蜷川就之

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
蜷川就之
時代 江戸時代
生誕 元和8年(1622年)
死没 貞享2年4月24日(1685年5月26日)
改名 蜷川亀之介(幼名)→蜷川就之(就言)
別名 権左衛門(通称)、就言
官位 右衛門佐(官途名)
主君 毛利秀就→綱広→吉就
藩 長州藩
氏族 物部氏流蜷川氏
父母 父:蜷川元勝
子 親賢
テンプレートを表示

蜷川 就之(にながわ なりゆき)は、江戸時代前期の武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。諱は就言(なりのぶ)とも。

生涯

元和8年(1622年)、長州藩士の蜷川元勝の子として生まれる。

寛永4年(1627年)に父・元勝が死去したため、寛永6年(1629年)10月28日に父の譲状に従って200石の知行地と家督を相続した。寛永9年(1632年)8月1日に元服し、毛利秀就から「右衛門佐」の官途名と「就」の偏諱を与えられ、「就之(または就言)」と名乗る。

貞享2年(1685年)4月24日に64歳で死去した。子の親賢(百合作、新九郎、権左衛門)が跡を継いだ。

参考文献