Protocol wars

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プロトコル戦争(プロトコルせんそう、英: protocol wars)は、コンピュータネットワークの相互接続に用いる通信プロトコルやその標準化のあり方を巡って、1970年代から1990年代にかけて繰り広げられた技術的・政治的な競合と論争である。とりわけ、国際標準として整備が進められたOSIと、インターネットの基盤となったTCP/IPとの競合を指すことが多い[1][2]。1980年代には、政府や通信事業者が支持するOSIのほか、IBMのSNAやDECのDECnetなど、企業独自の通信方式も広く普及していた[3]。

OSIとTCP/IPは、特定のメーカーに依存しないネットワーク相互接続を目指す点では共通していたが、設計思想、標準化の手続き、普及への取り組み方が異なっていた[4]。OSIが各国の公式代表を通じた国際標準の策定と政府調達による普及を進めたのに対し、TCP/IPは研究ネットワークでの実運用や実装ソフトウェアの配布、メーカー間での相互運用性の検証を通じて利用を広げた[5][6]。1990年代半ばにはTCP/IPが世界的なネットワーク相互接続の事実上の標準となったが、OSI参照モデルは、通信機能を体系的に整理・理解するための枠組みとして残った[7][8]。

英国をはじめとする欧州の学術ネットワークでは、X.25とOSIへの移行計画を維持しながらも、利用者の需要に応じてTCP/IPの導入が進んだ[9][10]。インターネット側では、1992年にIABがOSIのCLNPを基にアドレス空間を拡大する案を検討したことにIETFの参加者が強く反発し、この論争の中で示された「大まかな合意と動作するコード」という言葉が、インターネットの標準化の考え方を象徴するものとなった[11]。OSIが普及しなかった理由としては、規格の複雑さや標準化の遅れが挙げられている[3][12]。一方、技術史家のアンドリュー・ラッセルは、あらゆる利害関係者に設計への参加を認めたOSIの開放性そのものが対立を招いたことや、米国政府の長期的な資金提供がインターネット側を支えたことにも目を向けている[8]。

背景

異なるネットワークの相互接続

1970年代から1980年代にかけて、コンピューターメーカーや通信事業者は、それぞれ独自のネットワーク体系を構築していた。IBMのSNAはメインフレームと端末などを結ぶ通信基盤として企業で広く用いられ、DECも独自のDECnetを展開していた。しかし、異なるプロトコルを採用したネットワーク同士を相互接続することは容易ではなかった[3]。OSIとTCP/IPは、こうした個別仕様の壁を越え、異機種間の通信を実現するために構想された[13]。

相互接続の研究は米国だけで進められていたわけではなく、1970年代初頭には、フランスのCYCLADESや英国の国立物理学研究所のネットワークでも異なるネットワークを結ぶ実験が行われていた。1970年代半ばの欧州情報網(フランス語版)は、国立物理学研究所のネットワークとCYCLADESを結び、イタリアとスイスにもノードを置いた。Xerox PARCでもイーサネットを他のネットワークへ接続する取り組みが進められ、これらの研究はARPAの相互接続方式に影響を与えた[14]。

こうした取り組みの技術的な土台となったのが、データを小さな単位に分割して送受信するパケット交換技術の発展である。パケット交換網の設計を巡っては、通信開始前に論理的な接続を確立する仮想回線方式と、事前の接続確立を行わずパケットを個別に転送するデータグラム方式が競合した。IBMや欧州の電話事業者は仮想回線を支持する一方、フランスのCYCLADESを率いたルイ・プザンらはデータグラムを提唱した[8]。

1972年には、各国の研究者が参加する国際ネットワーク作業部会(英語版)(INWG)が発足し、異種ネットワーク間でのデータ交換方式を検討した。初代議長はヴィントン・サーフが務めた[8]。INWGは、研究者の間で共通の伝送プロトコルに関する合意を形成し、その成果を国際電信電話諮問委員会(CCITT)や国際標準化機構(ISO)に提出する場として構想された[15]。

