1978年のラジオ (日本)
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主な番組関連の出来事
[編集]- 4月3日 - ニッポン放送、平日午前帯のワイド番組で、玉置宏の冠番組『玉置宏の笑顔でこんにちは!』が放送開始( - 1996年3月29日)。
- 4月8日 - 日本短波放送、16年ぶりにプロ野球中継を実況中継。この年は他に、後楽園球場での巨人戦9試合を放送[1]。
- 6月12日 - 17時14分、「宮城県沖地震」が発生。NHKでは17時26分にラジオ・FM・テレビ全5波で津波警報を放送[2]。東北放送・NHK仙台放送局はラジオで特別番組を編成、安否情報を放送した。特にNHK仙台ラジオ第1放送は、安否情報を含む各種生活情報を延べ32時間放送した[1](同地震の項目も参照)。
- 8月19日 - エフエム東京、東京12チャンネル(後のテレビ東京)とコラボを組み、『テレビとFMをむすぶ・モントルー音楽祭 '78』をFMステレオ放送とテレビ(こちらはモノラル音声)で同時放送[1]。
- 8月23日 - ニッポン放送、米大リーグ公式戦を日本で初めてラジオ生中継[1]。
- 9月13日 - NHKラジオ第1、平日午後の生情報番組『午後のロータリー』で「電話ディスカッション・一般消費税は是か非か」を放送[1]。
- 10月1日 - NHK-FM、生放送番組『リクエストコーナー』が、前月(9月)11日の東名阪でのステレオ放送対応の高音質PCMデジタル回線の開通(下記参照)[1]を受け、この日から、東名阪送出地域[注釈 1]のみステレオ化[注釈 2]。
- 10月2日 - TBSラジオ系、当時TBSアナウンサー 榎本勝起(同社退職後はフリー)のパーソナリティによる、平日朝5時半からの全国ネット番組『三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!』が放送開始(三菱自動車一社提供)。ハワイの日本語ラジオ局 KZOOにもネットされ、1998年4月3日まで19年半も続く局の早朝の看板番組となった[5]。
- 10月22日 - 中波民放ラジオ局全局、第4回「ラジオ月間」で、『きみはUFOを見たか?・子どもの未来の詩』を同時放送[1][6]。
- 11月23日
- NHKラジオ第1、この日同ラジオの全国173局のうち166局の周波数が一斉に変更したのを受け、放送開始の5時から終了の24時までの19時間ワイドの記念特別番組『スーパーバラエティー これがラジオだ!』を放送[1]。
- NHK、この日の中波周波数変更を機に、ラジオ第1とFM放送番組の編成を大幅改定。従来の曜日別編成から時間帯別編成中心に変更。FMはクラシック音楽番組と若者向け番組を拡充する。これを受け、この日から数多くの番組が放送を開始する(詳細は「開始番組」の「1978年11月放送開始」の項を参照)[1]。
主なその他ラジオ関連の出来事
[編集]- 2月21日 - ラジオ関西、ラジオ関東が独占中継する巨人戦ナイター中継をネットすることを発表[7]。
- 4月25日 - 極東放送、財団法人から株式会社に移行。[1][8]
- 8月22日 - NHKラジオ第2放送、夜間の外国電波による混信被害軽減と難聴対策を図る為、1971年の秋田、1972年の熊本に続き、この日から札幌の同放送でも、今までの100KWから500KWに増力して、運用を開始。[1][9][10]
- 9月11日 - NHK-FM、日本で初めて、FMステレオ放送対応の高音質PCMデジタル回線[注釈 3]を、東京(放送センター)・名古屋・大阪の3局を結んで開通。これにより、3局間で高音質なステレオの同時放送が初めて可能となると同時に、東京から名古屋・大阪へのステレオ番組の事前パッケージ・テープ送りが廃止となる[1][11]。その後、翌年12月24日に札幌・仙台・金沢・広島・松山・福岡の各局へ同回線が開通し、各局への事前テープ送りが完全に廃止[4][12]。1984年までにPCM回線の全国化が完了。
- 10月1日 - 岩手放送(現・IBC岩手放送)、開局25周年事業として「岩手百科事典」を刊行。
- 11月23日
