DEL 2005/06
| DEL 2005/06 | |
|---|---|
| リーグ | Deutsche Eishockey Liga |
| スポーツ | アイスホッケー |
| ハウプトルンデ | |
| シーズン優勝 | アイスベーレン・ベルリン |
| プレーオフス | |
| 優勝 | アイスベーレン・ベルリン |
DEL 2005/06シーズン はドイチェ・アイスホッケー・リーガの第12シーズン目である。ドイチャー・マイスターの栄冠を手にしたのはアイスベーレン・ベルリン[1]で、2回目の選手権制覇となった。プレーオフは2006年3月12日から4月17日まで開催された。 プレイダウンズではカッセル・ハスキーズが昇格組フュクセ・デュースブルクに敗れ、2.アイスホッケー・ブンデスリーガへの降格が決定した。
基本情報
所属クラブ
| クラブ | 所在地 | 昨季順位 | PO↑ PD↓ |
|---|---|---|---|
| アウクスブルガー・パンター | アウクスブルク | 7. | 準々決勝↑ |
| アイスベーレン・ベルリン | ベルリン | 2. | Deutscher Meister↑ |
| DEGメトロ・スターズ | デュッセルドルフ | 10. | – |
| EV Duisburg „Die Füchse“ | デュースブルク | 昇格組 | 勝者↓ |
| フランクフルト・ライオンズ | フランクフルト | 1. | 準決勝↑ |
| ハンブルク・フリーザーズ | ハンブルク | 8. | 準々決勝↑ |
| ハノーファー・スコーピオンズ | ハノーファー | 12. | – |
| ERCインゴルシュタット | インゴルシュタット | 5. | 準決勝↑ |
| イーザーローン・ルースターズ | イーザーローン | 11. | – |
| カッセル・ハスキーズ | カッセル | 14. | 敗者↓ |
| ケルナー・ハイエ | ケルン | 4. | 準々決勝↑ |
| クレーフェルト・ピングイーネ | クレーフェルト | 9. | – |
| アードラー・マンハイム | マンハイム | 6. | 準優勝↑ |
| ニュルンベルク・アイスタイガース | ニュルンベルク | 3. | 準々決勝↑ |
大会方式とレギュレーション
DEL史上最後となる、スポーツ的降格制度 (成績による自動降格) を伴うシーズンである。それは来シーズンDEL 2006/07から各クラブとそのスポンサーに、確実な計画づくりを保証するためのフォーマット改革であった。 なによりも小さく経済力の低いクラブにとっては重要なのは、シーズン最後に行われる降格回避戦プレーダウンズが廃止されたこと[2]。
2部リーグの昇格候補チームは、成績条件の達成は当然として、その後DEL基準の財政・インフラ水準を兼ね備えていることも証明しなくてならない。 このレギュレーションは、DEL機構・アイスホッケー競技事業会社・ドイツ・アイスホッケー連盟の3者間で合意され確立されたものであり、いくつかのDELクラブのファンから抗議を招く結果ともなった。 スポーツ的降格廃止の一方で、激しい論争の的となっていた国際アイスホッケー連盟規約第554条は破棄されなかった。 またレフェリーたちは、選手がリンク外周壁 (Bande) を越えてパックを打ったならば、2分間ペナルティで罰するという決定もせねばならなかった。 外国人の制限人数については何の変更もなされなかった。各クラブとも登録は12人までできるが、試合のロースターには11人までしかできない。 旧ルールでは、暗色ユニフォームはホーム用と定められていたが、2005/06シーズンからは最早それほど厳格な規則ではなくなる。 各クラブはシーズン開始前にファンたちの前でホーム用ユニフォームを発表することが義務付けられ、ビジターサイドはこれに基づいて自分たちの着用色を設定する。
育成ライセンス規定は、今季に関しては変更が加えられなかった。これまでと同じ「ドイツのフィールドプレイヤーは1982年5月1日以降」 「ゴールテンダーは1980年5月1日以降」に生まれた選手にも与えられる。また育成ライセンス交付対象が2部リーグ以下のチームにも交付されるようになり、選手の経験蓄積を目的としたものである。 DELチームに関しては、各自最低4人の育成ライセンス者を契約選手の中に含める義務が制定されている。
スポーツ面
シーズンオフにNHLと選手協会の間で合意されたサラリーキャップ (とそれに対する選手協会の抗議) は、DELクラブが少数の新選手を北米から獲得する根本的理由となった。 この現象がNHLフランチャイズに、より廉価な選手たちに注目する状況をもたらした。その結果DELクラブがもう獲得候補リストに入れていた安い (無名の) 選手ほど北米に残り、NHLでの出場機会を待つという、かなり珍しい現象が起こった。NHLとDELの実力・経済力格差からすれば異常なことだが、例年の移籍市場とはまったく逆の現象が発生していたである。 2005年8月1日までにDELはまず4人の選手の加入を獲得した (ミシェル・ペリアール、ロニー・ボホノス、マテュー・ダルシェ、ジェイソン・ホランド)。 オフシーズン初頭段階でハンブルク・フリーザーズは上位2セットのフォワード陣から合計3人を失い、アイスベーレン・ベルリンはこの段階まで誰一人新しい選手と契約できていなかった。 しかし先述の事情によりシーズン中は一転して、22人ものNHL選手がドイツでプレーしていた。
プレイダウンズの結果、実際カッセル・ハスキーズの降格が決定した。だが彼らは、グリズリー・アダムス・ヴォルフスブルクのおかげで「復帰」した。DELオーナー会議が狭小で劣悪なホームアリーナを理由に、ヴォルフスブルクのDELライセンス取得と昇格を撤回したからである。 この問題に関する降格システム責任者たちの不透明性と合意不足が招いたもの、それはハスキーズがライセンス復旧・残留前、すでに昨季の主力選手たちを他チームに放出してしまったという事態 (例えばダニエル・コルソと ダヴィド・ゴスリンをフランクフルトに、ブライアン・スワンソンとクリスティアン・ラフラムをニュルンベルクに、カーク・フューリーをイーザーローンに、シュテファン・レッツァーをマンハイムに) であり、突然に残留が決まったので、開幕までの限られた時間でチームを編成する羽目になってしまう。

ハンブルク、ケルン、ハノーファー、クレーフェルト、ニュルンベルク、インゴルシュタットに続き、マンハイムはここ数年で多目的アリーナを保有する7番目の都市になった [3]。
SAPアレーナは約14000人収容で、2010 IIHFワールドチャンピオンシップの開催地に決定していた。 今季DELとドイツ氷球界にとって悪いニュースだったのは、その自国開催を5年後に控えるドイツ代表が選手権トップディヴィジョンから1Aに降格してしまったこと[4]、1年前のフランクフルト・ライオンズと違いアイスベーレン・ベルリンがIIHFヨーロピアンチャンピオンズカップに出場できなかったことである。 その代わり、HCダヴォスが主催者の伝統ある国際大会シュペングラーカップ2005にアイスベーレンが招待され、結果は優勝したチーム・カナダに勝ち点2及ばぬ3位であった。
