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1971年のテレビ (日本)

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1971年のテレビ(1971ねんのテレビ)では、1971年(昭和46年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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4月16日に群馬テレビ、5月1日に千葉テレビ放送がそれぞれ開局。
2局共、ネット系列を持たない独立UHF局として開局。
11月25日、カラー受信契約数が1000万を突破。
テレビ番組
この年はNHK教育テレビを除き、全国放送の全面カラー化への総仕上げの時期に入る。そのため、前年に続きモノクロ番組のカラー化が顕著な年となる。
  • NHK教育テレビを除き、キー局のテレビ番組のほとんどがカラー放送となる。地方局のローカル番組・設備等も相次いでカラー化が進む。
  • 10月10日、NHK総合テレビの全国放送が全時間に於いてカラー化(一部例外を除く)[1][2]。
  • NHKは新年度に入る4月から、総合テレビでは後述の番組を除き全面カラー放送となり[3]、1日当り5時間40分もカラー時間増を実施[4]。『日本ところどころ』も一部取材がカラー化、『NHKのど自慢』も随時カラー放送を開始。教育テレビでは、小学校向けの学校放送番組を中心にカラー化を促進した[5]。
  • その後総合テレビは、10月の改編期迄には、全ての地方局がカラーフィルムによるニュース取材を開始し、ニュース番組内の素材まで全面カラー化。10月3日には名古屋放送局制作の『中学生群像』がカラー化。10月改編期(この年は10月4日開始)になると、それまで随時カラー放送だった帯番組『明るい農村』、『婦人百科』が漸く毎回カラー化、10月10日に『NHKのど自慢』が毎回カラーになったのを最後に、同テレビの全国放送番組の全面カラー化を完了した(NHKの公式発表による)[2]。尚、『日本ところどころ』は10日は特別編成の為お休み、17日放送回から全取材がカラー化された。
  • 平日の朝・昼の帯番組(再放送を除く)のカラー化が一気に進む。
  • 朝日新聞東京版のテレビ番組表欄では、10月1日からNHK総合テレビの番組表の部分の最初に「【全部カラー放送】」の表記の後に番組表が始まる記述となった。同テレビ以外では、「カラー」の表記が引き続き行われている(年末の12月31日まで)[6]。
  • 読売新聞では10月3日、テレビ番組のほとんどがカラー放送になったのを受け、この日からテレビ欄の番組表でのカラー表記をなくした代わりに、モノクロ番組に「☆」の表記を行う様になる[7]。
視聴率
  • TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から9年連続)。
  • NET(後のテレビ朝日)が同じくこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時)において在京民放局で首位となる(1969年から3年連続)[注 1]。

番組関係のできごと

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モノクロ表記がない限り、全てカラー放送。

1月

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2月

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  • 1日~10日(日本時間) - NHK総合で、アポロ14号の打ち上げから月面活動を経て着水までの模様を、特別番組やニュース等にて放送。ここで、月面活動の模様が初めてカラーで中継される[16]。
  • 2日 - NHK総合、『NHK特派員報告』にて、この日から4週に渡り「市民と住宅」を放送。日本の大都市で住宅の購入が困難な状況を受け、他国と比較して今後のこの問題の展望等を考えていく内容[1][17]。
  • 9日 - NHK総合、「札幌国際冬季スポーツ大会」の男子滑降競技に於いて、同競技で初めて全コースにてカラー中継を行う[1][18]。
  • 21日 - 日本テレビ系で森田健作主演の学園ドラマ『おれは男だ!』(松竹制作)が放送開始( - 1972年2月13日)。
  • 28日 - 朝日放送・TBS系の"香川登志緒脚本・藤田まこと主演"による上方コメディ『てなもんや二刀流』がこの日終了、これにより1962年5月開始の『てなもんや三度笠』以来9年弱続いた『てなもんやシリーズ』が終了。そして翌3月7日より、同じ「香川・藤田」コンビによる現代コメディ『スコッチョ大旅行』( - 9月26日)を開始するが、わずか7ヶ月で終了し、ここに事実上「香川・藤田」路線は終了した。

