式日

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式日
ritual
監督 庵野秀明
脚本 庵野秀明
原作 藤谷文子
『逃避夢』
製作 鈴木敏夫
製作総指揮 徳間康快
ナレーター 松尾スズキ
林原めぐみ
出演者 岩井俊二
藤谷文子
村上淳
大竹しのぶ
音楽 加古隆
主題歌 Cocco
『Raining』
撮影 長田勇市
岩井俊二
編集 上野聡一
製作会社 スタジオカジノ
配給 徳間書店
公開 日本の旗 日本 2000年12月7日
上映時間 128分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 ラブ&ポップ
次作 キューティーハニー
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『式日』(しきじつ、SHIKI-JITSU、英語: ritual)は、2000年(平成12年)に公開された日本映画。監督・脚本は庵野秀明[1]。「式日」は「儀式を執り行う日」を意味する。

概要

『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年 - 1996年)などのアニメーション監督として知られる庵野秀明による実写映画第2作[1]。不幸な家庭と過去の体験に絶望し、現実世界を隔離して生活を送る少女の孤独で病的な精神世界の変遷を、非常に芸術的な映像で描き出した作品である。現実世界はフィルム撮影、精神世界はビデオ撮影とCGで区別している[1]。

2000年(平成12年)12月7日に東京都写真美術館にて初公開された[1]。

第13回東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞している[2][3]。

第27回東京国際映画祭の「庵野秀明の世界」で、東京国際映画祭で再び上映されている。

あらすじ

「カントク」は、宇部市に里帰りする。鉄路と巨大なコンビナート地帯、人影のないシャッター通りのアーケード商店街に、コンクリート製の電柱ばかりが目立つ寂れた街並み。物語の冒頭、赤いブラウスとヒールを纏い、線路に横たわる若い女性に気がつく。

彼女は「明日は私の誕生日なの」と語る。カントクはそれまで、東京で映像作家としての仕事をして、大きな成功を得たが、ヒットによって生まれた無力感や、本当は実写をやりたいという不満を溜め込んでいた。物語の全期間を象徴する31日間の、「私の誕生日」の前の日を共に送りながら、彼女とカントクは次第に心を開いてゆく。

カントクは、自分の作品の素材として、彼女の日々を撮り始めるようになる。眠らない彼女。毎朝6時に決まって、住居としている廃墟ビルの屋上に上って、身を投げる勇気を試す「儀式」。入ってはならないと言われたビルの地下室は、水浸しの床に赤い傘と赤いろうそくが一面に並ぶ。

二人で生活し始めるうち、当初は被写体としてしか捉えていなかったカントクだが、彼女がうちに秘める喪失感、自分を捨てた母親への憎しみ、常に比較の対象にされてきた姉への嫉妬など…虚構の世界に引きこもる動機に直面し、次第に彼女の心の問題そのものに取り組むようになる。やがて「錯乱した彼女の心」を持て余すようになった、カントクと彼女の間に……。

メインキャスト

スタッフ

製作

背景

スタジオジブリの第2レーベルとして設立されたスタジオカジノの第1回作品である。そのためか、ジブリコレクションのひとつとしてビデオ・DVD化されている。DVD-Videoに関しては、後に英語字幕がつけられ、アメリカ合衆国でもリリースされる。

当初は樋口真嗣と組み、徳間康快製作のスタジオジブリ発の実写特撮映画の企画だった[5][1]。

お花見の席で庵野が藤谷に会った時、藤谷が小説を書いていることを知った庵野が「小説と彼女そのものの魅力をフィルムに持ってこられないか」と思ったことから、企画が本作の形に移行し始めた。この時点で小説は未完だったが庵野が「続きを読みたい」と説得したことで、映画の話が進んでいった[6]。

企画が「藤谷の小説の映像化」「アート映画」の形で本格的に動いた際には「絶対に元が取れませんけど、大丈夫ですか?」と庵野が躊躇したものの、徳間康快が「世界に出せる日本文化の一つとして、挑戦してほしい」「失敗しても構わない」「今回儲からなくても、次で儲かればいい。好きにやってほしい」と制作を強く勧めたため、正式に長編映画として制作された[7][5]。

