1896年アテネオリンピックのテニス競技
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| 1896年アテネオリンピック テニス競技 | |
| | |
| 会場 | Neo Phaliron Velodrome Athens Lawn Tennis Club |
|---|---|
| 開催日 | 4月8日 - 4月11日 |
| 参加選手数 | 6か国 15人 |
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1896年アテネオリンピックのテニス競技(1896ねんアテネオリンピックのテニスきょうぎ)の成績結果に関する記事。
大会の流れ
[編集]- 第1回近代オリンピックでは、テニス競技は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まった。男子シングルスには15名、男子ダブルスには6組が出場した。
- 男子シングルスでは、準決勝で敗退した選手2名による「銅メダル決定戦」は行わず、両方に銅メダルを授与した。男子ダブルスの銅メダルは1組。
- 男子ダブルスでは、違う国の選手がペアを組む「混合チーム」(ZZX)もあった。この場合は「国・地域」の欄に2つの国名を並べ、選手名もその順番によって記載する。国別メダル受賞数の欄では「混合チーム」として別途に数える。
メダル受賞者
[編集]| 種目 | 金 | 銀 | 銅 |
|---|---|---|---|
| 男子シングルス | イギリス (GBR) [1] |
ギリシャ (GRE) [2] |
ハンガリー (HUN) |
ギリシャ (GRE) | |||
| 男子ダブルス | and フリードリヒ・トラウン 混合チーム (ZZX) [3] |
and ディミトリオス・ペトロコキノス 混合チーム (ZZX) [4] |
and ジョージ・ロバートソン 混合チーム (ZZX) [5] |
競技結果
[編集]男子シングルス
[編集]| 準決勝 | ||
| 結果現存せず | ||
| 結果現存せず | ||
| 決勝 | ||
| 6-3, 6-1 | ||
男子ダブルス
[編集]| 準決勝 | ||||
| ジョン・ピウス・ボーランド フリードリヒ・トラウン |
結果現存せず | アリスティディス・アクラトプーロス コンスタンティノス・アクラトプーロス | ||
| ディオニシオス・カスダリス ディミトリオス・ペトロコキノス |
結果現存せず | エドウィン・フラック ジョージ・ロバートソン | ||
| 決勝 | ||||
| ジョン・ピウス・ボーランド フリードリヒ・トラウン |
5-7, 6-4, 6-1 | ディオニシオス・カスダリス ディミトリオス・ペトロコキノス | ||
国別メダル受賞数
[編集]| 順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | |
| 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 3 | 0 | 1 | 1 | 2 | |
| 4 | 0 | 0 | 1 | 1 |
- 男子ダブルスの「混合チーム」によるメダルは別途に数え、各選手が所属する国のメダル獲得数には含めない。(例:ダブルス金メダルの場合、ジョン・ピウス・ボーランドの属する「イギリス」やフリードリヒ・トラウンの属する「ドイツ」の獲得メダル数には含めない。)
脚注
[編集]- 1 2 金メダリストのジョン・ピウス・ボーランドはアイルランドの選手であるが、IOCのオリンピック選手データベースでは
イギリスに掲載されているため、男子シングルのメダル獲得数一覧でも「イギリス」に数える。 - 1 2 銀メダリストのディオニシオス・カスダリスは、IOCのオリンピック選手データベースでは「ギリシャ」(GRE)に掲載されており 、男子ダブルスでもパートナーのディミトリオス・ペトロコキノスとともに「ギリシャ」チームとして掲載されている。カスダリスはエジプト・アレクサンドリアに在住していたことから、文献によっては「エジプト」と記載しているものもある
- ↑ ジョン・ピウス・ボーランドは
イギリス、フリードリヒ・トラウンは
ドイツの混合チーム。 - ↑ ディミトリオス・ペトロコキノスは
ギリシャ、ディオニシオス・カスダリスはシングルではギリシャ扱いとされているが、ダブルスではギリシャ扱いされず混合チーム扱い。 - ↑ エドウィン・フラックは
オーストラリア、ジョージ・ロバートソンは
イギリスの混合チーム。
外部リンク
[編集]- アテネオリンピックテニス・メディアガイド (英語、全146ページのPDFファイル)