ優勝が決定。2位の中日が中日球場での対サンケイダブルヘッダー第一試合の24回戦に5-9でサンケイに敗れたため[48]。
  • 10月10日
    • 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対広島22回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。また打撃では2、4、6回と3打席連続本塁打を記録[49]。
    • 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対西鉄27回戦の八回表に伊藤光四郎から三振を奪い、プロ通算2500奪三振を達成[50]。
  • 10月14日 - 阪神の山内一弘が東京スタジアムでの対サンケイダブルヘッダー第二試合24回戦の8回裏に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[51]。
  • 10月17日 - パ・リーグは東京球場での東京対近鉄ダブルヘッダー25、26回戦を消化し、全日程を終了[52]。
  • 10月19日 - セ・リーグは神宮球場でのサンケイ対広島ダブルヘッダー26、27回戦を消化し、全日程を終了[53]。
  • 10月21日 - プロ野球オーナー会議が午後5時半から西宮市の料亭「つる家」で行われ、東京のオーナーの永田雅一が来季の公式戦を136試合とし、そのうち30試合を両リーグによる交流戦を30試合行うことを提案[54]。
  • 10月23日 - 広島は監督の長谷川良平に対して解任を通告[55]。
  • 10月28日 - 日本シリーズが西宮球場にて行われ、巨人が阪急に9-3で勝ち4勝2敗で下し、3年連続の日本一を達成[56][57]。
  • 10月30日 - プロ野球の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決定する記者投票の開票が午前10時30分から東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、午後3時、同事務局は最優秀選手にセ・リーグは巨人の王貞治、パ・リーグは阪急の足立光宏、最優秀新人にセ・リーグはサンケイの武上四郎、パ・リーグは東映の高橋善正が選出されたと発表[58]。
  • 10月31日
    • 沢村賞の選考が東京運動記者クラブによって正午から東京・有楽町の「レバンテ」にて行われ、中日の小川健太郎を選出[59]。
    • 中日は名古屋市中区の中日新聞本社にて、中日新聞常務取締役の小山武夫が球団社長に就任したと発表[60]。

11月

[編集]
  • 11月1日 - サンケイは午後4時半より東京・有楽町のラクチョウ・ビルにて記者会見し監督に別所毅彦、ヘッドコーチに楠安夫、投手コーチに山根俊英、打撃コーチ兼主将に豊田泰光が就任したと正式に発表[61]。
  • 11月6日 - 近鉄は午後4時から大阪市天王寺区の近鉄会館にて記者会見し、前大洋監督の三原脩が新監督に就任したと正式に発表[62][63]。
  • 11月9日 - プロ野球新人選択会議が午前11時から東京・日比谷の日生会館にて開かれる[64]。
  • 11月14日 - 巨人は白石勝巳がヘッドコーチに就任したと正式に発表[65]。
  • 11月20日 - 大洋は午後2時より東京・丸の内の大洋漁業本社にて臨時取締役会を開き、球団社長の辻村正一の辞任と中部利三郎の就任を決定[66]。
  • 11月24日
    • 西鉄は井上善夫と巨人の益田昭雄・吉田勝豊のトレードが成立したと発表[67]。
    • 野球博物館に表彰、掲載される野球人を選出する野球博物館競技者表彰委員会が午後3時半から東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局にて開かれ記者投票の開票が行われたが、全員が規定得票数に届かなかったため、2年連続で選出者なしとなった[68]。
  • 11月25日 - 東映フライヤーズは監督の水原茂を解任し、午後5時半より東京・銀座西の東映本社にて大下弘が新監督に就任すると正式に発表[69]。
  • 11月28日 - 中日は午後5時から名古屋市中区の球団事務所にて記者会見し、球団代表の吉江信太郎が顧問に就任し球団代表の小山武夫が代表を兼務、中日案内広告社長の東方利重が代表代理に就任したと発表[70]。

12月

[編集]
  • 12月5日
    • 巨人の塩原明が球団に対し現役引退を申し入れ、了承される[71]。
    • 近鉄は本堂安次がコーチに就任すると発表[72]。
    • 阪神の投手コーチの川崎徳次が球団に対し退団を申し入れ、了承される[73]。
  • 12月6日 - 近鉄は木原義隆を大洋へ金銭トレードすると発表[74]。
  • 12月7日 - 阪神の藤本勝巳が球団に対し体力の限界を理由に現役引退を申し入れ、了承される[75]。
  • 12月12日 - サンケイは日刊スポーツ記者の田口周が二軍の打撃兼内野コーチに、ランニング・コーチに赤坂宏三が就任したと発表[76]。
  • 12月18日 - 広島は広島市の広島グランドホテルにて来季より球団名を「広島東洋カープ」とし、コーチの根本陸夫が新監督に就任したと正式に発表[77]。
  • 12月26日 - 中日は午後1時より名古屋市中区の中日新聞社にて役員会を開き、球団代表代理の東方重利が球団代表となり、球団代表と球団社長を兼任していた小山武夫が球団社長に専念することを決定[78]。

