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1975年のテレビ (日本)

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1975年のテレビ(1975ねんのテレビ)では、1975年(昭和50年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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準キー局の毎日放送(MBS)と朝日放送がネットチェンジ(腸捻転解消)。

3月31日、毎日放送(MBS)と朝日放送(ABC、後の朝日放送テレビ)による東京→大阪間ネットワークチェンジ(いわゆる腸捻転解消)を挙行。これにより、毎日放送はTBS系列となりJNNに、朝日放送はNET系列となりANNに各々加盟する。

東日本放送(宮城県、NETテレビ系)、テレビ新広島(広島県、フジテレビ系)がそれぞれ開局。

両局共10月1日に開局。これにより、両県の日本テレビ系列局(ミヤギテレビ、広島テレビ)がそれぞれクロスネット解消。さらに広島ホームテレビ(NETテレビ系)でネットしていた一部の日本テレビ系・フジテレビ系の番組が姿を消す。以上から、宮城・広島両県での民放4系列4局によるフルネット化が完了、7大都市圏全てで同体制が確立する。

NHKのカラー受信契約数が1月31日に2000万を突破する。
番組


ソニーが、ベータ方式による家庭用VTR「ベータマックス」の第1号機を発売。
  • 5月10日にはTVチューナーやRFユニット(RFコンバーター)が内蔵されていないSL-6300が(定価:22万8000円)、7月10日には一般家庭のカラーテレビに接続可能なRFユニットを付属し、TVチューナー内蔵で裏番組録画可能なSL-7300が発売(定価:29万8000円)。後者の登場により、漸く家庭で手軽にテレビ放送を録画でき始める様になった(「ベータマックス」の項目も参照)。翌1976年10月31日になると、日本ビクター(後のJVCケンウッド)が「VHS」の第1号機HR-3300を発売(定価:25万6000円(TVチューナー、RFユニット内蔵、裏番組録画可能。留守番録画ができるタイマーはオプションで定価1万円))、家庭用VTRが本格的に普及し始める様になる。
  • これらの家庭用VTRは、テープのランニングコストが放送用VTR(2インチVTR、1インチVTR等)に比べて非常に安いこともあり、放送局等でも平日の生放送等の番組保存用等にも使われる様になり(後に放送局用機も発売)、局の番組アーカイブの充実化や、過去の場面を回顧したりするコーナーや番組(「NG大賞」「ハプニング大賞」など)等でも使われた。
  • 又、ベータやVHSの普及は、1981年に日本で初登場した「レーザーディスク」を始めとするビデオ・ディスクの登場も手伝い、過去のテレビ番組等のビデオ・ソフトでの発売の新たな市場への開拓に繋がった。
  • 更にこのベータ方式のメカニズムは、後に放送用のカメラ一体型ビデオ「ベータカム」を生み出し、1982年に発売、最終的には放送局の取材収録システムのスタンダードとなる。


新機材、新技術導入など
  • 日本テレビが1月20日に、日本のテレビ業界初の1インチVTRを導入(日本電気製 型番:TT-3000。翌年にはソニーが発売(型番:BVH-1000))。月内に、同VTRを使用した深夜放送での番組送出及びCMパッケージ送出を開始。同VTRは2インチVTRに比べ、機器が小型、初期コスト・維持コスト(保守およびテープコスト)が安価であり、かつ、タイムコードを除く通常音声が2トラック備えられていることから、1978年9月28日に同局で音声多重放送の実用化試験放送開始を機に各局それに替わって行き、最終的には日本はもとより、世界のアナログVTRの標準送出用となる。
  • この年、小型カラーテレビカメラと携帯型ビデオデッキ(当時は携帯用小型2インチVTRかカセット式のUマチック方式)を組み合わせた「ENG (Electronic News Gathering)」が日本で導入され始める。先ずNHKが昭和天皇の訪米取材報道がきっかけで導入を開始。民放では朝日放送が、NET系の海外取材のドキュメンタリー番組『世界の学校』の取材にて使用開始。翌1976年には、地方局でもテレビ高知や福井テレビジョン放送で導入され始める。カラーフィルムの様な現像を必要とせず、撮って出しが直ぐにできたり、ダビング編集もできることから、フィルムに代わり、報道取材や番組ロケに於いての収録システムとして定着。最終的には全テレビ局で導入され、取材収録システムのスタンダードとなる。1982年にはカメラとビデオデッキを一体化したシステム「BETACAM(ベータカム)」も登場する。

