Accepting the Universe
| Accepting the Universe Accepting the Universe: Essays in Naturalism | ||
|---|---|---|
| 著者 | ジョン・バロウズ (作家) | |
| 発行日 | 1920年 | |
| 発行元 | ホートン・ミフリン社(Houghton Mifflin Company、ボストン/ニューヨーク) | |
| ジャンル | ネイチャーライティング、自然主義 | |
| 国 |
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| 言語 | 英語 | |
| 公式サイト | Project Gutenberg | |
| コード | LCCN 20018062(ISBNなし) | |
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『Accepting the Universe』(副題 Essays in Naturalism)は、アメリカ合衆国の博物学者・ネイチャーライティング作家ジョン・バロウズが晩年の1920年に刊行した随筆集である。序文と15の章から成る。[1]
バロウズは本書で自身の心情を吐露している。序文で「全宇宙は善であり、私たちはその部分である、これは稀有な幸運である」と中心思想を述べる。また本書は「本質的に楽観主義の書」であり、「神の道を自然の根拠に基づいて人間に弁明する試み」とする。[2]
概要
書名は、超絶主義者マーガレット・フラーの言葉「私は宇宙を受け入れる」に由来する。これは第1章で説明される。バロウズは、宇宙が全体として善であるという立場を、いわゆる「神学」ではなく、自然自体への信頼によって擁護する。[2][3]
序文では、人間が作った神学的信条などは星座のように虚構である。実際に存在しているのは星であり、すなわち無限なるものへの魂の憧れだけだ、という趣旨を述べる。[2]
成立の背景
著者は第1章で「80年を超える人生と長い思索の末に宇宙を受け入れるに至った」と述べている。[3] 本書の刊行は1920年であり、バロウズは翌1921年3月29日に、カリフォルニアからニューヨークへ向かう旅の途上で死去する。[4]
また、本書には「第一次世界大戦への言及」が複数の章にみられる。第8章と第9章は戦争と進化論の関係を論じ、第14章の末尾の節は、大戦が多くの人々に宗教的な懐疑をもたらしたことを取り上げている。[5][6][7]
内容
- 以下は、各章の要約と印象的フレーズの引用である。
- 各章の章題とフレーズの英文は原著から、章題とフレーズの和文は試訳である。
- 第1章 Shall we Accept the Universe?(宇宙を受け入れるべきか)
- 超絶主義の代表的女性マーガレット・フラーの言葉 “I accept the universe” に対するイギリスの思想家トーマス・カーライルの皮肉な反応[8]を紹介しつつ、宇宙は全体として善であるという立場を示す。寒さや戦争のような悪は存在するが、人間の幸福を支える力のほうが大きく上回る、という。永遠なるものが生命に注ぐ愛は親の愛ではなく、将軍が軍隊に抱く愛に近いとされる。また、ラルフ・ワルド・エマーソンが21歳のときに書いた「摂理」に関する日記の一節を引き、自然の摂理を「厳しい親切」として描く。[3]
- 印象的フレーズ
- "The love of the Eternal for mankind, and for all other forms of life, is not a parental love—not the love of the mother for her child, or of the father for his son; it is more like the love which a general has for his army; he is to lead that army through hardships, through struggles, through sufferings, and through death, but he is leading it to victory."[3]
- (試訳:永遠なるものが人間や、ほかのあらゆる生き物に注ぐ愛は、親が子に向ける愛とは違います。むしろ将軍が軍隊に抱く愛に近いのです。将軍は兵を苦難や闘い、痛み、そして死の中へと導きますが、その行く先は勝利なのですから。)
- 第2章 Manifold Nature(多面的な自然)
- 詩人やネイチャーライターが描く自然は全体の一部にすぎず、自然には恐ろしく破壊的な面もあると論じる。「神と自然を切り離すと、悪を引き受ける存在として悪魔を想定せざるをえなくなる」とも指摘する。またワーズワースが崇拝した自然は、穏やかな湖水地方の自然に偏っていたのではないかという疑問もしめされる。[9]
- 印象的フレーズ
- "When we think of Nature as meaning only birds and flowers and summer breezes and murmuring streams, we have only touched the hem of her garment—a garment that clothes the whole world with the terrific and the destructive, as well as with the beautiful and the beneficent." [9]
- (試訳:自然とは鳥や花、夏のそよ風、せせらぎ、などと考えるなら、私たちはその衣の裾にふれただけです。その衣は、美しく恵み深いものだけでなく、恐ろしく破壊的なものまで、世界のすべてを包んでいるのですから。)
- 第3章 Each for Its Own Sake(それぞれ自分自身のために)
- ハエやツタウルシのような有害なものも、人間の役に立つために存在するのではなく、それ自身のために存在すると論じる。人間にとっての悪が別の生き物にとっての善でありうること、悪と障害が種を発達させてきたことを指摘し、「悪の問題は生の問題である」と結論づける。[10]
- 印象的フレーズ(悪の問題)