誕生

[編集]

1月

[編集]

2月

[編集]

3月

[編集]

4月

[編集]

5月

[編集]

6月

[編集]

7月

[編集]

8月

[編集]

9月

[編集]

10月

[編集]

11月

[編集]

12月

[編集]

死去

[編集]

出典

[編集]
  1. 1 2 当時連盟表彰なし
  2. ↑ 毎日新聞1967年4月7日夕刊1面「センバツ 初陣の津久見優勝 延長12回 高知高を破る」毎日新聞縮刷版1967年4月p175
  3. ↑ 毎日新聞1967年4月8日夕刊10面「プロ野球ひらく 後楽園では昼と夜と」毎日新聞縮刷版1967年4月p212
  4. ↑ 毎日新聞1967年4月9日13面「南海"開幕"に七連勝 小山の力投(通算三振奪取二千五百)及ばず」毎日新聞縮刷版1967年4月p227
  5. ↑ 読売新聞1967年4月9日8面「醍醐は千試合出場」読売新聞縮刷版1967年4月p228
  6. ↑ 毎日新聞1967年4月12日13面「徳武の連続出場がストップ」毎日新聞縮刷版1967年4月p299
  7. ↑ 毎日新聞1967年4月26日13面「健闘坂井、また悲劇 九回を無安打、十回ダウン」毎日新聞縮刷版1967年4月p695
  8. ↑ 毎日新聞1967年5月4日13面「尾崎、完投で百勝目 宿敵の南海を最下位に」毎日新聞縮刷版1967年5月p85
  9. ↑ 毎日新聞1967年5月5日13面「広瀬プロ入り百号ホーマー」毎日新聞縮刷版1967年5月p113
  10. ↑ 毎日新聞1967年5月18日13面「小玉が千七百十試合出場のパ新記録」毎日新聞縮刷版1967年5月p425
  11. ↑ 毎日新聞1967年5月19日13面「巨人の勝率8割 大洋 桑田の二百号むなし」毎日新聞縮刷版1967年5月p453
  12. ↑ 毎日新聞1967年5月19日13面「中日の西沢監督が休養」毎日新聞縮刷版1967年5月p453
  13. ↑ 毎日新聞1967年5月20日13面「小山(東京)が二百五十勝 史上五人目、完投で飾る」毎日新聞縮刷版1967年5月p481
  14. ↑ 読売新聞1967年5月23日11面「田淵(法大)が9、10号 本塁打の新記録」読売新聞縮刷版1967年5月p583
  15. ↑ 毎日新聞1967年5月24日13面「飯田監督は不振を苦に休養」毎日新聞縮刷版1967年5月p583
  16. ↑ 読売新聞1967年6月1日11面「張本二百ホーマー」読売新聞縮刷版1967年6月p11
  17. ↑ 毎日新聞1967年6月3日13面「三原・大洋監督も休養 代理は別当ヘッドコーチ」毎日新聞縮刷版1967年6月p73
  18. 1 2 毎日新聞1967年6月7日13面「長池(四打席連続ホーマー)杉浦に10、11号 梶本は完封で二百勝」毎日新聞縮刷版1967年6月p185
  19. ↑ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、72頁。
  20. ↑ 毎日新聞1967年6月8日13面「金田、16奪三振のセ新記録」毎日新聞縮刷版1967年6月p213
  21. ↑ 毎日新聞1967年6月15日13面「安打数でパ新記録 東京の榎本」毎日新聞縮刷版1967年6月p403
  22. ↑ 読売新聞1967年6月19日11面「葛城千五百本安打」読売新聞縮刷版1967年6月p515
  23. ↑ 読売新聞1967年6月19日11面「国松が千試合出場」読売新聞縮刷版1967年6月p515
  24. ↑ 毎日新聞1967年6月20日13面「戸倉監督(東京)も休養 濃人ヘッドコーチ きょうから指揮」毎日新聞縮刷版1967年6月p541
  25. ↑ 毎日新聞1967年6月21日13面「葛城が千五百試合出場を記録」毎日新聞縮刷版1967年6月p565
  26. ↑ 毎日新聞1967年6月22日13面「葛城が通算百五十号本塁打」毎日新聞縮刷版1967年6月p593
