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1976年の野球

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1976年 > 1976年のスポーツ > 1976年の野球

1976年の野球(1976ねんのやきゅう)では、1976年の野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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セ・リーグ
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1976年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ76459.628---
2位阪神タイガース724513.6152.0
3位広島東洋カープ615811.51314.0
4位中日ドラゴンズ546610.45021.5
5位ヤクルトスワローズ526810.43323.5
6位大洋ホエールズ45787.36632.0
パ・リーグ
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1976年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝阪急ブレーブス79456.637---
2位南海ホークス71563.5599.5
3位ロッテオリオンズ635611.52913.5
4位近鉄バファローズ57667.46321.5
5位日本ハムファイターズ526711.43724.5
6位太平洋クラブライオンズ447610.36733.0

*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝

日本シリーズ

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1976年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月23日(土)第1戦阪急ブレーブス6 - 4読売ジャイアンツ後楽園球場
10月24日(日)第2戦雨天中止
10月25日(月)阪急ブレーブス5 - 4読売ジャイアンツ
10月26日(火)移動日
10月27日(水)第3戦読売ジャイアンツ3 - 10阪急ブレーブス阪急西宮球場
10月28日(木)第4戦雨天中止
10月29日(金)読売ジャイアンツ4 - 2阪急ブレーブス
10月30日(土)第5戦読売ジャイアンツ5 - 3阪急ブレーブス
10月31日(日)移動日
11月1日(月)第6戦阪急ブレーブス7 - 8読売ジャイアンツ後楽園球場
11月2日(火)第7戦阪急ブレーブス4 - 2読売ジャイアンツ
優勝:阪急ブレーブス(2年連続2回目)

個人タイトル

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手王貞治巨人山田久志阪急
最優秀新人田尾安志中日藤田学南海
最優秀投手池谷公二郎広島
沢村栄治賞池谷公二郎広島
首位打者谷沢健一中日.355吉岡悟太平洋.309
最多本塁打王貞治巨人49本C.ジョーンズ近鉄36本
最多打点王貞治巨人123打点加藤秀司阪急82打点
最多盗塁衣笠祥雄広島31盗塁福本豊阪急62盗塁
最多安打[1]張本勲巨人182安打藤原満南海159安打
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治巨人257出塁加藤秀司阪急.383
最優秀防御率鈴木孝政中日2.98村田兆治ロッテ1.82
最多勝利池谷公二郎広島20勝山田久志阪急26勝
最多奪三振[1]池谷公二郎広島207奪三振村田兆治ロッテ202奪三振
最高勝率[2]加藤初巨人.789山田久志阪急.788
最優秀救援投手(セ)
最多セーブ投手(パ)
鈴木孝政中日32SP佐藤道郎南海16S

ベストナイン

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 池谷公二郎広島山田久志阪急
捕手 田淵幸一阪神野村克也南海
一塁手 王貞治巨人加藤秀司阪急
二塁手 D.ジョンソン巨人吉岡悟太平洋
三塁手 掛布雅之阪神藤原満南海
遊撃手 三村敏之広島大橋穣阪急
外野手 張本勲巨人門田博光南海
谷沢健一中日弘田澄男ロッテ
若松勉ヤクルト福本豊阪急
指名打者 大田卓司太平洋

ダイヤモンドグラブ賞

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 堀内恒夫巨人足立光宏阪急
捕手 大矢明彦ヤクルト有田修三近鉄
一塁手 王貞治巨人加藤秀司阪急
二塁手 D.ジョンソン巨人B.マルカーノ阪急
三塁手 高田繁巨人藤原満南海
遊撃手 山下大輔大洋大橋穣阪急
外野手 池辺巌阪神B.ウイリアムス阪急
柴田勲巨人弘田澄男ロッテ
山本浩二広島福本豊阪急

オールスターゲーム

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高校野球

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大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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3月

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  • 3月15日 - 太平洋は17時より福岡市のホテル・リッチにて記者会見し、監督のレオ・ドローチャーに対し契約解除を通告し、ヘッドコーチの鬼頭政一が監督に就任したと発表。ドローチャーが肝炎を患い球団に対して「あと5週間待ってほしい」と申し入れたが、球団は5週間も待てないとして契約解除に踏み切る[7]。
  • 3月27日 - 第48回選抜高等学校野球大会が阪神甲子園球場で開幕。

