2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投
|
完全試合達成目前で降板した山井(2009年撮影) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 開催日時 | 2007年11月1日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 開催球場 | ナゴヤドーム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 開催地 |
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 監督 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投(2007ねんにほんシリーズにおけるかんぜんじあいもくぜんのけいとう)は、2007年(平成19年)の日本シリーズ第5戦において中日ドラゴンズ監督の落合博満とバッテリーチーフコーチの森繁和[2]が、この試合で完全試合達成目前だった山井大介を岩瀬仁紀に継投させた出来事である。
この項目における人物の肩書きは特記ない場合、いずれもこの試合が行われた当時のものとする。
概要
[編集]2007年(平成19年)の日本シリーズは、中日は第4戦まで北海道日本ハムファイターズに3勝1敗とし、日本一に王手をかけていた。本拠地であるナゴヤドームで行われた第5戦の先発は中日が3週間以上の間隔をあけていた山井大介、後がない日本ハムは第1戦に登板して中4日となるダルビッシュ有だった。
中日は2回裏に平田良介の犠飛で1点を先制し、その後は追加点が奪えなかったものの山井は日本ハム打線を完全に抑え、8回表まで一人の走者も出さない投球を見せる。1962年第2戦の村山実(阪神タイガース)が記録した無失点記録である7回1/3を抜き、中日が1点リードしたまま9回表の日本ハムの攻撃を迎えた。山井の8回表までの投球数は86球で、先発投手として9回を充分に投げ切れるペースであることから中日ファンを中心に山井の完全試合達成を期待する声が沸き起こっていた。しかし監督の落合博満は山井を降板させ、9回表に抑え投手の岩瀬仁紀を送った。走者を許さなかったにも関わらず交代したため山井の完全試合は消滅したが、岩瀬は金子誠を三振、高橋信二を左飛、小谷野栄一を二ゴロに抑えて試合終了となり、中日ドラゴンズは53年ぶりの日本一を達成した。
この山井の交代については賛否両論が巻き起こった。日本プロ野球における日本シリーズでの完全試合は前例がなく、山井が9回表も三者凡退に抑えれば中日ドラゴンズの53年ぶりの日本一を「史上初の日本シリーズにおける完全試合」で飾っていたことになる。そのような中での投手交代は球界を中心に各方面から様々な声が挙がった。落合は2011年(平成23年)シーズンをもって中日の監督を退任したが、その後も著書「采配」において「私の采配について何か論じようとする時、必ずと言っていいほど出てくるのが(中略、この試合で)山井大介を9回に岩瀬仁紀に交代させた采配に関して、である」と記している[3]。
スコア
[編集]当事者のコメント
[編集]先発した山井大介
[編集]降板した理由については「自分に完全試合達成目前という投球をさせてくれているのは味方の力、特に守備のおかげでした。フェルナンド・セギノールのショートへのあたりを井端さんが難なく捌いたのは、偶然ではなく、事前にセギノールの打球の傾向を研究し尽くして、(あらかじめ打球が行く)可能性の高い場所に守っていたからなのです。他の守りにしてもみんなそう。ずっと積み重ねてきた努力がファインプレーになって、僕の投球を支えてくれていたんです。だからこそ、最後はシーズンを通じて抑えの役目をはたしてきた岩瀬さんで終わるべきだと思いました」と語った[4]。
落合博満
[編集]著書「采配」のなかで山井の交代の理由は「右手中指のマメ(肉刺)を潰して出血していた」ことを挙げた。記録やタイトルが選手を大きく成長させるとして「OBの立場で言えば(完全試合を)見たかった」「せめてあと3~4点取っていれば、山井の記録に賭けられるのに」と思ったが、監督としてチームを53年ぶりの日本一に導くために最善策を採ったという。当時を振り返り、「あの時の心境を振り返ると『山井は残念だった』というよりも『ここで投げろと言われた岩瀬はキツいだろうな』というものだった」と記している[3]。
