幼少期よりピアノを習い、高校時代に軽音楽部に入部したことでギターやベースを弾きはじめる。20代前半にベーシストとして松井五郎と組んだバンドがヤマハポピュラーソングコンテスト関東甲信越大会で2年連続優勝しつま恋本選会に出場。これを機にヤマハ関連の仕事でベースを弾き始め、その後、東芝EMIの新人だった中原めいこのサポートから本格的にプロミュージシャンとしての活動がスタート。南佳孝、小林克也とザ・ナンバーワンバンド、斎藤誠、高橋研、坪倉唯子等のコンサートツアー、レコーディング、テレビ出演に参加する。一方、当時在籍していたロックバンド 「メドウス」が 東芝EMI / 渡辺プロダクションからメジャー・デビュー。その後バンドは解散するがプロデューサーだった石坂敬一が所属する東芝EMI第一制作部に在籍し音楽制作のノウハウを学ぶ。
そんな音楽活動の中で知り合った当時松任谷由実バンドの新川博と平塚文子と音楽ユニット「Yo!」を結成。そこで作曲活動を始め、ERI等アーティストへの楽曲提供、「あぶない刑事」等テレビ番組の作・編曲を行う様になる。また「Yo!」の受け皿として音楽制作/音楽家のコーディネートを行う「有限会社ウォナビーズ(現ゴーゴーミュージックパブリシングに統合)」を設立。会社社長としてのキャリアもスタートする。「メドウス」活動の中で出会った渡辺プロダクションに所属していた山下久美子、吉川晃司のサポートバンド「PaPa」は、ウォナビーズのアーティスト第一弾として1988年小路のプロデュースで東芝EMIからデビューを果たした。
その後、1989年音楽出版社「ゴーゴーミュージックパブリシング」を設立。中原めいこやガールズバンド 「PINK SAPPHIRE」のアルバム制作に関わり、PINK SAPPHIREは手掛けたデビュー曲「P.S. I LOVE YOU」がオリコンチャート最高位2位を獲得。その後も森川美穂他様々なアーティストのアルバムプロデュース・ライブのコーディネートやディレクションと活動の中心となっていった。
21世紀に入ると新人発掘を中心とした活動を積極的に行うと共に、自身のユニット「Lusy on the radio」を結成。あらたなフェイズとしての活動をスタート。その後、「ゴーゴーミュージックパブリシング(株)」作家セクション発足、自社レーベル「Divas-Lab」設立するなど新人発掘~育成をひとつの大きな柱として、更に精力的に活動を続けている。
※以上、ゴーゴーミュージックパブリシング(株) WEBページ「ABOUT US」「創業者/代表者PROFILE」より抜粋。
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