エコノミー面
予算は昨季に比べ14チーム合計で5%アップし、6988万ユーロとなった。 市場規模の近いハンドボールとバスケットボールのブンデスリーガを上回ることができた背景には、有料放送局プレミエーレがDEL各クラブに19万5000ユーロずつ高額のテレビ放映権料収入を支払い、それを計算できたお陰であった。 その点ハンドとバスケでは、放映権収入がクラブ予算に占める割合はDELよりも遥かに低い。今季リーグのメインスポンサーはタウンページ出版会社ドイチェ・テレ・メディエンであり、各会場のリンク外周壁にはクラブの公式サイトURLと並び、DELと同社タウンページのロゴが並んで広告掲示された。 またシーズン終盤の数か月、審判ユニフォームの背中部分にはプレミエーレのロゴが入った、
| 予算・入場者変動 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| クラブ | 予算 2005/06 | 昨年度比 | 平均観客数 (概算) | 実数 平均観客数 2005/06 | 昨年度比 |
| アウクスブルガー・パンター | 3,3 Mio. € | +0,3 Mio. € | 3.800 | 3.727 | −638 |
| アイスベーレン・ベルリン | 6,5[5] | / | 4.400 | 4.339 | −90 |
| DEGメトロ・スターズ | 6,2 | / | 5.400 | 6.601 | +639 |
| EVデュースブルク | 3,5 | +1,5 | 2.500 | 2.489 | +993 |
| フランクフルト・ライオンズ | 4,5 | +0,4 | 5.000 | 6.319 | −100 |
| ハンブルク・フリーザーズ | 7,1 | +0,1 | 9.500 | 10.810 | −1.037 |
| ハノーファー・スコーピオンス | 3,8 | / | 5.500 | 5.538 | +827 |
| ERCインゴルシュタット | 5,2 | +0,2 | 3.800 | 4.112 | −48 |
| イーザーローン・ルースターズ | 2,7 | +0,2 | 2.800 | 3.475 | −215 |
| カッセル・ハスキース | 3,7 | +0,2 | 4.000 | 4.245 | +393 |
| ケルナー・ハイエ | 6,5 | / | 10.000 | 12.511 | +276 |
| クレーフェルト・ピングイーネ | 4,0 | +0,5 | 5.100 | 4.391 | +294 |
| アードラー・マンハイム | 8,0 | +1,3 | 8.000 | 11.056 | +5.918 |
| ニュルンベルク・アイスタイガース | 4,8 | +0,1 | 5.350 | 5.038 | −132 |
予算ランキングのクロイソス (王様) はアードラー・マンハイムとハンブルク・フリーザーズ、最下位はイーザーローン・ルースターズであった。 EVデュースブルクは2部からの昇格により、予算がほぼ倍増するほどの上昇を見せた。またアードラー・マンハイムは、やはりSAPアレーナ移転と入場料収入増加を見込んだ強気のバジェット編成になっている。 クレーフェルト・ピングイーネは2003年の優勝後に財政危機に陥ったものの、この段階までにある程度は解消されて、今季の予算は約50万ユーロ拡大した。 最も高い伸びを示したフランクフルト・ライオンズは、ここ2シーズンの優勝1回・連続ベスト4という好成績にも押され、40万ユーロもの予算増を果たした。 全クラブ合計の予算は7000万ユーロ強に達し、DEL史上最高額となった。
ハウプトルンデ
各チームとホーム・アウェイで2回ずつ、計4回給油する。いわゆるレギュラーガソリン。
2005年9月
2005年9月8日、第12回目のDELシーズンがアードラー・マンハイムとDEGメトロスターズの試合から始まった。 レギュラーシーズン序盤をけん引したのは疑いなくハノーファー・スコーピオンズであり、彼らは開幕6連勝を飾って、最終的にプレーオフズ進出権をつかみ取るうえで重要な礎を築いた。 ほかに好調なスタートを切ったのはフランクフルト・ライオンズ、開幕9試合で勝ち点21を挙げている。対照的にハンブルク・フリーザーズは第1・2・6・8回戦で勝利したが、8試合中4試合でしか白星をつかめず、9月の最下位に沈んだ。 個人面ではベノワ・グラットン、フランソワ・フォルティエ、マルク・ボカージュといった選手たちも満足のいくパフォーマンスを披露できていなかった。だが9月30日からはホームで8連勝するなど、調子を上げていくこととなる。
9月23日にはケルナー・ハイエのゴーリー、オリヴァー・ヨーナスが負傷。そのため当時19歳だったトーマス・グライスが先発GTに抜擢されるチャンスを得て、それを活かそうと望んでいた。 ヤングスターは故障中の正守護神の単なる代役にとどまらず、それ以上の逸材であることを証明して、以降はチームの筆頭ゴーリーという評価を確立した。 デュースブルガーたちは開幕5試合で4敗を喫し、序盤は好不調の波がやや大きかった。そして12月と1月の連覇により最下位に沈んでしまう。 カッセル・ハスキーズは最初の20試合で5勝しかできず、彼らもまた最下層への転落コースに入っていく。短期間にかき集めた新加入選手たちは、まずDELの水準に順化なければいけなかった。
その一方、シーズン終了後に最優秀ルーキー賞に選出されるイーザーローン・ルースターズのミヒャエル・ヴォルフ (アイスホッケー選手) の活躍は序盤戦に好印象を残した。 アイスベーレン・ベルリン戦 (9:6勝利) ではヴォルフが3ゴールを決め、ドイツ代表副監督エルンスト・ヘフナー (アイスホッケー選手) は今季終了後に彼を初召集した。いわく 「彼はとにかく常に躍動的で、ファイターであり、100%を出す男だ。今日はさらにゴールという自分の仕事もこなした」。また彼はおそらく、今季のルーキーたちの中で唯ひとり、主力として活躍できた選手と考えられている[6]。
2番目に優れたニューカマーといえるのは、デュースブルクのミヒャエル・ヴァーギンガー。彼は24歳のヴォルフより2歳年上で、2.ブンデスリーガのクラブから加入したばかりの遅咲きであるが、こちらもまたチームに重要な貢献をしていた。 この26歳「新人」の活躍が、DELに育成ライセンス対象年齢を23-25歳に限定させるきっかけともなった。 この月の末、ミルコ・リューデマンが600試合出場を達成した。
2005年10月
10月初頭ニュルンベルク・アイスタイガース対アードラー・マンハイム戦が途中で打ち切りを余儀なくされた。それはアレーナ・ニュルンベルガー・フェアジッヒャルングのリンク管理責任者一名が、ゴールマウス固定穴の掘削作業中に冷却制御装置を故障させてしまい、危険な程のアンモニア流出が起こったからである。 アイスタイガースはマンハイマー達の遠征費5000ユーロを負担させられる羽目になった。
同時に、EVデュースブルクがゴールテンダー問題を抱え込まされた。正ゴーリーのパトリック・コスロウがデュッセルドルフのカップ戦試合で目に発煙筒を受けて負傷[7]。