2017年(平成29年)11月1日放送のMBS「戦え!スポーツ内閣」にゲスト出演し、当時からちょうど10年が経過したことで話題に挙げられた際に「4回くらいからマメが潰れていた。みんなが見て見ぬふりをしていたが、いまの監督(当時)の森コーチが聞くとベンチに座って『代わります』と言っちゃった。本人が言ったから迷いも何にもない」と語った[5]。
2019年(令和元年)の第101回全国高等学校野球選手権岩手大会において起こった、いわゆる佐々木朗希登板回避問題について聞かれた際には、山井の降板との比較という形での状況について「あくまでも別物」としたうえで「山井が『もうダメ』と言うんだから。ダメなものはダメ。ダメというのに行かせるわけにはいかない。こっちだって困ったんですから」と事情を明かし、さらに一切の言い訳をせず「監督の仕事とはそういうものです」と締めている[6]。なお、この問題で当事者となった佐々木朗希はプロ入り後の2022年(令和4年)に完全試合を達成している。
2026年(令和8年)に入って自身のYoutubeチャンネルにおいて再び当時について語っている。当時の試合は4回の時点で山井の球に血が付着し始め、試合が進むにつれて血の量が増えてきたという。「シーズン中ならもっと早い段階で降板だが、あの試合だけは『何が何でも行くところまで…』と男気を出した。8回までと考えていたんだろう。完全(試合)だから投げたい気持ちと、やっと岩瀬に代わってもらえるという気持ちが半々だったのではないか。山井はベンチに戻ってドスンと座った。まだ投げる投手はそういう座り方はしない。『やっとオレの仕事は終わった。やれやれ』というような座り方だった」と述べている[7]。
森繁和
[編集]森も著書「参謀[8]」のなかで山井がマメを潰したことに気付いた時点で、完全試合ペースでもリリーフを送る可能性が高い」と判断して準備していたという。その一方で投手経験者として完全試合に関する投手心理を理解しているため、普段の試合(公式戦)なら本人が嫌だと言ってもマウンドに行かせるが、山井の指の状態が悪いなかで監督が「日本一を取りに行く」と言い、(犠飛の1点のみの1-0だったことで)選手らが求めていた日本一を1イニングで変えてしまいかねない状況で悩んでいたという。結局、森自身が8回表終了後に山井へ「どうする?」と聞き、山井が「岩瀬さんにお願いします」と降板を申し出たため交代させたと述べている。なお、森は現役時代の駒澤大学硬式野球部在籍時に1976年(昭和51年)の全日本大学野球選手権大会で完全試合を達成している。
さらに森と落合は、完全試合目前で痛打を浴びて敗れ、第6戦以降の舞台となる札幌ドームへ向かうことになれば日本シリーズでの優勝は出来ないと考えており、この第5戦で勝利(日本一達成)することを最優先したとも述べている[3]。その一方で継投決断の直前には完全試合について非常に激しい葛藤があり、岩瀬への継投が最善策と思っていたところへ「自らの口で降板を申し入れた山井に救われ、正直ホッとした。もし、山井が続投を主張していたら行かせていた」と述べており、同時にプレッシャーのなかで無失点に抑えた岩瀬も高く評価した。
その他試合出場者のコメント
[編集]- 谷繁元信
- 「あまり完全試合というものにこだわっておらず、それよりも早く3つのアウトが欲しかった」と述べている。のちにYoutubeでの高木豊との対談では「7回くらいから少しキレが落ちてきていたし、スコア的にも…。正直『もう岩瀬で良いかな』と思っていた」と語っており、森から山井の調子について聞かれた際にも「代えたほうがいいと思います」と答えたという[9]。また「勝つためにはあれがベストだった」と述べている[10]。
- 荒木雅博
- 結果的に最後となった小谷野栄一のゴロを捌いた荒木は「自分がエラーして(完全試合が)終わってもいいのでとにかく勝ちたかった」と述べている。
- 岩瀬仁紀
- 山井の降板後に登板して最終回を無失点に抑えた岩瀬は「一人でもランナーを出したら自分は批判を浴びるだろうと思った。普段ならどうやって点を取られずに抑えるかを考えるが、あの試合だけは『どうやってランナーを出さずに凡退させるか』を考えた。人生で初めての物凄いプレッシャーで、正直投げたくない自分もいた」。
- 立浪和義
