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11オクロック・ティック・タック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「11オクロック・ティック・タック」
U2 の シングル
B面 Touch
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1979年 ロンドン
ジャンル ロック
時間
レーベル アイランド・レコード
作詞・作曲 U2
プロデュース マーティン・ハネット
U2 シングル 年表
アナザー・デイ (U2の曲)
(1980年)
11オクロック・ティック・タック
(1980年)
ア・デイ・ウィズアウト・ミー
(1980年)
ミュージックビデオ
「11 O'Clock Tick Tock」 - YouTube
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「11オクロック・ティック・タック」(11 O'Clock Tick Tock)は、アイルランドのロックバンド、U2の楽曲である。1980年5月16日にノン・アルバム・シングルとしてリリースされ、彼らにとってアイランド・レコードと契約後、初の公式リリース作品となった。

プロデュースはジョイ・ディヴィジョンの作品などで知られるマーティン・ハネットが担当し、ダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオで録音された。本楽曲の原型は「シルバー・ライニング(Silver Lining)」というタイトルで、1979年頃からすでにライブで披露されていた。

1980年のリリース当時はチャート入りを果たせなかったものの、後に1983年のライブ・アルバム『ブラッド・レッド・スカイ=四騎=(Under a Blood Red Sky)』に収録されたことで、初期U2を代表するライブの定番曲として広く認知されるようになった。

2023年には、過去の楽曲を再録音・再構築したアルバム『ソングス・オブ・サレンダー』において、新たなバージョンが収録されている。

解説

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着想

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ザ・クランプス(1982年)

本曲は、元々は「Silver Lining」というタイトルであったが、レコーディングの際にタイトルも歌詞も変更された[1]。新しいタイトルは、待ち合わせの約束をすっぽかしたボノの家のドアに、友人のギャヴィン・フライデーが貼り付けたメモの言葉に由来している[2]。

音楽的には、1979年に前座を務めたオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークやトーキング・ヘッズにインスパイアされており、ポストパンクの影響が如実に窺える[3]。また同時に、バンドなりにワイマール共和国時代のキャバレー音楽を試みた楽曲でもあった。ギャヴィン・フライデーからクルト・ヴァイルの音楽を教わり、ベルトルト・ブレヒトの歌詞を研究した影響が徐々に表れており、ボノがドイツ語訛りで「ラ・ダ・ダ・ダ」と歌うアプローチにもそれが示されている[4]。

歌詞の内容は、ロンドンのエレクトリック・ボールルームでザ・クランプス(英語版)と共演した夜の情景を描いたものである。ボノは、意図的に「迷子」になったかのような観客たちや、彼らのゴシックな髪型、地下墓所のように白い顔にすっかり魅了されたという。ザ・クランプスに対しては「知的で、不気味で、クールだった」と評しつつも、「自分にとっては少しばかり冷たすぎる終末論的な雰囲気だった」と回顧している[4]。

当時のボノはパンク・ムーブメントに対して「偽善的」という思いを抱いており、「セックス・ピストルズはペテンだった。マルコム・マクラーレンが売り込んだ、仕掛けだらけの箱みたいなものさ。子どもたちは暴力のイメージを売りつけられ、それが現実の暴力へと変わっていった」と批判的に語っている。こうした当時のパンクやゴス・カルチャーの冷たさや退廃的な雰囲気に対する、ボノの距離感と憧憬が入り混じった視点が、本楽曲の独自の世界観を形成している[3]。

制作

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イアン・カーティスと話したことは奇妙な経験だった。彼はとても暖かい心の持ち主だったけれど、まるで彼の中に2つの人格があるかのように話すんだ。彼はとても明るくて行儀よくて親切だった。けれども、1度、感情的になるとマイクの向こうに隠れてしまうんだ。その様子はまるで二重人格者のようで、「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」がリリースされたとき、まるでそこには2つの引き裂かれた人格があるかのようだった。
ボノ

