大留城
(愛知県) | |
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大留城石碑 | |
| 城郭構造 | 平城 |
| 築城主 | 村瀬作左衛門 |
| 築城年 | 天文15年(1546年) |
| 主な城主 | 村瀬氏 |
| 廃城年 | 天正12年(1584年) |
| 遺構 | 空堀、石碑 |
| 位置 | 北緯35度15分32.7秒 東経137度1分37.4秒 / 北緯35.259083度 東経137.027056度座標: 北緯35度15分32.7秒 東経137度1分37.4秒 / 北緯35.259083度 東経137.027056度 |
概要
現在は子安神明社、畑、宅地になっており、開発により遺構はほとんど壊されたが子安神明社の北側に二の丸の空堀だけが残る。近くには大留荒子古墳や下大留城跡地がある。
歴史
天文15年(1546年)に村瀬作左衛門が築城した。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際には、豊臣秀吉側に味方した。 池田恒興が率いる大軍は、大留城内で城主である村瀬作左衛門らと軍議を開いたが、翌日に長久手で徳川家康軍に敗れて、村瀬作左衛門も池田恒興、森長可らとともに討死し、大留城は廃城になった。
所在地
ギャラリー
脚注
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関連項目