- 現役引退後の2010年(平成22年)に発行された自叙伝「負けん気」で、「山井が拳を心配そうに見ながらコーチと相談しているところを見ているし、1点しか差が無い以上、絶対的な信頼を置ける岩瀬にスイッチ(継投)したのは正しい選択だと思う」と述べている。
- 山本昌
- 現役引退後の2015年(平成27年)に発行された「奇跡の投手人生50の告白 悔いはあっても後悔はない」(ベースボール・マガジン社)において自身が見たこと・聞いたことを書くと前置きしたうえで「6回にベンチへ下がった山井の指が見えた。皮がペロンと剥けていた。思わず『大丈夫なのか?』と尋ねたほどだった。それからさらに2イニング投げたのだ。もう限界だったと思う。ユニフォームのズボンに付いた血を見た森コーチや落合監督が決断したということになっているが、あれは山井本人が申し出た交代だ。山井の年齢で同じ状況なら、きっと郭さんに『代えてください』と申し出た」と記している[11]。また、別の著書「133キロ快速球」(ベースボール・マガジン社)では「確かに記録は勲章だがあくまでも個人の『所有物』にすぎない。日本一やチームの優勝という大目標より優先することはあってはならないと思っている」とも書いている[12]。
采配への賛否
[編集]史上初となる日本シリーズでの完全試合達成が目前であったが故に、山井から岩瀬への継投を行った落合の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った。
賛成意見
[編集]- 白井文吾(オーナー)
- 山井の完全試合目前となった試合展開について、僅差である1-0で狙うのは「危険な賭け」と表現している。落合采配については「良い采配だなと感心した」と述べると同時に地元である名古屋で日本一を達成したことを喜んでいる[13][14]。
- 岡田彰布(阪神タイガース一軍監督)
- 同年のクライマックスシリーズで敗退したが、采配について「そんなん代えるやろ」と理解を示している。岩瀬を自軍の藤川球児に例え、「一応、勝てば終わりという試合やから」と支持している[15][16]。なお、岡田は二度目の監督就任となった2023年(令和5年)4月12日の対読売ジャイアンツ戦において7回裏終了まで完全試合状態だった村上頌樹を石井大智に交代させており、石井が8回裏に岡本和真から本塁打を浴びて村上のプロ初勝利は消滅したが、試合は延長戦の末に2-1で勝利している[17]。
- 王貞治(福岡ソフトバンクホークス一軍監督)
- 「あの場面で個人記録は関係ない。負けたら札幌だし、岩瀬で良かったんじゃないか」「負けた時にどちらの策が後悔しないかと考えたら、岩瀬でしょう」と述べ、日本シリーズならではの重みを考慮した采配を支持するコメントを述べている[要出典]。実際に王は1999年(平成11年)の日本シリーズ第3戦において6回まで無安打投球を見せた永井智浩を交代させ、篠原貴行、ロドニー・ペドラザへの継投で勝利し、日本一に輝いた経験がある。日本シリーズで先発投手が安打を1本も許さないまま降板したのは永井が史上初だったが、篠原が安打を許している。
- テリー・コリンズ(オリックス・バファローズ一軍監督)
- 完全試合目前だった山井の降板について聞かれても「驚かなかった」と話している。同時に自身が落合の立場だった場合でも岩瀬に交代させていたと述べているが、同時に「レギュラーシーズンならダメだけどね」とも答えている[要出典]。
- ボビー・バレンタイン(千葉ロッテマリーンズ一軍監督)
- 「勝利することに徹した。監督として素晴らしい仕事をした」と采配を称賛している[18]。
- 森祇晶
- レギュラーシーズンなら迷わず続投だと述べ、落合の采配について「私情を捨ててチームの悲願を確実にする采配。よくぞ決断した」と称賛した。落合が過去の日本シリーズで投手を続投させて敗れている経験を持つことも明かし、「その経験が決断を後押ししたのだろう」と分析している[19]。
- 権藤博
- 1998年(平成10年)に横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導いているが、監督経験者としての立場での意見として「個人記録よりチームの勝利」と述べ、落合の采配を認めている[20]。
- 鹿取義隆
- 「勇気がいる交代で、岩瀬以上に監督自身が最も緊張したと思う。すごい采配。それに応えた岩瀬も見事だった」と語っている[20]。
