動物の認知
動物認知(どうぶつにんち、英: animal cognition)とは、ヒト以外の動物における知覚、注意、学習、記憶、概念形成、問題解決、数量認知、空間認知、社会的認知などの認知機能、およびそれらを対象とする研究領域を指す[1]。
動物の認知能力を種間で比較し、その共通性・相違や進化的起源を研究する分野は比較認知科学(comparative cognition / comparative cognitive science)と呼ばれる。日本では、動物認知または比較認知について、「ヒトを含む動物の知覚・認知を、生物学的な系統発生史に基づく種間比較の上で、行動的指標を用いて解明する」研究領域と説明されている[2]。
動物認知の研究は、比較心理学、動物心理学、認知心理学、動物行動学、行動生態学、神経科学、進化生物学などと密接に関連する学際的領域である[3]。
概要
動物認知研究では、動物が外界から情報をどのように取得し、それを記憶・処理して行動を調節するのかを研究する。
具体的な研究対象には、刺激の弁別、条件づけ、短期・長期記憶、カテゴリー形成、数量の識別、空間定位、他個体からの学習、道具使用、問題解決、将来に向けた行動、自己認知、他個体の心的状態の理解などが含まれる[3][4]。
研究対象は霊長類や齧歯類などの哺乳類に限られず、鳥類、魚類、爬虫類、頭足類、昆虫などへ広がっている。近年の比較認知研究では、限られた一部の「知的」と考えられてきた種のみを対象とするのではなく、多様な系統の動物を比較することで認知能力の進化を明らかにすることが重視されている[1]。
比較認知科学との関係
比較認知(comparative cognition)は、非ヒト動物に認められる認知能力とその機構を理解することを目的とする研究領域である[1]。
日本では比較認知科学という名称が広く用いられており、ヒトを含むさまざまな動物の認知機能を比較して、認知機能の系統発生や進化を明らかにしようとする領域とされる[2][5]。
この研究では、単純に「どの動物が賢いか」を順位付けするのではなく、それぞれの種が生態環境に適応する過程で、どのような情報処理能力を進化させてきたのかを比較することが重要となる[1]。
研究史
比較心理学と学習研究
動物の認知能力に関する科学的研究は、比較心理学や動物学習研究を基盤として発展した。
20世紀前半から中頃にかけての心理学では、古典的条件づけやオペラント条件づけなど、観察可能な刺激と行動との関係を分析する研究が大きな影響力を持った。この伝統は現在の比較認知研究にも重要な実験的方法を提供している[2]。
その後、心理学における認知革命などを背景として、動物の行動を記憶、表象、カテゴリー、推論などの情報処理過程から説明する研究が発達した[6]。
動物行動学との融合
動物の認知研究は、実験室内の学習研究だけでなく、動物行動学や行動生態学からも大きな影響を受けた。
自然環境における動物の採食、空間移動、社会関係、コミュニケーションなどを研究することで、認知能力がその種の生態においてどのような機能を持つのかが検討されるようになった。比較認知科学は、心理学的実験と進化・生態学的視点を組み合わせる学際領域として発達してきた[3][7]。
主要な研究領域
知覚と注意
動物が視覚、聴覚、嗅覚などを通じてどのように環境情報を処理するかは、動物認知研究の基本的なテーマである。
実験では、複数の刺激から特定の刺激を弁別する課題や、刺激の特定の特徴に選択的に注意を向ける課題などが用いられる。ハトなどは視覚的弁別やカテゴリー化、視覚探索の研究に長く利用されてきた[2]。
動物種によって主要な感覚様式が異なるため、ヒトの視覚を基準に設計された課題が他種の能力を適切に測定できるとは限らない。そのため、それぞれの種の感覚・運動特性を考慮した課題設計が必要である。
学習
動物は経験によって行動を変化させる。動物学習研究では、古典的条件づけ、オペラント条件づけ、弁別学習などの過程が詳細に研究されてきた。
比較認知研究では、学習を単なる刺激と反応の結び付きとして研究するだけでなく、動物がどのような情報を表象し、経験を新しい状況へどのように一般化するのかについても検討される[6]。
記憶
動物の記憶については、短期記憶、長期記憶、空間記憶、出来事記憶などが研究されている。
例えば、食物を貯蔵する鳥類が、どこに何を貯蔵したかを記憶する能力などは、自然環境における生態と記憶機能の関係を研究する例となっている。
ヒトのエピソード記憶に類似した能力が動物に存在するかについても研究されている。ヒトの主観的な「過去を再体験する」という経験を動物から直接報告させることはできないため、比較認知研究では行動的基準を用いたエピソード様記憶(episodic-like memory)などの概念が利用される[8]。
