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1896年香港潔浄局住民投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Whether the Sanitary Board should consist of a majority of officials or of unofficials?
開催日1896年5月16日 (1896-05-16)
得票数 得票率
非官守議員多数 331 91.44%
官守議員多数 31 8.56%
有効投票数 362 100.00%
無効票・白票数 0 0.00%
投票総数 362 100.00%
登録有権者/投票率 788 45.94%
Colony別の結果
  非官守議員多数     官守議員多数
     非官守議員多数     官守議員多数

1896年香港潔浄局の構成に関する住民投票(英語: 1896 Hong Kong Sanitary Board plebiscite、中国語: 1896年香港潔淨局組成辦法公投)とは、1896年6月にイギリス領香港で実施された、潔浄局(英語: Sanitary Board、後の市政局)において官守議員と非官守議員のいずれを多数派とすべきかを問う住民投票である。投票の結果は圧倒的に非官守議員の多数を支持するものであったが、潔浄局の制度に変更は加えられなかった。しかし、その後、行政局および立法局(中国語版)には非官守議員が追加され、その構成は変更された。

1896年のこの住民投票は、香港政庁によって実施された唯一のレファレンダムとして記録されており[注釈 1]、1890年代に香港植民地で展開された最初の大規模な憲政改革論争の一部とみなすことができる。この出来事は、1940年代から1950年代にかけてのマーク・エイチソン・ヤング総督によるヤング・プランや、1980年代における現代的な民主派勢力の台頭よりもはるか以前のことであった。

背景

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香港総督 (1891–1898)であったウィリアム・ロビンソン(英語版)

潔浄局は、1881年のチャドウィック(英語版)報告書が市内の衛生状況改善を勧告したことを受け、1883年に設立された。

1887年《公衆衛生条例》(Public Health Ordinance)の下で、同局は4名の官守議員と6名以下の非官守議員によって構成されることとなった。4名の官守議員は香港総督によって任命され(うち2名は中国系とされた)、非官守議員のうち2名は当該年度の陪審員名簿に登録された納税者による選挙で選出された。選挙は1888年(中国語版)、1891年(中国語版)および1894年(中国語版)の計3回実施された。

1894年のペスト流行(中国語版)は、潔浄局の構成および権限をめぐる問題を提起した。1895年に政庁が潔浄局へ衛生医官(英語: Medical Officer of Health)を任命したことは、非官守議員の意向に反するものであった。このため、3回連続で選出されていたJ・J・フランシス(英語版)は辞任し[1]、さらに何啓(中国語版)、ウィリアム・ハーティガン(William Hartigan)およびロバート・ケナウェイ・リー(Robert Kennaway Leigh)の3名の非官守議員もこれに続いた。

行政局議員および総商会(英語版)は、潔浄局の衛生行政およびその非効率性に不満を抱いていた。総商会のJ・J・ケズウィック(英語版)、ポール・チャーター(英語版)、エマニュエル・ラファエル・ベリリオス(英語版)などの有力者は、総督に直接責任を負う官守議員の多数化を支持していた。潔浄局廃止論に対し、何啓は別の立場を代表し、非官守議員多数の維持と非官守議員の権限拡大を主張した[2]。総督ウィリアム・ロビンソン(英語版)は前者と同じ見解を有し、政庁直属の首席民事医官(英語: Principal Civil Medical Officer)を置く医務部門(中国語版)を設置して、潔浄局を置き換えるべきであると主張した。

この潔浄局再編問題に関して、ウィリアム・ロビンソン総督が1896年6月実施したのがこの住民投票であった。

また、上記の潔浄局再編問題とは別に、1894年には立法局非官守議員であったポール・チャーターおよび何啓の支持を受けた請願団が363名の署名を集め、植民地政府におけるさらなる代表権拡大を求めた。彼らの要求は以下のとおりであった[3]。

  1. 立法局における英国籍住民代表の自由選挙。
  2. 立法局における当該選出議員の多数派化。
  3. 官守議員に対する完全な討論の自由と、良心に基づいて投票する権限の付与。
  4. 立法局による地方支出の完全な統制。
  5. 地方行政の管理。
  6. 帝国的性格を有する問題に対する諮問権。

植民地大臣リポン侯爵宛の1894年6月5日付書簡の中で、ロビンソン総督は次のように述べている:

中国人は十分に代表されておらず、またポルトガル人はまったく代表されていませんが、もし住民投票を実施したならば、彼らは純粋な専制政治を支持するであろうと考えます。アメリカ人は考慮に入れる必要はなく、また「英国人」についても、少数の「騒がしい人物」を除けば、現状維持に満足しているでしょう[4]。

総督および署理輔政司のジェームズ・スチュアート・ロックハート、J・J・ケズウィック、E・R・ベリリオスらは改革に反対していたが、リポン侯爵は、立法局における非官守議員数の増加、行政局への非官守要素の導入、および市議会(英語: Municipal Council)の創設に同意した。