- 達川光男
- 落合について「勝つために最善を尽くした」と述べており、同時に「こんなゲームで記録を作っても意味がない。個人ためにやっているのではないからね」と語っており、権藤と同様に「個人記録よりチームの勝利」の大切さを説いている[20]。
- 山本功児
- 山井の記録達成には一定の理解を見せつつも「そこはチームの勝利優先。岩瀬で最後を締めるという中日のパターンを最後まで見せ、チームの“総括”のような采配だった。選手も納得していると思うし、他のチームの監督にもいい勉強になったのではないか」と語っている[20]。
- 水野雄仁
- 当該の試合で日本一が決まる場合でなければ続投も「良い」と述べつつも、日本一が懸かるこの日については「一発を打たれる可能性もあるし、走者を出してから代えたら岩瀬にも大きなプレッシャーがかかる。代えるならイニングの最初しかなかった」「完全試合をやってて、逆転負けしたら流れが日本ハムにいくからね」と語っている[20]。
- 安藤統男
- 一言「当然」と述べた上で「落合も悩んだろう。よく決断できたと思う」と評価した[21]。
なお、落合は日本シリーズ終了後の11月13日に選考委員会の満場一致で正力松太郎賞に選出された。選考委員長だった川上哲治は「正力さんはいつも『勝負に私情をはさんではいかん』と言っておられた。日本シリーズでも勝敗に徹して、そういう強い信念が感じられた」とコメントし[22]、賞の選考においてこの采配を肯定的に評価したことを明言している。
反対意見
[編集]完全試合という記録の偉大さと、その記録が日本シリーズで達成される目前での継投となったため、記録を重要視する関係者などからは采配への批判や反対意見も挙げられた。
- 玉木正之(スポーツライター)
- 継投によって大記録達成のチャンスを潰したとの見方により、自身のブログ[23]で采配を批判するコメントを出している。
- やくみつる(漫画家)
- サンケイスポーツにおいて落合の采配を批判するコメントを発表している。その後、やくは度々落合を槍玉に挙げ、日本スポーツ界三代巨悪の一人と呼んで公然と批判している。翌日付けの日刊スポーツ掲載の1コマ漫画「やくみつるのポテンショット」においても批判的な見方を示し、その内容は山井が「おめでとう!日本一のKY監督」と書かれたボードを持ち、それに対して落合が同年にブレイクしたお笑い芸人の小島よしおのネタである「そんなの関係ねぇ!!」のポーズを取り、その落合の姿をトレイ・ヒルマン(北海道日本ハムファイターズ監督)が山井の持つボードの陰から見て「ある意味シンジラレナ~イ!!」と発言するものである。これは2009年(平成21年)5月発売の著書「やくみつるの平成ポテンショット」でも収録されている。
- 彦野利勝(中日ドラゴンズOB)
- 落合の采配を支持する者が過半数いたことも挙げ、「支持しているのは野球を知らない人達でしょう。あの采配はおかしい」とコメントしている[要出典]。
- 豊田泰光
- 落合の采配を「日本中のファンに対する無責任な行為」と激しく非難している。目先の勝利を追うあまりドラマも人も作れなかったことが、落合の退任に繋がったとも述べている[26]。また、「レギュラーシーズン2位から日本シリーズへ勝ち上がってきたラッキーな状況だったからこそ日本一を絶対に取らなければいけないという雰囲気があり、落合に相当なプレッシャーがかかっていたんだろう。そもそも、レギュラーシーズン1位で出場していれば騒動にならなかった」と、持論であるプレーオフ批判を展開した[要出典]。
- 江本孟紀
- 「あそこで続投させる監督は、プロ野球界全体のことを考えている監督。完全試合を達成していれば、野球に興味の無い人まで関心を持ってくれるチャンスだった。それが野球人気につながっていくのに…」と嘆いた[27]。
- 張本勲
- 後に自身の著書「原辰徳と落合博満の監督力」においてこの采配を「ファン無視」と批判している。
中立的意見
[編集]- トレイ・ヒルマン(対戦相手の北海道日本ハムファイターズ一軍監督)
- 監督によって考えが違うと前置きしたうえで、「私が落合さんの立場なら(山井を)投げさせたかもしれない。落合さんの采配なので(賛否の意見は)何もありません」と地元放送局のテレビ出演で語った[28]。
- 大島康徳
