ジョン・グールド

ウィキペディアから、無料の百科事典
コンテンツにスキップ

ジョン・グールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・グールド
John Gould
生誕 (1804-09-14) 1804年9月14日(222歳)
死没 (1881-02-03) 1881年2月3日(76歳没)
国籍 イングランドの旗 イングランド
職業 鳥類学者、動物学者、出版者
配偶者 エリザベス・グールド(1829年–1841年)
子供 チャールズ・グールド(地質学者)ほか
テンプレートを表示

ジョン・グールド(w:John Gould、1804年9月14日 – 1881年2月3日)は、イギリスの鳥類学者・動物学者・出版者である。王立協会会員(FRS)。鳥類に関する壮麗な図版入りモノグラフを多数刊行し、特に7巻からなる大著『オーストラリアの鳥類』(The Birds of Australia)によって「オーストラリア鳥類学の父」と称される[1]。

また、チャールズ・ダーウィンがビーグル号の航海で採集したガラパゴス諸島の鳥類を分類し、「ダーウィンフィンチ」として知られる一群を同定したことで、自然選択説の成立に決定的な貢献を果たした[2]。生涯に41巻・約3000枚の図版を刊行し、300本を超える科学論文を執筆した。新種鳥類377種を同定したほか、オーストラリアの哺乳類についても重要な記載を行った。

生涯・経歴

[編集]

生い立ちと修行時代

[編集]

グールドは1804年9月14日、イギリス、ドーセット州ライム・リージスに庭師の息子として生まれた。父がウィンザー城の庭師主任に昇進したことにより、グールドも幼少期をウィンザーで過ごし、自然史への関心を深めながら鳥類の剥製術を独学で習得した[3]。14歳で父のもとで見習いを始め、その後ヨークシャーのリプリー城の庭園でも働いた[4]。

1827年、ロンドン動物学協会が剥製師を募集するにあたり、グールドはその職を獲得し、同協会の初代「キュレーター兼保存担当」に就任した[5]。この地位が、後の彼のキャリアを決定づけることになる。1829年1月5日、才能ある画家エリザベス・コクセン(Elizabeth Coxen、1804年–1841年)と結婚した。エリザベスの芸術的才能は、グールドの出版事業において不可欠な役割を担うこととなった[6]。

出版事業の開始とヒマラヤ鳥類

[編集]
Calliope Tschebaiswi Prjer (Thrush Family) by John Gould

1830年、ロンドン動物学協会にヒマラヤ産の鳥類の剥製コレクションが届いた。グールドはこれを機に最初の図版入り鳥類モノグラフ『ヒマラヤ山脈の鳥類百種』(A Century of Birds from the Himalaya Mountains、1830–1832年)を出版した。本文はニコラス・エイラード・ヴィゴーズ(Nicholas Aylward Vigors)が担当し、図版はエリザベスがグールドの下書きをもとに石版に描いた[7]。出版社が見つからなかったため、グールドは自ら出版者となることを余儀なくされたが、これが後に大きな財産をもたらすこととなった。

続いて『ヨーロッパの鳥類』(Birds of Europe、5巻、1832–1837年)、タコサン類(オオハシ)のモノグラフ、インコ類のモノグラフなど、次々と大型図版書を刊行した[8]。これらの著作は購読者制度で販売され、商業的に大きな成功を収めた。

ダーウィンのフィンチ同定

[編集]
ダーウィンフィンチ

1837年1月4日、チャールズ・ダーウィンはビーグル号の第二次航海で採集した鳥類・哺乳類の標本をロンドン動物学協会に寄贈した。鳥類標本はグールドのもとへ送られ、同定が依頼された。グールドは有償の仕事を脇に置き、翌1月10日の協会例会でただちに報告を行った。ダーウィンがコクマルガラスやノジコ類・フィンチ類と考えていたガラパゴス諸島の鳥たちが、実は「非常に独特な一群を形成する12種のフィンチ」であるとグールドは断定した。これは新聞各紙でも報じられた[9]。