3月

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  • 1~6日 - NHK総合、朝の情報番組『スタジオ102』(同番組ではモノクロ放送最後期)で、前月の2月9日に米ロサンゼルス市で発生した「サンフェルナンド地震(英語版)」を受け、「都市と大地震」というテーマで6日間に渡り特集[1]。ちなみに同番組は、この直後の同月8日からカラー放送となった[19]。
  • 9日 - NHK総合、前述の「サンフェルナンド地震」を受け、通常番組を休止し、特別番組『マグニチュード6.6の教訓 ―ロサンゼルス地震取材報告―』を放送[1][20]。
  • 22日 - NHK総合、放送記念祭特集として、自然環境破壊に関するフィルム構成のドキュメンタリー『けやきの証言』を放送[1][21]。
  • 23日 - NHK総合、NHKが招へいした、アポロ計画推進者で米航空宇宙局計画担当次長、ヴェルナー・フォン・ブラウンを迎え、特別番組『私と宇宙開発』を放送(東京・大阪は2か国語放送)。番組には、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫も出演した[22]。尚ブラウンはその後、同月27日に東京、4日後の31日に大阪で各々講演会を行った[1]。
  • 25日 - フジテレビ系で野球バラエティ番組『オールスター夢の球宴』を『テレビグランドスペシャル』枠(第2期)で放送(選手宣誓:坂本九、始球式:大空真弓)。翌1972年からは後述の『火曜ワイドスペシャル』に移動し、1978年3月まで続いて一旦中断[注 5]、その後1981年3月より再開し、1995年まで継続する。
  • 27日 - TBS系で1969年10月4日に放送開始したザ・ドリフターズの公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』がこの日の放送をもって半年間休止(後述の『日曜日だョ!~』放送にともなう)[23]。
  • 29日 - 春の改編期に伴いこの日から、日本テレビ系『お昼のワイドショー』と、TBS系の『ポーラテレビ小説』(この日から放送を開始した第6作『お登勢』)の2つの平日昼間の帯番組が共にカラー化[24]。

4月

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5月

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6月

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  • 6日 - 朝日放送・TBS系(当時)『新婚さんいらっしゃい!』の司会者に桂三枝(後の六代 桂文枝)がこの日の放送から就任。後年、三枝(文枝)は2015年に「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定[40]、2022年3月に司会を卒業する[41] まで51年もの長きに亘り番組の顔として親しまれた。
  • 12日
  • 17日 - NHK総合及び民放各社、この日行われた「沖縄返還協定調印式」の模様を特別番組として放送。東京・首相官邸とワシントンの国務省で同時に行われた調印式の模様を衛星中継で放送する。同模様は、NHKが米側の取材・日本送りを担当、民放各局にも配信。日本側取材・米国送りはTBSが担当した[注 9][1][42]。
    • フジテレビ系では、この中継中に併せて、プロ野球ナイター「広島対巨人戦」をワイプ方式で同時中継放送[1]。
  • 19日 - NHK総合、国際連合児童基金(ユニセフ)創立25周年とTELECOM'71記念として特別番組『世界衛星中継「世界のこども」』を放送。番組にはスイス、カナダ、イラン、コロンビア、チュニジア、ブラジル、アメリカ合衆国、オーストラリア、日本、スペインの計10か国が参加、各国を結んで放送した(総合司会:ダニー・ケイ)[1][43]。
  • 27~29日 - NHK総合及び民放各社、27日に行われた第9回参議院議員通常選挙の開票速報を放送[1]。
    • NHK総合では、コンピューターによる開票速報の全オンライン化を実施[1]。
  • 30日 - NHK総合及び民放各社、イタイイタイ病裁判の第1審判決公判が富山地方裁判所で行われるのに際し、関連番組を放送[1]。
    • NHK総合では、判決言い渡し時に、富山地裁と萩野病院(同病が発生した婦中町(当時)にある病院)を結んで、特別番組『イタイイタイ病裁判判決』を[44]、21時55分からは『裁かれた公害「イタイイタイ病判決の意味」』[45]をそれぞれ放送した[1]。尚放送当時、富山からの中継はNHK富山放送局がスタジオカラーカメラ・カラー中継車を所有していなかった為、NHKの基幹局らがそれらを調達してカラー中継を行った。