- "The problem of evil is the problem of life; no evil, no life." [10]
- (試訳:悪の問題とは、生きることそのものの問題です。悪がなければ、生もないのですから。)
- 第4章 The Universal Beneficence(普遍的な恵み)
- 物体が空へ昇ることが重力を否定しないのと同様に、自然の悪は自然の善を否定しないと論じる。均衡が絶えず破られる不安定な世界であるからこそ生命が可能になるのであり、固定は死を意味するとされる。[11]
- 印象的フレーズ
- "The goodness of nature is the universal fact, like gravity, and its evils and enmities and hindrances only prove the law." [11]
- (試訳:自然の善さは、重力のように普遍的な事実です。悪や敵意や障害は、その法則が確かであることをかえって証明しているのです。)
- 第5章 The Good Devils(善き悪魔たち)
- 倫理哲学者がいう楽観主義ではなく、博物学者の楽観主義を述べる章である。エマソンが「自然は聖人ではない」と評したことに対し、重力や火や洪水に良心を求めるのは筋違いだと応じる。悪魔とは何かの欠如であり、物事を動かし続ける否定的な量であり、「神が仮面をつけた姿」だとも述べる。[12]
- 印象的フレーズ
- "Certainly Nature “is no saint,” and it is well for us that she is not." [12]
- (試訳:自然は『聖人』ではありません。そして、そうでないことは私たちにとって幸いなのです。)
- 第6章 The Natural Providence(自然の摂理)
- 自然に見える「設計」は人間の擬人化の反映であり、無機的な自然では生物のほうが環境に合わせて形づくられたのだと論じる。ルナンの見解を批判的に検討し、「無限においては対立するものが、ともに真でありうる」と述べる。終盤では、人間を通して自然が自らを観照し、経験を味わうという見方が示される。[13]
- 印象的フレーズ
- "But in inorganic nature the foot is made to fit the shoe and not the reverse." [13]
- (試訳:生命のない自然では、足が靴に合わせて作られるのです。靴が足に合わせて作られるのではありません。)
- 第7章 The Faith of a Naturalist(博物学者の信仰)
- 人間は自然の部分であり、「神と交わるとは自分自身の最良の部分と交わること」と述べる。博物学者の信仰は、自然のどんな猛威にも揺らがないものとして描かれ、「善と悪は切り離せず、調和には不調和が伴う」とされる。[14]
- 印象的フレーズ
- "Communing with God is communing with our own hearts, our own best selves, not with something foreign and accidental." [14]
- (試訳:神と語り合うとは、自分自身の心と語り合うこと、最良の自分と語り合うことです。自分以外の何か別の存在と向き合うことではありません。)
- 第8章 A Fallacy Made in Germany(ドイツ製の誤謬)
- 人間も進化の産物である以上、動物界の「力の支配」が人間社会にもそのまま当てはまるという推論は誤りだと批判する。人間には理性と良心という、下位の動物にはない要因があり、それが力の支配を正義の支配に従属させるとする。当時のドイツの軍国主義がこの誤った推論に訴えたことを批判の対象としている。[5]
- 印象的フレーズ
- "while he is a part of the animal kingdom, he is a new kind of animal" [5]
- (試訳:人間は動物界の一員でありながら、同時に、新しい種類の動物でもあるのです。)
- 第9章 The Price of Development(発展の代価)
- 生存競争は生物の発展の代価であり、自然界では全体として恵み深い法則だと認める。そのうえで、人間の世界では道徳が新たな法則として働くようになり、武力紛争は終わりへ向かうはずだと論じる。「戦争を国家の強壮剤とみなすような主張」も退けられる。[6]
- 印象的フレーズ
- "Our strength is the strength of the obstacles we overcome." [6]
- (試訳:私たちの強さとは、乗り越えてきた障害の強さなのです。)
- 第10章 Tooth and Claw(牙と爪)
- 自然が残酷と感じるのは、「人間の心理を自然に投影している(擬人化)」のためと論じる。動物は過去や未来に苦しまず、その苦痛は短いとし、争いや苦痛のない世界は善もない「否定的な世界」だと述べる。[15]
- 印象的フレーズ
- "Without death there can be no life; without struggle there can be no power." [15]
- (試訳:死がなければ生はなく、闘いがなければ力は生まれないのです。)
- 第11章 Men and Trees(人間と樹木)
- 自然は人間も樹木も同じように気づかい、どちらにも試練が訪れると述べる。森の木々が受ける虫害、嵐、競争、衰えを、人間社会の盛衰になぞらえる。終盤では、「自然を神」とみなす立場を示し、「善悪は人間の領域にのみ当てはまる」有限の語だとする。[16]
- 印象的フレーズ
- "Naturalism makes for righteousness, or right-mindedness', as surely as it makes for health and longevity." [16]
- (試訳:ナチュラリズムは、健康や長寿をもたらすのと同じように、「正しい心」をもたらしてくれるのです。)
- 第12章 The Problem of Evil(悪の問題)