さらに3月にダーウィンと再会したグールドは、ガラパゴスの「ミソサザイ」と思われていた種もフィンチの一種であること、島ごとに標識されたマネシツグミが単なる変種ではなく別種であり南米大陸の種と近縁であることを伝えた。グールドはまた、ダーウィンが救出したレア(南米のダチョウ類似の鳥)の小型個体が新種であると助言し、Rhea darwinii(ダーウィンレア)と命名した[10]。この一連の同定作業は、ダーウィンが自然選択による進化論を着想する上で決定的な契機のひとつとなった。ガラパゴスのフィンチ類に関するグールドの研究成果は、ダーウィン編著の『ビーグル号航海の動物誌』第3部(1838–1842年)に収録され、図版はすべてエリザベスが担当した[11]。

オーストラリア遠征(1838–1840年)

[編集]
Petrogale inornata

1838年5月、グールドはエリザベス、長男(当時7歳)、甥、使用人、そして採集担当のジョン・ギルバート(John Gilbert)を伴い、オーストラリアへ出発した[12]。同年9月にタスマニアへ到着し、総督サー・ジョン・フランクリンと交流した後、ニューサウスウェールズ、南オーストラリア(マリースクラブ)、カンガルー島など広範な地域を調査した。チャールズ・スタートと行動をともにしながらリヴァプール山脈周辺でも採集を行った。

1840年3月にシドニーでオーストラリア鳥類に関する刊行予告を発表し、1840年中に帰国の途についた。約2年間の滞在中に収集した鳥類・哺乳類標本は膨大な数に上り、後の主著の礎となった[13]。

帰国後と晩年

[編集]
エミュー

帰国まもない1841年、エリザベスが死去した。彼女はすでに『オーストラリアの鳥類』用に84枚の図版を完成させていた[14]。グールドにとって妻の死は大きな痛手であり、以後の図版制作はヘンリー・コンスタンティン・リクター(Henry Constantine Richter)やウィリアム・マシュー・ハート(William Matthew Hart)らが担当した。また、オーストラリア滞在中の採集担当ジョン・ギルバートが1844年にライヒハルトの遠征中に死去し、他の採集者も相次いで命を落とすという不幸も重なった。

1851年のロンドン万博(大博覧会)期間中、グールドはリージェンツ・パークの動物学協会庭園内の特設展示館において個人所蔵のハチドリの標本約1,500点を展示し、約75,000人の来場者を集めた[15]。 グールドは1881年2月3日、ロンドンで死去した。

学術的業績

[編集]

分類学上の貢献

[編集]

グールドは正式な科学教育を受けていないにもかかわらず、19世紀最大の博物学者のひとりとなった。生涯で300本を超える科学論文を執筆し、鳥類377新種を同定した。そのうちオーストラリア産の鳥類については、現在オーストラリアに生息する約830種のうち300〜328種をグールドが初めて記載したとされる[16]。また哺乳類についても45種のオーストラリア産種を記載した。

グールドが同定した分類群の多くは現代でも有効であり、その観察眼の正確さは同時代の研究者たちから高く評価された[17]。歴史家ヒューバート・マッセイ・ウィッテル(Hubert Massey Whittell)は1954年にこう記している。「1837年に最初のオーストラリア鳥類研究を発表した時点から死去の1881年まで、オーストラリア鳥類学はグールドによって支配された。この期間中に発見された事実上すべてのオーストラリア新種鳥類が、何らかのかたちで彼の手を経た」と。

出版者・芸術監督としての役割

[編集]

グールドは自らの下書き(ラフスケッチ)をもとに、妻エリザベス・グールド、エドワード・リア、H・C・リクター、W・M・ハート、ジョセフ・ウォルフらの画家が精緻な石版を制作するという方式をとった[18]。生涯で計41巻・2,999枚の図版を刊行し、購読制度による出版ビジネスとして莫大な財産を築いた。グラスゴー大学所蔵のグールド資料の解説はグールドを「オーデュボン以後最大の鳥類図鑑の作家」と評している[19]。