代役でマンハイムから加入のパトリック・エーレヒナーが先発起用された。アイスベーレン・ベルリン戦で彼は6失点を喫したが、チームは9点を決めて乱打戦をものにした。この黒星がシーズン全体で見て、後のドイツ王者のどん底であったが、 しかし終盤に彼らはきっちりと調子を上げた。この10月にはDEGも4連敗したが、その後2度とこのようなトンネルに入ることはなかった。 マンハイムでは今シーズンに入って試合後記者会見が廃止されて、いわゆる「オープンロッカールーム」が設けられた。記者たちは選手たちの巣に入り込んで、ゲーム後に出場選手たちの取材ができたのである。
第12回戦の黒星から、アウクスブルガー・パンターは泥沼の13連敗に突入した。その次の試合ではERCインゴルシュタットが首位から転落、以後第50回戦終了後までこの座を取り戻せなかった。 2005年10月は、おそらくインゴルシュテッターたちの歴史上最も成功に満ちた一か月であった。8試合で7勝1敗という圧倒的勝率を残している。ニュルンベルク・アイスタイガースもまた今月の最高到達勝ち点24ポイント中、20ポイントを手にして上昇期に入った。 今月でフランクフルトのマルティン・ライヒェルとケルンのティノ・ボンスが600試合出場を達成した。
2005年11月
11月から米国人リック・ローカーがDELレフェリーに加わった[8]。
11月2日、最初の監督解任ニュースが出た。アウクスブルガー・パンターがランディー・エドモンズを更迭し、その12日後ポーラン・ボルデローを後釜に据えた[9]。
ハンブルク・フリーザーズも怪我人という不幸に悩まされた。GTボリ・ルソンと彼の代役シュテッフェン・カルグに続き、トビアス・ギュットナーまでが故障者リスト入り。こうした事情から、ハンブルクはアイスベーレン・ベルリンの余剰戦力に救いを求めたのだった。 ユーリ・ツィフツァーを一か月間レンタルで、さらにHCハルツァー・ファルケンからローラント・シュレーダー (アイスホッケー選手)を獲得。ツィフツァーはすぐに首都へ戻り、ギュットナーが戦列と先発に復帰した。 かと思えばギュットナーは月末にまた負傷し、すぐさまベルリンに再度のレンタル要請が入って、今度はゼバスティアン・シュテファニスツィンが貸し出された。
カッセルではマルティン・シュクラが現役引退を表明、過去3年間苦しんできた椎間板ヘルニアを再発させた (4回目)からである。アードラー・マンハイムは、スティーヴ・ケリーとの契約を解除。 ケリーはここまでチームのトップスコアラーだったのだが、副監督ジャクソン・ペニーとの口論により退団させられた。11月29日、彼はアードラーの仇敵フランクフルト・ライオンズへの入団が発表された。 ケルナー・ハイエはここまで一切の補強をしてこなかったのだが、それでも11月全勝を飾っている。
アウクスブルクにおける監督交代はなんらチーム状態を好転させなかった。11月、黒ヒョウたちはついに連敗を13試合まで伸ばしてしまう。やっと連敗を止めた時の相手はイーザーローン・ルースターズで、彼らはこの黒星で8連敗を喫した。マンハイムは同時期、2部リーグからダニエル・デル・モンテを獲得した。 移籍市場の開放開閉が特に決められていない以上、これが最後の移籍であるはずもなかった。アイスベーレン・ベルリンはひとつの将来を見据えて若いタレントを育てていたが、 いずれもベルリン生まれで19歳の育成選手ダニヤル・ジュヌソフ (カザフ系)、ユーリ・ツィフツァー (シンガポール系)、ゼバスティアン・シュテファニスツィン (オーストリア系)らは、リーグ連覇に向けての戦力としては心許なかった。 そのため、11月ピーター・ジョン・リーGMはHCスパルタ・プラハからチェコ人の若手GTトマーシュ・ペッパーレを獲得した。
2005年12月
今月上旬のベストチームはケルナー・ハイエ、13連勝を記録してERCインゴルシュタットに次ぐ2位に浮上した。ハノーファー・スコーピオンスとカッセル・ハスキーズが2人の選手をトレード。 ブラート・ブリュムが北ヘッセンに下り、ドミニク・ハマーが北のサソリたちに加わった。 それでもハスキーズはまさに二度目の最悪期を経験し、また故障者問題にも苦しんでいたので、43歳のヴァリー・シュライバーを現役復帰させることになった。
この12月に入ってシーズン2度目の監督交代があった。プレーオフ出場を逃すかもしれないという危機感にさいなまれていたアードラー・マンハイムが、ステファヌ・リシェ (1969年4月生まれのアイスホッケー選手)を解任し、ドイツ代表監督グレッグ・ポスが後任に就いた。 2年契約で招聘されたポスは、ドイツ・アイスホッケー連盟と両者合意の上でブンデストレーナー契約を解除した[10]。
12月上位3クラブの先頭を走っていたケルナー・ハイエは、会場警備の不十分を理由にDELから罰金処分を受け、5000ユーロの支払いを余儀なくされた。ケルンアレーナでのホームゲーム中にリンクへ物が投げ込まれたのが原因だった。
12月23日にDELと連盟が新たな提携協約を結び、ナショナルチーム強化のためにさらなるユース年代選手の登用方針で合意したが、にもかかわらずその後1部・2部リーグ間で育成選手の昇降格は一度もなかった。組織の方針と現場の事情が嚙み合っていない。 フランクフルト・ライオンズのミヒャエル・ブレザクが今月DEL通算600試合出場となった。
2006年1月
1月1日から主審たちはハッキング、ホールディング、オブストラクションに対し、特に厳重な注意を払うことが推奨された。速く技術のあるプレイヤーに利益を与えることがおもな目的であった。 このガイドラインは当初極めて厳格に命令された。新年最初のゲームでは、全試合平均62分間ものペナルティが宣告されている。
1月3日、イーザーローン・ルースターズがGTリック・パランを獲得。ほんの2年前にも一度このクラブでプレーしていた彼の復帰は、残留争い終盤に向けての補強であった。 その前に正ゴーリーだったロシア系ドイツ人ドミトリー・コチュネフは、直近数試合で数多くのミスを犯し、それを挽回しようと努力しただけに、パランの獲得は彼にとって不幸だった。 ここまでゴールテンダーを代えなかったカッセルだが、1月10日に沈黙は破られた。 運に恵まれなかったGTベアニー・エングルブレヒトは解雇され、11月ごろから公然と行われていた去就論争にケリがついた。しかしそれについて、選手会はキャプテンのトビアス・アップシュトライターに率いられ、この契約解除に異議を申し立てた。 オーナーのライナー・リッペは最終的にエンゲルブレヒトの解雇を強行し、それはアップシュトライターの主将辞任を招いたが、ほどなくして彼は説得されキャプテン留任を承諾。新監督にはマンハイムで解任されたステファヌ・リシェが就任した。
今月DELは会場セキュリティの不備を理由に、EVデュースブルクとカッセル・ハスキーズに2500ユーロの罰金を科した。いずれもホームゲームでリンク上への物の投げ込みを防げなかった事に起因する。