1975年7月には、サーフら4人の研究者がロンドンで共通案「INWG 96」をまとめ、同年12月の投票で多数の支持を得た。CYCLADES、国立物理学研究所、欧州情報網などは採用と実装を表明したが、ARPAの契約研究者の一部は反対した。ロバート・カーンは、ARPA側ではTCPの実装が進んでおり、別方式への移行には費用がかかるとして、INWG 96の採用を見送った[16]。この共通案はCCITTでも採用されず、サーフはその後、ARPAでカーンとともにインターネット用プロトコルの開発を進めた。INWGに参加していた研究者の一部は、後にOSIの標準化へ加わった[8]。

一方、CCITTは1976年、仮想回線を用いるパケット交換の国際標準勧告としてX.25を公表した。データグラムを支持する研究者と、仮想回線を支持する通信事業者の隔たりは、OSIの標準化に先立つ時期から存在していた[8]。

X.25の採用は、当時の利用者にとって、メーカー独自の方式に依存せずに広域通信を行う選択でもあった。英国の学術ネットワークでも、X.25と将来のOSI規格が国際的な相互接続の共通基盤となることが期待された。ただし、ファイル転送などの上位層の国際規格はまだ揃っていなかったため、英国ではOSIへの移行までの暫定方式としてカラーブック・プロトコル(英語版)の開発が進められた[17]。

フランスでの対立

フランスでは、CYCLADESの研究チームと通信当局側によるパケット交換研究の協力が模索されたものの、ネットワークが果たすべき役割を巡る見解の違いから共同開発は進まなかった。通信当局側は、パケットの到達や順序制御をネットワーク側で担う仮想回線方式を選んだ。これは、公衆通信サービスとして利用者に信頼性を保証することを重視した選択であり、主要な利用者であったIBM製コンピューターの利用企業の通信方式とも適合していた。これに対し、プザンらは、ネットワークを単純に保ち、通信の制御を端点のコンピューターに委ねるデータグラム方式を支持した[18]。

CYCLADESは技術的成果を上げたものの、研究プロジェクトと実用的な通信基盤の間で位置付けが定まらず、継続的な資金の確保が難航した。フランスの産業政策の転換、X.25の国際標準化、1978年の商用パケット網Transpac(英語版)の開業なども背景となり、CYCLADESは1979年に終結した。技術史家のアンドリュー・ラッセルとヴァレリー・シェーファーは、後のインターネットの普及を基準としてこの選択を単なる戦略的失敗と捉える見方を戒め、当時の事業形態や顧客の需要に適合したTranspacの実用面での成功にも目を向ける必要があると指摘している[19]。

TCP/IPの形成

ARPANET、サンフランシスコ湾岸の無線網、大西洋の衛星網をゲートウェイで接続した構成図。
1977年にARPANET、パケット無線網、衛星パケット網を相互接続した実験の構成図[14][20]

サーフとカーンは、プザンがCYCLADESで追求したデータグラムの設計思想を取り入れ、1974年の論文で、異種パケット交換網を相互接続するための基本的なアーキテクチャを発表した[8][21]。CYCLADESとARPANETの直接接続は費用や政治上の事情から実現しなかったが、研究者間での技術文書の交換や相互訪問は継続された。CYCLADESのジェラール・ル・ラン(英語版)は1973年から1年間、サーフのスタンフォード大学の研究室に滞在し、TCPの初期設計に参加した[21]。1977年11月には、ARPANET、パケット無線網(PRNET)、衛星パケット網(SATNET)という異なる3つのネットワークを結ぶ実証実験が行われた。カリフォルニア州の高速道路を走る車両から送られたパケットは、PRNETからARPANETを経由し、SATNETで欧州へ渡ったのち、再びARPANETを通ってカリフォルニアへ戻った[14][22]。この3つのネットワークの相互接続の成功は、インターネットが実際に運用される体系として始動したことを示すものとなった[20]。

当初のTCPは通信制御の機能を一体として備えていたが、1978年には、パケットの配送を担うIPと、信頼性のある通信を担うTCPに分けられた[23]。この分離の背景には、音声のように、失われたパケットを再送するよりもアプリケーション側で損失に対処することが望ましい用途があった。TCPの信頼性保証を必要としない用途には、IPの配送機能を利用するUDPも加えられた[24]。