4月

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5月

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  • 5月3日 - 中日ドラゴンズの木俣達彦がナゴヤ球場での対ヤクルト6回戦の三回裏に4号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[30]。
  • 5月6日 - 南海はテキサス・レンジャーズのトム・ロブソンの獲得を発表[31]。
  • 5月7日
    • 大洋は球団OBで野球評論家の児玉利一が技術顧問に就任したと発表。最下位に低迷している現状の打開策の一つで、期間は今年10月末までとする[32]。
    • 広島の山本浩二が川崎球場での対大洋5回戦の7回表に4号2点本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成。史上41人目[33][34]。
  • 5月11日 - 阪急の戸田善紀が大阪球場での対南海4回戦に先発登板し、ノーヒットノーランを達成[35]。
  • 5月13日 - ヤクルトは監督の荒川博が当面の間休養しヘッドコーチの広岡達朗が代理監督を務めると球団社長の佐藤邦雄が発表[36]。
  • 5月15日 - 巨人の張本勲が後楽園球場での対中日6回戦で5打数3安打を記録し、通算200度目の1試合3安打以上となる[37]。
  • 5月18日 - 巨人は開成山球場での対ヤクルト6回戦で7-2で勝利し、1974年以来2年ぶりの10連勝を達成[38]。
  • 5月22日
    • 巨人の柴田勲が川崎球場での対大洋7回戦の1回表に二塁打を打ち、プロ通算1500安打を達成。史上30人目[39]。
    • ロッテの成田文男が後楽園球場での対阪急7回戦の二回表に中沢伸二から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成。史上22人目[40]。
    • 巨人は川崎球場での対大洋7回戦に8-4で勝利し、1967年以来9年ぶりの13連勝を達成。13連勝は球団史上7度目[41]。
  • 5月23日
    • 巨人は川崎球場での対大洋8回戦に6-3で勝利し、1951年以来25年ぶりの14連勝を達成。14連勝は1951年に達成した球団記録の15連勝に次いで球団史上2番目の長さ[42]。
    • 神宮球場でのヤクルト対阪神8回戦はヤクルト4本、阪神6本の合計10本塁打を記録。試合は阪神が10-8で勝利[43]。
  • 5月24日 - 巨人は川崎球場での対大洋9回戦に0-2で敗れ、連勝が14で止まる[44]。
  • 5月27日 - ヤクルトのロジャー・レポーズが川崎球場での対大洋11回戦の1回表に13号満塁本塁打、6回に14号2点本塁打、8回に14号2点本塁打と1試合3本塁打を打つ[45]。
  • 5月30日
    • 川崎球場でのロッテ対日本ハムのダブルヘッダー第1試合の10回戦は延長10回4-4で時間切れ引分けとなり、ロッテ、日本ハムは28日、29日の同カードと合わせ3試合連続引分け。同一カードでは1975年の日本ハム対太平洋の3-5回戦(4月6日第2試合、5月6日、7日)以来、3試合連続同一カードでは史上初[46]。
    • 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋12回戦の七回裏一死一、三塁の場面で敬遠され、プロ野球史上初の通算2000四死球を達成[47]。

6月

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  • 6月1日 - 阪急の森本潔が日生球場での対近鉄9回戦の二回表に鈴木啓示から内野安打を打ち、プロ通算1000安打を達成。史上95人目[48]。
  • 6月2日 - 大洋の松原誠が川崎球場での対阪神7回戦の五、八回裏に本塁打、この日の対阪神8回戦の二回裏に13号ソロ本塁打、四回裏に14号2点本塁打を打ちプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を達成[49]。
  • 6月3日 - 太平洋の土井正博が後楽園球場での対日本ハム9回戦の五回表に11号ソロ本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成。史上7人目[50]。
  • 6月7日 - ヤクルトは休養中の監督の荒川博の退団を正式に発表[51]。
  • 6月8日
    • 阪急の山田久志が平和台球場での対太平洋9回戦に先発登板して10勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。史上67人目[52]。
    • 巨人の末次利光が後楽園球場での対阪神6回戦の0-2とリードされた9回裏二死満塁の場面で、山本和行から5号逆転サヨナラ満塁本塁打を打ち、巨人が4-2で勝利。史上31度目のサヨナラ満塁本塁打、うち逆転サヨナラは史上10度目[53]。
  • 6月10日 - 巨人の張本勲が後楽園球場での対阪神8回戦の五回裏に中前安打を打ち、南海・野村克也に次いで史上2人目のプロ通算2500安打を達成[54]。
  • 6月17日
    • ヤクルトは球団社長の佐藤邦雄が甲子園球場でのプレスルームにて17時より記者会見し、広岡達朗が監督に正式に就任したと発表[55]。
    • 日本ハム対阪急12回戦が後楽園球場にて行われ、五回裏一死の場面で阪急の投手の竹村一義が日本ハムの上垣内誠に死球を与え、日本ハムの監督の大沢啓二がこれに怒って竹村に暴力行為を働き、またウォルター・ウィリアムスも竹村に体当たりして押し倒し、大沢、ウィリアムスの両者が退場処分を受ける[56]。
  • 6月18日
    • 巨人の張本勲が甲子園球場での対阪神9回戦の一回表に8号2点本塁打を打ち、セ・リーグ新記録の28試合連続安打を達成[57]。
    • パ・リーグ会長の岡野祐は、17日の試合で暴力行為で退場処分を受けた日本ハムの監督の大沢啓二と選手のウォルター・ウィリアムスに対しそれぞれ7日間の出場停止処分と制裁金5万円の裁定を下したと発表[58]。
  • 6月24日 - 阪急対ロッテ11回戦が西宮球場にて行われ、阪急がロッテに8-0と勝利し、パ・リーグの前期優勝を達成[59]。
  • 6月29日 - ヤクルトの松岡弘が神宮球場での対巨人9回戦に先発して完封で6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。史上68人目。被安打は7回二死から王貞治の右前安打1本のみの1安打完封[60]。
  • 6月30日 - この日予定されていたパ・リーグの前期日程の最後の試合だった後楽園球場でのロッテ対近鉄13回戦は雨のため中止となり、パ・リーグはこの日で前期日程を打ち切り、後期の全日程を終了後に振替試合を実施することを決めた[61]。