番組関係の出来事

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1月

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2月

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  • 2日 - フジテレビ系、アニメ『サザエさん』でこの日から3月2日までの5週にわたって「サザエさん放送6周年傑作選」と銘打ち、これまでに放送された作品から厳選して再放送した。その後レギュラー放送と並行して、4月1日より火曜19:00枠で再放送『まんが名作劇場 サザエさん』を開始。レギュラー版と異なるオープニング・エンディングを採用し、1997年11月18日まで放送される人気番組となる。
  • 25日 - NHK総合、特別番組『三木政治に問う「社会的公正の確保について」』を放送。当時の内閣総理大臣 三木武夫と評論家 秋山ちえ子、そして当時専修大学教授の正村公宏が出演した[4][6]。
  • 26日 - NHK総合、『海外取材番組』で「環太平洋の自然 オーストラリア」が放送開始( - 3月19日、全4回)[4]。

3月

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4月

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5月

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  • 2日 - フジテレビ系、『小川宏ショー』司会の小川宏がフジテレビの全番組に出演する企画『5・2小川宏のテレビアタック24時間!!』が行われる[4]。
  • 3日 - NHK総合、全盲児が普通小学校に入学するまでの過程を追ったドキュメンタリー特別番組『友だち100人できるかな』放送。後に第11回ABU賞のテレビドキュメンタリー部門を受賞[4][18][19]。
  • 4日 - 日本テレビ・NNN系、『NNNドキュメント '75』で、ベトナム戦争終結を受け、「サイゴン陥落前夜」を放送。[4]
  • 5日 - NHK総合、若手アイドル歌手専門の歌謡特別番組『ヤング歌の祭典』をこの年から開始( - 1978年)。司会は山川静夫アナウンサー(当時)[4]。
  • 7~12日 - NHK総合・在京民放5社、エリザベス英女王来日を受け、国内では初の共同取材・同一素材によって放送。期間中、NHK総合と民放で同一画像にて公式行事を中継[4]。
  • 13日 - NET系、『サントリー対談ドキュメント』で、ベトナム戦争終結を受け、「サイゴン陥落」を放送。[4]
  • 24日 - TBS系、土曜21時枠で、東映制作・丹波哲郎主演の刑事ドラマ『Gメン'75』が放送開始( - 1982年4月3日)。[4][20]
  • 25日 - 日本テレビ・NNN系、ニュース番組で、女性初のエベレスト登頂の8ミリフィルムを放送。[4]
  • 27日 - TBS系、ベトナム戦争終結を受け、特別番組『サイゴン・陥落と変革の30日 特派員の帰国報告』を放送。[4]

