郡築

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郡築
八代市の地域(郡築校区)[1]
所属 日本・熊本県八代市
位置 八代市西部、八代海沿岸[2]
人口 4,959人
世帯数 2,786世帯
統計基準日 2026年9月1日
(郡築校区、外国人を含む)[3]

郡築(ぐんちく)は、熊本県八代市西部の八代海沿岸に位置する地域。市の地域づくりでは郡築校区として扱われる[1][2]。かつて当地に存在した自治体の郡築村(ぐんちくむら)は、1954年(昭和29年)に八代市へ編入された。

地理・人口

旧村の村域は、八代海(不知火海)の干拓によって造成された新田地帯に広がっていた。現在も「郡築一番町」から「郡築十二番町」までの町名にその名が残っている。これらの町は、郡築小学校の通学区域となっている[4]。

町名と郵便番号

郡築地区の町名と郵便番号は次のとおりである[5]。

町名郵便番号
郡築一番町866-0024
郡築二番町866-0023
郡築三番町866-0022
郡築四番町866-0021
郡築五番町866-0008
郡築六番町866-0007
郡築七番町866-0006
郡築八番町866-0005
郡築九番町866-0004
郡築十番町866-0003
郡築十一番町866-0002
郡築十二番町866-0001

現在の人口

八代市の校区別人口・世帯数によると、2026年9月1日現在の郡築校区は人口4,959人、2,786世帯である。人口の内訳は男性1,920人、女性3,039人で、外国人を含む[3][6]。

人口の変遷

八代市が公表する郡築校区の各年1月1日現在の世帯数と人口は次のとおりである。2012年(平成24年)8月1日以降の数値は外国人を含む[7]。

年世帯数人口男性女性
2007年[注 1]1,4464,8672,3482,519
2010年[注 1]1,4734,6942,2512,443
2012年[注 1]1,4994,6272,2022,425
2013年1,8124,8542,2162,638
2016年1,9984,8382,1192,719
2019年2,2424,9542,0852,869
2022年2,2704,7682,0232,745
2025年2,7234,9801,9633,017
2026年2,7714,9721,9283,044

歴史

干拓と村の成立

郡築は、明治時代後期の干拓によって生まれた地域である。事業の目的は、八代郡の財産を造成し、郡民の福利を増進することにあった[8]。八代市の郡築出張所の説明によると、1900年(明治33年)12月に工事に着手し、1904年(明治37年)2月9日に汐止め、同年12月に竣工した。造成面積は1,020ヘクタールとされる[2]。

干拓地と海の境には、土地を守る堤防と、内部の水を排出する樋門が設けられた。郡築新地の造成時には、甲号(三番町)、乙号(七番町)、丙号(十一番町)の3基の樋門が築かれた。事業当初の樋門で現存するのは甲号樋門である[9]。甲号樋門は、干拓地から海へ水を排出する機能を確保するために造られた[10]。

「郡築新地」という名称は、1905年(明治38年)の臨時郡会で、新たな造成地の名称として議決された[10]。汐止めの後には農業に使う水の確保が進められ、球磨川右岸からの用水路の開削が完成した後、1909年(明治42年)に郡築村が成立した[8]。

土地の所有と小作争議

入植者は、郡の経費に充てる「徳米」を負担する条件で公募された。農民は土地を所有する自作農ではなく、土地を借りて耕す小作人として営農した。郡制廃止によって徳米を負担する根拠が問題となり、地主である公益事業組合と小作人との対立が生じた。これが、大正末期から昭和初期にかけての郡築小作争議の背景となった[8]。

高潮被害と堤防の補強

1936年(昭和11年)には高潮によって郡築の堤防が決壊し、翌1937年から補強工事などが行われた[11]。1938年(昭和13年)には、決壊した場所に郡築二番町樋門が新設された[12]。

旧自治体・郡築村

郡築村は、九州地方の熊本県八代郡に属した村である。1943年(昭和18年)にいったん八代市へ編入されたが、1950年(昭和25年)に市から分立して再び村となり、1954年(昭和29年)に八代市へ再編入された。[13]

郡築村の沿革
年月日出来事
1909年4月7日干拓地に郡築村が発足。
1943年4月1日八代市に編入[13]。
1950年7月1日八代市の一部が分立し、郡築村が発足[13]。
1954年7月1日
(昭和29年)
八代市に編入合併され、自治体としては消滅。現在は八代市の一部となり、町名や地名に郡築の名をとどめている[13]。
旧郡築村の概要(人口以外は廃止時点)
項目内容
人口 4,632人(国勢調査、1950年)
隣接自治体 八代市、昭和村
役場所在地 熊本県八代郡郡築村
市町村コード なし(制度導入前に廃止)
座標 北緯32度32分08秒 東経130度34分23秒 / 北緯32.53544度 東経130.57294度 / 32.53544; 130.57294座標: 北緯32度32分08秒 東経130度34分23秒 / 北緯32.53544度 東経130.57294度 / 32.53544; 130.57294