7月

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  • 7月2日
    • パ・リーグの後期日程が開幕[62]。
    • 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日14回戦の九回表に30号2点本塁打を放ち、15年連続30本塁打を達成[63]。
  • 7月7日 - 広島の衣笠祥雄が札幌市円山球場での対巨人16回戦で1回表に本塁打、3回表に単打、5回表に二塁打、6回表に三塁打を打ち、サイクル安打を達成。史上22人目、史上23度目[64][65]。
  • 7月8日 - 川崎球場での大洋対中日16回戦で中日がセ・リーグ史上11度目の1試合5併殺打。大洋は2併殺打を記録し、中日の5併殺打と合わせ1試合合計7併殺打はセ・リーグタイ記録[66]。
  • 7月9日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対中日15回戦でサイクル安打を達成。史上23人目、史上24度目[67]。
  • 7月11日 - 大洋の松原誠が広島市民球場での対広島12回戦で2安打し、プロ通算1500安打を達成。史上31人目[68]。
  • 7月15日
    • 中日のジーン・マーチンがナゴヤ球場での対広島11回戦の4回裏に22号ソロ本塁打、6回23号ソロ本塁打、8回24号3点本塁打と3打席連続本塁打、1試合3本塁打を打つ[69]。
    • セ・パ両リーグは前半戦を終了。セ・リーグは阪神が3年連続で首位で折り返す[70]。
  • 7月16日 - 12球団のオーナー、代表合同会議が東京・芝の東京グランドホテルで12時より開かれ、満場一致で富士銀行相談役の金子鋭をコミッショナーに推挙し、金子のコミッショナー就任が正式に決まる[71]。
  • 7月23日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋戦16回戦の八回表に鵜沢達雄から33号本塁打を打ち、プロ野球史上初の通算700本塁打を達成[72]。
  • 7月25日 - 南海の池之上格が大阪球場での対近鉄後期6回戦の九回表に11失点を喫する[73]。

8月

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  • 8月1日 - 第47回都市対抗野球大会の決勝戦が18時半から後楽園球場で行われ、川崎市の日本鋼管が札幌市の北海道拓殖銀行を1-0で下し大会優勝[74]。
  • 8月7日 - 阪神対中日の19回戦が岡山県野球場で行われ、阪神が中日に4-7と敗れ、球団新記録の9連敗となる[75]。
  • 8月8日 - 阪神は岡山県営球場での対中日20回戦に6-3で勝利し、連敗を9で止める[76]。
  • 8月10日 - 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対ヤクルト16回戦の六回裏に代打で出場して10号ソロ本塁打を打ち、日本プロ野球新記録のシーズン代打7本塁打を達成[77]。
  • 8月11日 - 広島の三村敏之が川崎球場での対大洋18回戦で、四回表に18号本塁打、九回表に19号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[78]。史上89人目[79]。
  • 8月12日 - 中日はナゴヤ球場での対ヤクルト18回戦の7回裏に谷木恭平の代打の伊藤泰憲が左翼へ4号3点本塁打を打ちこれでシーズン代打本塁打が13本となり、1974年に近鉄が記録した12本を更新するチームのシーズン代打本塁打のプロ野球新記録を達成[80]。
  • 8月17日
    • 大洋の松原誠がナゴヤ球場での対中日19回戦の四回表に27号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成。史上12人目[81]。
    • 巨人の堀内恒夫が広島市民球場での対広島20回戦の六回裏に水沼四郎から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成。史上23人目[82]。
  • 8月21日 - 第58回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、西東京代表の桜美林高校が大阪府代表のPL学園を4-3で破り、大会初優勝を達成[83]。
  • 8月22日 - 南海対太平洋の後期8回戦で南海が4-3と勝利し、パ・リーグ初の球団通算2500勝を達成[84]。
  • 8月24日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急後期6回戦の七回表に足立光宏から左前安打を打ち、プロ野球史上初めて通算5000塁打を達成[85]。
  • 8月25日
    • ヤクルトの会田照夫が神宮球場での対中日19回戦に先発し、92球で完封勝利を達成[86]。
    • 阪神の田淵幸一が甲子園球場での対広島15回戦の6回裏に右中間へ22号ソロ本塁打、7回裏に23号ソロ、8回裏に24号2点本塁打と3打席連続本塁打、1試合3本塁打を記録[87]。
  • 8月28日 - 広島の衣笠祥雄が川崎球場での対大洋20回戦の一回表に14号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成。史上25人目[88]。
  • 8月29日
    • ロッテの山崎裕之が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第1試合の後期7回戦の9回表に14号ソロ本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成。史上44人目[89]。
    • 大洋の伊藤勲が川崎球場での対広島21回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上51人目[90]。