プロデューサーは当時ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーとしてで名を馳せていたマーティン・ハネットである。U2のメンバーは『クローサー』をレコーディング中だったロンドンのスタジオを訪れて、直にハネットにプロデュースを頼んだ[5]。その際、メンバーは訪問直後の1980年5月18日に自殺したジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル・イアン・カーティスとも顔を合わせている[6]。

ハネットは曲をプロデュースは引き受けてくれたが、レコーディング中はずっと大麻を吸っていた。初めて本格的なプロデューサーとの仕事に、U2のメンバーはいたく感銘を受けたらしく、ボノは「イーノの前にマーティンありき」と言って、マーティンの手によって曲が生まれ変わる様を目の当たりにして、テクノロジーの可能性に気づくきっかけになったと語っている。ただ、曲自体はマーティン色が強めに出過ぎて、ヒットには繋がらず、チャート入りもしなかった[7]。

「Treasure on the Wasteland」との類似性

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本曲は、リリース当初から同郷バンドのザ・アトリックス(英語版)の「Treasure on the Wasteland」(プロデューサーはウルトラヴォクスのミッジ・ユーロ)という曲に酷似していると指摘されており、本曲の録音時にはザ・アトリックスのメンバーが盗用を訴えてスタジオに押しかけてくる騒動になった。ジ・アトリックス側は本曲のイントロにあるギター・リフが、自分たちの曲「Treasure on the Wasteland」から盗用されたものだと主張し、その部分を変更するよう要求した。両者の間で言い争いになった後、ジ・アトリックスは立ち去ったという[8]。

ちなみに、本曲は少なくとも1980年3月1日にはライブで演奏されているが、ザ・アトリックスの曲はそれより早く1979年から演奏されていたようである[9]。ラリー・マレン・ジュニアは、その影響を認めている[10]。さらに、これらの曲はヴァージン・プルーンズ(英語版)の「In the Grey Light 」が元ネタという指摘もある[11]。

収録曲

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Side A
全作詞・作曲: U2。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「イレヴン・オクロック・ティック・タック (ショート・スタジオ・バージョン)」(11 O'Clock Tick Tock (Short Studio Version))U2U2
Side B
全作詞・作曲: U2。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「タッチ (スタジオ・バージョン)」(Touch (Studio Version))U2U2

B面曲

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タッチ(Touch)

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元はヴァージン・プルーンズのメンバー・ストロングマンのクリスチャンネームから採った「Trevor」というタイトルだった[12]。『ボーイ』ツアーではセトリに入っていた[13]。

『ボーイ』のデラックス・エディション収録。

批評

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本曲は、1980年の発売時から音楽評論家の間で評価が分かれた。『レコード・ミラー』のロビン・スミスは、催眠的なギター、簡潔ながら効果的な演奏、特徴的なボーカルを評価し、全英シングルチャート入りを予想した[14]。 同誌のクリス・ウェストウッドも、1980年5月23日のロンドン公演で演奏された同曲について、チャート向きではないとしながらも、鋭いギターと疾走感を持つ「歌詞のあるインストゥルメンタル」のような楽曲と評価した。一方、同公演については、マイクが倒れるなど演奏上の不手際が相次いだことも指摘されており、当時のU2のライブには未完成な部分があることも報じられていた[15]。

一方で、当時のU2に対する否定的な評価も存在した。1980年9月7日のロンドン・ライシーアム・ボールルーム公演では、『レコード・ミラー』のマイク・ガードナーが本曲で始まる演奏について、エッジのギター、アダム・クレイトンとラリー・マレン・ジュニアのリズム・セクション、ボノの存在感を評価したのに対し、同誌の別の批評ではU2の演奏を酷評し、ボノのステージ上の振る舞いを含めて否定的に評した[16]。

サウンド面では、マーティン・ハネットによるプロダクションが後のU2の作品とは異なる特徴として評価・論評されている。『ホットプレス』は、ハネットの影響が強く表れた音作りについて、空間を生かした音響と鋭いギター・リフを特徴として挙げる一方、U2がその後スティーヴ・リリーホワイトとの制作に移行したことで、同曲は後の作品とは異なる独自の位置を占めるようになったと論じている[17]。¥