そのかたわら、DEGメトロスターズからひとつの良いニュースを得ることができた。ノルウェー人のチーム首位得点者トーレ・ヴィーキングスタードが、帰省先から発表したところによると、クラブと2008年まで契約延長したとのことである。 アイスベーレン・ベルリンは1月22日以来、じつに11月6日以来となるアウェイ黒星を喫した。勝ったのはフュクセ・デュースブルクだったが、結局これが彼らのレギュラーシーズン最後の白星となってしまった。
2006年2月
監督交代ニュースのかたわら、ハンブルクとデュッセルドルフでは指揮官の契約延長が発表された。マイク・シュミット (アイスホッケー選手)とドン・ジャクソン (アイスホッケー選手)は、それぞれ来季も彼らのチームとともに戦うことが決定した。
2006年トリノオリンピックのアイスホッケー競技によりDELは中断。また昨年11月にもTUIネイションズカップによる中断があった。 この中断期間には、殆どのクラブチームがテストマッチをしたり外国での親善トーナメントに参加したりした。フランクフルト・ライオンズは長野県でのスペシャルオリンピック冬季競技に参加。ケルナー・ハイエは英国のアハーンカップに出場し、DEL代表として英国1部エリート・アイスホッケーリーグ代表のコヴェントリー・ブレイズと対戦し、勝利した。 EVデュースブルクはオランダとアウクスブルクでの大会に出場。インゴルシュタット、ニュルンベルク、カッセル、ハンブルクはスイスで合宿した。
エキシビジョンマッチやキャンプの傍ら、移籍市場にも若干の動きがあった。たとえばクレーフェルト・ピングイーネはデイヴ・トムリンソンを獲得、ハンブルクはアンドレイ・ネドロストを、インゴルシュタットはジェフ・マウンドを獲得し、そしてフランクフルトはカッセルのペトル・マトルダおよびクリスティアン・コーマンと契約している。 その他に、ヤン・アリンチュとマイク・ソウザがケルンに、テロ・レフテラがデュースブルクへ、ジョナサン・レフンがベルリンに加入した。
レフンは五輪中断明け初戦でアイスベーレン移籍後初出場を飾るが、その一方で4人の五輪代表を休ませた。これがチームバランスを狂わせている、という批判を招く。 相手のクレーフェルト・ピングイーネはPO圏浮上を目指して奮闘中の強敵だったが、しかしそれでも首都の者たちが5:3でクレーフェルダー達を破り、リンク内外の喧騒をシャットアウトした。
フランクフルト・ライオンズにとってトリノ五輪中断は悪影響だった。そこからレギュラーシーズン終了までマンハイム戦の勝ち点1しか挙げられず、絶不調に陥ったのだった。 カッセル主将のトビアス・アップシュトライターがDEL通算600試合出場を達成した。
2006年3月
3月に入って、まずハンブルク・フリーザーズが第6のPO進出決定チームとなった。この時点まで、4つのチームが残り2つの枠を巡り、鎬を削っていた、 第49回戦、クレーフェルトがマンハイムを蹴落とし、PO圏内8位に躍り出た。この時の順位は最後まで動かず、ハノーファーとクレーフェルトが切符をつかみ取った。 フランクフルトではそれから選手たちが独自ミーティングせざるを得なくなり、アードラーはもうとっくに来シーズンの計画を仕上げようとしていた。マンハイムのGMマルクス・クールはSAPアレーナ移転初年度を台無しにする、この酷い成績不振の責任をすべて背負った。
その2つ前のラウンドでは首位が入れ替わった、134日間も首位をキープしていたERCインゴルシュタットは、レギュラーシーズン最終盤に来てその座をアイスベーレン・ベルリンに奪われた。 他方面でのグッドニュースはアウクスブルガー・パンターによる土壇場の驚異的粘りである。カッセル・ハスキーズを追い抜いて最終的に12位になった彼らは、自動残留を勝ち取った[11]。
順位表
| クラブ | Sp | S | N | ゴール | 勝ち点 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | アイスベーレン・ベルリン (M) | 52 | 34 | 18 | 181:142 | 100 |
| 2. | ERCインゴルシュタット | 52 | 33 | 19 | 162:120 | 98 |
| 3. | DEGメトロスターズ | 52 | 30 | 22 | 171:143 | 93 |
| 4. | ニュルンベルク・アイスタイガース | 52 | 28 | 24 | 137:120 | 91 |
| 5. | ケルナー・ハイエ | 52 | 30 | 22 | 185:143 | 89 |
| 6. | ハンブルク・フリーザーズ | 52 | 29 | 23 | 144:145 | 85 |
| 7. | ハノーファー・スコーピオンス | 52 | 28 | 24 | 158:150 | 84 |
| 8. | クレーフェルト・ピングイーネ | 52 | 28 | 24 | 173:169 | 79 |
| 9. | フランクフルト・ライオンズ | 52 | 23 | 29 | 124:137 | 70 |
| 10. | アードラー・マンハイム | 52 | 23 | 29 | 148:155 | 68 |
| 11. | イーザーローン・ルースターズ | 52 | 21 | 31 | 166:178 | 65 |
| 12. | アウクスブルガー・パンター | 52 | 20 | 32 | 139:184 | 61 |
| 13. | カッセル・ハスキース | 52 | 20 | 32 | 137:179 | 58 |
| 14. | フュクセ・デュースブルク (N) | 52 | 17 | 35 | 131:191 | 51 |
略字: Sp = 試合数, S = 勝利数, OTS = 延長勝ち, SOS = ペナルティーシュートアウト勝利, OTN = 延長負け, SON = ペナルティーシュートアウト敗戦, N = 敗戦数, (M) = 前回優勝, (N) = 昇格組
色説明: = プレーオフズ, = シーズン終了, = プレイダウンズ
上位8チームはプレーオフズ進出決定。昨季準優勝のアードラー・マンハイムは、ブンデスリーガ・DELを通じ、初めて決勝ラウンド出場権を逸した。 また期待値の高かったフランクフルト・ライオンズにとっても、早すぎる終戦だった。この2つの強豪を抑えて、ハノーファー・スコーピオンズとクレーフェルト・ピングイーネが、長きにわたるレギュラーシーズン敗退の年月を経て、ベスト8に進出した。
個人成績トップ
| スコアラー | ||||
|---|---|---|---|---|
| 選手 | 試合 | ゴール | アシスト | スコアポイント |
| Tore Vikingstad (DEGメトロスターズ) | 52 | 23 | 41 | 64 |
| David McLlwain (ケルナー・ハイエ) | 51 | 14 | 50 | 64 |
| Ivan Čiernik (ケルナー・ハイエ) | 51 | 29 | 31 | 60 |
| Scott King (Eishockeyspieler, 1977) (アウクスブルガー・パンター) | 52 | 22 | 38 | 60 |
| Alexander Jurjewitsch Seliwanow (クレーフェルト) | 51 | 30 | 29 | 59 |