7月

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  • 1~2日 - NET系、朝のワイドショー番組『奈良和モーニングショー』で、1949年に起きた「弘前大教授夫人殺し事件」の自称真犯人が、同月1日に番組内ですりガラスを隔てて告白[1]。翌2日にはそれを受け、当初犯人とされて服役を終えた当人が親子で出演[注 10]。これが契機で、当初犯人とされた人は再審を請求、後に無罪を勝ち取ることとなる(同事件の項目も参照)[46]。
  • 3日
    • 函館空港で「ばんだい号墜落事故」が発生。NHK総合、民放各局共にニュース速報、現場中継、事故原因追及の特別番組を放送[1]。
      • NHK総合では、ワイドニュースとして3日に特別番組『行方不明のYS11』を[47]、翌4日の午前0時過ぎからも放送時間を延長して関連ニュースを放送休止の中断を挟んで午前6時まで放送[48]、その後もほぼ毎正時に関連ニュースを放送[48]、同日19時半からは通常番組を休止し、特別番組『ばんだい号の遭難』を、函館市の東亜国内航空遭難事故対策本部からの中継と東京のNHK放送センターを結んで放送した[49][1]。
    • 毎日放送・NET系『仮面ライダー』、この日放送の第14話「魔人サボテグロン」より、主演の藤岡弘の負傷による代役として佐々木剛が急遽登板、「仮面ライダー2号・一文字隼人」編がスタート。佐々木は一躍人気となり、1972年3月まで主演を務めた。
  • 5日 - 朝日放送・TBS系の平日昼枠(13:00 - 13:15[注 11])[注 12]牛乳石鹸共進社一社提供[注 13] の音楽バラエティ番組『シャボン玉プレゼント』放送開始。司会は漫才師の西川きよしで、後に妻の西川ヘレン、海原千里・万里(千里は後の上沼恵美子)とのパートナーを経て、1977年から横山やすしとのコンビ(やすきよ)となった( - 1986年3月28日)。
  • 8日 - NHK総合、『海外取材番組』にて、「アラブの世界」が放送開始( - 8月12日、全6回)[1]。
  • 11日 - 日本テレビ系、プロ野球中継の日曜ナイター「巨人 対 中日」戦(於:後楽園球場)が放送時間終了になっても試合が終了しなかった為、次の番組である時代劇『怪奇十三夜』内で、日本テレビでは同ナイター中継をワイプ方式で放送。これに対し翌月(8月)13日に、映画監督・シナリオ作家などの8団体が著作権侵害を理由に、「ワイプナイター」の中止を日本テレビに申し入れる事態となる[1]。
  • 21日 - NHK教育、学校の夏休みに放送している同テレビ毎年恒例の「夏のテレビクラブ」にて、米チルドレンズ・テレビジョン・ワークショップ(CTW、2000年からはセサミワークショップに改称)制作による子供向け英語番組『セサミストリート』が放送開始[1]。最初から最後まで吹き替えも字幕も全くなしの日本での全編英語放送は異例だった。後に同年の冬休みの「冬のテレビクラブ」でも放送、翌1972年4月9日からレギュラー放送となり、途中中断やBSでの放送に移行するも後にNHK教育に復帰、1998年4月11日からは日本語と英語の2か国語放送を開始、NHKでは2004年4月3日まで続く長寿番組となった。番組自体はその後テレビ東京系に移り、日本語版として2004年10月10日から2007年9月30日まで放送された(2か国語放送、オリジナルの英語は副音声で放送)。
  • 30日 - NHK総合及び民放各局、この日の14時05分頃、岩手県岩手郡雫石町付近の上空で全日本空輸旅客機と航空自衛隊訓練機による空中衝突事故(全日空機雫石衝突事故)が発生したのを受け、通常番組を休止し報道特別番組を放送[1]。
  • 31日~8月1日(日本時間) - NHK総合で、アポロ15号の第1回月面活動を、月面からの衛星中継にて放送[1][50][51]。

