イリヤ・オストログスキ
| イリヤ・オストログスキ Ilia Ostrogski | |
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| 出生 |
1510年 |
| 死去 |
1539年8月15日 |
| 配偶者 | ベアタ・コシチェレツカ |
| 子女 | エルジュビェタ |
| 家名 | オストログスキ家 |
| 父親 | コンスタンティ・オストログスキ |
| 母親 | タチアナ・アンナ・ホルシャンスカ |
| 宗教 | キリスト教正教会 → カトリック |
イリヤ・アレクサンデル・コンスタンティノヴィチ・オストログスキ(ウクライナ語: Ілля Костянтинович Острозький; ポーランド語: Ilia Aleksander Konstantynovich Ostrogski,1510年 - 1539年8月15日)は、リトアニアのルーシ系の大貴族。ブラツラフ、ヴィーンヌィツャの代官を務めた。
生涯
1523年、父コンスタンティは13歳の息子イリヤの妻にイェジ・ラジヴィウの娘アンナ・エルジュビェタを迎えることを決めた。しかしイリヤの許嫁はアンナの妹バルバラに変えられ、最後にはイリヤがベアタ・コシチェレツカと恋に落ちたため、ラジヴィウ家との縁組は王の認可のもとに解消された。ベアタは、表向きには国王ジグムント1世の愛妾カタジナ・テルニチャンカとその夫アンジェイ・コシチェレツキの間に生まれた娘だが、実父はジグムント1世本人だったとも言われる。
1539年、王女イザベラがハンガリー王サポヤイ・ヤーノシュと結婚式を挙げた翌日、イリヤはベアタとヴァヴェルで結婚した。この結婚にさいし、イリヤは一族が伝統的に信仰してきた正教から、カトリックに改宗している。結婚式は贅を尽くした豪華なものであり、式次第に則って開かれた馬上槍試合では、花婿イリヤは皇太子ジグムント・アウグストと対戦するという栄誉にあずかった。ところがイリヤは落馬して試合に負けてしまい、打ちどころが悪く体は半年も持たなかった。彼は同年の8月15日、この試合で受けた怪我のために没した。結婚してすぐに未亡人となったベアタは、夫の死後に一人娘エルジュビェタを出産した。イリヤの遺言によって、エルジュビェタは皇太子ジグムント・アウグストを後見人とした。