米国国防総省の支援を受けた開発と実験を経て、1983年1月1日、ARPANETのホスト間通信の標準プロトコルはNCPからTCP/IPへ移行した[25]。

同年9月には、TCP/IPプロトコルスタックを標準で実装した4.2BSDが公開された。このUnix系オペレーティングシステムはソースコードとともに教育機関へ比較的安価に提供され、公開仕様であるRFCと並んで、TCP/IPの実装を開発する際の参照対象となった[26]。DARPAによるBSDへの支援と大学での利用拡大は、TCP/IPの実装改良と現場での定着を後押しした[27]。

OSIの標準化と政府の支持

2台のシステムで、同じ階層間のプロトコルと、隣接階層間のインターフェースを示す模式図。
OSIにおける階層間の関係の模式図。図では第3–5層を抜き出し、同じ階層間のプロトコルと隣接する階層間のインターフェースを示している

ISOは1977年、異種ネットワークの相互接続を扱う専門小委員会を設けた[28]。OSIの最初の会合は1978年に開かれ、委員長のチャールズ・バックマンや、CYCLADESとINWGで活動していたユベール・ジメルマンらが、通信機能を階層に分けて整理する作業を進めた[8]。7階層からなる基本参照モデルは、1984年10月にISO 7498として発行された[29]。

OSIの参加者の利害は一様ではなかった。コンピューター企業、通信事業者、研究者はそれぞれ異なる事業上・技術上の目標を持ち、同一国内の代表団の中でも立場が分かれることがあった。既存メーカーや通信事業者への依存を避けようとする参加者がいる一方、IBMのように、自社の事業と標準化の方向を調整しようとする企業もあった。OSIの標準化は、こうした利害を異にする集団の間での合意形成を伴う作業であった[8]。

基本参照モデルは通信機能を概念的に整理する枠組みであり、個別の通信手順を定めるプロトコル仕様とは区別される。OSIプロジェクトではこの枠組みに沿って、トランスポートプロトコル、電子メール、ディレクトリ・サービス、ネットワーク管理などの個別規格が整備された[8]。また、仮想回線とデータグラムを巡る意見の相違は解消されず、OSI規格に接続型とコネクションレス型の双方の方式を含めることで折り合いが付けられた。その結果、OSIの規模と複雑さは増した[8]。

OSIは、西欧、北米、アジアの政府や大手コンピューター企業から支持された[8]。各国が参加する国際標準は、企業独自の規格への依存を避けるための共通基盤として期待された[30]。産業界でも、ゼネラルモーターズが工場の機器を接続するMAP(英語版)を、ボーイングが技術部門・オフィス環境向けのTOPを推進し、OSIに準拠した異機種間接続の実用化に取り組んだ[6]。

TCP/IPの開発を支援してきた米国国防総省も、OSIへの移行を検討していた。調達を担当する幹部は、各国から支持されるOSIが、制度上も実態上も世界的な標準になると予測していた[30]。1985年の全米研究評議会によるTCPとOSIのクラス4トランスポートプロトコルTP4の比較報告を受け、国防総省は、軍用ネットワークへの適用準備が整った段階でTP4へ移行する方針を選んだ[31]。さらに、米国政府は1988年8月、連邦機関向けの調達仕様としてOSI規格群をまとめたGOSIP(英語版)を公表し、1990年8月から調達への適用を求めた[31]。ただし、これはTCP/IPの使用を全面的に禁じるものではなく、既存ネットワークの運用とOSI製品の調達は併存し得た[32]。

TCP/IPの普及と共存

研究ネットワークから市場へ

TCP/IPは、大学や研究機関を中心に利用を広げた。米国ではNSFNETが学術ネットワークの拡大を支え、日本でもUnix利用者のつながりからJUNETが生まれ、WIDEプロジェクトなどによるインターネット接続へと発展した[27]。全米科学財団は1985年、NSFNETでTCP/IPを必須とする方針を採り、特定の研究分野に限らず高等教育機関の利用者へ接続を広げた[24]。

仕様書やソフトウェア実装の入手性にも違いがあった。TCP/IPには政府の支援を受けて開発・配布された実装があり、メーカーが実装を進める際の負担を抑えられた。一方、OSIに準拠する製品を開発する企業は、ISOから規格書を購入する必要があった[8]。