- この日の日本時間9時01分(協定世界時0時01分)から、国内AMラジオ局の周波数を一斉変更[1][13]。
- この周波数変更は、夜間における国家間の放送混信を避けるための対策として、国際電気通信連合(ITU)の勧告に基づき、AM放送帯域内の送信チャンネルを10キロヘルツおきから9キロヘルツおきにすることによって、チャンネルを増やすためのもの。南北アメリカを除く全世界で一斉に実施された。
- 日本では、NHKラジオ第1は173局のうち166局、ラジオ第2は141局全部、民放は179局のうち160局が周波数を変更[1]。変更する局は、これに先立つ5時00分(協定世界時22日20時)に放送上の日付切り替え基点(放送終了と放送開始の境目)を迎えていたため、放送開始からこの9時00分までは「試験放送」の名目で先行的に周波数変更を行った[14]。
- NHKラジオ第2はこの日、変更した周波数で普段よりも放送開始時間を30分繰り上げて午前5時に放送開始。開始から30分間、ラジオ第2の変更した各局の周波数を案内していた。
- 日本短波放送、愛称を「ラジオたんぱ」に決定。[1][14]
- この日の日本時間9時01分(協定世界時0時01分)から、国内AMラジオ局の周波数を一斉変更[1][13]。
節目
[編集]番組周年・記念回
[編集]開局周年
[編集]特別番組
[編集]3月放送
[編集]- 22日 - ニュースネット日本列島3・22(NHKラジオ第1)
4月放送
[編集]7月放送
[編集]8月放送
[編集]- 19日 - テレビとFMをむすぶ・モントルー音楽祭 '78(エフエム東京(FMステレオ)。テレビ局の東京12チャンネル(こちらの音声はモノラル放送)とコラボを組んでの同時放送)[1]
10月放送
[編集]11月放送
[編集]開始番組
[編集]1978年1月放送開始
[編集]- 毎日放送
1978年4月放送開始
[編集]- NHKラジオ第1放送
- 3日 - YBCハッピーロード
- 2日 - ラテンフォルクローレをご一緒に
- TBSラジオ
- 8日 - 久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO
- 開始日不明 - クローズアップにっぽん
- 文化放送
- 3日 - オレンジ通り五番街
- 開始日不明
- ニッポン放送
- 大阪放送(ラジオ大阪)
- 3日 - あらまあホンマ福笑の福袋
- 9日 - 鶴瓶・新野のぬかるみの世界
- 熊本放送
- 3日 - SBCラジオジャーナル[16]
- 民放AM各局
- 開始日不明 - 太田裕美の公園通り一丁目[20]
- 日本短波放送
1978年5月放送開始
[編集]- 6日 - RAB耳の新聞
1978年6月放送開始
[編集]- エフエム東京
- 4日 - 翔べ光の中へ[20]
1978年10月放送開始
[編集]- TBSラジオ
- 2日
- 17日 - 郁恵のフレッシュミュージック[20]
- 開始日不明 - モンスターワイド 高松しげおのトンデモ100分!
- 文化放送
- 開始日不明 - 友よ!森繁だ
- ニッポン放送
- 3日 - 花の五大スター チャンピオン大放送
- 9日 - 激突!サウンド・フィーバー
- 開始日不明 - 山口百恵のカラフル・ポップコーン[20]
- 7日 - 藤村有弘の東海道それゆけ四時間
- 2日 - ぶっつけワイド
- 毎日放送
- 2日 - スタジオ・セブン・セブン
- 15日 - ふれあい広場決定版
- 大阪放送(ラジオ大阪)
- エフエム東京
- 7日 - ウィークエンド・スクエア
1978年11月放送開始
[編集]- NHKラジオ第1放送
- NHK-FM放送
開始日不明
[編集]終了番組
[編集]1978年3月放送終了
[編集]- 文化放送
- 31日 - ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜
- ニッポン放送
- 31日 - 村上正行のお早よう6時です ※1980年に再開
- 27日 - サンマルコからボンジョルノ
1978年9月放送終了
[編集]- TBSラジオ
- 29日 - 榎さんのお昼だよ〜!