8月

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  • 2日 - 日本テレビ系、CMが主役のバラエティーショー『CM博士の大冒険』放送[1]。
  • 6日 - TBS系『帰ってきたウルトラマン』、この日放送の第18話「ウルトラセブン参上!」(本来7月30日放送予定が、前述の航空事故の報道特番により休止)のメインタイトル部で、主役「郷秀樹」役の団次郎(後の団時朗)によるナレーションで、前週休止の御詫びのコメントが添えられた。
  • 17日 - NHK教育、『第1回全国中学校相撲選手権大会』を、蔵前国技館から放送[1]。
  • 26日 - NHK総合、『海外取材番組』で「海と人間」が放送開始( - 9月30日、全6回)[1]。

9月

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  • 6日 - TBS系、『ブラザー劇場』枠で、東映制作の刑事ドラマ『刑事くん』第1部が放送開始( - 1972年10月2日、全57話。主演:桜木健一[注 14] )。途中3回の中断を挟み、1976年11月29日にシリーズが終了するまで全4部が制作された(番組の項を参照)。
  • 10日 - TBS系『帰ってきたウルトラマン』のMAT隊長役が、4月の放送開始当初から前週放送の第22話「この怪獣は俺が殺る」まで出演した「加藤勝一郎」役の塚本信夫に替わり、この日放送の第23話「暗黒怪獣星を吐け!」より「伊吹竜」役の根上淳が登板。根上は最終回まで出演した。
  • 25日 - よみうりテレビ・日本テレビ系土曜19時台前半で、赤塚不二夫原作のホームギャグアニメ『天才バカボン』(第1作)が放送開始( - 1972年6月24日)。
  • 27日 - フジテレビ系月曜20時台前半で放送されていたロート製薬一社提供番組『万国びっくりショー』がこの日、直後の月曜20時台後半で放送されていた『世界の秘密』と「統合」という形で、4年弱の幕を降ろす。
  • 29日
    • NHK総合及び民放各社、新潟県阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)裁判の第1審の判決が9時30分に新潟地方裁判所で言い渡されるのを受け、特別番組や通常番組内での特別枠を設けて放送[1]。これらの特番では新潟だけでなく、水俣病で苦しんでいる熊本県水俣市等からの中継も入れる局もあった[52][53]。
      • NHK総合では、9時から2時間の特別番組『「水銀裁判」(阿賀野川水銀裁判第1審判決)』を新潟地裁前、熊本県水俣市、三重県四日市市、被告である昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)の本社、環境庁からの中継を入れて放送[52][54]、13時からは新潟地裁からの中継を入れて『阿賀野川水銀裁判・判決をめぐって』を[52][55]、21時55分からは『阿賀野川水銀裁判の意味』[52][56]をそれぞれ放送。尚放送当時、地方からの中継はスタジオカラーカメラ・カラー中継車を所有していなかった地方局もあった為、NHK放送センターらがそれらを調達してカラー中継を行った。
      • TBS・JNN系列は、平日朝のワイドショー番組『モーニングジャンボ』では、放送時間を10時25分まで特別延長し、9時20分から特集としてJNN報道特別番組『新潟水俣病判決下る』を、新潟放送(BSN)・熊本放送(RKK)の制作協力で、新潟地裁前、新潟市津島屋の被災者の自宅、熊本県水俣市からの中継を入れて放送。BSN・RKKを含め同番組をネットしている地方の多くのJNN系列局は、普段は午前8時半に飛び降りし、それから1時間はNETの『奈良和モーニングショー』を放送しているが、この日はその後の9時30分から再び飛び乗りして報道特番の番組名として放送。又、夕方のニュース番組『JNNニュースコープ』内でも特集を組み、23時からの『JNNニュースデスク』では、キャスターである新堀俊明が新潟から放送を行った[52][53]。尚地方からの中継ではNHKと違い、BSN・RKK共この時点で既にスタジオカラーカメラ、カラー中継車を導入。新潟では中継車の不足分はTBSが調達した。
      • フジテレビ系列は、平日朝のワイドショー番組『小川宏ショー』をこの日は「特集・生命」として、新潟地裁からの中継を入れて放送。NST新潟総合テレビでも同時ネット[52][53]。
      • 日本テレビ系列は、平日朝のワイドショー番組『金原二郎ショー』の後半、正午の『NNNワイドニュース』に於いて新潟地裁からの中継を入れて放送[52]。これらの番組は新潟の民放でのネット放送がない為[注 15]、自社で新潟地裁までカラー中継車を出動させ、そこから直接電電公社のテレビ中継回線を使って中継した。
      • NET系列は、15時30分から特別番組『新潟水俣病裁判判決をめぐって』を放送。現地の裁判の模様や、患者・関係者の反響を伝えると共に、現地レポートや座談会で今回の判決の問題点、今後の訴訟への影響等を探った[52]。
    • 天皇・皇后がヨーロッパ訪問でベルギーに到着。その模様を、NHK総合、NET系で衛星中継。NHK総合では、『夜7時のニュース』内で中継放送。NET系では、19時から特別番組『両陛下ベルギー王国ご到着』を30分間放送[57]。
  • 30日 - フジテレビ系、1968年4月1日から3年半続いた平日正午の帯番組『お昼のゴールデンショー』(モノクロ)がこの日で終了[58]。翌日からは、カラーの新番組『ハイヌーンショー』に変わる。