美術館での上映となったことが象徴するように、芸術性の高い作品であり「エンターテインメント」や「大衆・万人受け」を全く目指しておらず、庵野は「100人中3人に届けばいい、でもその3人の心に一生残る作品にしたい」と思える映画作品作りに徹しており、作中でもそうした映像を批判する[8]。

脚本

藤谷文子の書いた小説『逃避夢』が原作で[1]、藤谷本人が主演した。この原作も、藤谷自身の家族問題が下地になっている。庵野は原作に対して「頭のおかしな女の子の話で、文法を無視して書きたいことを書いた面白い作品」と評しつつも、そのまま忠実に映像化するのは無理があったため、「キャラクター、主に『彼女』の構造」「逃げ出したい程の『悲しみ』、キャラクター達がそれぞれ抱える『孤独』、過去故に抱いている『妄想』、生きることへの『意味』」等原作の根底となるものを抽出して尊重しながらも、全く別の構成に改変した[7]。藤谷は「『変えられて嫌だ』とは全然思わない。面白いものになるなら、どんどん変えてもらいたい」「雰囲気・匂い等の基本さえ変わらなければいい」と後押しし、プロットの段階から、正式稿になる段階まで、1ページ毎に庵野・南里幸・藤谷の3人で話し合いを何度も重ねていった。特に庵野に至っては、アイディアが浮かぶ度に藤谷に電話で確認をとった[9]。劇中で合成に使用しているイラストも藤谷が描いたものを用いている[1]。

庵野は「個人として収束させたくない」という思いから、敢えてキャラクターの固有の名前を作らなかった[4]。

撮影前に鈴木敏夫が初期稿を読んだ際、「これはわかりやすすぎる。簡単に尻尾を掴まれて、理解できる様な作品じゃダメだ。もっと謎が謎を呼ぶ、難解な展開にしたらどうかな」と提案をしたところ、庵野は「難解にする方が難しいけど、そうします」と笑ったという[10]。そうしてできた決定稿を読んだ鈴木は「正直びっくりしたのを覚えています。庵野は『フィクションの“虚”を描き、ドキュメンタリーとしての“実”も少しある』と言っていたけど、僕は逆だと思ったんです」と話している。庵野は「男性の声のナレーションに、僕の嘘のない当時の心境が反映されたのかな」と答えている[8]。

女性の声のナレーションは、藤谷がプライベートで書き溜めていた詩を庵野がピックアップして引用した[6]。

ラストシーンに近い尺が残り5分の1のパートは撮影の段階になっても、「以下未定」のまま何も決まっておらず、最後の撮影が休みの日にギリギリで上げたが[11]、大竹・藤谷・岩井が一堂に会するシーンに至っては台本無しで役者の即興劇で撮影され[7]、リハーサル無しでテイクも4回だけだった。役者やスタッフから、「こういう終わり方はどうか」という意見が出てきて、それを元に4回分のテイクから一番いいものを凝縮する様に編集した[11]。庵野は「生々しいシーンを撮る時は演劇的な画面にすることで、中和してバランスをとる様にした」[12]「ラストを決めてしまうと、みんなが『それに向かって作ればいいんだ』となってしまってつまらなくなる」[11]と語っている。

キャスティング

映画監督の岩井俊二がこの映画で初めて俳優として出演している。当初は庵野が岩井の担当する役を演じる予定だったが、「撮影現場で演出しながら、役者になるのは難しい」という理由で、他の人が担当することになった。庵野の「この役は本当の監督にやってもらいたい」と注文して、「設定が監督」と聞いた鈴木がすぐに岩井を思い浮かべた[13]。作中、岩井がワープロを打っているシーンは「現場では仕事の文章を真面目に作っている」と庵野が語り、実際に岩井はそのシーンでは「リリイ・シュシュのすべて」の脚本を執筆していた[5]。