投票

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住民投票が実施された香港大会堂(初代)

1896年5月16日に住民投票が実施された[5]。有権者に提示された問いは、、「潔浄局を官守議員多数で構成すべきか、それとも非官守議員多数で構成すべきか(英語: whether the Sanitary Board should consist of a majority of officials or of unofficials)」というものであった。

有権者資格は当該年度の陪審員名簿に登録された者に限定されていた。香港の総人口約25万人のうち、有権者は合計788名であり、実際に投票した者は362名であった。資格を有する有権者の大部分はイギリス人社会の成員であった。その中で、華人の投票者は3名または4名に過ぎず、彼らはいずれも非官守議員多数案に投票し、官守議員多数案に投票した者は一人もいなかった。中国系人口の大多数が代表されていなかったにもかかわらず、投票結果は圧倒的に非官守議員多数案を支持するものであった。

1896年香港潔淨局組成辦法公投
選擇 票数 比率
非官守議員が多数を占めるべき33191.44
官守議員が多数を占めるべき318.56
有効投票数362
総票数36245.94
登録有権者数788

出典: Sessional Paper. Papers Respecting the Reconstitution of the Sanitary Board. SP 1896

影響

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植民地大臣(1895–1903)であったジョゼフ・チェンバレン

住民投票は非官守議員多数を明確に支持する結果を示したにもかかわらず、ロビンソン総督は依然として衛生行政を政庁の直接統制下に置くべきであると主張した。

当時の植民地大臣ジョゼフ・チェンバレンは、総督が住民投票を実施したことを快く思わず、「王冠植民地政府が住民投票による指針を求めることは、その統治原理と両立しない。また、王冠植民地であるか否かを問わず、納税者全体およびその外部の多くの人々が利害関係を有する問題について、一部の人々のみの意見表明から満足すべき解決策を導き出すことはできない。」と述べた。さらに、この事例では住民投票の結果が総督自身の勧告に反するものとなっていた[6]。

チェンバレンは潔浄局に関するいかなる憲制上の変更も認めなかった。非官守議員の選挙は1899年(中国語版)に再開された。潔浄局直属の執行部門である潔浄署(英語: Sanitary Department、後の市政事務署(中国語版))は、1903年に《公衆衛生及建築条例》(Public Health and Buildings Ordinance)が可決されるまで設立されなかった。

香港が市議会創設に向けたさらなる前進を遂げるのは、1936年の市政局創設まで待たなければならなかった。

しかしながら、かつてリポン侯爵が提案した他の二つの案は間もなく実施された。すなわち、立法局にそれぞれ一名の非官守議員と一名の官守議員が追加され、さらに立法局の首席非官守議員2名が行政局議員に任命された。

韋玉(中国語版)は新たに立法局の非官守議員に任命され、1890年以来議員を務めていた何啓とともに二名の華人代表の一人となった。また、ポール・チャーターおよびジャーディン・マセソンの代表であるジョン・ベル=アーヴィング(英語版)は、新たに行政局非官守議員に任命された。

注釈

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  1. ↑ The other de facto referendum launched by the pro-democracy camp through the by-election in 2010 was not officially recognised.

脚注

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  1. ↑ 小堀 慎悟「近代的衞生行政體制と「地方自治」のはざま --世紀轉換期の香港における潔淨局をめぐる議論--」『東洋史研究』第79巻第1号、東洋史研究会、2020年、7頁。
  2. ↑ Hong Kong Government Gazette. Reconstitution of the Sanitary Board. GA 1896 no. 116
  3. ↑ Hong Kong Government Gazette. Amendment of Constitution, Hongkong. GA 1896 no. 251
  4. ↑ GA 1896 no. 251
  5. ↑ “Sanitary Board Reform” (PDF). Parliamentary Debates (Hansard). Legislative Council of Hong Kong. 1896年7月8日.{{cite book2}}: CS1メンテナンス: publisherのないlocation (カテゴリ) "Hon. T. H. WHITEHEAD—Does the Government intend to take any action for the reconstruction of the Sanitary Board in accordance with the opinion expressed by the British members of the community at the ballot taken on the 16th day of May last, the result of which was duly reported to the Government by Mr. N. J. Ede?"
  6. ↑ Sessional Paper. Papers Respecting the Reconstitution of the Sanitary Board. SP 1896

参考文献

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  • Endacott, G. B. Government and people in Hong Kong, 1841-1962 : a constitutional history. Hong Kong University Press. (1964)
  • Wright, Arnold and H.A. Cartwright. Twentieth century impressions of Hong-kong, Shanghai, and other Treaty Ports of China. London: Lloyd's Greater Britain Pub. Co. (1908)
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