戦後の用水整備

八代平野では、干拓による農地の拡大に伴い、農業用水の不足が問題となった。郡築など球磨川右岸の新しい干拓地には、下流の前川堰や八の字堰から専用水路で水が送られていたが、取水位が低く、十分に水を取り入れることが難しかった[14]。

1964年(昭和39年)に着工した国営八代平野農業水利事業では、遙拝堰を改修して遙拝頭首工とし、下流の取水施設を統合した。郡築南部・北部の幹線用水路なども整備され、1973年(昭和48年)に事業が完成した[14]。

開拓の記憶の継承

郡築汐風まちづくり協議会は、先人への感謝と「開拓魂」を後世へ伝えることを地域づくりの目標に掲げている。毎年2月9日の汐止め記念祭は、干拓の歴史を伝える地域行事となっている[1]。

海岸堤防の耐震対策と令和8年熊本地震

郡築海岸の堤防は、明治時代の郡築新地の干拓で築かれたもので、造成から約100年が経過し、老朽化と沈下が進んでいる[15]。日奈久断層帯などで想定される大規模地震に備え、農林水産省の直轄海岸保全施設整備事業「八代地区」により、2024年度(令和6年度)から耐震対策工事が行われている[16]。

2026年(令和8年)7月28日に発生した令和8年熊本地震では、郡築海岸で堤防の法面(のりめん)や堤防上の道路の沈下・亀裂、潮遊池(しおあそびいけ)護岸の崩落、波返し工の目地の開きなどの被害が確認された[16]。九州農政局は応急対策として、亀裂箇所へのブルーシートの設置、護岸の崩落箇所への袋詰玉石の設置、樋門周辺の波返し工下部の空洞へのセメント系材料の充填を行い、その後も監視・巡視を続けている[16]。同年9月11日の大潮の満潮時の点検では、海水の浸入を防ぐ堤防の機能が保たれていることが確認された[16]。同局は、地震被害の復旧と耐震対策工事を合わせて進めるとしている[16]。

産業

農業の概要と作物の変化

郡築では農業が中心的な産業となっており、ハウスなどを利用する施設園芸のトマト・メロンのほか、米、い草、露地野菜が生産されている。八代市の2025年の地域紹介では、い草からの転作作物としてアスパラガスやジャガイモも挙げられている[1]。

大正末期には水稲の晩化栽培法が導入され、い草に加えてカボチャやタマネギの産地形成が進んだ[8]。その後の変化について、2025年の日本地理学会で発表された郡築のトマト農家への聞き取り調査では、い草生産の衰退を背景にトマトやメロンの温室園芸が広がり、トマトを中心とする営農へ移行したことが報告されている。作物の選択には、販売価格や年間の作業配分など、経営上の条件も関係していた[17]。

トマトの栽培と出荷

郡築では、秋のトマトと春のメロンを組み合わせる栽培から、トマトを長期間収穫する栽培に切り替えた例がある。『アグリくまもと』の2018年の農家紹介では、10月から翌年6月まで収穫を続ける長期採りの経営が紹介されている[18]。

同記事によると、郡築園芸部では、栽培期間の遵守や病害虫の防除に地域で取り組んでいた。大玉トマトの出荷では通常の4キログラム箱に加え、小箱やパックなど約20種類の販売形態を設け、市場や購入者の需要に対応していた。2017年にはミニトマト用のエア方式の選果機を導入し、選別作業の省力化と品質の安定化を図った[18]。

八代市、八代郡氷川町、宇城市の八代海沿岸の干拓地で、土壌の塩分濃度が高い畑で栽培される大玉品種の小ぶりなトマトは、「くまもと塩トマト」として2021年(令和3年)10月7日に国の地理的表示(GI)に登録されている。塩分によって水分や養分の吸収が抑えられることで、糖度が8度以上の甘みの強い果実になるとされる[19]。

生産・出荷組織

郡築園芸部は1961年(昭和36年)に設立された[18]。2025年には北部野菜果実選果場利用組合と合併し、「JAやつしろ北部郡築園芸部会(二水会)」となった。二水会は郡築と八代地域北部の生産者で構成される[20]。

二水会の公式サイトには、2025年(令和7年)の部会全体の規模として、以下の数値が掲載されている。これらは郡築以外の地区を含む組織全体の数値であり、郡築地区単独の農家数や作付面積ではない[20]。

二水会が公表する2025年の規模[20]
項目数値
部員数114名
トマト作付面積82.2ヘクタール
ミニトマト作付面積39.4ヘクタール

2025年の学会発表では、郡築の産地形成を支えた出荷組織として、JAやつしろ郡築園芸部と農事組合法人八協連が挙げられている[17]。

担い手と労働力

2025年の郡築の聞き取り調査では、外国人技能実習生の受け入れによる人手の確保が、単位面積当たりの収穫量の増加を支えたと報告されている[17]。

二水会の公式紹介では、部会員の8割以上で若手の後継者がおり、20代・30代の経営者も所属するとしている。ただし、これは郡築だけでなく、同部会に所属する生産者についての説明である[20]。