リリーホワイトは後年、本曲よりも『スリー』を通じてU2を知ったと述べ、初期の録音について「声は気に入ったが、あまり良い音ではなかった」と回想している。その一方で、彼はU2のライブを実際に見ることで、録音だけでは分からないバンドの特徴を把握できたとしている[18]。

評価

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  • 1980年ホットプレス年間ベストシングル第2位[19]
  • 1980年ホットプレス読者が選ぶ年間ベストアイリッシュシングル第1位
  • 1983年RTEラジオ2あなたの一番好きな曲リスナー投票第1位[20]
  • 1984年U2マガジン12月号あなたの一番好きな曲ファン投票第8位[20]

脚注

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出典

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  1. ↑ “u2songs | Silver Lining |”. www.u2songs.com. 2026年8月8日閲覧。
  2. ↑ U2 BY U2 2006, p. 92.
  3. 1 2 Stokes 1996, p. 127.
  4. 1 2 Bono 2025, 9.Invisible.
  5. ↑ “内輪が語るジョイ・ディヴィジョンの最期 (児島由紀子の「ロンドン通信」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/kojima/31358”. rockinon.com. 2024年3月24日閲覧。
  6. ↑ “Bono on Joy Division, 1980, Irish radio. U2 singer speaking about the band on RTÉ.”. 2024年3月24日閲覧。
  7. ↑ U2 BY U2 2006, pp. 92–96.
  8. ↑ Jobling 2014, pp. 61‐62.
  9. ↑ Axver, Matthias Muehlbradt, Andre. “U2 11 O'Clock Tick Tock - U2 on tour”. U2gigs.com. 2026年8月8日閲覧。
  10. ↑ Newsdesk, The Hot Press. “Hughie Friel of The Atrix Has Died” (英語). Hotpress. 2026年8月8日閲覧。
  11. ↑ ビル・グラハム著/川原 真理子訳『スーパー・ロック・ガイド U2全曲解説』シンコーミュージック・エンタテイメント、1995年11月。
  12. ↑ Stokes 1996, p. 128.
  13. ↑ Axver, Matthias Muehlbradt, Andre. “U2 Touch - U2 on tour”. U2gigs.com. 2026年8月8日閲覧。
  14. ↑ “11 O'Clock Tick Tock Single Review”. U2songs.com (1980年5月31日). 2026年9月3日閲覧。
  15. ↑ “May 23, 1980 - London, England - Moonlight Club”. U2Station.com. 2026年9月3日閲覧。
  16. ↑ “1980-09-07 U2, Lyceum Ballroom, London, England”. U2songs.com. 2026年9月3日閲覧。
  17. ↑ “The Making of a Legend”. Hot Press. 2026年9月3日閲覧。
  18. ↑ “Interview: Steve Lillywhite On U2, Boy, and All That You Can't Leave Behind”. Hot Press (2020年10月7日). 2026年9月3日閲覧。
  19. ↑ “Rocklist.net...HOT PRESS Albums & Singles of the year...”. www.rocklistmusic.co.uk. 2024年3月24日閲覧。
  20. 1 2 “u2songs | U2 - "11 O'Clock Tick Tock" Commercial Single |”. www.u2songs.com. 2024年3月24日閲覧。

参考文献

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  • U2 著、前むつみ,久保田祐子 訳『U2 BY U2』シンコーミュージックエンタテイメント、2006年。ISBN 978-4401630417。 
  • Stokes, Nail (1996). Into the Heart: The Stories Behind Every U2 Song. Omnibus Press 
  • Jobling, John『U2 : The Definitive Biography』New York : Thomas Dunne Books : St. Martin's Press、2014年。https://archive.org/details/u2definitivebiog0000jobl。 
  • Bono (2025). Bono: Stories of Surrender. Penguin (Cornerstone). ISBN 978-1529160598 

外部リンク

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