6月

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  • 5日 - NET系、報道スペシャル番組『ザ・スペシャル』放送開始。この日の第1回は「きょうスエズ開く」と題し、エジプトのスエズ現地から衛星中継を行った[4][21]。
  • 13日 - NHK総合、『仏法僧 ―コノハズク―』を放送[22]。山梨県精進湖畔で超高感度テレビカメラが初めてコノハズクの姿をとらえた[4]。
  • 15日 - NHK総合、米パラマウント映画『5つの銅貨』(字幕スーパー)の放送[23]にて、新開発の外国映画字幕自動挿入装置を初使用[4]。
  • 17日 - NHK総合、『NHK特派員報告』でこの日「サイゴン陥落の記録」を放送[24]。この回は後にライプチヒ国際フィルム祭に参加、エゴン・エルウィン・キッシュ賞を受賞[4]。
  • 27日 - 山口放送、山口県議会の録画中継に於いて、日本社会党議員の質問で同社アナウンサー解雇問題等に関する部分をカットして放送。放送時間1人40分との取り決めに反し放送を私物化したとして、県議会審議が翌28日から30日まで3日間中断する[4]。
  • 29日 - 日本テレビ系、サリドマイド児 貴くんの誕生から中学入学までの13年間の生活記録を追ったドキュメンタリー『明日をつかめ! 貴くん』を放送[4]。
  • 30日 - フジテレビ、日本各地から一品料理を紹介するミニ番組・グルメ番組『くいしん坊!万才』(キッコーマン醤油(後のキッコーマン)一社提供)にて、今まで各界の著名人が週替わりでリポーターを務めていたのが、この日からリポーターが固定化され、同初代として渡辺文雄が担当。1977年7月3日放送回まで515回務め、2代目の竜崎勝にバトンタッチする(番組の項目を参照)。

7月

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  • 5日
    • NHK総合、「沖縄国際海洋博覧会」の開催に併せ、『海洋博だより』が放送開始( - 12月27日、全26回)[4]。
    • TBS系
      • 公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』が、ザ・ドリフターズの「修行」という理由により公開生放送を同年9月13日まで一時中止。この間は「夏休み傑作特集」と銘打ち、これまでのコントの傑作選を放送した[注 17]。
      • 『八木治郎の食糧ルポ』放送開始( - 9月27日、全13回)[4]。
  • 13日 - テレビ神奈川(TVKテレビ)、日本テレビの後楽園球場巨人戦ナイター中継が時間切れで試合終了まで放送できない場合のリレー中継を実施、試合終了まで中継する「リレーナイター」が放送開始[4]。これは後に千葉テレビ放送や群馬テレビの関東独立U局でも行われる様になる。
  • 16日 - NHK総合、『海外取材番組』で沖縄海洋博開催に関連し「海と人間」が放送開始( - 9月24日、全10回)[4]。
  • 18日 - NHK総合・民放各局、日本時間のこの日、米ソの「アポロ・ソユーズテスト計画」に於いて、米の宇宙船アポロ18号とソ連のソユーズ19号の宇宙での初のドッキングの模様を放送。
    • NHK総合では、特別番組『アポロ・ソユーズドッキング』を、一部衛星中継を交えて午前0時から1時間35分に渡り放送[4][25]。
    • NET系では、特別番組『米ソ宇宙で握手』を放送。こちらもアポロとソユーズのドッキングを衛星中継した[4]。
  • 19日 - 「沖縄国際海洋博覧会」がこの日開幕。同開会式の模様や関連番組等を、NHK総合・民放各局で放送[4]。
  • 27日 - NHK教育、『NHK劇場』の第1部で、テレビ音楽作品「魚が消えたとき愛はよみがえる」を放送(作:木村嘉長、作曲:佐藤真、振付:石井かほる、出演:佐野浅夫・西村晃 ほか)[26]。後に同番組はイタリア賞に参加、同賞を受賞[4]。
  • 28日 - NET系、特別番組『ちびっこものまね紅白歌合戦』を放送。この年は春大会を一旦中断し、新たに夏大会を開催、そしてこの回から総合司会が土居まさるから玉置宏に変更、玉置は1984年の最終放送まで続く。また12月29日には冬大会も放送された。
  • 29日 - NHK総合、単発番組『沖縄の海と空』を放送[27]。この撮影で、NHK開発の1型プリンプ水中カメラを初使用[4]。