| ゴールテンダー | ||||
| Alexander Jurjewitsch Seliwanow (クレーフェルト) | 51 | 30 | 29 | 59 |
| Ivan Čiernik (ケルン) | 51 | 29 | 31 | 60 |
| Klaus Kathan (デュッセルドルフ) | 52 | 28 | 20 | 48 |
| アシスタント | ||||
| David McLlwain (ケルン) | 51 | 14 | 50 | 64 |
| Tore Vikingstad (デュッセルドルフ) | 52 | 23 | 41 | 64 |
| Scott King (Eishockeyspieler, 1977) (アウクスブルク) | 52 | 22 | 38 | 60 |
| ディフェンスマン | ||||
|---|---|---|---|---|
| 選手 | 試合 | ゴール | アシスト | スコアポイント |
| Stéphane Julien (ケルン) | 51 | 18 | 34 | 52 |
| Jeff Tory (デュッセルドルフ) | 52 | 14 | 32 | 46 |
| Derrick Walser (アイスベーレン・ベルリン) | 48 | 19 | 24 | 43 |
| Mirko Lüdemann (ケルン) | 47 | 9 | 30 | 39 |
| Shane Peacock (ハンブルク・フリーザーズ) | 51 | 7 | 30 | 37 |
| ゴールテンダー | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 選手 | 出場数 | SaT | GT | GT平均 | SGH | セーブ率 | SO |
| Tomáš Pöpperle (ベルリン) | 31 | 946 | 67 | 2,18 | 879 | 92,92 | 3 |
| Jean-François Labbé (ニュルンベルク・アイスタイガース) | 49 | 1423 | 104 | 2,16 | 1319 | 92,69 | 3 |
| Thomas Greiss (ケルン) | 27 | 865 | 64 | 2,46 | 801 | 92,60 | 1 |
| Jimmy Waite (ERCインゴルシュタット) | 50 | 1398 | 108 | 2,21 | 1290 | 92,27 | 5 |
| Andrei Wiktorowitsch Trefilow (デュッセルドルフ) | 23 | 537 | 44 | 2,14 | 493 | 91,81 | 0 |
| SaT = 枠内被シュート数; GT = 失点数; SGH = シュートキャッチ数; SO = 完封数 | |||||||
| プラスマイナス[12] | ||||
|---|---|---|---|---|
| 選手 | 試合 | + | - | 合計 |
| Stéphane Julien (ケルン) | 51 | 56 | 21 | 35 |
| Mirko Lüdemann (ケルン) | 47 | 52 | 21 | 31 |
| Jakub Ficenec (インゴルシュタット) | 46 | 45 | 19 | 26 |
| パワープレイ最多得点 | |||
|---|---|---|---|
| Mark Greig (イーザーローン・ルースターズ) | 46試合 | 21ゴール | 13 PPゴール |
| ショートハンデッド最多得点 | |||
| Ralph Intranuovo (イーザーローン・ルースターズ) | 52試合 | 24ゴール | 4 SH |
| パワープレイ得点率 | ショートハンデッド無失点率 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1. | イーザーローン・ルースターズ | 18,91 % | フランクフルト・ライオンズ | 87,40 % |
| 2. | アイスベーレン・ベルリン | 18,57 % | ケルナー・ハイエ | 86,12 % |
| 3. | ケルナー・ハイエ | 16,88 % | ERCインゴルシュタット | 86,01 % |
| 4. | ERCインゴルシュタット | 16,71 % | ハノーファー・スコーピオンス | 85,71 % |
| 5. | クレーフェルト・ピングイーネ | 16,28 % | ニュルンベルク・アイスタイガース | 85,27 % |
| 14. | フランクフルト・ライオンズ | 13,39 % | カッセル・ハスキース | 81,28 % |
プレイダウンズ
降格内定回避を目指すプレーオフである。ベスト・オブ・セヴン方式で、3月15日から始まった。ハウプトルンデ相対上位のカッセルが第1戦ホームで、それ以降は毎試合ホームとアウェイを入れ替える。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| カッセル・ハスキース | – | フュクセ・デュースブルク | 1:4 | 3:6 | 4:5 延長 | 3:2 | 2:5 | 3:4 | – | – | [3:1] |
かくしてカッセル・ハスキーズが昨季同様に成績上の降格対象となり、勝ったEVデュースブルクはDEL残留を決めた[13]。
Play-offs
トーナメント表
| 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||||||
| 1. | Eisbären Berlin | 4 | ||||||||||||
| 8. | Krefeld Pinguine | 1 | ||||||||||||
| 1. | Eisbären Berlin | 3 | ||||||||||||
| 7. | Hannover Scorpions | 0 | ||||||||||||
| 2. | ERC Ingolstadt | 3 | ||||||||||||
| 7. | Hannover Scorpions | 4 | ||||||||||||
| 1. | Eisbären Berlin | 3 | ||||||||||||
| 3. | DEG Metro Stars | 0 | ||||||||||||
| 3. | DEG Metro Stars | 4 | ||||||||||||
| 6. | Hamburg Freezers | 2 | ||||||||||||
| 3. | DEG Metro Stars | 3 | ||||||||||||
| 5. | Kölner Haie | 2 | ||||||||||||
| 4. | Nürnberg Ice Tigers | 0 | ||||||||||||
| 5. | Kölner Haie | 4 | ||||||||||||
準々決勝