ハチドリへの情熱

[編集]
ハチドリ

グールドはハチドリに格別の愛着を抱いており、生涯で400種以上のハチドリを同定した(リンネが同定したのはわずか22種)[20]。1857年にはアメリカを訪問し、フィラデルフィアのバートラム庭園で初めて生きたハチドリを観察した。ハチドリへの情熱の集大成が、5巻からなる『ハチドリ科(トロキリダエ科)のモノグラフ』(A Monograph of the Trochilidae, or Family of Humming-birds、1849–1861年、418枚の手彩色石版)である[21]。

主な著作

[編集]
  1. A Century of Birds from the Himalaya Mountains(ヒマラヤ山脈の鳥類百種)、1830–1832年、1巻
  2. Birds of Europe(ヨーロッパの鳥類)、1832–1837年、5巻
  3. A Monograph of the Ramphastidae, or Family of Toucans(オオハシ科モノグラフ)、1834年(第2版1854年)
  4. A Monograph of the Trogonidae, or Family of Trogons(キヌバネドリ科モノグラフ)、1838年(第2版1875年)
  5. The Zoology of the Voyage of H.M.S. Beagle(ビーグル号航海の動物誌)第3部(鳥類)、1838–1841年(ダーウィン編)
  6. A Synopsis of the Birds of Australia and the Adjacent Islands(オーストラリアおよび近隣諸島の鳥類概説)、1837–1838年
  7. The Birds of Australia(オーストラリアの鳥類)、1840–1848年、7巻(補遺、1851–1869年)[22]
  8. A Monograph of the Macropodidae, or Family of Kangaroos(カンガルー科モノグラフ)、1841–1842年、2部
  9. The Mammals of Australia(オーストラリアの哺乳類)、1845–1863年、3巻[23]
  10. A Monograph of the Trochilidae, or Family of Humming-birds(ハチドリ科モノグラフ)、1849–1861年、5巻[24]
  11. The Birds of Asia(アジアの鳥類)、1850–1883年、7巻(死後、R・B・シャープが完成)
  12. Handbook to the Birds of Australia(オーストラリア鳥類便覧)、1865年、2巻[25]
  13. The Birds of Great Britain(グレートブリテンの鳥類)、1862–1873年、5巻
  14. The Birds of New Guinea and the Adjacent Papuan Islands(ニューギニアおよび周辺パプア諸島の鳥類)、1875–1888年(死後、シャープが完成)

受賞・栄誉

[編集]
  • 王立協会(Royal Society)フェロー(FRS)
  • リンネ協会(Linnean Society)フェロー
  • ロンドン動物学協会フェロー
  • 1976年、オーストラリア郵便局がグールドの肖像を描いた記念切手を発行[26]
  • 2009年、オーストラリア郵便局が『オーストラリアの鳥類』収録の鳥類図版シリーズ切手を発行
  • グールド・リーグ(Gould League):1909年にオーストラリアで設立された鳥類・自然環境教育団体で、グールドの名を冠する[27]

グールドの名を冠した生物

[編集]

多数の生物種がグールドを記念して命名されている。

  • グールドオオトカゲ(Varanus gouldii)
  • グールドクロアタマヘビ(Suta gouldii)
  • グールディアンフィンチ(Erythrura gouldiae):妻エリザベスへの献名
  • ミセス・グールドタイヨウチョウ(Aethopyga gouldiae):妻エリザベスへの献名

思想・考え方

[編集]

グールドは、博物学を高度に専門化された科学的探究と、美術的表現の融合として捉えていた。彼は石版印刷技術の可能性を最大限に活用し、生態的文脈(植物・生息環境)の中に鳥を配置する図版スタイルを確立した。これは単なる「鳥の肖像画」を超え、生態系における鳥の位置づけを視覚的に伝えるという科学的意図を内包していた[28]。

また、グールドはダーウィンの進化論に対して公的には批判的な立場をとることが多かったが、これは自らの購読者層に貴族や聖職者が多く含まれていたため、彼らとの関係を慮ったとも指摘される[29]。一方で、ガラパゴスのフィンチ同定という具体的な科学的貢献は、進化論の証拠形成において決定的な役割を果たした。この矛盾は、19世紀における科学者と社会・パトロンとの複雑な関係を象徴するものとして研究者から注目されている。