1978年11月放送終了
[編集]- NHKラジオ第1放送
- 17日 - 若いこだま
- NHK-FM放送
- エフエム東京
- 30日 - サウンド・カーニバル・イン・シンセサイザー・ランド
脚注
[編集]注釈
[編集]- 1 2 東京発の関東・甲信越地域(横浜・千葉・浦和・水戸・前橋・宇都宮・甲府・長野・新潟)、名古屋発の東海地域(岐阜・津・静岡)、大阪発の近畿地域(神戸・京都・奈良・和歌山・大津)と岡山・高松・松江・鳥取・徳島の各局。[3]
- ↑ その他の地域は、沖縄・奄美地区を除き、翌年12月24日の同回線の全国基幹局への開通[4]を受け、同月30日放送回からステレオ化。
- ↑ これは、電電公社の電話局間の音声伝送回線をFMステレオ用にデジタル化(768kb/s)したもので、電電公社局舎からNHK各局まではアナログ音声回線というものである(エフエム東京などの民放FM間も1980年にその回線が開通した際もこの方法であった。)。PCMデジタル回線開設当初は東京-名古屋-大阪間のデジタル伝送路がなく1.544Mbpsのモデム「DAT-1C」を使用してアナログで伝送していた。デジタル伝送の技術フォーマットは、32KHz標本化13ビット直線符号化7折線デジタル圧伸(13ビット→11ビット)たたみこみ符号化である。(電電公社 施設 30-7 ディジタル伝送によるステレオ放送中継方式)、その後、光ファイバー等のデジタル伝送技術が進み、量子化ビット数は16ビット直線になった。
- ↑ その他の地域は、沖縄・奄美地区を除き、翌年12月24日の同回線の全国基幹局への開通[4]を受け、同月29日放送回からステレオ化。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 「放送史年表 -詳細版- 1978年」(NHK放送文化研究所)(2026年7月6日閲覧)
- ↑ 津波警報(5波一斉) - NHKクロニクル
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'79』日本放送出版協会、1979年9月25日、210 図-5「FM放送網」頁。NDLJP:12277989/136。
- 1 2 3 「放送史年表 -詳細版- 1979年」(NHK放送文化研究所)(2026年7月6日閲覧)
- 1 2 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、197,347頁。
- 1 2 3 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年10月)」『月刊民放』第9巻第1号、日本民間放送連盟、1979年1月1日、54頁、NDLJP:3470917/28。
- ↑ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年2月)」『月刊民放』第8巻第5号、日本民間放送連盟、1978年5月1日、66頁、NDLJP:3470909/34。
- ↑ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年4月)」『月刊民放』第8巻第7号、日本民間放送連盟、1978年7月1日、50頁、NDLJP:3470911/26。
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'79』日本放送出版協会、1979年9月25日、24,191頁。NDLJP:12277989/26,NDLJP:12277989/126。
- ↑ 「日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03)」(渋沢社史データベース)(2024年3月29日閲覧)
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'79』日本放送出版協会、1979年9月25日、26,210頁。NDLJP:12277989/27,NDLJP:12277989/136。
- ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年9月25日、38,220~1頁。
- ↑ 「ご存知ですか――ラジオの周波数が変わります / NHK広報室」『都道府県展望』第242号、全国知事会、1978年11月、48頁、NDLJP:2786080/26。
- 1 2 3 4 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年11月)」『月刊民放』第9巻第2号、日本民間放送連盟、1979年2月1日、54頁、NDLJP:3470918/26。
- ↑ 「放送局めぐり[中部日本放送]」『ラジオライフ』第2巻第6号、三才ブックス、1981年9月1日、56頁。
- 1 2 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年4月)」『月刊民放』第8巻第7号、日本民間放送連盟、1978年7月1日、50頁、NDLJP:3470911/26。
- ↑ 『OBC25年のあゆみ』ラジオ大阪、1983年7月1日、22頁。NDLJP:12276207/13。
- ↑ ラジオ大阪史上、最高の開局記念特番『20周年記念 はたちのふれあい ラジオってなに?』|藤川貴央【OBCラジオ大阪アナウンサー】|note
- ↑ 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日、187頁。
- 1 2 3 4 『女子ラジオ Vol.1』辰巳出版、2022年8月15日、145頁。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 「NHKトピックス/ラジオ番組を大幅に改訂」『放送教育』第33巻第8号、日本放送教育協会、1978年11月1日、84 - 85頁、NDLJP:2341411/43。