OSIは政府や大企業の支持を集めながらも、商用製品化の遅れに悩まされた。1985年の工場自動化の展示会Autofactや、1988年のEnterprise Networking Eventでは、OSI機器の相互接続が実演されたものの、その多くは試作品であり、購入して現場に導入できる市販製品は限られていた[6]。

TCP/IP側では、ダン・リンチ(英語版)が1986年にメーカー向けのワークショップを開き、研究者と製品開発者の交流を促した。これに続く相互運用性の検証会議を経て、1988年9月にはカリフォルニア州サンタクララで展示会Interop(英語版)が開催された。会場では、市販されている製品を含む各社の機器がTCP/IPで相互接続され、異なるメーカーの製品間で通信できるかが検証された。OSI側の包括的な標準化構想に対し、Interopは目前のネットワーク接続上の問題に焦点を当て、TCP/IP製品の市場拡大を後押しした[6]。

筐体を開けて内部の基板を展示したシスコのAGSルーター。
1986年のシスコのAGSルーター。初期のルーターは、異なるネットワークを結ぶ機器として製品化された[14]。

大手メーカーも、独自方式やOSIだけを扱っていたわけではない。1980年代後半にはIBMやDECもTCP/IPを製品群へ組み込み始めた。多くの企業が長期的にはOSIを目指しながら、当面の相互接続にはTCP/IPを利用するという状況が生まれた[6]。また、シスコシステムズのようなルーターの供給企業もTCP/IPの普及を支えた。同社のルーターにはインターネット用プロトコルを利用できるものが多く、組織の公式な方針として別方式を支持していた場合でも、現場でのTCP/IPの導入を進める役割を果たした[14]。

ただし、TCP/IPの実装を製品に搭載することと、インターネットを商用通信に利用できることは別の問題であった。政府が支援したインターネットの基幹網には商用利用の制限があり、企業にとって、OSIを用いた相互接続は実用上の選択肢でもあった[8]。全米科学財団は、NSFNETの地域ネットワークによる商用顧客の開拓を奨励する一方、基幹網では研究・教育を支援しない用途の利用を認めなかった。この違いは、民間の長距離ネットワークの成長を促した。1995年4月にはNSFNET基幹網への資金提供が終了し、地域ネットワークは民間事業者から広域接続を調達する体制へ移った[24]。

規模拡大に伴う整備

TCP/IPの普及には、規模拡大によって生じる問題に対応するため、プロトコルと実装の継続的な改良も必要だった。接続ホスト数が増加すると、ホスト名とアドレスを単一の表で管理する従来の手法を維持することが難しくなり、階層的な名前空間を分散管理するDNSが導入された。経路制御でも、インターネット全体で単一の方式を用いる構成から、各領域の内部と領域間の経路制御を分ける構成へ移行した。経路表の増大には、アドレスを集約するCIDRなどの技術で対応が図られた[24]。

通信量の増加は、輻輳によって通信能力が著しく低下する問題も生じさせた。バン・ジェイコブソンとマイケル・カレルズ(英語版)は、1986年の混雑による通信性能の急落を調べ、TCP実装の送信制御に問題があることを報告した。両者の1988年の論文では、4BSDのTCPに、送信量を徐々に増やすスロースタートなどの輻輳制御を取り入れ、実装を改良したことが説明されている[33]。

1989年10月には、通信層とアプリケーションの双方を対象に、インターネットに接続するホストの実装要件をまとめたRFC 1122とRFC 1123が公表された[34]。

欧州での導入

欧州では、TCP/IPへの移行以前に、X.25による国際的な接続基盤が形成されていた。1990年に運用が始まった国際X.25基幹網IXIは、18か国を結ぶとともに、公衆パケット交換網への接続を提供した。こうした既存基盤のもとでは、X.25と整合するOSIが将来の共通方式になるとの期待も強かった[35]。

OSIを支持していた欧州の学術ネットワークにおいても、利用者の需要に応じたTCP/IPの導入が進められた。欧州の研究ネットワーク団体RARE(英語版)は、OSIを推進していたが、1990年2月1日のウィーンでの会議で、OSIの方針を維持しつつ、TCP/IPを科学技術用途に適したオープンなマルチベンダー・プロトコル群として公認した[10]。