10月

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  • 1日 - いずれもフジテレビ系
  • 2日 - TBS系『8時だョ!全員集合』が半年間の休止期間を終え、この日より放送再開。1985年9月28日まで続く人気番組となる[23]。
  • 3日 - 日本テレビ系でタレントオーディション番組『スター誕生!』放送開始[1]。花の中三トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)やピンク・レディーなどの人気歌手を輩出。初代司会者は萩本欽一(コント55号)[注 16]( - 1983年9月25日)。
  • 4日 - フジテレビ系、子供番組『みんなであそぼう!ピンポンパン』がこの日から当初の番組名『ママとあそぼう!ピンポンパン』に1年半ぶりに復帰。そして番組セットも「野原」をイメージしたお馴染みのセットに変更、マイナーチェンジを続けながら1982年3月31日放送の最終回まで使用された。
    • この頃から、番組の毎回最後に『ピンポンパン体操』を体操のお兄さん金森勢と番組に出演している視聴者の子供達及びその母親と一緒に踊る様になり、これが大人気となり視聴者の問い合わせが殺到したため、同年12月25日にレコード化、発売から約2週間で30万枚以上、最終的には累計で約260万枚を売り上げ[61][62]、翌1972年大晦日恒例の『第14回日本レコード大賞』(TBS系で放映)にて「童謡賞」を受賞(「ピンポンパン体操#1971年版」の項目を参照)。体操と共に、番組も一般大衆に一躍広く知られる様になった。
  • 7日 - NHK総合、『海外取材番組』で「若い指導者」が放送開始( - 11月11日、全6回)[1]。
  • 8日 - NHK総合、 風刺をきかせ現代感覚で演出した時代劇『天下御免』放送開始( - 1972年10月6日、全46回。作:早坂暁、音楽:山本直純、演出:岡崎栄、出演:山口崇・林隆三 ほか)[1]。
  • 9日 - NHK総合、翌年2月に開催される「札幌冬季オリンピック」関連の番組『オリンピックアワー』放送開始( - 1972年1月29日)。番組では同オリンピックを成功させる為に、冬季スポーツ競技の関心を深めると共に、欧州・北米の海外取材を含め、選手の競技に精進する姿も取材した[1][63]。
  • 10日 - いずれもNHK総合
    • 『NHKのど自慢』がこの日から毎回カラー化。これで、NHK総合テレビの全国放送の全番組がカラー放送となる(日付は、NHKの公式発表による。一部例外を除く)[注 17][1][65]。
    • 特別番組『日本外交の選択』を放送。NHK世論調査を基に討論。松野頼三、石橋政嗣、加藤秀俊、ジェラルド・カーチスが出演[1][66]。
  • 22日 - 東京12チャンネル、『スクープ!!』にて「予告・爆弾時代」を放送。しかし警視庁が翌11月4日、この回の放送が爆発物取締罰則に抵触すると警告した[1]。
  • 24日 - よみうりテレビ・日本テレビ系日曜19時台後半でモンキー・パンチ原作のテレビアニメ『ルパン三世(第1作)』が放送開始( - 1972年3月)。ルパンの声を担当した山田康雄は1995年3月に死去するまで務めた(2025年現在は栗田貫一が務めている)。
  • 25日 - NHK総合、『午後7時のニュース』の全国放送の部分に於いて、音声多重実験放送の2か国語放送(副音声は英語)を東京・大阪にて開始[1][67][68](同実験放送終了の1973年12月9日まで[注 18][69][70])。
  • 26日 - NHK総合及び民放各局、中華人民共和国の国連参加決定を受け、国連本部から衛星中継、特別番組を放送[1]。
  • 30日 - 日本テレビ系、『NNNワイドニュース』がこの日から毎週土曜日はニュースショー的構成に改める。この日は初回として「仮説・日中国交回復」を放送[1]。

