II号自走重歩兵砲
| 15 cm sIG 33 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II (Sf) | |
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戦闘室や走行装置を損傷した状態のII号自走重歩兵砲 第二次世界大戦後、第一次中東戦争に際してイスラエルに鹵獲されたエジプト軍の車両(本文参照) | |
| 種類 | 自走重歩兵砲 |
| 原開発国 |
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| 運用史 | |
| 配備期間 | 1942 - 1943 |
| 配備先 |
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| 関連戦争・紛争 | 第二次世界大戦 |
| 開発史 | |
| 製造業者 | Alkett |
| 製造期間 | 1941 |
| 製造数 | 12 |
| 諸元 | |
| 重量 | 11.2トン |
| 全長 | 5.41m |
| 全幅 | 2.6m |
| 全高 | 1.9m |
| 要員数 | 4 |
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| 装甲 | 30 mm - 5 mm |
| 主兵装 | 1× 15cm sIG33 |
| 副兵装 | 1× 7,92 x 57 mm MG34機関銃 |
| エンジン | 6-cylinder, water-cooled Maybach HL62TRM |
| 変速機 | 6 forward, 1 reverse gears |
| 懸架・駆動 | leaf-spring |
| 行動距離 | 190キロメートル (120 mi) |
| 速度 | 40キロメートル毎時 (25 mph) |
II号自走重歩兵砲(にごうじそうじゅうほへいほう)は第二次世界大戦中のドイツ軍の装甲車両の一つ。制式名称は15cm sIG33 auf Fehrgestell Panzerkampfwagen II (Sf) (15cm33式重歩兵砲搭載II号戦車車台・自走式)。
概要
[編集]I号15cm自走重歩兵砲がフランス戦で予想外の活躍を見せたため、ドイツ陸軍はより本格的な自走重歩兵砲を開発することを決定した。この車両はベース車体としてII号戦車B型が用いられ、I号自走重歩兵砲が15cm sIG33を車輪ごと搭載したため全高があり重心も高い問題の多いものとなってしまった反省から、機関室から前方の車体上部構造を取り外して車内に15cm重歩兵砲を搭載することになった。
開発はアルケット社が行い、1941年2月に試作車が完成し、車体の前部に15cm重歩兵砲を搭載し前面30mm、側面15mm厚の装甲板で囲んだオープントップの戦闘室が設けられた。試験の結果、車体の内部容積が狭すぎて砲の操作性に難があることが判明したため、II号戦車の車体幅を約38cm広げ、車体後部を60cm延長した新型車体が開発されることになった。車体が拡幅・延長されたことによって転輪が1個増えて6個となり、元のII号戦車に比べて一回り大きく長いものになっている。また、本車は当初よりアフリカ軍団に配備されることが決まっていたため、冷却不足を補うために機関室には2分割された大きなハッチが取り付けられた方式に変更されており、これを開位置とすることで外気を直接導入してエンジンを冷却した。
本車は1941年11月から12月にかけて12両が生産され、6両で重歩兵砲中隊を構成するものとして二個中隊分が配備されて、1942年初めから北アフリカに送られた。しかし前述の改良にもかかわらずエンジンの冷却不足による過熱の頻発のため砂漠での運用には適さず、わずか15分程度の走行でエンジンの冷却が効かなくなったり、エンジンその物も冷却のために開けたハッチから侵入する砂埃により損傷して故障し使用不能になるなど、問題が多かった。それでも15cm歩兵砲の支援火力は有効であったため、同年12月までのエル・アラメインの戦いで最後の車両が損耗するまで各地を転戦した。
なお本車の代替として、フランスから捕獲した装甲砲牽引車であるロレーヌ・シュレッパーに、15cm重歩兵砲を搭載したSd kfz 135/1が製作され、北アフリカ戦線に派遣されている。また同砲を搭載した新たな自走砲として、38(t)のシャーシを利用したグリーレが開発された。
損傷車輌から砲と砲架、防盾を取り外し、砲塔を失ったIII号戦車に移植して搭載した急造の現地改造型(15 cm s.I.G. 33 auf Fgst Panzer II (Sf):III号自走重歩兵砲)も存在した[1][2]。
本車は実戦投入された全車が失われたものの、その殆どは戦場で放棄されたものであり、戦闘で破壊されて全損した車両は僅かであった。イギリス軍は何両かを鹵獲・回収して再使用したが、前述の機関の不調などで極めて短期間のうちに続々と故障損耗してイギリス軍からも放棄されていった。その後、前線から引き揚げられた車両はエジプトの英軍スクラップヤードに放置されていたが、エジプト軍がそれらを再利用しており、第一次中東戦争においてイスラエル軍に鹵獲されたものが少なくとも1両存在している[3]。