8月

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9月

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10月

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  • 1日
    • フジテレビ
      • 系列の子供番組『ひらけ!ポンキッキ』が、この日より14:00から8:15に移動、昼の番組から朝の番組へと変更する。同時に関東地区では17:30より、当日放送分の再放送を開始した。なお枠移動に伴い、それまで月 - 土8:00 - 8:40で放送されていた『ママとあそぼう!ピンポンパン』は、平日放送が7:45 - 8:15に短縮繰り上げしたのに対し、土曜放送は8:00 - 8:30と短縮したのみ[注 22]、初めて平日と土曜の放送枠が異なった。この体制は1978年3月まで続く。
      • 関東ローカルで、71 年10月開始の平日の生活情報番組『リビング4』を改編、放送時間を午後2時からに変更して『リビング2』として放送開始。[4]
    • 東京12チャンネル(後のテレビ東京)
      • 株式市況番組『きょうの株式』が放送開始( - 1987年9月30日)。[4]
      • 日本陸上競技連盟と日本水泳連盟の協力で、小学生の記録会を視聴者が撮影したスポーツ番組『ヨーイドン・みんな走ろう!みんな泳ごう』が放送開始。[4]
  • 4日
  • 5日
    • よみうりテレビ・日本テレビ系、日曜19時台前半枠で、視聴者参加スポーツアトラクションバラエティ番組『びっくり日本新記録』が放送開始( - 1985年10月。途中中断あり)。
    • 毎日放送・TBS系、20世紀の映像を見るドキュメンタリー番組『20世紀の映像』が放送開始( - 1976年9月26日)。この日の第 1 回は「太平洋のシーザー ダグラス・マッカーサー」を放送。[4]
    • 朝日放送・NET系
      • 『パネルクイズ アタック25』の放送時間がこの日から5分拡大(13:15 - 13:40→13:45に変更[注 24][注 25])。また新ルールとしてゲーム後半で正解者が他のパネルを1枚消せる「アタックチャンス」を採用、このルールは2021年の終了まで46年間続く番組名物となった。
      • 海外取材のドキュメンタリー番組『世界の学校』が放送開始。取材には、当時出始めたENGを使用した。[4]
  • 6日
    • NHK総合、連続テレビ小説第16作『おはようさん』(NHK大阪放送局制作)放送開始( - 1976年4月3日)[4]。これ以降、連続テレビ小説は東京(放送センター)と大阪で交互に制作する様になる。
    • 日本テレビ系、朝の子供番組『おはよう!こどもショー』が、この日より大リニューアル。平日版は2部に分け、第2部は今までと同じ「こどもショー」であったが、第1部は前日(5日)まで日曜で放送していた「コンちゃんのトンカチうたじまん」をリニューアルした「こどものどじまん」の曜日別戦となり、その曜日別のチャンピオンを、土曜日の「チャンピオン戦」で戦わせる内容に変更、そして日曜日は、子供の観客から参加者を募って歌わせる「とびいりのどじまん」だった。これに伴い「のどじまん」の司会は、大村崑と石川牧子(当時:日本テレビアナウンサー)から横山やすし・西川きよし、審査員は山下毅雄(作曲家)から谷啓に、それぞれ変更[注 26]。
    • TBS、関東ローカルの平日18時台前半で、キー局で初のローカルワイドニュース番組『テレポートTBS6』が放送開始( - 1990年3月30日)。
  • 7日
  • 8・15日 - 日本テレビ系、『水曜ロードショー』で2週に渡り、1939年に全編カラー製作された米国の映画の長編大作『風と共に去りぬ』が世界で初めてテレビ放映。8日の前編が32.2%、15日の後編が当時映画のテレビ放映に於いては歴代最高の38.9%の視聴率を記録した(いずれもニールセン調べ)[4][32]。
  • 10日 - NET系、金曜9時枠の千葉真一主演ドラマ第二弾『燃える捜査網』が始まる。
  • 15日 - NET系、水曜19時30分枠で、東映動画(後の東映アニメーション)制作・日本船舶振興会(後の日本財団)提供のアニメ『一休さん』放送開始[注 28]。1982年6月28日まで7年・全296回にわたって続く長寿アニメとなった。
  • 17日 - 日本テレビ系、『金曜劇場』枠で、ドラマ『前略おふくろ様』第1シリーズが放送開始( - 1976年4月9日、全26回。脚本:倉本聰、出演:萩原健一・梅宮辰夫・坂口良子・北林谷栄 ほか)。[4]
  • 21日 - フジテレビ系、子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』で、番組オリジナル・ソングとしてこの日『およげ!たいやきくん』が生田敬太郎の歌で放送開始[注 29][33][34]。その後フジテレビへリクエストやレコード発売の問い合わせが殺到[34]、これを受け、フジ系のレコード会社であるキャニオン・レコード(後のポニーキャニオン)からシングル・レコードとして発売する計画が出た処、生田がこの歌が放送開始時にレコード発売予定がなかったことからテイチク(現・テイチクエンタテインメント)と専属契約を結んでしまい、キャニオン・レコードからの発売ができなくなった[35]ため、生田の歌での放送は11月27日を最後に終了、翌12月9日から子門真人に交代して放送を再開する[36](同曲の項目も参照)。
  • 29日 - NHK総合、『海外取材番組』で「環太平洋の自然 -アラスカ」が放送開始( - 11月19日、全4回)[4]。