カテゴリー化と概念形成
動物が異なる刺激を共通のカテゴリーとして扱えるかという問題も研究されている。
例えばハトや霊長類などを対象に、複数の画像を「同じ種類」として分類したり、物理的に異なる刺激間の関係を学習したりする能力が調べられてきた[2]。
こうした研究は、ヒトの概念形成や言語的カテゴリーの基盤となる認知過程が、どの程度ヒト以外の動物と共有されているかを考える手掛かりとなる。
数量認知
動物が数や量の違いを認識する能力も比較認知研究の主要な領域である。
動物は必ずしもヒトのような数詞や数学記号を用いなくても、集合の大小を区別したり、数量の順序を判断したりする能力を示すことがある。数量、順序、加減などに関連する認知能力について、霊長類、鳥類、魚類など多様な動物で研究が行われている[4]。
空間認知
動物が環境内の場所や方向を記憶し、移動する能力を空間認知という。
採食場所への移動、巣への帰還、貯蔵した食物の回収など、生存に直接関係する行動に空間認知が用いられる。ランドマーク、距離、方向、幾何学的配置などの情報を動物がどのように利用しているかが研究されている[4]。
問題解決と道具使用
動物が新しい課題に対して解決方法を見いだす能力や、外部の物体を利用して目的を達成する道具使用は、動物認知の代表的な研究テーマである。
霊長類だけでなく、カラス科などの鳥類を含む複数の動物で道具使用が報告されており、物体の物理的性質に関する理解や問題解決との関係が研究されている。道具使用は、それだけで特定の高度な推論能力を証明するものではないため、行動が単純な学習によって説明できるか、因果関係の理解を必要とするかなどが検討される[3][4]。
社会的認知
社会学習
社会学習(social learning)は、他個体の行動やその結果を観察することによって情報を獲得することである。
社会学習には、他個体への注意による学習、観察学習、模倣など、複数の機構が含まれる。哺乳類だけでなく鳥類、魚類、昆虫などでも他個体からの情報利用が研究されている[9]。
社会学習によって行動が個体間・世代間に伝達されることから、動物における文化の研究とも密接に関連している。野生動物で社会的伝達を実証するためには、集団間の行動差だけでなく、生態的・遺伝的差異などの代替説明を除外する必要がある[10]。
他者の心の理解
ヒト以外の動物が、他個体の知識、意図、視点、信念などの心的状態を理解できるかという問題は、比較認知科学における主要な論争の一つである。
この能力はしばしば心の理論(theory of mind)との関連で研究される。例えば霊長類が他個体の視線や知識状態に応じて行動を変えるかなどが実験されてきた[3]。
しかし、観察された行動が他者の心的状態についての推論によって生じたのか、それとも学習された行動規則によって説明できるのかを区別することは容易ではない[11]。
自己認知
動物が自分自身をどのように認識しているかを研究する代表的な方法として鏡像自己認知(mirror self-recognition)がある。
鏡像自己認知研究で広く知られているのがミラーテスト(mark test)である。通常は、動物自身から直接見ることのできない身体部位に印を付け、鏡を見た際にその印に対する自己指向的行動が増えるかを調べる[12]。
チンパンジーなどの大型類人猿で自己鏡像認知の証拠が得られたほか、ハンドウイルカでも鏡を利用して身体につけられた印を調べる行動が報告されている[13]。
一方、ミラーテストに合格しないことが直ちに自己認知能力の欠如を意味するとは限らない。視覚が主要感覚ではない種に視覚的な鏡課題を用いることなど、種ごとの知覚特性が結果に影響する可能性がある。また、鏡像自己認知と、自らの心的状態を理解する意味での広範な自己意識は区別する必要がある[12]。
将来予測と計画
動物が現在の状況だけでなく、将来の必要性を見越して行動できるかという問題も研究されている。
将来に使用する道具を選択する課題、食物貯蔵、将来の報酬を考慮した選択などを通じて、ヒトの「心的時間旅行」に類似する能力の有無が検討されている[4]。
ただし、将来指向的に見える行動についても、現在の動機状態や過去の強化履歴によって説明できる可能性を除外する必要がある。
推論と連合学習をめぐる論争
動物認知研究における長年の論点の一つは、複雑に見える動物行動を連合学習のみで説明できるか、それとも推論・表象などのより複雑な認知過程を仮定する必要があるかという問題である[11]。
同じ行動結果が異なる認知過程によって生じ得るため、単に課題に「成功した」という結果だけから認知機構を特定することは困難である。
このため現代の研究では、複数の仮説が異なる予測を生むような実験条件を設定し、単純な連合学習説とより高度な認知仮説を区別しようとする方法が用いられる[11]。
