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1762年5月31日の海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1762年5月31日の海戦

スペインのフリゲートのエルミオーン、背景はイギリスのフェイヴァリット(左)とアクティブ(右)。リチャード・ライト(英語版)作、1762年。
戦争:七年戦争
年月日:1762年5月31日
場所:スペイン王国、カディス沖
結果:イギリスの勝利[1]
交戦勢力
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国 スペインの旗 スペイン王国
指導者・指揮官
グレートブリテン王国の旗 ハーバート・ソーヤー(英語版)
グレートブリテン王国の旗 フィルモン・ポウノル
スペインの旗 フアン・デ・サバレタ
戦力
フリゲート1隻
スループ1隻
フリゲート1隻
損害
僅少 フリゲート1隻拿捕


1762年5月31日の海戦(英語: Action of 31 May 1762)は七年戦争および英西戦争(英語版)中、スペインのカディス沖でおきた、イギリスのフリゲート1隻とスループ1隻とスペインのフリゲート1隻の間の小規模な海戦。スペインのフリゲートが降伏すると、その積荷が大量の金銀であることが判明し、イギリスの戦艦が獲得した戦利品のなかで最も値打ちの高いものとなった[2]。

背景

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開戦から4か月後、イギリスはスペインを海上封鎖した。封鎖の目的はスペインによるカリブ海への増援を防ぎ、ハバナの戦いを有利に進めるためと、スペインがジブラルタルや地中海で軍事行動をおこすことを防ぐためであった[1]。

戦闘

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1762年5月15日、ハーバート・ソーヤー(英語版)艦長の28門フリゲートのアクティブとフィルモン・ポウノル艦長の18門スループのフェイヴァリットはスペイン海岸のカディス沖を航行していた。そこでスペインの26門フリゲートのエルミオーンを見かけた[3][4]。

フアン・デ・サバレタ大尉率いるエルミオーンは1月6日にリマの西のカヤオを出港したが、その時点ではまだ英西戦争の宣戦布告が行われていなかったため、乗員は開戦を知らなかった可能性が高い。そのためか5月15日朝にアクティブとフェイヴァリットを見かけても戦闘の準備は緩慢にしか行われず、10時に乗員の配置を調整して砲手用の道を整えた程度であった。大砲は準備されておらず、火薬の格納箱への道は散らかされていた。13時、アクティブとフェイヴァリットは回頭してエルミオーンに向かってきた。15時、砲兵の指揮官フランシスコ・サビエル・モラレス・デ・ロス・リオスはサバレタに戦闘部署につく命令を下すよう要請したが、サバレタは不可解にも晩餐後の17時までそれを拒否した[5][6]。

フィルモン・ポウノルの肖像画、ジョシュア・レノルズ作。戦闘後まもなく描かれたもの。

アクティブとフェイヴァリットはエルミオーンの傍まで来ると数度砲撃した。エルミオーンが舷側砲を撃つと、イギリス両艦の舷側砲も火を噴いた[7]。エルミオーンはすぐにマストの殆どを破られ、ミズンマストのみが残った。これによりエルミオーンが動けなくなったため降伏を余儀なくされた[1][2]。

スペイン士官の間に混乱と誤解があったことで、エルミオーンは舷側砲を2回しか撃てなかった。サバレタは降伏の印に軍艦旗を降ろす際、イギリス船隊はエルミオーンをフランスのフリゲートに誤認していると主張したが、モラレスは砲撃を続けようとした。また、イギリスがエルミオーンに乗り込んできたとき、サバレタはほかの士官の同意を得ずに降伏した[5][6]。

その後

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イギリスはエルミオーンを拿捕したが、そこで積荷を見て、ようやくエルミオーンが普通のフリゲートでないことに気づいた[1][2]。エルミオーンはカディスへ帰る途中で、積荷にはドル、金貨、金と銀の地金、カカオ、スズの塊などが数多くあった[4][8]。

エルミオーンはイギリス船に随伴してジブラルタルまで運ばれ、戦利品として接収された。積荷や船体などの価値は当時の価格で519,705ポンド10シリング(2016年の7千万ポンド相当[9])であった。ソーヤーとポウノルは艦長としてそれぞれ64,872ポンドを受け取り(2016年の873万ポンド相当[9])、下級水兵も給料30年分の480ドルを受け取った[2]。この値打ちは2008年時点でも最高記録である[4][10]。

戦利品を獲得したソーヤーとポウノルは一夜にして巨万の富を得た。ポウノルはアッシュプリングトン(英語版)のシャーパムぶどう園(英語版)を購入、そこでロバート・テイラー(英語版)設計の家、ランスロット・ブラウン設計の庭園を建造した[2][4]。またジョシュア・レノルズに肖像画を描かせた[2]。

その反面、スペインに戻ると、サバレタはゲレーロの船上で軍法会議を受け、死刑を宣告された。後にカルロス3世により減刑を受け、海軍から免職されて禁固刑10年に服した。サバレタは釈放の代わりにフリゲートの再建のための資金を出すことを求めたが聞き入れられなかった。モラレスは海軍から2年間の停職処分を受け、その間はジーベックで働いた。また、士官のルカス・ガルベスは1年間の停職処分を受けた[5][6]。

関連項目

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脚注

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  1. 1 2 3 4 Allen, Joseph (1852). Battles of the British Navy. 1. London: Bohn's illustrated library. p. 221. ASIN B009ZMMQ56
  2. 1 2 3 4 5 6 Bradt, Hilary (15 May 2010). Slow Devon & Exmoor. p. 144. ISBN 9781841623221
  3. ↑ Laughton, J. K.; Gwyn, rev. Julian. “Sawyer, Herbert”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. (要購読、またはイギリス公立図書館やウィキペディア図書館への会員加入。)
  4. 1 2 3 4 Wareham, Tom. “Pownoll, Philemon”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. (要購読、またはイギリス公立図書館やウィキペディア図書館への会員加入。)
  5. 1 2 3 “Historia de las embarcaciones menores de la Real Armada. Historia de Fragatas (por letra H).” [History of vessels under the Royal Navy. History of Frigates (by letter H).] (スペイン語). 2015年6月18日閲覧。
  6. 1 2 3 “Hermione (1752)” (スペイン語). 2015年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月14日閲覧。
  7. ↑ “Capture of The Hermione”. Lloyd's Evening Post and British Chronicle. 6 August 1762. 2009年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  8. ↑ “The Monthly Chronologer”. The London Magazine: 396. (1762).
  9. 1 2 イギリスのインフレ率の出典はClark, Gregory (2024). “The Annual RPI and Average Earnings for Britain, 1209 to Present (New Series)”. MeasuringWorth (英語). 2024年5月31日閲覧.
  10. ↑ “Nelson and His Navy - Prize Money”. The Historical Maritime Society. 2008年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月4日閲覧。

参考文献

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  • Clowes, William Laird. (2003). The Royal Navy: v. 3: A History - From the Earliest Times to 1900. Chatham Publishing. ISBN 978-1861760128 
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