- 悪の問題は、「人間が全能・全善の神を想定したときに生じた」と論じる。そのような神を立てれば、それと対をなす悪魔も必要になり、混乱が起きる。「博物学者には、善と悪は同じ木に実る相対的な概念」であり、「苦痛は人間であることの代価」とされる。[17]
- 印象的フレーズ
- "There is no problem of evil until we have made or imagined an unnatural and impossible world." [17]
- (試訳:(全能・全善の神など)不自然で、ありえない世界を思い描いてしまわねば、悪の問題など存在しないのです。)
- 第13章 Horizon Lines(地平線)
- 「生命の起源」「自然に設計はあるか」「人間は自然の一部」「自然は自殺的か」「エネルギーの保存」など、14の短い思索集である。生物の器官には目的があるが、風や雨のような非生命の現象には同じ意味での目的はないと区別する。人間を「非人格的な宇宙の母」の偶然の子とみなす記述もある。[18]
- 印象的フレーズ
- "We are the chance children—chance from our limited point of view—of an impersonal, unhuman, universal mother." [18]
- (試訳:私たちは、人間の目から見れば偶然の子どもです。非人格的で、人間らしさを持たない、宇宙という母の子なのですから。)
- 第14章 Soundings(測深)
- 「大いなる神秘」「自然の秩序」「人格神」「永遠なるもの」「死」「天と地」「岩の上に築かれた信仰」など、15の節からなる最長の章である。アーサー・バルフォアが「自然主義と倫理」で指摘した、抽象的な理性の結論と実生活の経験との矛盾について、人間は推論するときは決定論者であり、行動するときは自由な行為者だと応じる。神という語を自然に置き換えて汎神論に近い立場を示す。大戦後の信仰の動揺についても論じる。[7]
- 印象的フレーズ
- "How much is in a name! When we call the power back of all God, it smells of creeds and systems, of superstition, intolerance, persecution; but when we call it Nature, it smells of spring and summer, of green fields and blooming groves, of birds and flowers and sky and stars." [7]
- (試訳:言葉の力は大きいですね。背後にある力を<神>と呼べば、信条や体系、迷信、不寛容、迫害の臭いがします。けれども<自然>と呼べば、春や夏、緑の野や花咲く木立、鳥や花、空や星々の香りがするのです。)
- 第15章 The Poet of the Cosmos(宇宙の詩人)
- ウォルト・ホイットマンを論じる最終章である。バロウズはホイットマンを、最高の知性ではないとしつつ、心・魂・詩的精神が融合した、最も象徴的な人間として評価している。[19]
- 印象的フレーズ
- "The world has had but one poet of the cosmos, and that was Whitman." [19]
- (試訳:世界に宇宙の詩人は、ただ一人しかいませんでした。それがホイットマンです。)
思想・特徴
本書の中心は、善と悪を切り離さず、悪を生命の条件として説明する立場である。バロウズは、争い、不安定さ、死は生命が成り立つ条件であり、それらが全体として善の側に傾いているからこそ生命が存在しうるのだと論じる。[10][11][15]
第二に、自然に一見みえる「設計や目的」は、人間の擬人化の結果だとみなす。空気や水は人間のために作られたのではなく、人間のほうが環境に適応したのだとされる。[10][13] 一方で、生物の器官には目的があるが、非生命の現象には同じ意味での目的はないという区別も設けている。[18]
第三に、神を自然の外に置く二元論を退け、自然そのものを神とみなす汎神論的な立場をとる。ただし、人間の理性と良心は自然の中から生じたものであり、人間社会では力よりも正義が優先されるべきだとして、動物界の法則をそのまま人間に適用することは批判している。[5][16][7]
評価
作家のダラス・ロア・シャープ(en:Dallas Lore Sharp)は、バロウズ没後に著した回想のなかで、バロウズが亡くなる数週間前に自分へ送ってくれたのが、生前に校了した最後の本である本書だったと記している。シャープは、「本書にはバロウズの初期の著作に劣らない力強さと新鮮さがある」と評している。[20]
関連項目
脚注
- ↑ “Accepting the universe : Essays in naturalism by John Burroughs” (英語). Project Gutenberg. Project Gutenberg. 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “Preface” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 4 Burroughs, John (1920). “I. Shall we Accept the Universe?” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 3–18 2026年10月26日閲覧。
- ↑ “John Burroughs” (英語). Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica, Inc.. 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 4 Burroughs, John (1920). “VIII. A Fallacy made in Germany” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 134–137 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “IX. The Price of Development” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 138–157 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 4 Burroughs, John (1920). “XIV. Soundings” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 253–315 2026年10月26日閲覧。