欧米間の接続も拡充された。IBMの支援で欧州と米国のNSFNETを結ぶネットワークが整備され、その中心となったCERNとコーネル大学の間では、1990年2月に1.5メガビット毎秒のTCP/IP回線が運用を開始した[10]。

英国の学術網JANET(英語版)では、X.25と独自開発のカラーブック・プロトコルが運用されていた。OSIへの移行に向けた取り組みは単なる規格の検討にとどまらず、X.400による電子メール接続の実用化にも及んだ。1987年には、JANET、欧州の学術網、商用メール網を結ぶ試験用ゲートウェイが導入された[36]。

一方、インターネット経由の電子メールや、遠隔のコンピューターを利用するX Window Systemへの需要が高まり、TCP/IP接続を求める声が強まった。これを受けて1991年3月に試験運用が始まり、同年11月にはJANETのIP接続サービスJIPSとして正式にサービス提供が開始された。JIPSはIPパケットを既存のX.25網上でカプセル化して伝送する方式を採り、従来のプロトコルと並行して運用された[37]。利用者の選択は急速にTCP/IPへ傾いたものの、当初の計画上は、将来的なOSIへの本格移行を視野に入れた過渡的措置と位置付けられていた[38]。

英国でTCP/IPを求める声が強まった背景には、既存方式からの変換の限界もあった。電子メールのゲートウェイは通信量の増加に伴って性能上の問題に直面し、仕様改定が続くSMTPへの追従にも課題を抱えていた。また、X Window SystemをOSI環境で利用する案については、メーカーが英国の限られた市場向けの対応に積極的でなく、利用者はTCP/IPで提供される機能を必要としていた[39]。

こうした移行期には、どちらか一方を直ちに廃止するだけでなく、OSIのアプリケーションをTCP/IP上で動作させる技術や、複数のプロトコルを同時に収容するマルチプロトコル基幹網の構築も模索された。欧州の基幹網EuropaNETはこうした共存を図った事例である[40]。1987年のRFC 1006は、OSIのトランスポートサービスをTCP上で提供する方式を規定した。これにより、既存のTCP/IP環境を維持しながら、OSIのセッション層、プレゼンテーション層、アプリケーション層の機能を利用することが意図された[41]。

設計と標準化を巡る対立

技術設計

OSIが定めた階層構造そのものも、技術的な議論の対象となった。TCP/IPの開発に関わったダニー・コーエンとジョン・ポステルは、1983年の論文で、7階層を前提とするOSI参照モデルは抽象的で硬直的すぎ、あらゆる状況に適用するモデルには向かないと批判した[31]。一方、ラッセルによれば、OSIの階層化は、通信機能を論理的に整理するだけでなく、標準化作業を複数の専門委員会に分担させるための組織的な仕組みでもあった[8]。

インターネット側では、ネットワーク内部に多くの通信制御機能を持たせるより、通信する両端のホスト計算機に処理を担わせるエンドツーエンド原理が重視された。デービッド・ダナ・クラーク、ジェローム・ソルツァー(英語版)、デイヴィッド・P・リード(英語版)は1981年の論文で、この考え方を体系的に論じた。ネットワーク内部の主な役割をネットワークの相互接続とデータグラムの転送に置くことで、端点に新しい機能を追加しやすくする設計であった[23]。インターネットの設計と標準化を監督するIABが1996年に公表した設計原則文書RFC 1958は、ネットワークの主な役割をデータグラムの配送に置き、通信内容の完全性の保証などは端点の責任とする考え方を説明している。ただし、この文書は形式的または不変の参照モデルを意図するものではなく、当時のインターネット設計の実践から得られた原則を整理したものと位置付けられていた[42]。

ネットワーク管理の方式でも、短期的な実用と長期的な標準化が並行して追求された。1988年のIABの勧告は、当面の管理方式の基礎としてSNMPを採るとともに、長期的にはOSIのCMIPとCMISの枠組みを用いる方針を示した。管理対象の情報を定めるMIBも、両方式で利用できるよう調整することが求められた[43]。その後はSNMPが広く利用されるようになった[24]。