9月

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  • 9月1日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対日本ハム後期11回戦に先発し、2失点で完投しプロ通算200完投を達成。史上12人目[91]。
  • 9月2日 - 巨人は後楽園球場での対大洋23回戦に4-1で勝利し、シーズン2度目の13連勝を達成[92]。高田繁が3回裏に中前安打を打ち、史上97人目のプロ通算1000安打を達成[93]。
  • 9月4日
    • 巨人は後楽園球場での対ヤクルト20回戦に2-8で敗れ、連勝が13で止まる[94]。
    • 中日の谷沢健一が川崎球場での対大洋22回戦の9回表に右越え9号ソロ本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成。史上90人目[95]。
  • 9月5日
    • 中日のジーン・マーチンが川崎球場での対大洋23回戦の1回表に33号2点塁打、6回表に34号ソロ本塁打を打ちこれでシーズン1試合2本塁打以上が今季10試合目となり、1964年に巨人・王貞治が記録したプロ野球記録に並ぶ[96]。
    • 日本ハムの坂井勝二が平和台球場での対太平洋後期9回戦の六回から登板し、プロ通算600試合登板を達成。史上15人目[97]。
  • 9月12日 - セ・リーグはこの日予定されていた3試合全試合が雨のため中止となり、これで9月8日から5日連続で全試合が雨天中止となった[98]。
  • 9月14日 - 阪神の田淵幸一が後楽園球場での対巨人19回戦の一回表に30号3点本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成。史上12人目[99]。
  • 9月19日
    • 甲子園球場での阪神対広島のダブルヘッダー第一試合の20回戦で
      • 阪神は9本、広島は2本の合計12本塁打、1試合両チーム合計本塁打のセ・リーグタイ記録[100]。阪神の1試合9本塁打はプロ野球タイ記録[101]。
      • 阪神、広島ともに毎回安打を記録。両チーム毎回安打は1954年8月15日南海対西鉄ライオンズ戦以来プロ野球史上2度目[102]。
      • 阪神は6回裏に中村勝広12号2点本塁打、掛布雅之20号ソロ本塁打、マイク・ラインバック19号ソロ本塁打、田淵幸一33号ソロ本塁打と4者連続本塁打のセ・リーグタイ記録を達成[103]。
    • 後楽園球場での巨人対中日23回戦で
      • 巨人の王貞治が3回裏に右翼40号ソロ本塁打を打ち、12度目のシーズン40本塁打を達成。ベーブ・ルースのシーズン40本塁打11度のメジャー・リーグ記録を上回る[104]。
      • 中日が巨人に4対8で敗れ、これで今年度の巨人の本拠地球場での日程が終了し、この年の後楽園で0勝12敗1分けと0勝に終わる[105]。
  • 9月21日 - 広島は広島市民球場での対ヤクルト21回戦に6-2で勝利し、連敗を11で止める[106]。
  • 9月29日 - ロッテの有藤通世が宮城球場での対日本ハム後期11回戦の8回裏に右中間二塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成。史上98人目[107]。
  • 9月30日 - 阪急が南海を5-2で破り、後期優勝を決める。阪急は前期も優勝しており、プレーオフ制後で初めて前後期制覇したためパ・リーグ優勝が決定。これにより、パ・リーグの優勝決定戦は1973年の開始以来初めて未実施となった[108]。

10月

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  • 10月5日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対阪神25回戦に4番・中堅で出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上187人目[109]。
  • 10月6日 - 太平洋の白仁天が大阪球場での対南海後期13回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上52人目[110]。
  • 10月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神23回戦の八回裏に山本和行から48号2点本塁打を打ち、ベーブ・ルースの記録を上回る通算715本塁打[111]。
  • 10月12日
  • 10月13日 - パ・リーグは全日程を終了[114]。
  • 10月16日 - 広島対巨人26回戦が広島市民球場で行われ、公式戦最終戦の巨人が5-3で勝利し、1973年以来3年ぶり、通算29度目のセ・リーグ優勝を達成[115]。
  • 10月21日 - 沢村賞の選考が沢村賞選考委員会によって東京・水道橋の後楽園飯店にて12時より開かれ、広島の池谷公二郎が選出される[116]。
  • 10月22日 - 広島の渡辺弘基が川崎球場での対大洋戦ダブルヘッダー25,26回戦二試合に登板し、これでシーズン73試合目となり、セ・リーグ最多登板記録を更新[117]。
  • 10月25日
    • ロッテの江藤慎一が東京・新宿の球団事務所を訪れ、球団代表の西垣徳雄に対し体力の限界を理由に退団を申し入れ、球団もこれを了承[118]。
    • 大洋監督の秋山登が東京・千代田区の大洋漁業本社を訪ね、オーナーの中部謙吉に今季のシーズン終了を報告、また今季1961年以来15年ぶりの最下位に終わった責任を取り辞任を申し出て、了承される[119]。
  • 10月27日 - 中日の井手峻が名古屋市中区の球団事務所を訪れ、今季限りでの現役引退を申し入れる[120]。

11月

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12月

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  • 12月3日 - 阪神の米田哲也が11時から大阪市梅田の球団事務所にて球団代表の長田陸夫と話合い、来季の構想から外れていることを理由に自由契約を通告される[130]。
  • 12月6日 - 近鉄の芝池博明と中日の白滝政孝のトレードが成立したと近鉄、中日両球団が発表[131]。
  • 12月8日 - 近鉄の伊勢孝夫とヤクルトの益川満育のトレードが成立したと近鉄、ヤクルト両球団が発表[132]。
  • 12月11日
  • 12月14日
  • 12月15日 - ロッテの長谷川一夫・倉持明とクラウンの白仁天・安木祥二のトレードが成立したとロッテ、クラウン両球団が発表[137]。
  • 12月16日
    • 中日の藤波行雄とクラウンの竹田和史・基満男のトレードは藤波がトレードに反対して取りやめとなり、代わりに竹田とクラウンの松林茂のトレードが成立したと中日、クラウンの両球団が発表[138]。
    • ヤクルトの榎本直樹と広島の瀬戸和則のトレードが成立したとヤクルト、広島両球団が発表[139]。
  • 12月20日
    • 巨人は槌田誠を東京・大手町の球団事務所に呼び自由契約を通告し、槌田も了承[140]。
    • プロ野球実行委員会が13時から東京・大手町のホテルグランドパレスにて開かれ、自主トレについて協議。野球協約では12月1日から1月31日までの期間は合同練習の禁止となっているが、実際は球団主導の自主トレが横行してなし崩しの状態となっているため、対応を協議。その結果、今季に関しては、時間的に間に合わないとして①来年1月31日までは監督、コーチ、監督はユニフォームを着用しない②練習内容について戦力補強に結ぶものは禁止し、自主トレの域を守る、とし、来季以降に関して今後「協約の順守」か「協約の完全撤廃」を議論することを決めた[141]。
  • 12月21日 - 中日はクラウンへのトレードを拒否した藤波行雄に対し、残留を認める代わりに春季キャンプの自費参加、公式戦第3節までの出場停止のペナルティを科したと発表[142]。

誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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脚注

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  1. 1 2 当時連盟表彰なし
  2. ↑ セントラル・リーグのみ当時連盟表彰なし
  3. ↑ 朝日新聞1976年1月11日14面「ドローチャー氏に高齢・言葉の強敵 10万ドル以上で太平洋入り決定」朝日新聞縮刷版p264
  4. ↑ 読売新聞1976年1月23日15面「『南海・江夏』は26日に」読売新聞縮刷版1976年1月p673
  5. ↑ 読売新聞1976年1月23日15面「中上氏殿堂入り 完全試合投手の第1号」読売新聞縮刷版1976年1月p673
  6. ↑ 読売新聞1976年1月29日17面「"南海の江夏"です おまたせ”大型トレード”」読売新聞縮刷版1976年1月p827
  7. ↑ 朝日新聞1976年3月16日17面「病気のド監督解約 太平洋球団 代わりに鬼頭氏昇格」縮刷版p519
  8. ↑ 毎日新聞1976年4月3日夕刊6面「プロ野球どんより開幕」毎日新聞縮刷版1976年4月p88
  9. ↑ 読売新聞1976年4月4日15面「広島・西本が現役復帰」読売新聞縮刷版1976年4月p121
  10. ↑ 読売新聞1976年4月4日15面「阪急1イニング連続9安打のパ・リーグ新記録」読売新聞縮刷版1976年4月p121
  11. ↑ 毎日新聞1976年4月7日1面「崇徳、初出場で優勝 センバツ 健闘の小山破る」毎日新聞縮刷版1976年4月p167
  12. ↑ 読売新聞1976年4月9日17面「記録メモ(8日) 近鉄・ジョーンズ200号本塁打」読売新聞縮刷版1976年4月p281
  13. ↑ 読売新聞1976年4月15日17面「ゲーリー決勝2号 大洋逆転、雨でコールド 松岡、奪三振1,000実らず」読売新聞縮刷版1976年4月p471
  14. ↑ 読売新聞1976年4月15日17面「五回までノーヒットノーラン 三井、近鉄抑える これもコールド」読売新聞縮刷版1976年4月p471
  15. ↑ 読売新聞1976年4月16日17面「巨人・末次が通算100本塁打」読売新聞縮刷版1976年4月p511
  16. ↑ 読売新聞1976年4月17日17面「記録メモ(16日) 広島・シェーンが2度目の"同一試合左右打席本塁打"」読売新聞縮刷版1976年4月p547
  17. ↑ 読売新聞1976年4月17日23面「広島ファン大荒れ 巨人軍囲みケガ人も」読売新聞縮刷版1976年4月p553
  18. ↑ 読売新聞1976年4月18日17面「巨人がセ・リーグ通算2000勝」読売新聞縮刷版1976年4月p511
  19. ↑ 毎日新聞1976年4月18日15面「得津、サイクル安打」毎日新聞縮刷版1976年4月p495
  20. ↑ 読売新聞1976年4月18日15面「記録メモ(16日) 阪神が24安打のチーム最多安打を記録」読売新聞縮刷版1976年4月p609
  21. ↑ 読売新聞1976年4月18日15面「記録メモ(16日) 阪神・佐藤投手1日2勝」読売新聞縮刷版1976年4月p609
  22. ↑ 読売新聞1976年4月19日15面「やったぞ加藤!ノーヒットノーラン 王"祝砲"3号 巨人連勝」読売新聞縮刷版1976年4月p609
  23. ↑ 毎日新聞1976年4月19日15面「加藤がノーヒットノーラン」毎日新聞縮刷版1976年4月p515
  24. ↑ 読売新聞1976年4月23日17面「記録メモ(22日)太平洋・藤井が1500試合出場」読売新聞縮刷版1976年4月p735
  25. ↑ 読売新聞1976年4月23日17面「記録メモ(22日)南海は26年ぶり、パ・リーグ3度目の"全員得点"」読売新聞縮刷版1976年4月p805
  26. ↑ 読売新聞1976年4月28日17面「記録メモ(28日)ミッチェル(日本ハム)が来日初打席初本塁打」読売新聞縮刷版1976年4月p905
  27. ↑ 読売新聞1976年4月28日17面「阪神『11』でストップ マニエル先制3号 安田"キラー"の面目」読売新聞縮刷版1976年4月p905
  28. ↑ 読売新聞1976年4月29日19面「巨人に左腕ライト投手 大リーグで100勝 ノーヒットノーランも」読売新聞縮刷版1976年4月p941
  29. ↑ 毎日新聞1976年4月30日15面「行沢、幻の満塁ホーマー 前走者追い越す」毎日新聞縮刷版1976年4月p833
  30. ↑ 読売新聞1976年5月4日15面「中日・木俣達彦捕手が200号本塁打」読売新聞縮刷版1976年5月p91
  31. ↑ 読売新聞1976年5月7日17面「南海に2人目の外人 ロブソン内野手」読売新聞縮刷版1976年5月p153
  32. ↑ 読売新聞1976年5月8日17面「児玉氏を技術顧問に 大洋が不振打開策」読売新聞縮刷版1976年5月p189
  33. ↑ 読売新聞1976年5月8日17面「記録メモ(7日) 広島・山本が150本塁打」読売新聞縮刷版1976年5月p189
  34. ↑ 「スコアボード 山本、150号本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)5月8日付朝刊、13面(スポーツ面)。
  35. ↑ 読売新聞1976年5月12日16面「戸田(阪急)ノーヒットノーラン」読売新聞縮刷版1976年5月p322
  36. ↑ 読売新聞1976年5月14日17面「荒川監督(ヤクルト)休養 広岡コーチが代理」読売新聞縮刷版1976年5月p391
  37. ↑ 読売新聞1976年5月16日17面「記録メモ(15日) 巨人・張本が200個目の猛打賞」読売新聞縮刷版1976年5月p459