2006年3月15日に始まった。ベスト・オブ・セヴン方式。ハウプトルンデ1位のアイスベーレン・ベルリンは同8位のクレーフェルト・ピングイーネと、2位ERCインゴルシュタットは7位ハノーファー・スコーピオンスと、 3位DEGメトロスターズは6位ハンブルク・フリーザーズと、4位ニュルンベルク・アイスタイガースは5位ケルナー・ハイエと、それぞれ対戦が決まった。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| アイスベーレン・ベルリン | – | クレーフェルト・ピングイーネ | 4:1 | 2:4 | 6:1 | 5:4 | 5:2 | 4:1 | – | – | [4:0] |
HR = ハウプトルンデ
アイスベーレン・ベルリンにとって、プレーオフズ準々決勝のスロースタートは毎度おなじみのことである。殊勲者ロベール・ギュイエの2得点などでピンギーネが4:2で先勝した。 ここで喫した一敗が、後の王者にとってプレーオフズにおける唯一の黒星だった。初戦を落とした後の第2戦はまったく無難に6:1で圧勝、うち2ゴールはスティーヴ・ウォーカーが決めた。次の第3戦が今シーズン最もエキサイティングな試合のひとつになった。 ペンギンたちが試合終盤まで4:2とリードしていたのだが、ベルリーナーたちは残り8分でこれをひっくり返し、ホームの観衆にきっちりと白星を届けた。 第4戦はクレーフェルトが2:0と先行し勝敗をタイに戻すかに見えたが、首都人達は5:2で逆転勝利して、逆に3勝1敗と突き放すのだった。 第5戦はホッキョクグマ達が4:1で危なげなくホーム勝利。敗れたピングイーネはただ3ラインで対抗するしか術はなく、ベルリンが準決勝進出を決めた[14]。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ERCインゴルシュタット | – | ハノーファー・スコーピオンス | 3:4 | 3:2 | 1:2 | 6:2 | 2:3 | 5:0 | 1:5 | 3:5 | [2:2] |
ERCインゴルシュタットは第1戦で3点を先行するが、スコーピオンズも2点を返し、ホームチームは何とか1点差で逃げ切った。 第2戦はハノーファー人達が開始13分で2点先行。そのリードは52分に1点差に縮められたが、しかしその最少得点差は3:2というスコアで守られた。 第3戦は、すでにレギュラーシーズンでホームの力を遺憾なく見せつけていた「ディー・パンター (ERCインゴルシュタットの愛称)」が0:2ビハインドからまたゲームをひっくり返し、6:2の勝利。アウェイ第4戦はそこまでの圧倒はできずに2:3で敗れるが、しかし一時は2:2の同点に持ち込んだ。 第5戦はアウェイのハノーファー・スコーピオンズが大量のペナルティを犯し、インゴルシュタットが5:0で圧勝して、準決勝進出に王手をかけた。だが第6戦も同様にホームチームが一方的に試合を支配して、ハノーファー・スコーピオンズが5:1で勝って3勝3敗となる。 ラストの第7戦はインゴルシュタット開催。残り数分でのエンプティーネット総攻撃が明暗を分け、勝ったハノーファーが4勝3敗で準決勝に進出。これまでは単なる見物人に過ぎなかった舞台に、当事者として足を踏み入れた[15]。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| DEGメトロスターズ | – | ハンブルク・フリーザーズ | 4:2 | 3:2 延長 | 2:4 | 4:1 | 2:3 | 4:3 延長 | 4:2 | – | [1:3] |
第1戦から延長戦に突入し、ここで元ハンブルクのクレイグ・ジョンソンによる即死点が決まって、DEGが先勝した。それに比べて第2戦の結果はもっとわかりやすかった。 ハンブルクは第1ピリオドで3:0、第2ピリオドで4:1と終始リードし、4:2で勝った。第3戦はDEGが1:0と先行したが、ハンブルクは終了間際57分・60分の連続ゴールが大きく物を言い、4:1で逆転勝利。 だがフリーザーズも第4戦をものにして2勝2敗、イェフ・ウルマーの2点を含む3:2の勝利であった。 次の第5戦ではこのラウンド2回目の延長戦を戦わねばならず、DEGメトロスターズが66分の黄金ゴールで3勝目。リーチをかけた状態で乗り込んだアウェイでの第6戦、デュッセルドルファーたちは4:2で連勝し、準々決勝を突破した。 ハンザ人たちは開始6分で背負った0:2のビハインドをなおも追いついたが、それでも最終盤のクロイツァーとアレクサンダー・ズルツァーの連続弾により、DEGが決着の4勝目を挙げた[13]。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ニュルンベルク・アイスタイガース | – | ケルナー・ハイエ | 0:4 | 3:4 | 0:4 | 3:4 延長 | 2:6 | – | – | – | [1:3] |
ケルナー・ハイエは4勝0敗で問題なくニュルンベルク・アイスタイガースを下した。 [14]
レギュラーシーズン順位の低さにより準々決勝では相対上位のニュルンベルクと組まされたが、これで6回連続のベスト4進出である。第1戦では開始6分以内の3点を先行し、このリードはアイスタイガースに挽回されてしまったが、ラッセ・コピッツの決勝点で先勝した。 第2戦は圧勝であった。ブラッド・シュレーゲルの連続弾で2:0リードを奪うと、さらにステファヌ・ジュリアンとマイク・ソウザの得点でこれを広げていった。第3戦では常に先行しつつもアイスタイガースに二度追いつかれ、さらに一度は逆転された。 しかしミルコ・リューデマンの同点ゴールで鮫たちは救われ、延長戦へ。最後はビル・リンゼイがサドンデス弾をもたらし、これで3勝目。ラウンド突破に王手をかけて望んだ第4戦は6:2と大勝し、ケルンが無傷でベスト4進出を決めた。 かくしてアイスベーレン・ベルリン、DEGメトロスターズ、ケルナー・ハイエ、ハノーファー・スコーピオンズが準決勝に勝ち残った。
準決勝
3月30日開始、ベスト・オブ・ファイヴ方式。レギュラーシーズン成績に基づき、最上位は再開と、2位は3位と対戦する。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| アイスベーレン・ベルリン | – | ハノーファー・スコーピオンス | 3:0 | 4:3 延長 | 3:2 | 5:3 | – | – | [2:2] |
アイスベーレン・ベルリンが3勝0敗でハノーファー・スコーピオンズに全勝した。 アイスベーレンは準々決勝後に相手よりも長い休みを得たが、しかし相対的にもっと疲れているはずのスコーピオンズが第1戦立ち上がりの時間帯で攻勢に出る。それでもホーエンシェーンハウゼンの者達[16]は1:3から追いついて延長戦に持ち込み、逆転勝ちした。 本拠地TUIアレーナでもサソリたちは2回同点に追いついたのだが、それでもベルリーナーたちは試合終了間際になって再度勝ち越し、2勝目を挙げた。 第3戦は再度ベルリンのヴェルブレヒパラストに舞台を移し、首都民たちはデニス・ペダーソンとシュテファン・ウシュトルフの2ゴールなどで5:3の勝利をおさめ、これにてベルリーナーたちが今季DEL王者を決める決勝にコマを進めた[17]。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| DEGメトロスターズ | – | ケルナー・ハイエ | 3:2 | 3:2 | 3:5 | 6:1 | 4:5 延長 | 5:3 | [3:1] |