地域活動・公共施設

2014年4月に「郡築汐風まちづくり協議会」が設立され、郡築コミュニティセンターを拠点に活動している。毎年2月9日には、1904年の干拓の汐止めを記念する汐止め記念祭が行われる[1]。

行政窓口と学校は次のとおりである。

施設所在地・通学区域
八代市郡築出張所八代市郡築六番町61-2。市の行政窓口[2]。
八代市立郡築小学校郡築一番町から郡築十二番町まで[4]。
八代市立第七中学校郡築小学校区・昭和小学校区[21]。

交通

道路

干拓の遺構

旧郡築新地甲号樋門と潮受堤防

旧郡築新地甲号樋門(きゅうぐんちくしんちこうごうひもん)は、熊本県技師の川口虎雄の設計による排水施設である。水を通す部分に10連の煉瓦造アーチを設け、その上部と両側を切石で築いている。延長は33.1メートルで、海側には約1キロメートルにわたる石造の潮受堤防が残る。2004年(平成16年)7月6日に国の重要文化財に指定された[10]。

郡築二番町樋門

郡築二番町樋門(ぐんちくにばんちょうひもん)は、1936年の高潮被害後に設けられた石造3連アーチの樋門である[12]。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財となった[11]。

甲号樋門と二番町樋門を含む郡築樋門群は、高島新地旧堤防跡、大鞘樋門群とともに、2022年(令和4年)3月15日に国の史跡「八代海干拓遺跡」に指定された。これらは、干拓による新田開発と、堤防・樋門の構造や工法の発達を示す遺跡として評価されている[12]。

ゆかりのある人物

  • 古城弥二郎 — 熊本市出身の官吏。八代郡長として郡築干拓事業を主導し、郡築の「生みの親」として顕彰される。墓碑は郡築6番町にある。

脚注

注釈

  1. 1 2 3 2012年7月以前の数値は外国人を含まない。

出典

  1. 1 2 3 4 5 “郡築校区地域協議会「郡築汐風まちづくり協議会」について”. 八代市 (2025年7月10日). 2026年9月30日閲覧。
  2. 1 2 3 4 “郡築出張所”. 八代市 (2024年6月13日). 2026年9月30日閲覧。
  3. 1 2 “校区別人口・世帯数(2026年・5歳刻みCSV、2026年9月1日)” (CSV). 八代市. 八代市. 2026年9月30日閲覧。
  4. 1 2 “八代市立小学校児童通学区域” (PDF). 八代市. p. 1. 2026年9月30日閲覧。
  5. ↑ “熊本県 八代市の郵便番号”. 日本郵便. 2026年11月4日閲覧。
  6. ↑ “校区別人口・世帯数”. 八代市 (2026年9月8日). 2026年9月30日閲覧。
  7. ↑ “校区別人口・世帯数”. 八代市. 2026年11月4日閲覧。
  8. 1 2 3 4 山口守人. “郡築”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 小学館. 2026年9月30日閲覧。
  9. ↑ “旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防(国指定)”. 八代市 (2025年9月2日). 2026年9月30日閲覧。
  10. 1 2 3 “旧郡築新地甲号樋門”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2026年9月30日閲覧。
  11. 1 2 “郡築二番町樋門”. 農林水産省. 2026年9月30日閲覧。
  12. 1 2 3 “八代海干拓遺跡(国指定)”. 八代市 (2025年9月2日). 2026年9月30日閲覧。
  13. 1 2 3 4 “平成29年度 八代市政の概要” (PDF). 八代市. 2026年9月30日閲覧。
  14. 1 2 “熊本県 八代平野農業水利事業”. 水土の礎. 2026年9月30日閲覧。
  15. ↑ “直轄海岸保全施設整備事業 八代地区 事業概要” (PDF). 農林水産省九州農政局 八代海岸保全事業所 (2026年8月). 2026年11月4日閲覧。
  16. 1 2 3 4 5 “令和8年熊本地震に係る郡築海岸・昭和海岸の状況について” (PDF). 農林水産省九州農政局 八代海岸保全事業所 (2026年9月18日). 2026年11月4日閲覧。
  17. 1 2 3 坂井美月「熊本県八代市郡築におけるトマト産地の発展と労働力基盤」『日本地理学会発表要旨集』2025s、2025年、359頁、doi:10.14866/ajg.2025s.0_359。
  18. 1 2 3 “八代市 トマト産地・農家としてやるべきこと”. アグリくまもと (2018年8月). 2026年10月1日閲覧。
  19. ↑ “第111号:くまもと塩トマト”. 農林水産省 (2024年10月29日). 2026年11月4日閲覧。
  20. 1 2 3 4 “二水会の取り組み”. 二水会. 2026年10月1日閲覧。
  21. ↑ “八代市立中学校生徒通学区域” (PDF). 八代市. 2026年9月30日閲覧。
  22. ↑ “旧郡築新地甲号樋門”. 農林水産省. 2026年11月4日閲覧。

参考文献

  • 『八代市史』八代市、1980年。
  • 『熊本県の歴史』熊本県史編纂委員会、1975年。

関連項目

外部リンク