11月

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  • 2日 - 朝日放送、恋愛バラエティ番組『ラブアタック! 7人のサムライ』がこの日関西ローカルで放送開始。司会は横山ノックとエバ[注 30]。当初は30分番組で、5か月後に『ラブアタック!』に改題し1時間番組に拡大。1977年4月3日よりテレビ朝日系列での全国ネット番組に昇格した( - 1984年10月14日)。
  • 30日 - 毎日放送・TBS系(当時)、夢路いとし・喜味こいしの司会で親しまれたゲームバラエティ番組『がっちり買いまショウ』(1963年 - 1975年、江崎グリコ・グリコグループ単独提供[注 31])が12年の歴史に幕。腸捻転解消に伴うネットチェンジ後は視聴率が低迷していた。

12月

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その他テレビに関する話題

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テレビ新広島(10月1日開局。写真は初代社屋)

開局

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周年

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番組

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開局

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記念回

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視聴率

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(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

バラエティ・歌番組

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  1. 第26回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)72.0%
  2. '75新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)43.1%
  3. 1975年度輝く!日本レコード大賞(TBS、12月31日)43.0%

ドラマ

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  1. 連続テレビ小説 鳩子の海(NHK総合、3月22日)53.3%
  2. 連続テレビ小説 水色の時(NHK総合、5月9日)46.8%
  3. 連続テレビ小説 おはようさん(NHK総合、12月10日)43.3%
  4. 大河ドラマ 元禄太平記・最終回(NHK総合、12月14日)41.8%
  5. 水戸黄門 第6部(TBS、9月1日)- 37.2%
  6. 太陽にほえろ!(日本テレビ、9月26日)- 35.5%
  7. 時間ですよ・最終回(TBS、4月9日)- 31.4%

スポーツ

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  1. 大相撲春場所・千秋楽(NHK総合、3月23日 17:03-18:00)50.6%
  2. 世界J・ミドル級タイトルマッチ「ショットガン・アルバラード×輪島功一」(フジテレビ、1月21日)47.7%
  3. 第57回全国高等学校野球選手権大会・決勝(NHK総合、8月24日)45.3%
  4. 大相撲秋場所・千秋楽(NHK総合、9月28日 17:05-18:00)41.4%
  5. 木曜スペシャル 世界ライト級タイトルマッチ「ガッツ石松×ケン・ブキャナン」(日本テレビ、2月27日)40.7%

ニュース・報道

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  1. ローカルニュース・天気予報(NHK総合、5月7日 20:55-21:00)50.6%
  2. ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)45.7%
  3. ニュース(NHK総合、8月23日 7:00-7:20)42.5%
  4. 首都圏交通スト情報(NHK総合、5月9日 8:04-8:12)41.1%
  5. ニュースセンター特集(NHK総合、5月7日)40.8%
  6. スタジオ102(NHK総合、2月21日)40.4%

テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK

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日本テレビ系

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TBS系

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廃枠
枠新設

フジテレビ系

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枠移動

それまで火曜22時枠で放送されていた『どてらい男(ヤツ)』(関西テレビ制作。主演:西郷輝彦)が、4月改編で日曜21時枠へ移動した( - 1977年3月)。

NET系

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子供向けドラマ

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NHK

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TBS系

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廃枠

テレビアニメ

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特撮番組

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報道・情報番組

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バラエティ番組

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クイズ番組

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音楽番組

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教養・ドキュメンタリー番組

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料理番組

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スポーツ番組

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紀行番組

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単発特別番組枠

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特別番組

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大阪のネットチェンジに伴う大阪発全国番組の系列移行

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年内開始番組を除く。全て3月31日を起点に移行。

毎日放送制作(NET系又は東京12チャンネル → TBS系)

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表記のないのは全てNET系から移行。

朝日放送制作(TBS系 → NET系)

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ネットチェンジ後に全国放送となった番組(『プロポーズ大作戦』等)は除く。

既存番組のカラー化

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全てNHK教育テレビで、特記以外は全て4月からカラー化

参考文献

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脚注

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  1. ↑ 全面カラー化する以前のモノクロとカラーの混在期には、カラー番組でも、モノクロテレビの視聴者にも配慮した番組制作が行われるのが一般的だった。
  2. ↑ NHKのホームページ内の「放送史年表 -詳細版- 1975年」(NHK放送文化研究所)では1月1日開始と記されており[4]、日本テレビが1978年に発行した社史本「大衆とともに25年 沿革史」の544ページでは、1月1日に「『ニュース・フラッシュ』を『ジャストニュース』と変更」と記されている[5]。
  3. ↑ 当時は東京放送(後のTBSホールディングス)のテレビ放送事業だった(後のTBSテレビ)。
  4. ↑ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなった。
  5. ↑ 舞台公演等により多忙となり、司会継続が困難となったため。
  6. ↑ その後の『SMAP×SMAP』はロート製薬を含む複数社提供となり、2016年12月26日に番組終了するまで続く。
  7. ↑ 1979年の第3作『バトルフィーバーJ』より八手三郎原作となる(ただし2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』のみ石ノ森章太郎プロとの共同原作となった)。