岩井を起用した理由として庵野は「ビジュアルです。見た目が格好良いから」と話している[8]。

劇中では折々に主人公2人の独白がナレーションとして流れるが、「それですら嘘か本当かわからない、二転三転する様な客観性をモノローグに持たせたい」という庵野の意向から、松尾スズキ・林原めぐみ・映像ソフト版の音声特典では、松尾が担当した部分を藤谷によって語らせる様にしている[12]。

撮影

物語の舞台およびロケ地は、庵野の出身地である山口県宇部市である[1]。作品中では基底として標準語や関西弁が使用されているものの、後半では効果的に山口弁が使用されている。ロケ地に宇部市を選んだ理由として、フィルム撮影のベテランスタッフと組むため、どうやったら監督として主導権を握れるかを考えた時に、「自分が撮影する場所を知っている」という所を武器にし、庵野なりのバランスをとった[10]。

映像演出としては「映画と言えばシネマスコープ」という庵野の原体験に基づき、コンセプトは「シネマスコープの『2.35:1』という横縦の比率を生かす」「部屋はインスタレーションの様な作り込んだ美しさを作る」「風景描写は場所の説明だけでなく、見ている人・キャラクターの心の動き等、別のものを映し出す様にする」「アニメの場合、色がメタファーとして伝えやすい。キャラクターの区別として、色分けは最後の手段になる。『カントク』は黒・『彼女』『彼女の母親』は赤・『彼女の姉』は青と、アニメの色彩設定のノウハウを実写に持ち込む」ことを狙う様にした[4]。後年、庵野は本作品の撮影テーマについて「主人公らの精神的な観念を映像に置き換えた世界観」であったと述べている[14]。

アニメ作品が中心であった庵野が、それまでの実写作品はDVカメラによるものだったため、35ミリフィルム・アナモルフィックレンズを使用した実写映画作品は、これが初めてである[7][5][14]。これは「とにかく『赤』をきれいに見せることができるフィルムを選びたい」という庵野の意向であり、様々なフィルムをテストした結果コダックの「EKIR 20」を使用することにした[4]。ただし、「頭の中を覗く様なイメージシーン」はハイビジョンカメラを使用している[15][16]。こちらはソニーのCineAltaを使用しており、オムニバス・ジャパンが導入したテスト機を試用として無償で使うことができた[16]。

撮影期間は1ヶ月。その間はキャスト・スタッフ共に舞台となる山口県宇部市から一歩も外に出なかった。DVカメラが使用されたシーンでは、庵野と岩井の2人だけで撮ったシーンがあり[12]、比率でいえば、ほとんどは岩井が撮影した。庵野は「観客が『カントク』の主観・視点をイメージできれば」と語っている[4]。

「彼女」が住居としているビルも太陽家具百貨店が1994年の移転に伴って、当時廃屋となっていた山口県宇部市中央町の宇部本店跡である7階建てのビルの中でセットが組まれた[4]。美術の林田裕至は、当初庵野がスタッフと喋らず、脚本も抽象的であったため、求められているものがわからず苦労した旨を語っている[17]。

小学生が出てくるシーンのみ岩井が実質的な監督を務めている。庵野が「演技していることを意識しないで、好きな方向に行っていいよ」と指示を出したら上手くいかずに、しびれを切らした岩井が小学生達に指示を出した[8]。

庵野の「自分が立ち位置・動き・表情まで決めてしまうと、役者がそれを待ってしまう」「役者が考えた方が僕が持ってくるものよりいい」という意向から、演技プランは全て役者に任せていた[11]。キャストが「ここはどう演じましょうか」と聞くと、庵野は「好きにどうぞ」という放任主義だった。藤谷は慣れるまでに時間がかかったが、普通だったら美術スタッフが作って、役者が触ることがない部屋の小道具の配置について庵野は「キャラクターとしてではなくて、あなただったらどう置くのか?」とキャストに決めさせた。その姿勢に藤谷は「隅々まで動いていいんだ」という気持ちになった。ただ、藤谷は撮影時のテンションをしばらく引きずってしまい、一緒に住んでいる家族にひたすら喋り続けてしまった[12]。