  27. ↑ 毎日新聞1967年6月24日13面「巨人の柳田が南海へ」毎日新聞縮刷版1967年6月p651
  28. ↑ 毎日新聞1967年6月25日13面「救援金田、痛い押し出し 小川12勝 豊田はプロ入り250号」毎日新聞縮刷版1967年6月p679
  29. ↑ 毎日新聞1967年7月8日17面「産経の飯田監督きょうから復帰」毎日新聞縮刷版1967年7月p217
  30. ↑ 読売新聞1967年7月8日11面「伊藤(東映)が奪千三振」読売新聞縮刷版1967年7月p211
  31. ↑ 毎日新聞1967年7月11日13面「桑田2ラン2発 王の千本安打(25号)及ばず」毎日新聞縮刷版1967年7月p297
  32. ↑ 読売新聞1967年7月11日11面「巨人に前川氏 スカウト部長に就任」読売新聞縮刷版1967年7月p295
  33. ↑ 毎日新聞1967年7月20日13面「真夏の夜の珍事 白(東映)幻の逆転サヨナラ3ラン 走者追い越して単打 試合も延長で敗れる」毎日新聞縮刷版1967年7月p530
  34. ↑ 毎日新聞1967年7月24日13面「巨人・阪急、大差でUターン プロ野球、前半戦を終わる」毎日新聞縮刷版1967年7月p639
  35. ↑ 読売新聞1967年8月1日11面「伊藤(東映)が奪千三振」読売新聞縮刷版1967年8月p11
  36. ↑ 読売新聞1967年8月7日11面「田中、千試合飾る1号」読売新聞縮刷版1967年8月p169
  37. ↑ 読売新聞1967年8月15日11面「巨人、15安打でサンケイ粉砕 長島は通算250号 城之内、完投で16勝」読売新聞縮刷版1967年8月p381
  38. ↑ 読売新聞1967年8月15日夕刊6面「新監督に濃人氏 東京オリオンズ」読売新聞縮刷版1967年8月p392
  39. ↑ 読売新聞1967年9月1日8面「王、プロ入り三百号 39、40号連続3ランで飾る」読売新聞縮刷版1967年9月p8
  40. ↑ 読売新聞1967年9月8日9面「若生(西鉄)五百試合登板」読売新聞縮刷版1967年9月p201
  41. ↑ INC, SANKEI DIGITAL (2019年9月5日). “DeNA・筒香、サヨナラ弾!「メークラミクル」へGに再接近2・5差”. サンスポ. 2024年3月1日閲覧。
  42. ↑ 読売新聞1967年9月18日11面「若生(西鉄)ノーヒットノーラン "あと9勝"の阪急押える」読売新聞縮刷版1967年9月p475
  43. ↑ 読売新聞1967年9月18日11面「長島が千五百本安打 城之内、サンケイを完封」読売新聞縮刷版1967年9月p475
  44. ↑ 読売新聞1967年9月24日9面「阪神が試合放棄 判定に不満で中断 再開準備中に宣告」読売新聞縮刷版1967年9月p649
  45. ↑ 読売新聞1967年10月2日1面「阪急が初優勝 プロ野球パ・リーグ」読売新聞縮刷版1967年9月p25
  46. ↑ 朝日新聞1967年10月4日13面「三原監督が辞意 大洋」朝日新聞縮刷版1967年10月p93
  47. ↑ 朝日新聞1967年10月5日「三原監督が正式退団 後任は別当コーチ昇格」朝日新聞縮刷版1967年10月p129
  48. ↑ 読売新聞1967年10月7日夕刊1面「巨人22回目の優勝 セ・リーグ "日本一"かけ阪急と対決」読売新聞縮刷版1967年10月p189
  49. ↑ 読売新聞1967年10月11日9面「堀内(巨人)投打に快記録 投手初の連続3ホーマー 無安打得点は今季二人目」読売新聞縮刷版1967年10月p289
  50. ↑ 読売新聞1967年10月11日9面「張本が3割3分6厘 梶本は奪三振二千五百」読売新聞縮刷版1967年10月p289
  51. ↑ 読売新聞1967年10月15日9面「権藤(阪神)防御率トップ 山内は二千本安打 川上に次ぎ史上2人目」読売新聞縮刷版1967年10月p409
  52. ↑ 読売新聞1967年10月18日8面「首位打者は張本 パ・リーグ全日程を終える」読売新聞縮刷版1967年10月p488
