藤原忠隆

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
藤原 忠隆
時代 平安時代後期
生誕 康和4年(1102年)
死没 久安6年8月3日(1150年8月26日)
官位 従三位、非参議
主君 白河上皇→堀河天皇→鳥羽上皇
氏族 藤原北家中関白家
父母 父:藤原基隆、母:藤原長忠の娘
兄弟 忠隆、隆頼、雅隆、経隆、藤原成通室、藤原信通室、美福門院女房少将局
妻 藤原栄子(藤原顕隆の娘)
藤原公子(藤原顕頼の娘)
藤原季孝の娘
子 隆教、基成、信頼、家頼、信説、近衛基実室、俊成、信家、尋忠、藤原隆季室
テンプレートを表示

藤原 忠隆(ふじわら の ただたか)は、平安時代後期の公卿。藤原北家中関白家、非参議・藤原基隆の長男。官位は従三位・非参議。

経歴

院庁の年預を務めるなど、鳥羽院政期を代表する院近臣として活躍した。また鷹狩を好み、馬術にも優れるなど、武の道においても一目置かれる存在であり、平忠盛ら武人とも広く交流した。信西も『本朝世紀』の中において「数国の刺史を経て家富財多し。性、鷹、犬を好む。人がため施しを好み、その報いを望まず。世、その態度に伏す」と述べ、その器量の大きさに称賛を送っている。

忠隆の武を好む資質を受け継いだ四男・信頼は、後年に平治の乱の首魁となる。

官歴

系譜