岩井は「普段は監督をしているので、『俳優』として挑むと身軽に感じました。監督は現場であっちからもこっちからもスタッフに対応するので」と振り返っている[8]。

カメラは予め決められた場所に持っていって、カメラの位置・画面の切り方・実景等にこだわり、絵に対して意図的にコントロールしていった[18]。

作品は岩井の影響を強く受けているように見えるとも言われており、全体的に岩井テイストの音楽、編集、テロップなどが出てくるが、その映像の構図、撮り方などは庵野独特のものに他ならない。庵野特有の映像、カットが実写にも取り入れられ、映像作家として、彼の世界を垣間見ることができる。

評価

原作者でもあり、主演でもある藤谷は「ラストの一部は精神性・観念的なイメージで書いた原作と一番違っていて、映画では会話で成り立たせた。『現実に流れている空気』が伝わるシーンでこれは実写だからこその醍醐味」「現場の人間として、少しは強くなれた様に思います。『遠慮する時はして、しなくていいときはしない』というやり方が少しわかりかけてきた様な気がするんですよ」「映画の根底にあり、ベースになっているものは、小説で自分が求めていたものと一緒だった」と感謝の意を示している[12]。

岩井は「僕にとっては、宇部市全てがこの映画であり、この映画が宇部市そのもの。撮影中は静止した時間の中にいた1ヶ月でした。この空気を堪能してもらえたら」と称している[8]。

村上隆は「庵野さんのアニメは異常に綿密な書き込みをされていて、その果てに見えた『リアルな世界』があった。本作は全く逆で、舞台の書き割りの様な背景が何度か出てくる『アンチリアル』な世界観。その前に役者が立って、ギリギリの所でリアリティを出してくる。そういう意味では、今までとは違う方向からリアリティを使って、攻めている気がしました」と評し、庵野は「生の人間をより生らしく見せるためには、その周りを無機質にした方が、中心にいるキャラクターがより生に見える。後は『生だから、周りは虚構っぽくした方がバランスがとれる』という消去法的な演出論かもしれません」と返している[11]。

本広克行は「庵野さんのテーマは『新世紀エヴァンゲリオン』から終始一貫しているんだな、と。言葉にすると陳腐ですけど、見ると何かが残りますね。『なんだこのもやもやするのは』って、すごく色んなことを考えてしまいました。もっと芸術的にしていると思ったら、全然違った。娯楽性がちゃんとあって、最後の展開まで構成がちゃんと流れていて、楽しめました」と称賛している[19]。

松蔭浩之は「ナレーションのインサートがたくさん入っていて、どうしても何度も泣いてしまうんですよ。特に『カントク』の独白はたまらなかった。チャールズ・ブコウスキーの小説を読んでいるみたいだった」「『カントク』の持っている雰囲気が、フランス映画で見られる『アンニュイ』『倦怠感』『退廃』ではなくて、日本人独特の『何かを持て余している。だけど、あがくのもなぁ』という『憂鬱』がポイント。『憂鬱』を描かせたら庵野さんが世界一だ」と称賛している[4]。

アニメ批評家の池田憲章は、「永遠に続くかと思う『誕生日の前日』の『今の思い』が長田勇市撮影監督と長田達也照明監督の力強い映像で画面に刻印されていく。少女と監督が2人だけで街を部屋を彷徨う映像が圧巻で、ラストの現在に帰還する少女のセリフの鮮やかな微笑み。実験的な作品スタイルだが、映像の力を感じた」と語った[20]。

