チェスケー・ブヂェヨヴィツェ - グミュント線
| チェスケー・ヴェレニツェ - チェスケー・ブジェヨヴィツェ線 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 通称 | フランツ・ヨーゼフ鉄道 |
| 国 |
|
| 所在地 | 南ボヘミア州 |
| 起点 | チェスケー・ヴェレニツェ駅 |
| 終点 | チェスケー・ブジェヨヴィツェ駅 |
| 路線番号 | 199 |
| 開業 | 1869年11月1日 |
| 運営者 | SŽ |
| 路線諸元 | |
| 路線距離 | 50.3 km |
| 軌間 | 1435 mm (標準軌) |
| 線路数 | 単線 |
| 電化区間 | 全区間 |
| 電化方式 |
25 kV / 50 Hz (交流) 架空電車線方式 |
| 最大勾配 | 11 ‰ |
| 最高速度 | 100 km/h |
| 線路等級 | D3 |
| 停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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チェスケー・ブヂェヨヴィツェ - グミュント線(チェコ語: Železniční trať České Budějovice – Gmünd)は、チェコ鉄道の鉄道線の名称である。路線番号は199。
概要
[編集]1869年、カイザー・フランツ・ヨーゼフ鉄道(略: KFJB)によって開業した[2]。ウィーンとチェスケー・ブジェヨヴィツェを最短経路で結ぶ路線である。なお、チェスケー・ヴェレニツェを境に系統が分かれており、チェスケー・ヴェレニツェ以東は事実上オーストリア国鉄800号線の一部である[3]。この路線の距離程はウィーンのフランツ・ヨーゼフ駅の基準で表示されている。また電圧と周波数がオーストリア鉄道の電化方式と違うので、境界駅で機関車が取り替えられるか或いは多重電気システム機関車が運用されている。
歴史
[編集]オーストリア帝国商工省(Ministruim für Handel und Volkswirtschaft)は 1866年11月11日にKFJBにウィーン - エーガー(現在ヘプ)間本線の建設に関する免許を与えた。国家の収益保証金(Erträgniß)は年間413万グルデンで策定されて、この路線とエゲンブルク - グミュント間の場合、84万6000グルデンが配分された[4]。エゲンブルク - ブドヴァイス(現在チェスケーブジェヨヴィチェ)間は1869年11月1日に開通された[5]。1884年5月1日にKFJBは国有化されて、この路線はオーストリア帝国鉄道(楽: kkStB)の路線網に編入された[6]。
1904年から1908年までブドヴァイス駅と周辺部が改築されて、貨物操車場が旅客駅と分離設置されこの路線はリンツ - ブドヴァイス間旧皇后エリーザベト鉄道線と立体交差で連結された。
第一次世界大戦の終戦とオーストリア=ハンガリー帝国の解体後、チェコスロバキア国営鉄道(略: ČSD)がkkStBの路線を引き受けて、この路線もČSDに組み入れられた。
1938年秋にナチス・ドイツがズデーテン地方を占領して、グミュント - ノヴェーフラディ間はドイツ国営鉄道(略: DR)のウィーン管理局に組み入れられた。残りの区間は5ヶ月後にボヘミア=モラヴィア鉄道(略: ČMD-BMB)に属する事になった。1939年夏にはヴィーン - ノヴェーフラディ間はDR区間として一つの路線番号に統合された[7]。
第二次世界大戦の終戦後、国営鉄道は再建され、この路線はČSDの鉄道網に復帰した。グミュント - チェスケーヴェレニツェ間に越境地方列車のみが運行された[8]。1948年にチェコスロバキア政変が発生して、鉄のカーテンがチェコスロバキアとオーストリアの間に形成した。その故に国際列車はその以後に運行停止になった。1957年以来、ウィーン - プラハ間ヴィンドボナ号はチェスケーヴェレニツェ駅の経由で導入された。
1993年1月1日、チェコとスロバキアの分離により、新生のチェコ鉄道(略: ČSD)がこの路線を引き受けた。
2009年にグミュントとチェスケーブジェヨヴィツェの間の電車線設置が開始されて、地上切り替え設備は異なる電圧および周波数のため必要であった。電気運転は2010年6月11日に実現された。
チェスケー・ヴェレニツェ~グミュント間についてはオーストリア国鉄800号線の記事にて記す。
快速「スピェシニー(Sp)」
[編集]- ヴェレニツェ → ブヂェヨヴィツェ 【平日運行、夏季運休】
- 夏季を除く平日に、一日片道1本のみの運行。夏季は運休する。
- 2024年度に運行を開始した。
普通
[編集]臨時列車
[編集]- 「国民鉄道の日」快速
- 年1日のみ、一日1往復の運行。途中、ノヴェー・フラディとボロヴァニのみに停車する。2018年運行。
- 「国民鉄道の日」旧型列車
- 年1日のみ運行。ブヂェヨヴィツェ - ボロヴァニ間に、一日4往復の運行だが、うち2往復がヴェレニツェまで運行される。途中、ノヴェー・フラディ、ボロヴァニ、ノヴァー・ヴェスに停車する。2018年運行。
- 「SLで南チェコの金曜日」蒸気機関車
- 夏の年1日の運行。ブヂェヨヴィツェ → ヴェレニツェ間に、片道1本のみ運行する。途中、ノヴェー・ホヂェヨヴィツェを除く各駅に停車する。2018年運行。
駅一覧
[編集]以下では、チェコ国鉄199号線の駅と営業キロ、停車列車、接続路線などを一覧表で示す。なお、全て各駅停車である(チェスケー・ヴェレニツェ~グミュント間には快速が運行されるが、通過駅は無い)。
