保科正英

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
保科正英
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年(1611年)
死没 延宝6年5月23日(1678年7月11日)
別名 百助、主水(通称)
戒名 是即
墓所 麻布の天眞寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家綱
藩 上総飯野藩世嗣
氏族 小出氏、保科氏
父母 小出吉英、貞松院
保科正貞
兄弟 帯刀、三浦重勝正室、小出吉重、正英、
小出英本、小出英信、高岳院、
松平信之正室ら
妻 井上庸名娘
子 小出英勝、正静
テンプレートを表示

保科 正英(ほしな まさふさ)は、江戸時代前期の上総国飯野藩の世嗣。旗本寄合席。通称は百助、主水。旗本保科氏初代当主。

生涯

但馬国出石藩主・小出吉英の三男として誕生。母は貞松院。

母方の叔父である保科正貞の養子となり、寛永16年12月26日(1640年)に徳川家光へ初御目見する。しかしながらその後廃嫡され、飯野藩嫡子の座は、正貞の長男・正景が就いた。正景が飯野藩主となると、安房国長狭郡2000石を分知されて旗本寄合席となる。

のちに長男・小出英勝は父・吉英の養子となって小出姓を名乗る。

延宝3年(1675年)に家督と知行は次男・正静に譲って隠居する。延宝6年(1678年)に死去。享年68。墓所は麻布の天眞寺で代々の葬地とする。法名は是即。

なお武鑑では使番や先手弓頭時代の正静の父を「保科主水」ではなく「小出修理」と掲載しているが、正英の兄が小出吉重(修理亮)ではあるものの、理由は不明である。

系譜

参考文献

  • 『新訂寛政重修諸家譜 第4』(続群書類従完成会、1964年(昭和39年)初版)
    • 寛政重修諸家譜 巻二百五十
  • 『改定増補 大武鑑 上巻』(橋本博、1965年、名著刊行会)