製作に関与した鈴木敏夫は「よく『自伝』と称した小説や映画があるが、そのほとんどが美化が入ったフィクションでしかない。しかし、庵野は違う。そもそも彼は『等身大の自分自身をそのままさらけ出すのが映画作りだ』とかたくなに信じこんでいるのだ。『式日』はその庵野秀明の映画作りが最もピュアにほとばしり出た作品になった。『新世紀エヴァンゲリオン』が好きな人は、ぜひ『式日』を見るといいと思う。より深く『エヴァ』の本質が分かる、いわば“副読本”みたいな映画だ」と話している[21]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 平成大特撮 2019, p. 316, 文・モルモット吉田「一般映画の特撮 作品レビュー」
  2. ↑ “第13回(2000) 受賞結果”. 東京国際映画祭公式サイト. 公益財団法人ユニジャパン. 2025年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月23日閲覧。
  3. ↑ “庵野監督からメッセージ(第13回東京国際映画祭 優秀芸術貢献賞受賞)”. 『式日』公式サイト. スタジオカジノ. 2001年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月1日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 美術出版社刊「美術手帖」2001年4月号「[対談] 庵野秀明×松蔭浩之 視線の構造学と色彩の論理額」pp.16-21より。
  5. 1 2 3 4 “庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【実写映画編】アニメで感じた限界と実写でしか撮れない映像とは?Part2”. MOVIE WALKER PRESS (2014年10月28日). 2023年3月28日閲覧。
  6. 1 2 角川書店刊「東京ウォーカー」2000年11月28日号「式日 対談 庵野秀明 岩井俊二」pp.99-101より。
  7. 1 2 3 4 徳間書店刊「アニメージュ」2000年10月号「式日 特報 庵野秀明×スタジオジブリ 実写を撮る」pp.8-9より。
  8. 1 2 3 4 5 6 “岩井俊二を「式日」主演に抜擢した理由は?庵野秀明・鈴木敏夫が制作当時を振り返る”. 映画ナタリー (2025年12月19日). 2025年12月20日閲覧。
  9. ↑ 徳間書店刊「アニメージュ」2001年1月号「ガメラに恋して、式日で開花。」p.97より。
  10. 1 2 キネマ旬報社刊「キネマ旬報」2007年9月上旬号「『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』エヴァンゲリオンが遺した12年の軌跡、そして未来」p.32より。
  11. 1 2 3 4 5 マドラ出版刊「広告批評」2000年12月号「村上隆/庵野秀明 描くべきものがなにもないヘナチョコ世代であることからの出発」pp.102-104より。
  12. 1 2 3 4 5 キネマ旬報社刊「キネマ旬報」2000年12月下旬号「作品特集 式日」pp.64-68より。
  13. ↑ “THE GUEST VOLUME 02 スタジオジブリ プロデューサー論 岩井俊二×鈴木敏夫”. JAPAN FM NETWORK (2004年3月30日). 2023年4月19日閲覧。
  14. 1 2 「インタビュー / 庵野秀明 第4部 キャスティングから撮影現場」『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』企画・責任編集 庵野秀明、企画・編集・発行:カラー 販売:グラウンドワークス、2016年12月30日、512頁。ISBN 978-4-905033-08-0。
  15. ↑ 美術出版社刊「美術手帖」2004年6月号「digi+KISHIN×庵野秀明 欲望の写し取り、緊張感の制御への挑戦」pp.32-33より。
  16. 1 2 平成大特撮 2019, pp. 304–307, 「対談:尾上克郎&大屋哲男」
  17. ↑ 「美術インタビュー 林田裕至」『シン・ゴジラ GENERATION』ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2017年7月31日、60 - 61頁。ISBN 978-4-7986-1417-5。
  18. ↑ 講談社刊「GAINAX INTERVIEWS」堀田純司著p.74より。
  19. ↑ 角川書店刊「月刊ニュータイプ」2001年4月号「庵野秀明 × 本広克行 DREAM TALK ジャパニーズ・エンターテインメントとは?」p.119より。
  20. ↑ 『文藝別冊 庵野秀明 アニメと実写の映像革命』河出書房新社、2004年5月30日、27頁。ISBN 4-309-97679-4。
  21. ↑ “庵野秀明監督:実写作品集が発売 ジブリ鈴木Pが「『エヴァ』の“副読本”」と呼ぶ作品も…”. MANTANWEB (2016年7月20日). 2023年9月8日閲覧。

参考文献

外部リンク