自然保護への意識も先駆的であった。グールドはオーストラリア滞在中に多数の鳥・哺乳類が絶滅の危機に瀕しつつあることを指摘する記述を残しており、19世紀英語圏の博物学者の中では異例の環境保護的視座を持っていた[30]。

発言

[編集]

グールドの思想の理解を助けるため、キーワード分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。

ハチドリへの情熱

b: 「これほど素晴らしい被造物(生物)について考えが及ばない日はなく、夜の夢の中でさえ、アメリカの遠い地にあるハチドリの森へと連れて行かれることが少なくないのです。」

(原文:"These wonderful works of creation… my thoughts are often directed to them in the day, and my night dreams have not infrequently carried me to their native forests in the distant country of America.")[31]
オーストラリアの動物相への驚き
「実際にオーストラリアの地に立ち、まるで別の惑星へ送り込まれたような、なんとも奇妙な生き物たちに取り囲まれて初めて、哺乳類という部門にも自分の注意を向けようという考えが生まれたのです。」
(原文:"It was not, however, until I arrived in the country, and found myself surrounded by objects as strange as if I had been transported to another planet, that I conceived the idea of devoting a portion of my attention to the mammalian class of its extraordinary fauna.")[32]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  2. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  3. ↑ “John Gould – Ornithologist”. Encyclopædia Britannica. 2026年4月13日閲覧。
  4. ↑ “John Gould: illustrations and books”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  5. ↑ “John Gould (1804–1881), Ornithologist: A Brief Life”. Victorian Web. 2026年4月13日閲覧。
  6. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  7. ↑ “John Gould – Ornithologist”. Encyclopædia Britannica. 2026年4月13日閲覧。
  8. ↑ “John Gould (1804–1881), Ornithologist: A Brief Life”. Victorian Web. 2026年4月13日閲覧。
  9. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  10. ↑ “John Gould and Darwinism”. Victorian Web. 2026年4月13日閲覧。
  11. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  12. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  13. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  14. ↑ “The Birds of Australia: in seven volumes”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  15. ↑ “The Family of Hummingbirds: The Complete Prints Of John Gould”. Antiques and the Arts Weekly. 2026年4月13日閲覧。
  16. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  17. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  18. ↑ “John Gould (1804–1881), Ornithologist: A Brief Life”. Victorian Web. 2026年4月13日閲覧。
  19. ↑ “The Family of Hummingbirds: The Complete Prints Of John Gould”. Antiques and the Arts Weekly. 2026年4月13日閲覧。
  20. ↑ “John Gould (1804-1881) Hummingbirds”. Arader Galleries. 2026年4月13日閲覧。
  21. ↑ “A monograph of the Trochilidæ, or family of humming-birds”. Biodiversity Heritage Library. 2026年4月13日閲覧。
  22. ↑ “The Birds of Australia: in seven volumes”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  23. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  24. ↑ “A monograph of the Trochilidæ, or family of humming-birds”. Biodiversity Heritage Library. 2026年4月13日閲覧。
  25. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  26. ↑ “Gould, John (1804–1881)”. Australian Dictionary of Biography, Australian National University. 2026年4月13日閲覧。
  27. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  28. ↑ “John Gould (1804–1881), Ornithologist: A Brief Life”. Victorian Web. 2026年4月13日閲覧。
  29. ↑ “The Galapagos Finches and John Gould”. Animal Bytes (University of Cambridge). 2026年4月13日閲覧。
  30. ↑ “John Gould and his contribution to science”. The Australian Museum. 2026年4月13日閲覧。
  31. ↑ Gould, John (1849–1861). A Monograph of the Trochilidae, or Family of Humming-birds. London: The Author. pp. Preface
  32. ↑ Gould, John (1863). The Mammals of Australia. 1. London: The Author. pp. Preface

外部リンク

[編集]