研究方法
実験室研究
伝統的な動物認知研究では、実験室内で刺激や報酬を厳密に統制する方法が用いられてきた。
動物にレバーを押させたり、複数の画像から刺激を選択させたり、迷路を移動させたりすることで、学習、注意、記憶、カテゴリー化などの能力を測定する。
実験室研究は条件を厳密に統制できる利点がある一方、人工的な課題が自然環境における動物の認知能力を十分に反映しない可能性がある。
動物園・飼育環境での研究
比較認知研究は、動物園やその他の飼育施設でも行われる。
動物園では多様な種を研究でき、実験条件をある程度統制しながら、実験室より自然に近い社会・物理環境で認知能力を研究できる。コンピューターやタッチスクリーンなどを利用した認知課題も用いられている[7]。
野外研究
野生動物の研究では、自然環境における採食、道具使用、社会学習、コミュニケーション、空間記憶などが観察・実験される。
野外研究は高い生態学的妥当性を持つ一方、遺伝的要因、生態環境、過去の経験など多数の要因を完全に統制することが難しい。このため、野外観察と統制実験を組み合わせる方法が利用される[7]。
方法論上の問題
擬人化
動物の行動をヒトの心的状態になぞらえて説明する擬人化は、動物認知研究における重要な方法論的問題である。
ある行動がヒトでは特定の感情や思考を反映するからといって、別の動物で同じ行動が同じ心理過程によって生じているとは限らない。
一方で、ヒトと他の動物の認知過程を一切比較しないことも、進化的連続性を研究する比較認知科学の目的とは相容れない。そのため、観察された行動からどこまで心的過程を推論できるかについて、慎重な実験的検証が求められる。
種間比較
異なる動物種に同じ課題を与えて結果を直接比較する場合、身体能力、視覚・聴覚などの感覚特性、動機づけ、生活史などが異なることが問題となる。
例えば、ある種が課題に失敗しても、それが認知能力そのものの欠如ではなく、課題を理解しにくい、適切な感覚情報を利用できない、報酬への動機が低いなどの要因による可能性がある。
したがって、種間比較では、各種の生態と知覚・運動能力を考慮した実験デザインが必要となる。
認知能力の「限界」
動物認知研究では、動物が何を「できるか」という肯定的結果が注目されやすい。
HowardとBarronは、認知能力の進化を理解するには、動物がどこまで可能かだけでなく何ができないか、認知能力の限界がどこにあるかを研究することも重要だと論じている[14]。
しかし、動物が課題に失敗した場合、その結果が本当に認知能力の限界を示すのか、それとも実験方法の問題によるものなのかを区別することは難しい。また、肯定的で意外性のある結果が出版されやすい出版バイアスも問題として指摘されている[14]。
研究対象となる動物
動物認知研究では、多様な分類群が対象となっている。
歴史的には、実験室で飼育しやすいラット、マウス、ハトや、ヒトとの系統的近縁性からチンパンジーなどの霊長類が多く研究されてきた。
その後、カラス科、オウム、イルカ、ゾウ、イヌ、魚類、タコなどの頭足類、ミツバチなどの昆虫を含む幅広い動物へ研究対象が拡大した[1]。
こうした研究対象の拡大によって、複雑な認知能力が単一の系統だけで進化したのではなく、異なる神経系を持つ動物で独立に類似した機能が進化した可能性、すなわち認知能力の収斂進化についても研究されている。例えば、イルカと大型類人猿の鏡像自己認知の類似は、認知的収斂の一例として論じられている[13]。
ヒト認知の理解との関係
動物認知研究の目的の一つは、ヒト以外の動物そのものの心的能力を理解することである。
同時に、種間比較によって、ヒトの認知能力のどの部分が他の動物と共有された古い進化的起源を持ち、どの部分がヒト系統で特に発達したのかを検討することができる[1][2]。
そのため、動物認知研究は認知科学、進化心理学、発達心理学、神経科学など、ヒトの心を研究する分野にも知見を提供している。Vallortigaraらは、物体、数量、空間、他の主体などについての基礎的な認知システムを動物とヒトの発達研究の双方から比較することの重要性を論じている[4]。
脚注
- 1 2 3 4 5 6 Beran, Michael J.; Parrish, Audrey E.; Perdue, Bonnie M.; Washburn, David A. (2014). “Comparative Cognition: Past, Present, and Future” (英語). International Journal of Comparative Psychology 27 (1). PMC 4239033. PMID 25419047.