DEGメトロスターズは3勝2敗でケルナー・ハイエを下した。 近隣の宿敵同士の対決、デュッセルドルフとケルンによるライニッシャー・ダービーは今季プレーオフズ準決勝を沸騰させた。この準決勝は全体的にレフェリーの判定が論争を呼ぶものとなる。まず第1戦でハイエが主審リック・ローカーに相手の倍以上となるペナルティを与えられ、 第2ピリオド10分までにDEGの3:0リードという展開につながった。アレックス・ヒックスとヤン・アリンチュの得点でケルンが追いすがることで試合は俄然盛り上がったが、 大聖堂市民たちはあと1点を挽回できずに、結局は敗れた。だがケルナーたちは第2戦もホームサポーターたちの声援を背に戦える立場であり、ここで早めに1勝1敗のタイにしておきたいところ。ヒックスとエドゥアルト・レヴァンドウスキの終盤連続得点で5:3と競り勝った。
第3戦はDEGが6:1で圧勝した。先制したのはハイエだったが、ここからDEGはノルウェー人トーレ・ヴィーキングスタッドがハットトリックを達成するなどして、2勝目。 また皮肉にも、この惨敗試合にケルナー・ハイエの入場者新記録18700人が詰めかけた。第4戦は一転してクロスゲーム展開となり、4:4で延長戦へ。ここでビル・リンゼイがケルンに決勝点と2勝目をもたらした。 決着の第5戦はHR順位規定により、デュッセルドルフのアイスシュタディオン・アン・デア・ブレームシュトラーセで開催された。新本拠地ISSドームの完成に伴い、今季限りでDEGホームアリーナとしての、実に約71年もの長い歴史に幕を下ろそうとしている。 メトロスターズは第3ピリオド残り5分まで2:3とリードされていたが、そこからの3連続ゴールで逆転勝ちした。 ケルンのファン達とクラブ経営責任者たちは、ローカー主審のジャッジ責任を問い詰め、ラスト5分に冷静さを失ってケルンに87分目のペナルティを与えたことを問題にした。 勝ったデュッセルドルファーたちにとっては10年ぶりのDEL決勝進出、しかも最大のライバルを打ち破ってのものだけに、ひときわ大きな喜びであった[18]。
決勝
4月13日、HR成績上位アイスベーレン・ベルリンのホームゲームから始まった。
| 結果 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | HR | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| アイスベーレン・ベルリン | – | DEGメトロスターズ | 3:0 | 6:1 | 2:0 | 6:2 | – | – | [2:2] |
またしても北極熊がスウィープで連覇を決めた。第1戦は6-1で大勝。開始35分で3-0と先行した後に1点を返されたが、わずかな暗雲も第3ピリオドで一掃された[19]。 第2戦はブレームシュトラーセで開催された今季最後のゲームとなり、10217人の観衆は顔を覆った。第1セットで早くもヴァルザートとクヴィントがベルリンにリードをもたらし、DEGはそのまま0:2で敗れたからである[20] 。 優勝に王手をかけて第3戦に臨んだベルリンがリードを奪うが、DEGも1点差に食い下がり第1ピリオドは2:1で終了。だがしかし、そこからは王者の一方的展開となり6:2の大差がついた[21]。 かくしてプレーオフスはアイスベーレン・ベルリンによって制覇され、彼は昨季に続くDEL2連覇を達成、ドイチャー・アイスホッケーマイスター2006に輝いた[22]。
レフェリー
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年齢的理由により、ヴォルフガング・ヘルヴィヒとプロ主審ペトル・フヴァタルがシーズン前に引退した[23] 。
ゲアハルト・リヒトネッカーは国際アイスホッケー連盟スーパーヴァイザーの職をオファーされたため、DELレフェリーを辞任。シーズン中にはディマース、ランガー、そして フォーグルが2.ブンデスリーガ担当に降格させられた。代わって元ホッケーマンのシュテッフェン・クラウと新人のダニエル・ピエヒャチェクが名を連ね[24]、
これに米国のプロ主審リック・ローカーが加わった。当初ハイクオリティなジャッジを見せていたのだが、その後は低調化した。担当した77試合中、11試合でペナルティ誤審を犯している。
昨季同様DELはIIHFレフェリー交換プログラムに参加したが、トーマス・シューアが家族問題で継続を断念して帰国、その代役にはマルティン・ライヒャートが派遣された。 2人目の外国派遣レフェリーとなったのは、リヒャルト・シュッツであった。そして外国からは合計13人のレフェリーたちがDELにやってきた。
2006年1月1日より、レフェリーたちは「ゼロ・トレランス判定基準 (Null-Toleranz-Richtlinie)」なるものを遵守させられ、これが忍耐なきペナルティ乱発状態につながった。 その後しだいにペナルティ宣告頻度は昨シーズンと同程度まで沈静化した。その理由は、まず審判たちがわずか数試合後に新しく厳しい判定基準を抑えていったこと、さらに選手が新しい規則の解釈に順応したこと、その両方が指摘できる。
元アイスホッケー選手を含む新しいレフェリーたちを登用するために、元DEL主審ゲアハルト・ミュラーによって指導される研修プログラムを立ち上げた。ゲオルギー・ヤブルコフ、ライク・ファン・ガメレン、ダニエル・ピエヒャチェク、ウルピ・ジコルシ、マルクス・ブリルが参加した。
オールスターゲーム
DELオールスターゲーム2006は、2006年2月5日にクレーフェルトのケーニヒスパラストで開催された。 試合は外国人選抜とドイツ人選抜の顔合わせ。 だが次回からは投票による欧州選抜と北米選抜のカードに変更される。60分を戦い、この国のナショナルチームが5:3で勝利した。 スキルズ・コンペティションでは、エドゥアルト・レヴァンドウスキが12.95秒でスケート競争1位、トーマス・グライスがベストゴールテンダーとなり、ヤークプ・フィツェネクが142km/hの最重量ショットを記録した。
Kader des Deutschen Meisters

| Deutscher Meister Eisbären Berlin |
