高階寛経

ウィキペディアから、無料の百科事典

高階 寛経(たかしな の ひろつね、永仁2年(1294年) - 文和4年/正平10年12月28日(1356年1月30日))は、南北朝時代の公家。初名は従貞。従二位・高階重経の子。官位は正三位・右衛門権佐。

経歴

永仁7年(1299年)従五位下に叙爵。後二条朝では中宮権大進として中宮・徳大寺忻子に仕えたほか、木工頭や少納言を務めた。延慶元年(1308年)持明院統の花園天皇が践祚すると少納言を免ぜられ、官職を失う。

文保2年(1318年)大覚寺統の後醍醐天皇が即位すると、同年従四位下、元亨元年(1321年)従四位上、元徳元年(1329年)正四位下と昇進し、この間修理権大夫・右衛門権佐などを務めた。

その後の建武の新政での動静は明らかでないが、南北朝の分裂後は北朝に出仕したらしく、康永2年(1343年)従三位に叙せられて公卿に列し、貞和5年(1349年)正三位に至る。

文和4年(1355年)12月28日薨去。享年62。高階氏の氏人としては寛経が最後の公卿となった。

官歴

『公卿補任』による。

系譜

『系図纂要』による。

  • 父:高階重経
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:高階茂経

参考文献