- 自身のブログで「大島は代えない」と結論しつつも、「歴史的瞬間に夢を託すか?勝つことだけに徹し、必勝リレーでいくのか?どちらを選択するかは、その監督の個性である。だから僕は、采配についてどうこう言うつもりはサラサラない」とコメントした[29]。
- 星野仙一
- 自身が監督の立場であればと前置きしたうえで、「私なら代えない。落合は投手じゃないから気持ちがわからないのでは。勝つことで評価される監督だから。勇気のいる決断ではあるが」とする一方で、「思い切った決断だった」(いずれも『NEWS ZERO』)[20]と一定の理解を示し、その後自身のホームページでも「判断については批判する意図はない。全てを承知した上での落合監督ならではの決断だったろうし、勝ち通すための覚悟であり、結果を見れば批判や非難は出来ない」との見解を示し、自分が選手・監督の場合の考えと落合の行動に対する賛否は別との姿勢を取っていた[30]。
- 山田久志(中日ドラゴンズ前一軍監督)
- 「優勝にもつながったんだから高く評価していい」としつつも「日本シリーズ初の完全試合。新たな歴史が生まれる可能性を断ち切ってもいいものか。野球はそれだけじゃないだろうともチラッと思う。自分が監督だったら、これは保証できるけど絶対に交代させることはない。いや、日本のプロ野球の歴史の中で、あの場面で交代を告げる監督はいないだろう」と語っている[31]。
- 江川卓・掛布雅之
- 共著「巨人-阪神論」でこの継投について触れており、掛布は「自分が監督であれば山井を代えない」としつつ、あの場面で抑えた岩瀬が評価されていないことに対して疑問を呈している。一方の江川も「継投はあり」としながらも「投げていたのが投手陣の中心として活躍していた川上憲伸なら落合は代えなかっただろう。山井だったから変えたのではないか」と評している。
- 大沢啓二
- 出演していたTBS「サンデーモーニング」で采配については肯定も否定もせず、この騒動の原因は不振に終わった日本ハム打線にあると指摘し、他とは全く異なる見方をした(「喝」を入れた)。
- 野村克也(東北楽天ゴールデンイーグルス一軍監督)
- 在任中の著書「野村主義」で山井の降板については「私には理解が出来ない[24]」「私には『常人の感覚を超越した決断』としか評することが出来ない[32]」と否定的な見解を示しており、監督退任後の著書「プロ野球最強のエースは誰か?」においては「私ならヒットを1本打たれるまでは間違いなく山井に続投させている[33]」と述べている。その一方で同時期に記した別の著書「あぁ、監督」では「(交代が正しいかどうかは別として落合の)『決断力』にも富んでいる[34]」との意見も述べており、その少し前に記した著書「野村の『眼』弱者の戦い」では日本シリーズにおける完全試合が前例の無い大記録であることに触れた上で「あの試合の山井にはそのチャンスが与えられていた。生涯、プロ野球の歴史に名が残る機会である。(中略)それを奪うことは私には出来ない。たとえ血マメが出来ていたって、あの場面なら投手心理として腕が折れようが気力でカバー出来ただろう」と述べつつも「シーズン中の1試合ではなく、日本シリーズの優勝が懸かった大一番だっただけに、色々な意見が、賛否両論が出るのは当然だし、議論はあっていい。『あの交代は当然』という立場があってもいい。監督は勝利を求めて最善を尽くすのが仕事なのだから[35]」という見解も示している。なお、野村は1997年(平成9年)の横浜ベイスターズとの試合で先発の石井一久がノーヒットノーランを達成した際に、9回を前に「もう疲れたから」「記録を作ったら今後の野球人生が何だか怖い」と、前年に受けた左肩の手術も挙げて降板を申し出た石井に対して「ノーヒットノーランは滅多に出来ることではない」と言って捕手の古田敦也と共に却下し、続投させている[36][37]。
その他関係者
[編集]- 落合の長男である落合福嗣は、試合後に父・博満に対して様々な批判が寄せられたことに関して中日スポーツ紙上で「何の事情も知らないくせに好き勝手なことを言って父を非難しないでほしいです。何か事情があったのかもしれないとか、どうしてそういうことを考えてくれないのでしょうか」と苦言を呈している[いつ?]。
- 山井の妻は試合後に「あれ(継投)で良かったんじゃないの」と本人に話したという[4]。