11月

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12月

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その他テレビに関する話題

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群馬テレビ(4月16日開局)
千葉テレビ放送(5月1日開局)
1月
2月
  • 1日 - 東京12チャンネル、報道局新設。
3月
  • 12日 - NHK、福岡放送局のテレビ送信所の自動化工事完了。これにより、全国テレビ送信所・中継局の無人化および自動化が終了[1]。
  • 17日 - NHK放送センター、マスターでのフィルム番組の自動送出を開始。これに伴い、16ミリ自動装てん映写機を開発[1]。
  • 22日 - NHK、「きぬたSHF実験局」の運用を開始[1]。
4月
5月
6月
  • 1日 - 日本民間放送連盟、月刊誌『月刊民放』を創刊[1]。
  • 9日 - フジテレビ、200種以上の動く前衛模様のブラウン管表示装置「アート・カラー」を開発[1]。
10月
11月
  • 5日 - NET、報道局を廃止。11月20日に朝日テレビニュース社と「報道番組等の制作に関する契約」を締結。朝日テレビニュース社にNET報道部員の出向を発令。これにともない朝日テレビニュース社は「NET朝日制作株式会社」(後のテレビ朝日映像)に[1]。
  • 14日 - TBS、夜の時間帯(17時30分 - 翌〈深夜〉0時30分)の番組が全面カラー化[1]。
  • 23日 - 青森放送(RAB、日本テレビ系)と福井テレビ(ftb、フジテレビ系)が系列を超えた2元中継を実施。
  • 25日 - カラー受信契約数が1000万を突破[1]。
12月
  • 20日 - フジテレビなどフジサンケイグループが「ディノス」設立。テレビショッピング番組などで取り上げる商品の仕入れ、宣伝、販売を行う[1]。
  • 23日 - 日本テレビがドキュメンタリーメインの製作プロダクション「日本映像記録センター」設立。社長に牛山純一が就任[1]。

開局

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周年

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番組

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開局・放送開始

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記念回

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視聴率

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(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