標準化手続き

OSIとTCP/IPの競合は、技術仕様の比較にとどまらず、誰がどのような手続きで標準を決めるかを巡る対立でもあった。ISOでは各国の公式代表団による審議と投票を通じて規格が定められたのに対し、インターネットの開発者コミュニティは、実験と実運用から得られた知見を基に仕様を段階的に改定する方法を重視した[4]。1986年に発足したIETFでは、参加者は組織の代表ではなく個人の資格で議論に加わり、標準文書や議論の記録も広く一般に公開された[27]。

この違いが表面化したのが、1992年のIPの後継方式を巡る論争である。インターネットの急成長により、IPv4のアドレス不足や経路表の増大が懸念されていた。同年6月、IABは神戸で会合を開き、OSIのコネクションレス型ネットワークプロトコルであるCLNPを基盤としてアドレス空間を拡大する討議用の草案をまとめた。これは最終決定ではなかったが、IETFの参加者の間には、十分な合意形成を経ずに上位組織が方針を定めようとしているという反発が広がった[44]。

同年7月に米国ケンブリッジで開かれたIETF会合では、IABの権限と意思決定手続きの正当性が厳しく問われた。クラークがこの場で提示した「大まかな合意と動作するコード」(rough consensus and running code)という言葉は、投票や上位者の決定よりも、参加者間の合意と実際に動く実装を重視する考え方を象徴するものとなった[11][27]。IABは反発を受けて譲歩し、CLNPを基にする案は採用されなかった[45]。この論争はOSIへの反発とともに、インターネット側にも組織運営を巡る対立があったことを示した[46]。

帰結と評価

TCP/IPの定着とOSIの遺産

1990年代には、World Wide Webとウェブブラウザの普及がTCP/IPの利用をさらに押し広げた。1993年のNCSA Mosaicの登場や、1995年のWindows 95によるTCP/IPの標準対応は、研究者以外の利用者への拡大を促した[26]。1990年代半ばには、TCP/IPが世界的なネットワーク相互接続の事実上の標準となり、OSIとの長年にわたる競合は、TCP/IPが主流を占める形で収束した[47][12]。

米国では、1995年5月15日付の連邦官報でFIPS 146-2への改定が公表され、連邦機関の調達でGOSIPの指定を要求する規定が撤廃された。改定後は、ISOやITUの規格に加え、IETFなどのオープンな任意規格も選択できるようになった。OSIを選ぶこと自体が禁じられたわけではなかった[48]。

この帰結はOSIに関する技術的成果のすべてが失われたことを意味せず、OSI参照モデルはネットワークの各階層を体系的に説明するための概念的な枠組みとして残った[7]。OSIで開発された個別技術をTCP/IP環境と組み合わせる取り組みも進められた。1990年のRFC 1195では、OSIの経路制御プロトコルIS-ISを拡張し、TCP/IPとOSIの両方を扱う方式が規定された[49]。また、LDAPは、OSIのX.500ディレクトリへ、OSI上位層の処理負担を抑え、TCPなどで直接アクセスできるように設計された[50]。

TCP/IPの利用は広域ネットワークだけでなく、LANにも広がった。初期にはLAN内のファイル共有などに別のプロトコルが使われていたが、インターネットの普及に伴い、WindowsやMacintoshの環境でもTCP/IPを利用する範囲が広がった[26]。

歴史研究上の評価

OSIが普及しなかった理由については、規格の複雑さや標準化の遅れを挙げる説明がある。コンピュータ歴史博物館の展示解説は、OSIは明確に定義され多くの政府から支持されていたものの、複雑すぎる一方で実際に動作するコードが少なかったとしている[3]。英国のコンピュータネットワーク史に関する博士論文も、OSIの国際的な批准に時間がかかりすぎたことや、OSIが複雑でメーカーの支持を欠いたことから、利用者はOSIを採用しなかったと述べている[12]。