- 球団側はポストシーズンでの活躍を査定外としていたが、12月6日に行った山井の契約更改において、アピールを聞いた編成担当取締役の井手峻は「日本シリーズでの活躍で全国区になったから」として契約額に200万円を上積みした[38]。
6年後に偉業を達成した山井
[編集]日本シリーズにおける完全試合を逃した山井だったが、6年後の2013年(平成25年)6月28日の対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)において、4走者を出しながらも正真正銘のノーヒットノーランを達成した[39]。
この他、2010年(平成22年)8月18日の対読売ジャイアンツ17回戦(ナゴヤドーム)においても8回表終了の時点でノーヒットノーランに抑える投球をしていたが、9回表に先頭打者である坂本勇人に本塁打を打たれ、直後に岩瀬仁紀へ交代した。岩瀬は1四球を与えたものの無安打で締め、3-1で中日が勝利した。落合は「そんなに簡単に記録ってのは出させてくれないもんだ」と語ったうえで、「あの時(2007年の日本シリーズ)とは訳が違う。あの時はギブアップだった。今日は球数も少ないし、ギブアップしていない」と状況の違いを説明し、続けて「その後に行って抑えるヤツ(岩瀬)が大したもんだ。みんな忘れてる。抑えて当然ってみんな思っているだろうけど、一番重圧がかかってるんだ」と述べて岩瀬への賛辞も忘れなかった[40]。
その他
[編集]東海テレビは、2018年(平成30年)に現役を引退した岩瀬仁紀が野球人生において最も印象に残っている点として挙げた、日本シリーズで山井の後を受けて登板した「岩瀬の13球」を製作し、当事者の山井や落合などのインタビューを交えて2019年(平成31年)3月2日に放送した[41]。
脚注
[編集]- ↑ 鷲田康 (2012年11月13日). “栗山vs.吉井、高木vs.権藤……。野手出身監督と投手コーチの宿命。”. Number Web. 2018年8月16日閲覧。
- ↑ 森は、投手起用については落合から「全面委託」されていたという[1]。
- 1 2 3 落合『采配』p.p.74 - 78
- 1 2 阿部珠樹 (2008年4月3日). “未完の完全試合。山井大介“決断”の理由”. Number Web. 文藝春秋. 2013年2月1日閲覧。
- ↑ “落合氏、日本シリーズ消えた完全試合の真実を激白”. デイリースポーツ online. 2017年11月2日. 2018年8月16日閲覧.
- ↑ “落合博満氏、大船渡・国保監督に“助け船”「周りがとやかく言う問題ではない」(夕刊フジ)”. 夕刊フジ online. 産業経済新聞社. 2019年7月26日. 2020年4月7日閲覧.
- ↑ https://www.youtube.com/watch?v=FizUraJgp_s
- ↑ 森『参謀』[要ページ番号]
- ↑ “中日・山井の幻の完全試合 谷繁氏が明かす舞台裏…交代直前コーチに告げた言葉は”. デイリースポーツ. 2020年4月7日. 2021年8月7日閲覧.
- ↑ 「Sports Graphic Number Vol.976」(文藝春秋)80頁
- ↑ 山本昌著、奇跡の投手人生50の告白 悔いはあっても後悔はない、2015年、P47ー48、ベースボール・マガジン社
- ↑ 山本昌著、133キロ快速球、2009年、P117、ベースボール・マガジン社
- ↑ 「<プロ野球 2007日本シリーズ>ファイターズVSドラゴンズ*落合ドラゴンズ日本一*丸刈り 選手鼓舞」、北海道新聞 朝刊、2007年11月2日。
- ↑ 「【プロ野球】日本シリーズ第5戦 ナイン喜びの声」、産経新聞 東京朝刊、2007年11月2日、21頁。
- ↑ “阪神岡田監督「オレ流継投」を擁護”. 日刊スポーツ. 2007年11月3日. 2020年4月7日閲覧.
- ↑ 「<落合監督直撃インタビュー 53年ぶり オレ流日本一の裏側>(上)〓完全〓山井交代の真実、本紙に激白 試合中にマメ破れた 試合預かった責任ある ユニホームには相当な血」、デイリースポーツ、2007年11月3日、5頁。
- ↑ “騒然となった阪神・岡田采配 評論家は「正解だと思う」その理由は2つ「奪三振がなくなっていた」村上7回完全で交代”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. 2023年4月12日. 2023年4月13日閲覧.