  38. ↑ 読売新聞1976年5月19日17面「記録メモ(18日) 巨人の10連勝」読売新聞縮刷版1976年5月p557
  39. ↑ 読売新聞1976年5月23日15面「ネット裏 "二千本は打ちたい"」読売新聞縮刷版1976年5月p695
  40. ↑ 読売新聞1976年5月23日15面「ロッテ・成田が通算1500三振奪取」読売新聞縮刷版1976年5月p695
  41. ↑ 読売新聞1976年5月23日15面「9年ぶりだ!巨人13連勝 王12・13連勝」読売新聞縮刷版1976年5月p695
  42. ↑ 読売新聞1976年5月24日17面「連夜の逆転 巨人そつなく14連勝 きょう勝てばチーム・タイ」読売新聞縮刷版1976年5月p695
  43. ↑ 読売新聞1976年5月24日17面「神宮の森10アーチ 田淵、藤田が2発 ヤクルトに打ち勝つ」読売新聞縮刷版1976年5月p695
  44. ↑ 読売新聞1976年5月25日17面「巨人、15連勝ならず 奥江に2安打完封」読売新聞縮刷版1976年5月p759
  45. ↑ 読売新聞1976年5月28日17面「ロジャー13(満塁)14(2ラン)15(2ラン)号」読売新聞縮刷版1976年5月p861
  46. ↑ 読売新聞1976年5月31日19面「記録メモ(30日) ロッテ、日本ハムが3試合連続引分け」読売新聞縮刷版1976年5月p963
  47. ↑ 読売新聞1976年5月31日19面「王、日本初2000四死球 先制16号3ランも 巨人連勝」読売新聞縮刷版1976年5月p963
  48. ↑ 読売新聞1976年6月2日17面「阪急・森本潔内野手が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1976年6月p49
  49. ↑ 読売新聞1976年6月3日17面「大洋・松原が4打席連続本塁打のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1976年6月p83
  50. ↑ 読売新聞1976年6月4日17面「太平洋・土井が350本塁打」読売新聞縮刷版1976年6月p117
  51. ↑ 読売新聞1976年6月8日17面「荒川前監督、正式退団 ヤクルト、当面現体制」読売新聞縮刷版1976年6月p249
  52. ↑ 読売新聞1976年6月9日17面「阪急・山田久志投手が100勝目」読売新聞縮刷版1976年6月p281
  53. ↑ 読売新聞1976年6月9日17面「巨人、土壇場に爆発 末次、逆転満塁サヨナラ5号 2アウト 2-2 山本和たたく」読売新聞縮刷版1976年6月p281
  54. ↑ 読売新聞1976年6月11日17面「張本ついに2500安打 巨人、阪神を3連破 5・5差に」読売新聞縮刷版1976年6月p351
  55. ↑ 読売新聞1976年6月18日17面「広岡、監督昇格 ヤクルト」読売新聞縮刷版1976年6月p585
  56. ↑ 読売新聞1976年6月18日17面「阪急に日本ハム"一矢" おまけ乱闘劇 大沢監督退場」読売新聞縮刷版1976年6月p585
  57. ↑ 読売新聞1976年6月19日17面「巨人・張本が連続試合安打セ新記録」読売新聞縮刷版1976年6月p621
  58. ↑ 読売新聞1976年6月19日17面「大沢監督、ウィリアムス7日間出場停止 阪急戦暴行事件で」読売新聞縮刷版1976年6月p621
  59. ↑ 読売新聞1976年6月25日17面「阪急が3年連続前期優勝 8年ぶり本拠胴上げ」読売新聞縮刷版1976年6月p819
  60. ↑ 読売新聞1976年6月30日17面「巨人、松岡に1安打 ヤクルトに今季初黒星 ロジャーとどめの23号」読売新聞縮刷版1976年6月p987
  61. ↑ 読売新聞1976年7月1日17面「パ後期 あす開幕」読売新聞縮刷版1976年7月p17
  62. ↑ 読売新聞1976年7月3日17面「阪急曇り、ロッテ晴れ パの後期"開幕戦模様"」読売新聞縮刷版1976年7月p89
  63. ↑ 読売新聞1976年7月3日17面「王が15年連続の30号 ペース最高 『700』に3」読売新聞縮刷版1976年7月p89
  64. ↑ 毎日新聞1976年7月8日19面「衣笠がサイクルヒット」毎日新聞縮刷版1976年7月p243
  65. ↑ 「「ツイていた」 強気も幸い衣笠」『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)7月8日付朝刊、13面(スポーツ面)。
  66. ↑ 読売新聞1976年7月9日17面「記録メモ(8日) 中日がセ・タイの1試合5併殺打」読売新聞縮刷版1976年7月p293
  67. ↑ 毎日新聞1976年7月10日19面「若松もサイクルヒット」毎日新聞縮刷版1976年7月p311
  68. ↑ 読売新聞1976年7月12日夕刊7面「大洋・松原誠(三二)が1500本安打」読売新聞縮刷版1976年7月p387
  69. ↑ 読売新聞1976年7月16日17面「マーチン3打席連続アーチ」読売新聞縮刷版1976年7月p513
  70. ↑ 読売新聞1976年7月16日17面「阪神、首位で折り返す 3年連続 巨人連敗、二位に落ちる 安田に3安打1点だけ」読売新聞縮刷版1976年7月p513
  71. ↑ 読売新聞1976年7月17日17面「金子新コミッショナーが正式決定」読売新聞縮刷版1976年7月p549
  72. ↑ 読売新聞1976年7月24日17面「王、ついにやったぞ700号」読売新聞縮刷版1976年7月p789
  73. ↑ 読売新聞1976年7月26日19面「南海・池之上が"野ざらし"1イニング11失点の両リーグ最多」読売新聞縮刷版1976年7月p857