  8. ↑ 2022年現在は『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』を放送中。
  9. ↑ 放送当時、笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)が番組内でした行為により同局を出禁になった逸話が有名である(後年、出禁は解除され、『きらきらアフロTM』『チマタの噺』といった番組に出演のほか、2020年に開局55周年スペシャルドラマとして放送された『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜』では吉田茂役で主演を務めた)。
  10. ↑ その後、協賛スポンサーの交代(アルインコ→日興証券を経て東リが復帰、その後も複数社の一社として提供したのち降板)や増減を繰り返し、後年は複数社提供となった。
  11. ↑ 番組終了半年後の2022年3月27日に開局したBS局・BSJapanextで『パネルクイズ アタック25 Next』として復活。
  12. ↑ 児玉は腸捻転解消直前まで毎日放送・NET系で放送されていた、事実上東洋リノリューム(後の東リ)一社提供の前番組である『東リクイズ・イエス・ノー』でも司会を務めていた。
  13. ↑ 児玉清は2011年に死去するまで約36年間司会を務め、彼の没後は朝日放送テレビアナウンサーの浦川泰幸→俳優の谷原章介が司会を務めた。
  14. ↑ 1978年には女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」宣伝のために、『土曜グランドスペシャル』での4月15日と『火曜ワイスペ』での11月21日の2回開催、またこの間の8月5日には『土曜グランドSP』で、女子限定のスペシャル大会『激突!!女子スター選抜バレーボール大会』も開催した。
  15. ↑ 『夢の球宴』は1978年放送の第1期最終のみ3月で放送、一方の『大運動会』は、1978年にはニューヤンキースのため、春を特別開催、また1984年と1985年には春限定に変更した。その後1994年 - 1996年に復活した時は春秋開催を復活した(1996年は春のみ)。
  16. ↑ 橋田壽賀子脚本によるテレビドラマ。宇津井健の代表作品。
  17. ↑ いかりや長介の著書「だめだこりゃ」(新潮社)において、ドリフターズが合宿を行った当時のエピソードが記されている。
  18. ↑ なお、これがきっかけとなりタモリは翌月の『13時ショー』の「珍芸スターお笑い大行進」に出演し[30]、翌年から放送開始し2025年現在も続く『徹子の部屋』に1978年から36年間毎年年末の恒例ゲストとしての出演へとつながっていく[29]。
  19. ↑ 1年後の1976年9月27日より直前の『JNNニュース』(当時は『JNNニュースコール(第1期)』)と統合し、タイトルも『おはよう700』となった( - 1980年9月26日)。
  20. ↑ 末期は『キンキンのこんにちは』に改名(ただし正式タイトルは不変)。
  21. ↑ 後期は牛乳石鹸を含む複数社提供。
  22. ↑ 8:00 - 8:30にドキュメンタリー番組『世界の先生たち』を設置したため(『ポンキッキ』は土曜日未放送)。
  23. ↑ 末期はサントリーを含む複数社提供。
  24. ↑ 吸収された5分枠は、1963年10月より水曜12:40に設置された「ガイド」枠。その後日曜16:10→同15:10→同14:25と変遷し、『アタック25』開始時には13:40に移動していたが、同日に歌謡番組『せんみつのJOYJOYスタジオ』が13:45 - 14:55枠で開始したため、14:55に移動した。
  25. ↑ その後10分繰り下げとなり、13:25 - 13:55に変更。
  26. ↑ 後に司会は青空球児・好児、審査員はハナ肇に変更した。
  27. ↑ 久米降板後は小島一慶(当時TBSアナウンサー)→吉田照美(文化放送出身のフリーアナウンサー、最末期)と交代。同時にタイトル表記も『元祖・ぴったし カン・カン』となった(詳細は同番組の項を参照)。
  28. ↑ 途中からハウス食品に提供が変更された。
  29. ↑ 『毎日新聞』1976年1月11日付朝刊、19面の記事「たいやきくん 力泳中 毎日、まいにち十万枚 注文殺到、楽しいことばかり」では、同歌の放送開始日が「10月5日」と記されているが、同日は日曜日で番組の放送がない反面、出典で記されている「10月21日」は火曜日で放送がある日ということから、ここでは日付を「10月21日」としておく。
  30. ↑ 5か月後、エバに代わって上岡龍太郎が登場。1978年4月より和田アキ子が加入。
  31. ↑ オリエンタル一社提供で始まり、1972年から江崎グリコ・グリコグループの単独提供となった。
  32. ↑ ちなみにこの日に於いての正式な数は、2008万4552である。
  33. ↑ 青森朝日放送(ABA)が開局する前日の1991年9月30日まで。
  34. ↑ TBS系列は7年後の1982年10月改編で実施に踏み切った。
  35. ↑ 1973年10月に関西ローカルでスタートして以来の通算。
  36. ↑ 直前まで土曜22時枠で放送された『土曜劇場 6羽のかもめ』の後継作で、『月曜劇場』という枠名が付いていた。だが後継作『土曜劇場 赤ちゃんがいっぱい』とは2ヶ月間重複していた。
  37. ↑ 腸捻転解消、仮面ライダーシリーズのネット変更に伴う枠移動のため中断。1976年1月よりTBS系列で再開。
  38. ↑ 『コント55号のなんでそうなるの?』の2度目の一時中断に伴うつなぎ番組。
  39. ↑ つなぎ番組。1981年4月に同枠(水曜22:00)で『激突!お笑いルーレット』として復活。