- ↑ 「ロッテのバレンタイン監督が中日・落合監督の“非情交代”を絶賛」、スポーツ報知、2007年11月4日、5頁。
- ↑ 「日本シリーズ第5戦 中日日本ハム<森祇昌>2度シリーズ敗退怖さ知る決断」、日刊スポーツ 東京、2007年11月2日。
- 1 2 3 4 5 6 「プロ野球日本シリーズ第5戦 “記録より勝利”落合監督らしい完璧な守りの野球」、スポーツ報知、2007年11月2日、2頁。
- ↑ 「プロ野球:日本シリーズ 「見たかった完全試合」 中日・山井投手、8回交代に賛否」、毎日新聞 西部朝刊、2007年11月2日、24頁。
- ↑ 落合監督、正力賞 稲尾氏から最後の贈り物 中日スポーツ2007年11月14日付
- ↑ 「タマキのナンヤラカンヤラ」2007年11月1日
- 1 2 野村克也『野村主義』小学館、2009年6月1日。ISBN 9784093878463。p.p.108 - 112
- ↑ 岡田彰布『そら、そうよ ~勝つ理由、負ける理由』宝島社、2014年3月7日。ISBN 978-4800217967。p.p.43 - 44
- ↑ 豊田泰光のオレが許さん『週刊ベースボール』2011年10月17日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-10/17, 70-71頁。 なお、豊田のコメントにあることに関しては、ここにコメントが掲載されている者のうち、野村は監督としての落合について「彼の考えやチームの状況が世の中に伝わっているかというと、そうではない。そこが問題であり、(中略)プロ野球の現場にいる以上、(落合が「『おまえらに野球の話をしても、わからないだろ』という態度をあからさまに取る」)メディアの向こうにはファンの目や耳があるということを忘れてはならない」と自著で記している[24]。また、岡田は自著で監督としての落合について「育てる監督ではなかった」「勝つということに特化していた」などと記している[25]。
- ↑ 「中日・落合監督の山井交代に賛否両論 大記録まであと3人…」、産経新聞 東京朝刊、2007年11月3日、23頁。
- ↑ 「日本ハム情報 ヒルマン監督がオレ流采配を尊重」、日刊スポーツ 北海道日刊、2007年11月4日。
- ↑ 大島康徳公式ブログ「日本一おめでとう!中日ドラゴンズ!」
- ↑ 日本シリーズのあの“パニック”(「星野仙一のオンラインレポート」[いつ?][リンク切れ])
- ↑ 「日本シリーズ第5戦 中日日本ハム<山田久志>歴史断ち切った私なら代えない」、日刊スポーツ 東京、2007年11月2日。
- ↑ 野村克也『野村主義』小学館、2009年6月1日。ISBN 9784093878463。p.p.31 - 32
- ↑ 野村克也『プロ野球最強のエースは誰か?』彩図社、2014年11月7日。ISBN 9784801300231。p.p197
- ↑ 野村克也『あぁ、監督』角川書店、2009年2月10日。ISBN 9784047101838。p.p.47 - 50
- ↑ 野村克也『野村の「眼」』KKベストセラーズ、2008年3月31日。ISBN 9784584130568。p.p.110 - 111
- ↑ 「【9月2日】1997年(平9) 最後がMAX!石井一久、優勝引き寄せたノーヒットノーラン」『スポーツニッポン』2009年9月2日。2009年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月23日閲覧。
- ↑ 「それをなんで知ってるのか」 佐々木朗希の完全試合、古田敦也が注目した捕手・松川の「凄さ」 - J-CASTニュース・2022年4月13日
- ↑ 「中日・山井が8回完全試合手当で200万円をゲット」、スポーツ報知、2007年12月7日、5頁。
- ↑ “山井 あきらめていた7年越しノーヒッター「あの山井とは別人ですから」”. スポーツニッポン. 2013年6月29日. 2018年8月16日閲覧.
- ↑ 中日・山井、ノーヒットノーラン目前で逃す 8月18日のプロ野球結果 - スポーツナビ(2010年8月18日)
- ↑ 「球史に刻む救援劇の緊迫 東海テレビが特番 「岩瀬の13球」 ナレーション ドラファン・松平健」、中日新聞 夕刊、2019年3月1日、6頁。
参考文献
[編集]- 落合博満『采配』ダイヤモンド社、2017年11月17日。ISBN 9784478016268。
- 森繁和『参謀』講談社、2012年4月6日。ISBN 978-4062175982。
関連項目
[編集]- ドン・ラーセン 1956年のワールドシリーズ第5戦で完全試合を達成。
- アーマンド・ガララーガの幻の完全試合 メジャーリーグベースボールにおいて、あと1人アウトに取れば完全試合達成という場面で誤審によって逃してしまい、物議を醸した事例。