- 1 2 3 4 5 6 実森正子「動物の認知プロセスの理解と学習・行動研究―短期記憶, カテゴリ化, 等価性, 視覚探索をめぐって―」『動物心理学研究』第63巻第1号、2013年、7–18頁、doi:10.2502/janip.62.2.1。
- 1 2 3 4 5 Boysen, Sarah T.; Himes, Gary T. (1999). “Current Issues and Emerging Theories in Animal Cognition” (英語). Annual Review of Psychology 50: 683–705. doi:10.1146/annurev.psych.50.1.683.
- 1 2 3 4 5 6 Vallortigara, Giorgio; Chiandetti, Cinzia; Rugani, Rosa; Sovrano, Valeria Anna; Regolin, Lucia (2010). “Animal cognition” (英語). Wiley Interdisciplinary Reviews: Cognitive Science 1 (6): 882–893. doi:10.1002/wcs.75.
- ↑ 藤田和生『比較認知科学』放送大学教育振興会、2017年。ISBN 9784595317040。
- 1 2 Roitblat, Herbert L.; von Fersen, Lorenzo (1992). “Comparative Cognition: Representations and Processes in Learning and Memory” (英語). Annual Review of Psychology 43: 671–710. doi:10.1146/annurev.ps.43.020192.003323.
- 1 2 3 MacDonald, Suzanne E.; Ritvo, Sarah (2016). “Comparative Cognition Outside the Laboratory” (英語). Comparative Cognition & Behavior Reviews 11: 49–62. doi:10.3819/ccbr.2016.110003.
- ↑ “Memory and Recall Overview” (英語). The Cambridge Handbook of Animal Cognition. Cambridge University Press. (2021). pp. 117–139. doi:10.1017/9781108564113.009
- ↑ Gariépy, Jean-François; Watson, Karli K.; Du, Eddy; Xie, Dali; Erb, Jeff; Amasino, David; Platt, Michael L. (2014). “Social learning in humans and other animals” (英語). Frontiers in Neuroscience 8: 58. doi:10.3389/fnins.2014.00058. PMC 3982061. PMID 24765063.
- ↑ (英語) The growing methodological toolkit for identifying and studying social learning and culture in non-human animals. (2025). PMC 12044376. PMID 40308147.
- 1 2 3 “Reasoning versus association in animal cognition: Current controversies and possible ways forward” (英語). Journal of Comparative Psychology. (2016). doi:10.1037/com0000024. PMID 27512822.
- 1 2 (英語) Sociality and self-awareness in animals. (2023). PMC 9881685. PMID 36710826.
- 1 2 Reiss, Diana; Marino, Lori (2001). “Mirror self-recognition in the bottlenose dolphin: A case of cognitive convergence” (英語). Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 98 (10): 5937–5942. doi:10.1073/pnas.101086398. PMC 33317. PMID 11331768.
- 1 2 Howard, Scarlett R.; Barron, Andrew B. (2024). “Understanding the limits to animal cognition” (英語). Current Biology 34 (7): R294–R300. doi:10.1016/j.cub.2024.02.043. PMID 38593777.
参考文献
- 藤田和生『比較認知科学』放送大学教育振興会、2017年。ISBN 9784595317040。
- 実森正子「動物の認知プロセスの理解と学習・行動研究―短期記憶, カテゴリ化, 等価性, 視覚探索をめぐって―」『動物心理学研究』第63巻第1号、2013年、7–18頁、doi:10.2502/janip.62.2.1。
- Beran, Michael J.; Parrish, Audrey E.; Perdue, Bonnie M.; Washburn, David A. (2014). “Comparative Cognition: Past, Present, and Future”. International Journal of Comparative Psychology 27 (1). PMC 4239033. PMID 25419047.
- Boysen, Sarah T.; Himes, Gary T. (1999). “Current Issues and Emerging Theories in Animal Cognition”. Annual Review of Psychology 50: 683–705. doi:10.1146/annurev.psych.50.1.683.
- Vallortigara, Giorgio; Chiandetti, Cinzia; Rugani, Rosa; Sovrano, Valeria Anna; Regolin, Lucia (2010). “Animal cognition”. Wiley Interdisciplinary Reviews: Cognitive Science 1 (6): 882–893. doi:10.1002/wcs.75.