出典

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  1. ↑ NHKクロニクル『新春討論「転換期の日本」(1) 「いま,政治は何をなすべきか」』アナログ総合 1975年01月01日(水) 午後04:00 〜 午後05:30
  2. ↑ NHKクロニクル『新春討論「転換期の日本」(2) 「インフレは克服できるか」』アナログ総合 1975年01月02日(木) 午後04:00 〜 午後05:30
  3. ↑ NHKクロニクル『新春討論「転換期の日本」(3) 「国際社会と日本の課題」』アナログ総合 1975年01月03日(金) 午後04:00 〜 午後05:30
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 「放送史年表 -詳細版- 1975年」(NHK放送文化研究所)(2025年8月2日閲覧)
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  6. ↑ NHKクロニクル『三木政治に問う 「社会的公正の確保について」』アナログ総合 1975年02月25日(火) 午後08:00 〜 午後08:54
  7. ↑ NHKクロニクル『特別番組「東京をどうする」 ―石原・松下・美濃部三氏にきく―』アナログ総合 1975年03月18日(火) 午後10:15 〜 午後11:15
  8. ↑ NHKクロニクル『放送開始50周年記念式典』アナログ総合 1975年03月20日(木) 午前10:30 〜 午前11:07
  9. ↑ NHKクロニクル『あの歌・この人・半世紀 第1景「昭和の幕開き」~ラジオ放送の開始と昭和初期の歌~ 第2景「ひとつの青春」~古賀メロディー物語~ほか』アナログ総合 1975年03月22日(土) 午後07:30 〜 午後09:30
  10. ↑ NHKクロニクル『放送とあなた』アナログ総合 1975年03月22日(土) 午後10:00 〜 午後11:00
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  14. ↑ NHKクロニクル『ニュース(全中)』アナログ総合 1975年04月30日(水) 午前11:44 〜 午前11:45 番組内容「南ベトナム政府全面降伏声明」
  15. ↑ NHKクロニクル『サイゴン政権全面降伏』アナログ総合 1975年04月30日(水) 午後07:30 〜 午後07:59
  16. ↑ NHKクロニクル『ニュースセンター9時 「サイゴン降伏の日」』アナログ総合 1975年04月30日(水) 午後09:00 〜 午後09:40
  17. ↑ NHKクロニクル『ニュース解説 「サイゴン全面降伏」』アナログ総合 1975年04月30日(水) 午後10:00 〜 午後10:14
  18. ↑ NHKクロニクル『友だち100人できるかな』アナログ総合 1975年05月03日(土) 午後10:00 〜 午後10:29
  19. ↑ NHKアーカイブス 放送史『友だち100人できるかな』(2025年12月6日閲覧)
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  22. ↑ NHKクロニクル『仏法僧 ―コノハズク―』アナログ総合 1975年06月13日(金) 午後10:15 〜 午後10:30
  23. ↑ NHKクロニクル『劇映画 「5つの銅貨」(字幕スーパー) ~アメリカパラマウント映画1959年作品~』アナログ総合 1975年06月15日(日) 午後10:05 〜 午後11:45
  24. ↑ NHKクロニクル『NHK特派員報告 「サイゴン陥落の記録」』アナログ総合 1975年06月17日(火) 午後07:30 〜 午後07:59
  25. ↑ NHKクロニクル『アポロ・ソユーズドッキング』アナログ総合 1975年07月18日(金) 午前00:00 〜 午前01:35 ~一部衛星中継~
  26. ↑ NHKクロニクル『NHK劇場 1.テレビ音楽作品“魚が消えたとき愛はよみがえる” 2.交響曲 第1番「巨人」 マーラー作曲』アナログ教育 1975年07月27日(日) 午後09:00 〜 午後10:30
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  45. 1 2 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)10月5日付朝刊、テレビ欄。
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  48. ↑ Nihon hōsō nenkan - Google Books
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