  53. ↑ 読売新聞1967年10月20日9面「初の"最多出塁"に王 セ・リーグ全日程終わる」読売新聞縮刷版1967年10月p553
  54. ↑ 読売新聞1967年10月22日9面「公式戦に両リーグ交流 オーナー会議 永田氏の"提案"検討」読売新聞縮刷版1967年10月p609
  55. ↑ 読売新聞1967年10月24日11面「長谷川監督(広島)を解任 松田オーナーも辞意」
  56. ↑ 読売新聞1967年10月28日夕刊1面「巨人三年連続の日本一 日本シリーズ 阪急に四勝二敗」読売新聞縮刷版1967年10月p793
  57. ↑ 読売新聞1967年10月29日9面「巨人、15安打で9回目の栄冠 長島、王が足立を攻略」読売新聞縮刷版1967年10月p813
  58. ↑ 読売新聞1967年10月31日11面「プロ野球 最優秀選手きまる セは王(3回目)パは足立(初めて)新人王に武上(サンケイ)高橋(東映)」読売新聞縮刷版1967年10月p871
  59. ↑ 読売新聞1967年11月1日9面「沢村賞に小川投手(中日)ものいった29勝」読売新聞縮刷版1967年11月p9
  60. ↑ 読売新聞1967年11月1日9面「中日新社長に小山氏」読売新聞縮刷版1967年11月p9
  61. ↑ 読売新聞1967年11月2日11面「サンケイ監督に別所氏 楠ヘッドコーチ 飯田体制を一新」読売新聞縮刷版1967年11月p39
  62. ↑ 毎日新聞1967年11月7日「三原監督決まる 近鉄、正式に就任を発表」縮刷版p185
  63. ↑ 読売新聞1967年11月2日11面「三原近鉄監督正式に就任」読売新聞縮刷版1967年11月p187
  64. ↑ 読売新聞1967年11月10日9面「プロ野球新人選択会議 巨人、高田を指名 南海藤原、近鉄は三輪田」読売新聞縮刷版1967年11月p277
  65. ↑ 読売新聞1967年11月15日9面「"潤滑油的役割を" 巨人 白石ヘッドコーチを発表」読売新聞縮刷版1967年11月p417
  66. ↑ 読売新聞1967年11月21日11面「中部利大洋社長が就任」読売新聞縮刷版1967年11月p595
  67. ↑ 読売新聞1967年11月25日11面「益田、吉田勝西鉄へ 巨人、井上善と交換発表」読売新聞縮刷版1967年10月p715
  68. ↑ 読売新聞1967年11月25日9面「"殿堂入り"ことしも見送り 野球体育館」読売新聞縮刷版1967年11月p715
  69. ↑ 毎日新聞1967年11月26日13面「東映新監督に大下弘氏 水原解任"電撃的組閣"で幕」毎日新聞縮刷版縮刷版p729
  70. ↑ 読売新聞1967年11月29日11面「中日代表代理に東方氏」読売新聞縮刷版1967年11月p825
  71. ↑ 読売新聞1967年12月6日11面「塩原(巨人)の引退決定」読売新聞縮刷版1967年12月p151
  72. ↑ 読売新聞1967年12月6日11面「本堂、近鉄コーチ就任」読売新聞縮刷版1967年12月p151
  73. ↑ 読売新聞1967年12月6日11面「阪神・川崎コーチが辞任」読売新聞縮刷版1967年12月p151
  74. ↑ 読売新聞1967年12月7日11面「木原(近鉄)は大洋へ」読売新聞縮刷版1967年12月p179
  75. ↑ 読売新聞1967年12月8日11面「藤本博(阪神)が引退」読売新聞縮刷版1967年12月p219
  76. ↑ 読売新聞1967年12月13日11面「サンケイ コーチに赤坂氏も」読売新聞縮刷版1967年12月p359
  77. ↑ 読売新聞1967年12月19日11面「球団名は『広島東洋カープ』 監督に根本コーチ昇格」読売新聞縮刷版1967年12月p539
  78. ↑ 読売新聞1967年12月27日11面「東方氏(中日)代表に昇格」読売新聞縮刷版1967年12月p751
⌬ Phoenix Mesh CID: bafybeif5ymb7vhrh56g… ⏳ 自動起動中… 📡 0ピア ⚡ 0シーダー PQS A97