  74. ↑ 毎日新聞1976年8月2日1面「川崎(日本鋼管)に黒獅子旗 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1976年8月p25
  75. ↑ 読売新聞1976年8月8日15面「阪神、球団初の9連敗 中日・青山に初白星献上」読売新聞縮刷版1976年8月p213
  76. ↑ 読売新聞1976年8月9日夕刊5面「阪神10連敗は免れる」読売新聞縮刷版1976年8月p223
  77. ↑ 読売新聞1976年8月11日15面「中日・大島が一シーズン代打本塁打『7』の新記録」読売新聞縮刷版1976年8月p271
  78. ↑ 読売新聞1976年8月12日15面「三村2発、決勝100号 アーチ合戦、今度は広島が雪辱」読売新聞縮刷版1976年8月p299
  79. ↑ 毎日新聞1976年8月12日15面「広島・三村内野手100号ホーマー」毎日新聞縮刷版1976年8月p305
  80. ↑ 読売新聞1976年8月13日15面「記録メモ(12日) 中日が一シーズン代打本塁打「13」のチーム新記録」読売新聞縮刷版1976年8月p463
  81. ↑ 読売新聞1976年8月18日15面「大洋・松原がプロ入り通算250号本塁打」読売新聞縮刷版1976年8月p463
  82. ↑ 読売新聞1976年8月18日15面「巨人・堀内がプロ入り通算1500奪三振」読売新聞縮刷版1976年8月p463
  83. ↑ 朝日新聞1976年8月22日1面「桜美林が初陣優勝 全国高校野球 延長でPL振り切る」朝日新聞縮刷版1976年8月p589
  84. ↑ 読売新聞1976年8月23日15面「南海、パ初の2500勝」読売新聞縮刷版1976年8月p617
  85. ↑ 読売新聞1976年8月25日16面「野村、日本初の5000塁打」読売新聞縮刷版1976年8月p686
  86. ↑ 毎日新聞1976年8月26日15面「わずか92球で完封」毎日新聞縮刷版1976年8月p693
  87. ↑ 毎日新聞1976年8月26日15面「両外人復帰で猛虎の本領 田淵、3打席連続 22、23、24号」毎日新聞縮刷版1976年8月p693
  88. ↑ 読売新聞1976年8月29日17面「衣笠が200本塁打」読売新聞縮刷版1976年8月p827
  89. ↑ 毎日新聞1976年8月30日15面「150本塁打」毎日新聞縮刷版1976年8月p809
  90. ↑ 毎日新聞1976年8月30日15面「千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1976年8月p809
  91. ↑ 毎日新聞1976年9月1日15面「200完投」毎日新聞縮刷版1976年9月p47
  92. ↑ 読売新聞1976年9月3日17面「高田、13連勝よぶ逆転二塁打 巨人"貯金"30に "千本"達成、リラックス」読売新聞縮刷版1976年9月p85
  93. ↑ 読売新聞1976年9月3日17面「記録メモ(2日) 巨人・高田が1000本安打」読売新聞縮刷版1976年9月p85
  94. ↑ 読売新聞1976年9月5日17面「巨人、14連勝ならず 巧投安田にてこずる 大杉21号 新浦、四回もたず」読売新聞縮刷版1976年9月p153
  95. ↑ 読売新聞1976年9月5日17面「記録メモ(2日) 中日・谷沢が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1976年9月p153
  96. ↑ 読売新聞1976年9月6日17面「記録メモ(5日) 中日・マーチンが『1試合2ホーマー以上』の日本タイ記録」読売新聞縮刷版1976年9月p177
  97. ↑ 毎日新聞1976年9月6日15面「坂井六百試合登板」毎日新聞縮刷版1976年9月p159
  98. ↑ 読売新聞1976年9月13日17面「セ・リーグは5日間試合なし」読売新聞縮刷版1976年9月p405
  99. ↑ 毎日新聞1976年9月15日19面「250本塁打」毎日新聞縮刷版1976年9月p431
  100. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「記録メモ(19日) 阪神、広島両チーム合計11ホーマーのリーグタイ記録」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  101. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「記録メモ(19日) 阪神、1試合9ホーマーの日本タイ記録」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  102. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「記録メモ(19日) 阪神、広島両チーム毎回安打プロ野球2度目」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  103. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「記録メモ(19日) 阪神、4連続ホーマーのリーグタイ記録」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  104. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「SBO ルース抜いて"世界最高" "いい感じ"戻る」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  105. ↑ 読売新聞1976年9月20日17面「記録メモ(19日) 中日が後楽園で今季は白星ゼロ」読売新聞縮刷版1976年9月p629