| 路線名 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | Sp | Os | 接続路線 | 所在地 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 199 | チェスケー・ヴェレニツェ駅 | - | ウィーンから 164.1 |
ヴェレニツェから 0.0 |
■ | ■ | 南ボヘミア州 | インドルジフーフ・フラデツ郡 | |
| ヴィシネー駅 | 7.5 | 171.6 | 7.5 | ■ | ■ | チェスケー・ブヂェヨヴィツェ郡 | |||
| ノヴェー・フラディ駅 | 5.5 | 177.1 | 13.0 | ■ | ■ | ||||
| ペトルジーコフ駅 | 4.7 | 181.8 | 17.7 | ■ | ■ | ||||
| イーロヴィツェ駅 | 5.2 | 187.0 | 22.9 | | | ■ | ||||
| フルボカー・ウ・ボロヴァン駅 | 3.2 | 190.2 | 26.1 | | | ■ | ||||
| ボロヴァニ駅 | 3.3 | 193.5 | 29.4 | ■ | ■ | ||||
| ラドスチツェ・ウ・トロツノヴァ駅 | 2.7 | 196.2 | 32.1 | | | ■ | ||||
| トロツノフ駅(*1) | 1.8 | 198.0 | 33.9 | | | ■ | ||||
| ノヴァー・ヴェス・ウ・チェスキーフ・ブヂェヨヴィツ駅 | 7.2 | 205.2 | 41.1 | | | ■ | ||||
| ノヴェー・ホヂェヨヴィツェ駅 | 5.6 | 210.8 | 46.7 | | | ■ | ||||
| チェスキー・ブヂェヨヴィツェ駅 | 2.6 | 213.4 | 49.3 | ■ | ■ |
190号線(プロチヴィーン方面) | |||
(*1) トロツノフ駅は、2021年3月23日 - 11月8日の間、保守工事により休止となる。この間、ラドスチツェ - トロツノフ間に代行バスが運行される[10]。
脚注
[編集]- ↑ Zdenec Hudec (2006) (チェコ語). Atlas drah Ceske republiky 2006-2007 (2nd ed.). Praha: Pavel Malkus. ISBN 80-87047-00-1
- ↑ Kundmachung im Amtsblatt. In: Wiener Zeitung, 3. November 1869, S. 17 (Online bei ANNO).: オーストリア国立図書館提供
- ↑ http://www.zelpage.cz/trate/ceska-republika/trat-199
- ↑ (ドイツ語) Reichs-Gesetz-Blatt: 141. Concessionsurkunde vom 11. November 1866. Wien: Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei. (1866). pp. 405, 406, 410
- ↑ I. Konta (1898). Band 1.2, p. 14
- ↑ Victor von Röll, ed (1914) (ドイツ語). Enzyklopädie: Kaiser-Franz-Josephs-Bahn. Band 6 (2nd ed.). Berlin / Wien: Urban & Scharzenberg. p. 316
- ↑ (ドイツ語) Deutsches Kursbuch Sommer 1939: 461 Wien FJBf - Gmünd (Waldviertel) - Erdweis und Gratzen. Berlin: Deutsche Reichbahn. (1939). pp. 194, 195 (Teil 5)
- ↑ 参考: 1947年ČSD冬季時刻表 - 18 (Plzeň–České Velenice–Gmünd)
- ↑ http://www.szdc.cz/provozovani-drahy/knizni-jizdni-rady.html
- ↑ Traťové jízdní řády
参考文献
[編集]- Ignaz Konta (1898). Österreichischer Eisenbahnbeamten-Verein. ed (ドイツ語). Geschichte der Eisenbahnen Oesterreichs vom Jahre 1867 bis zur Gegenwart. Geschichte der Eisenbahnen der Oesterreichisch-Ungarischen Monarchie. Band 1.2. Wien / Teschen / Leipzig: Karl Prochaska. pp. 1-426
- Alfred Wolf: Die Franz-Josefs-Bahn und ihre Nebenlinien. Sutton Verlag, Erfurt 2006, ISBN 978-3-86680-041-0 (ドイツ語)
外部リンク
[編集]- 路線経路、主要施設、許容速度: OpenRailwayMap
- Die Kaiser–Franz–Josef Bahn - Teil2: ヨーロッパ鉄道研究のための文書センター (DEEF, Dokumentationszentrum für Europäische Eisenbahnforschung) の資料
- “Popis trati 199 České Budějovice – Gmünd - Česká republika” (チェコ語). Spolek ŽelPage. 2026年4月23日閲覧。