報道

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  1. カメラリポート(NHK総合、8月31日)48.8%
  2. ニュース(NHK総合、7月31日 7:00-7:57)44.8%
  3. ニュース(NHK総合、8月31日 8:30-8:45)44.5%
  4. 第26回原爆慰霊平和祈念式典(NHK総合、8月6日)44.0%
  5. 交通情報(NHK総合、5月20日 8:00-8:12)43.5%
  6. ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)42.2%
  7. ニュース(NHK総合、5月14日 8:00-8:12)41.1%
  8. 翌日開票を前に(NHK総合、6月28日)40.3%
  9. フラッシュニュース(TBS、1月30日)38.6%
  10. 千葉県・茨城県新知事にきく(NHK総合、4月12日)38.4%
  11. ある日突然に(NHK総合、9月1日)38.3%
  12. 天皇・皇后、ヨーロッパへ出発(NHK総合、9月27日)38.1%

スポーツ

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  1. プロボクシング世界Jライト級タイトルマッチ「小林弘×リカルド・アルレドンド」(日本テレビ、3月4日)40.7%

バラエティー

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  1. 第22回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)78.1%
  2. 8時だョ!全員集合(TBS、1月23日・1月30日)50.4%
  3. '71新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)38.4%
  4. 8時だョ!出発進行(TBS、4月3日)38.0%

ドラマ

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  1. 連続テレビ小説 繭子ひとり(NHK総合、8月31日)55.0%
  2. 連続テレビ小説 虹(NHK総合、4月1日)48.8%
  3. ザ・ガードマン(TBS、1月8日)37.0%
  4. 肝っ玉かあさん(TBS、5月6日)35.0%
  5. 時間ですよ(TBS、12月29日)34.2%

テレビ番組

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モノクロ表記がない限り、全てカラー放送。

テレビドラマ

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NHK

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日本テレビ系

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TBS系

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フジテレビ系

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NETテレビ系

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東京12チャンネル

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子供向けドラマ

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NHK

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TBS系

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フジテレビ系

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東京12チャンネル

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テレビアニメ

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特撮番組

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報道・情報番組

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バラエティ番組

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クイズ番組

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音楽番組

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教養・ドキュメンタリー番組

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トーク番組

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料理番組

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映画番組

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スポーツ番組

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ボウリング番組

ボウリング人気にあやかり、民放では以下5本ものボウリング番組が制作された。

その他

その他

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単発特別番組枠

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既存番組のカラー化

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ローカルニュースのカラー化

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NHKのニュース全面未カラー化ローカル局の、カラーフィルム取材開始に伴う全面カラー化[122]

これにより、翌年日本に復帰する沖縄を除き、NHKの全国ニュース放送に於けるフィルム報道取材のカラー化が完了。(但し、多くの地方での中継車によるニュース生中継、沖縄県全域と沖縄を除く一部の県の支局のフィルム報道取材(ローカルニュース向けが中心)のカラー化の完了は翌1972年度となる[67][124]。)

民放(兼:カラーフィルムによる取材開始)

