1935年イギリス労働党党首選挙
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1935年イギリス労働党党首選挙(1935ねんイギリスろうどうとうとうしゅせんきょ、英語: 1935 Labour Party leadership election)は、1935年11月26日にイギリスで行われた労働党党首の選挙である[1]。
概要
[編集]1935年10月初旬の労働党年次党大会において全国執行委員会(NEC)は、アビシニアに侵攻したばかりのイタリアに対する制裁を求める決議を提出した。党首のジョージ・ランズベリーは決議に反対したが、労働組合の支持を得て決議は可決された。党大会の決定を受け、キリスト教の平和主義者として党を率いることに限界を感じたランズベリーは、10月8日に党首を辞任した。
一連の動きを受けて野党の分裂を認識した首相のスタンリー・ボールドウィンは、10月19日に庶民院を解散し、11月14日に総選挙実施することを決定した。労働党は急な議会解散により新たな党首を選ぶ時間がなかったため10月25日、党首代行を務めていた副党首のクレメント・アトリーを暫定党首に任命した。
選挙データ
[編集]現職の有無にかかわらず、議会の新会期ごとに党首選を実施。しかし現職が在職中は党首選は形式的であり、現職以外の立候補は行われずに事実上、現職の再任を妨げず承認する[注 3][2]。
党首
[編集]- 選挙前:クレメント・アトリー(暫定)第10代党首ジョージ・ランズベリーの辞任に伴い、副党首のアトリーが就任。
- 選挙後:クレメント・アトリー(第11代)
投票日
[編集]- 1935年11月26日[1]
選挙制度
[編集]- 有効投票の過半数を獲得した候補者が当選。不在の場合は、投票数が最も少ない候補者が除外され、さらに投票が行われる[2]。
投票方法
[編集]選挙権
[編集]被選挙権
[編集]- 議会労働党所属庶民院議員
- 立候補にあたっては、庶民院議員の推薦人並びに賛成者を各々1名必要[2]。
有権者数
[編集]- 154
候補者
[編集]| 候補者 | 出生日 | 経歴 |
|---|---|---|
クレメント・アトリー |
1883年1月3日(52歳) ロンドン |
庶民院議員(6期)(1922-)[注 4] 郵政長官(1931) ランカスター公領大臣(1930–1931) 戦争担当政務次官(1924) 陛下の野党副党首(1931-1935) 労働党党首(暫定)(1935) 労働党副党首(1932-1935) |
アーサー・グリーンウッド |
1880年2月8日(55歳) ウェスト・ヨークシャー、リーズ市ハンスレット |
庶民院議員(5期)(1922-1931,1935-)[注 5] 保険大臣(1929–1931) |
ハーバート・モリソン |
1888年1月3日(47歳) ロンドン |
庶民院議員(3期) (1923-1924,1929-1931,1935-)[注 6] 運輸大臣(1929–1931) ロンドン郡評議会・与党議長(1931-) |
選挙結果
[編集]第1回投票で過半数の候補者は出ず、アトリーとモリソンが第2回投票に進出。第2回投票でアトリーが過半数を獲得し党首に選出された[3]。
候補者別得票結果
[編集]| 候補者 | 第1回投票 | 第2回投票 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 得票数 | 得票率 | 得票数 | 得票率 | ||
| クレメント・アトリー | 58 | 42.96% | 88 | 64.71% | |
| ハーバート・モリソン | 44 | 32.59% | 48 | 35.29% | |
| アーサー・グリーンウッド | 33 | 24.44% | |||
| 総計 | 135 | 100.0% | 136 | 100.0% | |
| 投票総数(投票率) | 135 | 87.66% | 136 | 88.31% | |
| 棄権者数(棄権率) | 19 | 12.34% | 18 | 11.69% | |
| 有権者数 | 154 | 100.0% | 154 | 100.0% | |
| 出典:Leaders of the Labour Party | |||||
選挙後
[編集]党首選挙で敗れたモリソンはアトリーの党首代行就任に伴い欠員となっていた副党首就任を打診されたが辞退したため、同じく敗れたグリーンウッドが副党首就任を快諾し副党首選挙に立候補、無投票で選出された[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 複数の候補による選挙となった1922年の党首選における投票率比。
- ↑ 第2回投票は初めて実施された。
- ↑ 1960年と1961年は党内の路線対立により、再任を望む現職に新人が挑んで選挙となっている。
- ↑ ライムハウス選挙区選出。
- ↑ ネルソン・コルン選挙区、1922-1931まではウェイクフィールド選挙区選出。
- ↑ ハックニー・サウス選挙区選出。
出典
[編集]- 1 2 3 “Leaders of the Labour Party”. Election.demon.co.uk. 2018年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月16日閲覧。
- 1 2 3 4 5 宮畑建志「イギリス二大政党の党首選出手続―手続の民主化と党首の地位防衛」『レファレンス』2007年7月、136頁、2026年7月1日閲覧。
- ↑ “Mr Attlee Re-Elected”. The Glasgow Herald. Westminster. 27 November 1935. p. 13. 2026年4月10日閲覧.
- ↑ “Greenwood, Arthur (1880–1954)”. Oxford Dictionary of National Biography. 2026年2月20日閲覧。