- ↑ フラーの「私は宇宙を受け入れます」(熱狂的な全肯定)に対するカーライルの「そうしなきゃ身のためにならんわな」(冷笑的な現実服従)という反応はウィリアム・ジェームスの著書に見られる。バロウズはフラーともカーライルともジェームスとも異なる視点に立つ。 “I accept the universe” is reported to have been a favorite utterance of our New England transcendentalist Margaret Fuller; and when some one repeated this phrase to Thomas Carlyle, his sardonic comment is said to have been: “Gad! she’d better!” At bottom the whole concern of both morality and religion is with the manner of our acceptance of the universe. Do we accept it only in part and grudgingly, or heartily and altogether? (William James, “The Varieties of Religious Experience”, 1902)
- 1 2 Burroughs, John (1920). “II. Manifold Nature” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 19–29 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 4 Burroughs, John (1920). “III. Each for Its Own Sake” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 30–53 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “IV. The Universal Beneficence” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 54–72 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 Burroughs, John (1920). “V. The Good Devils” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 73–89 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “VI. The Natural Providence” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 90–111 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 Burroughs, John (1920). “VII. The Faith of a Naturalist” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 112–133 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “X. Tooth and Claw” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 158–172 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “XI. Men and Trees” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 173–192 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 Burroughs, John (1920). “XII. The Problem of Evil” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 193–202 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 3 Burroughs, John (1920). “XIII. Horizon Lines” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. pp. 203–252 2026年10月26日閲覧。
- 1 2 Burroughs, John (1920). “XV. The Poet of the Cosmos” (英語). Accepting the Universe: Essays in Naturalism. Houghton Mifflin. p. 316 2026年10月26日閲覧。
- ↑ Sharp, Dallas Lore. “The Seer of Slabsides” (英語). Project Gutenberg. 2026年10月26日閲覧。
外部リンク
- Accepting the universe : Essays in naturalism - Project Gutenberg
- Accepting the Universe(Internet Archive、PDF)