Torhüter: Tomáš Pöpperle, Daniar Dshunussow, Youri Ziffzer Verteidiger: Deron Quint, Rob Leask, Frank Hördler, Tobias Draxinger, Drake Berehowsky, Derrick Walser, Micki DuPont, Jens Baxmann, Norman Martens Angreifer: Patrick Jarrett (Eishockeyspieler), Sven Felski, Richard Mueller (Eishockeyspieler), Stefan Ustorf, Mark Beaufait, Denis Pederson, Kelly Fairchild, Jonathan Lehun, André Rankel, Florian Busch, Steve Walker, Sean Fischer, Alexander Weiß, Marcel Müller, Christoph Gawlik Cheftrainer: Pierre Pagé (Eishockeytrainer) |
外部リンク
出典・注釈
- ↑ Saison 2005-2006 - Playoffs, penny-del.org, ドイツ語, 2026年5月26日閲覧。
- ↑ http://www.hockeyweb.de/del/del-ab-2006-2007-ohne-auf-und-abstieg-8596
- ↑ Vorbereitungen für zehnjähriges Jubiläum der SAP Arena haben begonnen (Memento vom 2016-03-10 im Internet Archive)
- ↑ 1年で復帰した。そして自国開催の2010年大会では57年ぶりにベスト4に進出した
- ↑ Geschätzt; laut Eishockey NEWS – Sonderheft DEL 2005/2006, S. 8.
- ↑ Eishockey NEWS – Sonderheft Stars des deutschen Eishockeys, März/April/Mai 2006, S. 15.
- ↑ “Heißes Eis: Bengalische Feuer sollen Torwart verletzt haben”. Spiegel Online. 2005年10月12日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ gmuender-tagespost.de, Rick Looker ist Wegbereiter - Einsatz ab Mitte November geplant (Memento vom 2015-07-21 im Internet Archive)
- ↑ rp-online.de, Augsburg verpflichtet Bordeleau als Trainer, 14. November 2005
- ↑ “Eishockey: Bundestrainer Poss wechselt nach Mannheim”. Spiegel Online. 2005年12月14日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “Die Saison 2005/06 - Berlin schlägt noch einmal zu”. del.org. 2015年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ アイスホッケーの得点ランキングにおける「プラスマイナス」とは、得点時における両チームの人数 (ペナルティによる一時退場で生じた変動) を集計して、各選手の成績に優劣をつけるための評価基準項目である。パワープレイ (自軍が数的優位の状況) での得点に「-1」、ショートハンデッド (自軍が数的不利または同数)に「+1」を与え、スコアが並んでいる場合はプラスマイナスの正の値が大きいほうの選手を上位にランクする。
- 1 2 “Eishockey: Düsseldorf im Halbfinale, Kassel abgestiegen”. Spiegel Online. 2006年3月26日. 2015年7月20日閲覧.
- 1 2 “Eishockey-Playoffs: Berlin folgt Köln ins Halbfinale”. Spiegel Online. 2006年3月24日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “Eishockey-Playoffs: Scorpions stehen im Halbfinale”. Spiegel Online. 2006年3月28日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ 1985年から2000年まで存在したベルリン北東部の区で、アイスベーレン・ベルリンの活動地域を意味している。リヒテンベルク区に吸収された。
- ↑ “DEL-Playoffs: Meister Berlin schon wieder im Finale”. Spiegel Online. 2006年4月4日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “Eishockey: Düsseldorf nach zehn Jahren wieder im Finale”. Spiegel Online. 2006年4月9日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “Playoff-Finale: Eisbären Berlin demütigen Düsseldorf”. Spiegel Online. 2006年4月13日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “DEL-Finale: Eisbären fehlt noch ein Sieg”. Spiegel Online. 2006年4月15日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ 17.04.2006 Eisbären Berlin - DEG Metro Stars (Memento vom 2006-08-22 im Internet Archive)
- ↑ “DEL-Titelverteidigung: Eisbären im Schnelldurchlauf Meister”. Spiegel Online. 2006年4月17日. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ Thomas Klemm (2005年4月14日). “Hastige Flucht eines Referees vor den Jägern aus Kurpfalz”. FAZ.net. 2015年7月20日閲覧.
- ↑ “DEL: 17 Hauptschiedsrichter für DEL gesetzt - Jugend dominiert bei den «Pfeifenmännern»”. eishockey.info. 2005年8月30日. 2015年7月20日閲覧.