これに対し、技術史家のアンドリュー・ラッセルは、OSIの歴史を官僚的な標準化の失敗だけで捉える見方には限界があると指摘している。OSIの活動は異機種相互接続に伴う技術的課題を明らかにするとともに、後に企業、政府、大学で活動する技術者にとって、経験を積む場にもなった[8]。ラッセルは、OSIの行き詰まりの要因を、あらゆる利害関係者に設計への参加を認めた開放性そのものに求めている。また、米国政府の長期的な資金提供がインターネットの研究者を国際政治や経済の圧力から守り、インターネットのプロトコルを無償で実装できるという商業上の利点を生んだとも述べている[8]。

ラッセルとシェーファーは、CYCLADESの歴史について、インターネットの台頭を説明するためだけの物語へ組み込むのでなく、当時の政治状況、人間関係、国際協力の条件から理解する必要があると論じている[51]。

技術史家のジャネット・アバテ(英語版)は、1970年代半ばにはコンピューターメーカーや通信事業者も独自の網間接続方式を提供し始めており、ARPAの方式は唯一の選択肢ではなかったと指摘している。アバテによれば、国防総省の国防通信庁がTCP/IPへの移行を推し進め、メーカーによる実装に資金を提供したことに加え、多様な利害関係者を設計の議論に参加させたサーフとカーンの協調的な手法が、TCP/IPを選ばれる技術にした。アバテは、この型破りな手法が、後に現れた明確に商業的な代替方式よりも、ネットワークを構築する人々にとって魅力のある方式を生んだことを皮肉な結果と評している[52]。

脚注

  1. ↑ Russell 2006, pp. 48–49.
  2. ↑ Rutter 2005, pp. 69–71.
  3. 1 2 3 4 “Protocol Wars” [プロトコル戦争]. Revolution: The First 2000 Years of Computing (英語). Computer History Museum. 2026年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
  4. 1 2 Russell 2006, pp. 52–54.
  5. ↑ Russell 2006, pp. 50–53.
  6. 1 2 3 4 5 Pelkey, James; Robbins, Loring; Russell, Andrew (2023年3月27日). “The Do-or-Die Moments That Determined the Fate of the Internet” [インターネットの命運を決めた重大な局面]. IEEE Spectrum (英語). 2026年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
  7. 1 2 「OSI参照モデルとは」『インターネット用語1分解説』日本ネットワークインフォメーションセンター、2009年9月15日。2026年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年10月24日閲覧。
  8. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 Russell, Andrew L. (2013年7月30日). “OSI: The Internet That Wasn’t” [OSI:実現しなかったインターネット]. IEEE Spectrum (英語). 2026年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
  9. ↑ Rutter 2005, pp. 60–64, 67–71.
  10. 1 2 3 Fluckiger, Francois (February 2000). “The European Researchers’ Network” [欧州の研究者のネットワーク] (PDF). La Recherche (英語) (328). 英訳版8–9頁. 2025年7月20日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
  11. 1 2 Russell 2006, pp. 54–55.
  12. 1 2 3 Rutter 2005, p. 71.
  13. ↑ Russell 2006, pp. 49, 52.
  14. 1 2 3 4 5 “Inventing the Internet” [インターネットの発明]. Revolution: The First 2000 Years of Computing (英語). Computer History Museum. 2026年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
  15. ↑ Russell & Schafer 2014, p. 893.
  16. ↑ Russell & Schafer 2014, pp. 893–895.
  17. ↑ Rutter 2005, pp. 30–31.
  18. ↑ Russell & Schafer 2014, pp. 895–899.
  19. ↑ Russell & Schafer 2014, pp. 902–904.
  20. 1 2 Abbate 1999, p. 132.
  21. 1 2 Russell & Schafer 2014, pp. 891–893.
  22. ↑ Abbate 1999, pp. 131–132.
  23. 1 2 Russell 2006, pp. 49–50.
  24. 1 2 3 4 5 Leiner, Barry M.; Cerf, Vinton G.; Clark, David D.; Kahn, Robert E.; Kleinrock, Leonard; Lynch, Daniel C.; Postel, Jon; Roberts, Larry G.; Wolff, Stephen. “A Brief History of the Internet” [インターネットの簡史]. Internet Society (英語). 2026年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年10月24日閲覧.
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参考文献

関連項目

外部リンク