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1932年イギリス労働党党首選挙

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1932年イギリス労働党党首選挙
1932 Labour Party leadership election

1931年 ←
1932年10月25日 (1932-10-25)
→ 1935年



 
候補者 ジョージ・ランズベリー
得票数 無投票

選挙前党首

アーサー・ヘンダーソン

選出党首

ジョージ・ランズベリー

1932年イギリス労働党党首選挙(1932ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1932 Labour Party leadership election)は、1932年10月25日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である。

概要

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世界恐慌への対応で党首のラムゼイ・マクドナルドら15名を除名し、新党首にアーサー・ヘンダーソン選出したものの、直後に実施された総選挙で労働党は270議席から52議席と大敗し、ヘンダーソンをはじめとする党幹部がほとんど落選した。

党指導部の中で唯一議席を維持したジョージ・ランズベリーは、議会労働党議長および陛下の野党党首となりましたが、ヘンダーソンは議会外にいたにもかかわらず党首を辞任しなかった。過去にもアーサー・バルフォア(保守党党首、1806年総選挙で落選)やハーバート・ヘンリー・アスキス(自由党党首、1818年総選挙で落選)の例はあったものの、いずれも補欠選挙で復帰していた。しかし、副党首のジョン・ロバート・クラインスとウィリアム・グラハムがヘンダーソンと同じく議席を失っており[注 1]、ランズベリーが党運営を掌握する中、1932年10月にヘンダーソンは党首辞任を表明し党首選が実施された[1]。

選挙データ

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現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 2][2]。

党首

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投票日

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  • 1932年10月25日[3]

選挙制度

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有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[2]。

投票方法

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秘密投票、単記投票、1票制[2]

選挙権

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議会労働党(PLP)所属庶民院議員[2]

被選挙権

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議会労働党所属庶民院議員
立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[2]。

有権者数

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54[注 3][4]

候補者

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候補者 出生日
出生地
経歴

ジョージ・ランズベリー
1859年2月22日(73歳)
イングランドの旗 イングランド
サフォーク、ヘイルズワース
庶民院議員(6期)(1910-1912,1922-)[注 4]
第一公共建築委員長(1929–1931)
陛下の野党党首(1931-)
議会労働党議長(1931–)
労働党全国執行委員会委員長(1927-1928)

立候補を辞退した議員

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候補者 出生日
出生地
経歴

クレメント・アトリー
1883年1月3日(52歳)
イングランドの旗 イングランド
ロンドン
庶民院議員(5期)(1922-)[注 5]
郵政長官(1931)
ランカスター公領大臣(1930–1931)
戦争担当政務次官(1924)
陛下の野党副党首(1931-)[注 6]
議会労働党副議長(1931-)

アーサー・グリーンウッド
1880年2月8日(55歳)
イングランドの旗 イングランド
ヨークシャー・ウェストライジング、リーズ市ハンスレット
庶民院議員(4期)(1922-1931)[注 7]
保険大臣(1929–1931)

選挙結果

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無投票。ランズベリーのみが立候補し、議会労働党の全体会議で党首選出が承認された[5]。

脚注

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注釈

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  1. ↑ グラハムは落選後、共同副党首には留まるも1932年1月に死去。
  2. ↑ 1960年と1961年は党内の路線対立により、再任を望む現職に新人が挑んで選挙となっている。
  3. ↑ 1931年総選挙で当選した52議員と、補欠選挙で当選した2議員。
  4. ↑ ボウ・アンド・ブロムリー選挙区選出。
  5. ↑ ライムハウス選挙区選出。
  6. ↑ 陛下の野党副党首は野党第1党副党首が就任するため、本来は労働党副党首のジョン・ロバート・クラインス、または共同副党首のウィリアム・グラハムであるがが、どちらも総選挙で落選し庶民院に議席を持たなかったため、議会労働党副議長に選任されたアトリーが就任した。
  7. ↑ 1931からネルソン・コルン選挙区、1922-1931まではウェイクフィールド選挙区選出。

出典

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  1. ↑ Andrew Thorpe, "Arthur Henderson and the British political crisis of 1931." Historical Journal 31#1 (1988): 117–139. in JSTOR
  2. 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
  3. ↑ “Party Leadership Election Results in the UK” (英語). University of Essex. 2017年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月8日閲覧。
  4. ↑  . British Parliamentary Election Results 1918–1949
  5. ↑ “Labour Party”. 2017年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月19日閲覧。

参考文献

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  • Shepherd, John (2002), George Lansbury: At the Heart of Old Labour, Oxford: Oxford University Press, ISBN 0-19-820164-8 

外部リンク

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