郁久閭鉄伐

ウィキペディアから、無料の百科事典

郁久閭 鉄伐(漢音:いくきゅうりょ てつはつ、拼音:Yùjiŭlǘ Tiĕfá、? - 553年)は、柔然の可汗。郁久閭登注の次子。可汗号はない。

生涯

天保3年(552年)、阿那瓌が突厥に破られて自殺すると、その太子である菴羅辰・従弟の登注俟利(イルキン:官名)・登注の子の庫提らは、群衆を率いて北斉に亡命した。一方、本国に残った余衆は登注の次子の鉄伐を立てて可汗とした。

天保4年(553年)、北斉の文宣帝は登注と子の庫提を北へ送り帰した。そのころ鉄伐が契丹に殺されたので、国人は登注を立てて可汗とした。

脚注

    参考資料

    • 『北史』(列伝第八十六 蠕蠕)
    先代
    阿那瓌
    柔然の可汗
    552年 - 553年
    次代
    登注