1903年の政治
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| 1903年 |
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| 各年の政治 |
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できごと
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1月
[編集]2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]- 4月1日 - 東京、大阪に中央郵便・電信局設置。
- 4月13日 - 小学校令改正。教科書疑獄事件を契機に国定教科書制度が取り入れられる。
- 4月18日 - ロシア、満州撤兵の条件として清国政府に7ヶ条の要求を提示。
- 4月19日 - ロシアのキシナウで大規模なポグロム(ユダヤ人虐殺)発生。

- 4月20日 - 小村寿太郎外相、清国政府にロシアの7ヶ条要求拒否を勧告。
- 4月21日 - 山縣有朋、桂太郎、小村寿太郎、伊藤博文らが京都の山縣の別荘、無鄰庵に集まり会議(無鄰庵会議)。さしあたり、満州、韓国に関してロシアとの交渉路線による解決を方針とする。
- 4月23日 - 英、ボーア戦争と義和団の乱における戦費の総額が2億7,304万6,000ポンドと発表。この金額は次年度1904年度予算の半分に相当する巨額なものであった。
- 4月27日 - 清、ロシアの7ヶ条要求を拒否。
- 4月28日 - アレクセイ・クロパトキン露陸軍大臣が、極東視察に出発。
- 4月30日 - ドイツ、疾病保険法改正。労働者の保証期間が13週間から26週間に延長。
5月
[編集]6月
[編集]7月
[編集]- 7月6日 - フランスのエミール・ルベー大統領、テオフィル・デルカッセ外相、訪英。
- 7月13日 - ロシア社会民主労働党第1回党大会(ブリュッセル大会)が開催される。
- 7月30日 - ロシア社会民主労働党が、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキとユーリー・マルトフ率いるメンシェヴィキに分裂する。
- 7月にウクライナ、カフカスの諸都市でゼネラル・ストライキ。帝政ロシアは軍を投入して鎮圧。

8月
[編集]9月
[編集]- 9月6日 - ロシア、清国に対する満州撤兵7ヶ条要求を撤回し、黒竜江省、吉林省の撤兵延期を新たに要求する。清国は拒否。
- 9月8日 - イギリス労働組合大会、ジョゼフ・チェンバレン植民相の主張する保護関税案に対して反対を表明する。
- 9月9日 - ウィーンで列国議会同盟総会。軍備撤廃計画のための新しい国際会議創設を提唱する。
- 9月9日 - 千葉県選出の帝国議会衆議院議員東條良平、同大澤庄之助が詐欺罪で有罪となった。
- 9月13日 - 独ドレスデンでドイツ社会民主党大会。ローザ・ルクセンブルクの提案した修正主義反対案を決議する。
- 9月16日 - オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、オーストリア、ハンガリー両軍の統合に関する勅令を発布するが、ハンガリー側に反発を買う。
- 9月18日 - ジョゼフ・チェンバレン、植民相を辞任。