参考文献

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など

脚注

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注釈

[編集]
  1. ↑ NHKを含めた場合は、NHKが全日帯で首位であった。なお、NHKの全日帯首位は1963年から1986年まで24年間続いた。
  2. ↑ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなった。
  3. ↑ 4年後の腸捻転解消により、NET(後のテレビ朝日)系での放送に移行。
  4. ↑ この年の参議院選挙出馬のため5月30日放送分で降板。
  5. ↑ フジテレビが結成した女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」の中継番組『オールスター対抗!女子野球大会』→『激突!女子野球』と企画が重なるため。
  6. ↑ 既に前年9月28日より夕方枠(関東ローカル)で『ウルトラファイト』が放送中だった。
  7. ↑ 腸捻転解消後はTBS系で放送されていたが(第5作『仮面ライダーストロンガー』(1975年)から『仮面ライダーBLACK RX』(1988年 - 1989年)まで)、2000年の『仮面ライダークウガ』からテレビ朝日系で放送、関西地区では朝日放送テレビへネットされている。
  8. ↑ 2010年3月29日からは『おはようとくしま プラス』のタイトルで放送。
  9. ↑ この時点でNHKでは総合の報道特別番組は、ほぼ全面的にカラー化されている。この模様も、日米双方にてカラー放送となっている。
  10. ↑ 以上までに至る経緯や番組放送時の模様は、テレビ朝日の社史本「テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年」(1984年、全国朝日放送(当時・現:テレビ朝日)刊)の182~4ページに掲載されている(出典を参照)。
  11. ↑ 地域により13:30 - 13:45に時差ネット
  12. ↑ 3年9か月後の腸捻転解消後はNET→テレビ朝日系列で放送された。
  13. ↑ 後期は牛乳石鹸を筆頭とした複数社提供。
  14. ↑ 第5作のみ星正人主演。
  15. ↑ この当時、新潟の民放テレビ局はBSN(TBS系)とNST(フジテレビ系・日本テレビ系・NET系のトリプルクロスネット)の2局のみだった。尚、『NNNワイドニュース』の時間帯は、NSTはNET系の『桂小金治アフタヌーンショー』の同時ネット、BSNはTBS系の為『ベルトクイズQ&Q』を放送。
  16. ↑ 合格者が一人も出なかった時の「バンザーイ、なしよ!」はその後の萩本のギャグの一つとして定着することとなる。
  17. ↑ 総合テレビでもう1つ一番最後に全面カラー化された『日本ところどころ』はこの日、特別編成の為お休み[64]、17日放送から全面カラーとなっている[3]。
  18. ↑ NHK年鑑'74の「年誌」の40ページでは、同年12月9日の項目に「テレビ音声多重実験放送おわる(大阪12月9日、東京12月10日)」と記載されている。又、NHKクロニクルでは、12月9日の19時のニュースでは「東京・大阪2ヶ国語実験放送」と明記されているのに対し、翌日の同番組及び同日の総合テレビの番組表の全番組共に2ヶ国語の明記がない。以上のことから、ここでは実験放送の終了を12月9日としている。
  19. ↑ テレビ朝日系の福島放送(KFB)が開局する1981年9月30日まで。
  20. ↑ TBS系列のテレビユー福島(TUF)が開局する2ヶ月前の1983年9月30日まで、なおJNN報道番組はJNN協定に基づき同年3月31日まで。
  21. ↑ その後10月3日までの同番組のカラー放送は、5月2日(栃木県芳賀郡茂木町)[92]・9日(山形県鶴岡市)[93]・23日(茨城県日立市)[94]、6月6日(群馬県桐生市)[95]・20日(兵庫県高砂市)[96]、7月18日(岩手県大船渡市)[97]・25日(福岡県飯塚市)[98]、8月1日(神奈川県三浦郡葉山町)[99]・8日(長野県長野市)[100]・22日(北海道帯広市・帯広市民会館)[101]・29日(新潟県三条市)[102]、9月12日(奈良県橿原市)[103]・19日(東京都江東区)[104]・26日(宮城県角田市市民センター体育館)[105]がカラー放送である。
  22. ↑ 1971年度からカラー放送だが、同年度最初の4月5日のこの番組の時間帯は「第43回選抜高等学校野球大会」の準決勝を中継の為お休み[108]、よって同年度最初の放送は4月6日となった。
  23. 1 2 同年3月27日~4月6日の間、この番組の時間帯は「第43回選抜高等学校野球大会」を中継の為お休み、大会終了の翌日の放送からカラー化された。

出典

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  125. ↑ 福島テレビ社史編集委員会 編『福島テレビ20年史』福島テレビ株式会社、1983年12月25日、28, 81頁。NDLJP:12276183/32,NDLJP:12276183/85。
  126. ↑ 富山テレビ放送『富山テレビ二十年のあゆみ』富山テレビ放送、1989年5月、134頁。
  127. ↑ 愛媛放送『愛媛放送10年のあゆみ』愛媛放送、1979年11月、84頁。
  128. ↑ Nihon hōsō nenkan - Google Books
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