石井忠尊

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石井 忠尊
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 元亀元年8月12日(1570年9月11日)
別名 孫三郎
主君 龍造寺隆信
氏族 肥前石井氏(藤原氏)
父母 父:石井忠繁
母:大乗坊長勝女
兄弟 忠高(義兄)、忠次、忠尊
子 正国
養子:光則(龍造寺家就の子)
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石井 忠尊(いしい ただのり)は、戦国時代の武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏の家臣。通称は孫三郎。

経歴

龍造寺氏の重臣石井石見守忠繁の三男として誕生。母は大乗坊長勝の娘で佐賀藩祖鍋島直茂の従姉にあたる。忠尊は鍋島清久のひ孫である。父、兄と共に龍造寺隆信に仕えた。

元亀元年(1570年)、肥前国に侵攻した大友宗麟の軍勢に備え、隆信の命を受け、一隊を率いて肥前国高尾村に布陣した。

大友方の田尻鑑種隊と交戦。忠尊らは兵力では田尻隊に劣っていたものの、忠尊が陣中で「ここを豊後・筑後勢に突破されては、肥前武士の恥辱である。ここは一兵たりとも通すな」と配下の将兵に檄を飛ばし、忠尊ら主従8名は敵陣深くに攻め込み討死した。田尻隊は忠尊らの攻撃が執拗であったため、攻略を諦めて、撤退した。

家督は子の五郎右衛門正国が継ぎ、後に蓮池城番をつとめた。孫の治部左衛門正則は、島原の乱の際には、小荷駄奉行として活躍した。

子孫は佐賀藩主鍋島氏に仕えて、曾孫の九郎右衛門正證の代には、着座として遇されている。

参考文献