ヴィディン・ツァール国
ヴィディン・ツァール国 Видинско Царство | |
|---|---|
| 1369年 - 1396年 | |
|
ヴィディン・ツァール国 | |
| 首都 | ヴィディン |
| 共通語 | ブルガリア語、中世ブルガリア語 |
ヴィディン・ツァール国(ヴィディン ツァールこく)は、14世紀後半に現在のブルガリア北西部のヴィディンを首都として成立した、中世ブルガリアの国家(1556年~1396年)である。第二次ブルガリア帝国から事実上独立し、オスマン帝国に征服されるまでのブルガリア最後の拠点となった。ヴィディン王国(ヴィディンおうこく)とも呼ばれる。
帝国の分裂と成立
第二次ブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アレクサンダルは、息子であるイヴァン・スラツィミールを廃嫡に近い形で、ヴィディンの統治者に任じた。スラツィミールは、1356年頃にタルノヴォの中央政府から事実上独立し、自ら「ツァール(皇帝・国王)」を称してヴィディン・ツァール国を成立させた。
ハンガリーによる占領(1365年~1369年)
1365年に隣国ハンガリー王国のラヨシュ1世の侵攻を受け、ヴィディンは、占領され、スラツィミールは、捕虜となった。しかし1369年、父イヴァン・アレクサンダルやワラキア公らの正教徒連合軍によって街は、奪還され、スラツィミールはハンガリー王国の臣となる条件で復位した。
ブルガリア最後の砦と滅亡(1396年)
1393年にタルノヴォのブルガリア帝国本国がオスマン帝国に滅ぼされた後も、ヴィディンはオスマンの臣従国として数年間独立を保った。しかし、1396年に結成された十字軍にスラツィミールが協力してしてオスマンに反旗を翻したため、十字軍のオスマン軍の報復を受けてヴィディンは、陥落し、国は、滅亡した。