  106. ↑ 読売新聞1976年9月22日17面「広島、今月初の勝利 」ヤクルトを逆転」読売新聞縮刷版1976年9月p705
  107. ↑ 読売新聞1976年9月30日17面「記録メモ(29日) ロッテ・有藤が千本安打」読売新聞縮刷版1976年9月p953
  108. ↑ 毎日新聞1976年10月1日19面「阪急 初の前後期連覇 パの大将 次は日本一だ」毎日新聞縮刷版1976年10月p19
  109. ↑ 読売新聞1976年10月6日17面「広島・山本浩二外野手(二九)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1976年10月p197
  110. ↑ 読売新聞1976年10月7日17面「太平洋・白が1500試合出場」読売新聞縮刷版1976年10月p233
  111. ↑ 読売新聞1976年10月12日17面「王715号 ルースを抜いた 4四球後 最後の"出番" 右翼ポールを直撃」読売新聞縮刷版1976年10月p397
  112. ↑ 読売新聞1976年10月13日17面「巨人・淡口憲治外野手がプロ野球通算700号満塁本塁打」読売新聞縮刷版1976年10月p435
  113. ↑ 読売新聞1976年10月13日17面「クラウンライター・ライオンズ スポンサー交代し太平洋が名称変更」読売新聞縮刷版1976年10月p435
  114. ↑ 読売新聞1976年10月14日17面「パの全日程終わる」読売新聞縮刷版1976年p471
  115. ↑ 読売新聞1976年10月17日1面「長島巨人 V1を達成 通算29回目の栄冠」読売新聞縮刷版1976年p559
  116. ↑ 読売新聞1976年10月22日17面「池谷、初の『沢村賞』 20勝ただひとり 広島から2年連続」読売新聞縮刷版1976年10月p723
  117. ↑ 読売新聞1976年10月23日17面「広島・渡辺弘基投手(二八)が一シーズン最多登板のセ・リーグ新」読売新聞縮刷版1976年10月p763
  118. ↑ 読売新聞1976年10月26日17面「ロッテ江藤現役引退へ」読売新聞縮刷版1976年10月p867
  119. ↑ 読売新聞1976年10月26日17面「大洋・秋山が辞意表明」読売新聞縮刷版1976年10月p867
  120. ↑ 読売新聞1976年10月28日17面「東大出の井手引退」読売新聞縮刷版1976年10月p937
  121. ↑ 読売新聞1976年11月3日15面「阪急 2年連続の『日本一』 “老巧”足立が好投 森本、逆転2ラン 福本とどめ」読売新聞縮刷版1976年11月p81
  122. ↑ 読売新聞1976年11月3日15面「中日打撃コーチに杉山氏」読売新聞縮刷版1976年11月p81
  123. ↑ 読売新聞1976年11月4日17面「最優秀選手 王(8回目)と山田(初) 新人王に田尾(中日)藤田(南海)」読売新聞縮刷版1976年11月p103
  124. ↑ 読売新聞1976年11月9日17面「ストーブリーグ開幕 阪急、森本・戸田放出 中日・島谷らとトレード」読売新聞縮刷版1976年11月p265
  125. ↑ 読売新聞1976年11月13日17面「大洋監督 別当氏、返り咲き決定」読売新聞縮刷版1976年11月p403
  126. ↑ 読売新聞1976年11月19日夕刊10面「巨人は藤城(新日鉄広畑)を指名 社会人の速球一番 酒井・ヤクルト 中日は都」読売新聞縮刷版1976年11月p628
  127. ↑ 毎日新聞1976年11月20日15面「新美(日ハム)⇆佐伯(広島)4-3トレード決まる」毎日新聞縮刷版1976年11月p571
  128. ↑ 読売新聞1976年11月24日17面「基(クラウン)とのトレード 藤波(中日)が拒否 竹田は了承」読売新聞縮刷版1976年11月p759
  129. ↑ 読売新聞1976年12月1日17面「江藤(弟)も引退」読売新聞縮刷版1976年12月p17
  130. ↑ 読売新聞1976年12月3日17面「米田(阪神)自由契約に」読売新聞縮刷版1976年12月p125
  131. ↑ 読売新聞1976年12月7日19面「芝池(近鉄)白滝(中日)を交換」読売新聞縮刷版1976年12月p231
  132. ↑ 毎日新聞1976年12月9日15面「近鉄・ヤクルト」毎日新聞縮刷版1976年12月p275
  133. ↑ 読売新聞1976年12月12日19面「正垣(阪急)広島へ移籍」読売新聞縮刷版1976年12月p411
  134. ↑ 読売新聞1976年12月12日19面「大リーグ現役3番打者 デービス 中日入団」読売新聞縮刷版1976年12月p411
  135. ↑ 毎日新聞1976年12月15日15面「木樽投手が引退」毎日新聞縮刷版1976年12月p455
  136. ↑ 読売新聞1976年12月56日15面「広島に二外人入団」読売新聞縮刷版1976年12月p503
  137. ↑ 読売新聞1976年12月16日15面「白(クラウン)ロッテ入り 長谷川などと複数交換」読売新聞縮刷版1976年12月p535
  138. ↑ 毎日新聞1976年12月16日15面「藤波のトレード白紙に」毎日新聞縮刷版1976年12月p515
  139. ↑ 読売新聞1976年12月17日13面「榎本(ヤクルト)瀬戸交換」読売新聞縮刷版1976年12月p563
  140. ↑ 読売新聞1976年12月21日15面「球界ルポ 槌田、自由契約に」読売新聞縮刷版1976年12月p687
  141. ↑ 読売新聞1976年12月21日15面「自主トレは廃止します プロ野球実行委」読売新聞縮刷版1976年12月p687
  142. ↑ 毎日新聞1976年12月16日15面「公式戦第三節まで出場停止 中日、トレード拒否の藤波処分」毎日新聞縮刷版1976年12月p645
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