1941年の日本競馬
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1941年の日本競馬(1941ねんのにほんけいば)では、1941年(昭和16年)の日本競馬界についてまとめる。 馬齢は旧表記で統一する。
1940年の日本競馬 - 1941年の日本競馬 - 1942年の日本競馬
概要
[編集]公認競馬ではセントライトが、史上初の牡馬クラシック三冠馬となった。1939年の牡馬クラシック三冠の創設から3年目で三冠馬誕生となった[1]。
できごと
[編集]1月 - 3月
[編集]4月 - 6月
[編集]7月 - 9月
[編集]10月 - 12月
[編集]- 10月2日、金属類回収令により、日本競馬会の各競馬場から鉄4,380キログラム、銅1,398キログラムが供出される。撤去費用は20,874円、代替工事費用は300,404円であった[6]。
- 10月26日、セントライトが京都農林省賞典四歳呼馬を優勝し牡馬クラシック三冠を達成[1]。
- 12月27日、大東亜戦争(太平洋戦争)の勃発と、それに関して議会において敵産管理法が通過・公布されると、日本競馬会は敵性外国人の競馬関与を拒否することを決定、その旨各競馬場に通達した。12月30日には中山競馬場においてステーツ・アイザックスとC・H・モース2名の資格喪失が決議され、東京競馬場もこれに続いて翌年1月10日に両名の資格喪失を決議、横浜競馬場においては翌年1月15日に55名が除名されている[7]。
その他
[編集]競走成績
[編集]公認競馬の主な競走
[編集]- 第3回横濱農林省賞典四歳呼馬(横浜競馬場・3月30日)優勝:セントライト(騎手:小西喜蔵)
- 第3回中山四歳牝馬特別(中山競馬場・4月20日)優勝:ブランドソール(騎手:阿部正太郎)
- 第8回帝室御賞典(春)(鳴尾競馬場・4月27日) 優勝:マルタケ(騎手:清水茂次)
- 第10回東京優駿競走(日本ダービー)(東京競馬場・5月18日) 優勝:セントライト(騎手:小西喜蔵)
- 第4回優駿牝馬(オークス)(阪神競馬場・10月5日) 優勝:テツバンザイ(騎手:稲葉幸夫)
- 第4回京都農林省賞典四歳呼馬(京都競馬場・10月26日) 優勝:セントライト(騎手:小西喜蔵)
- 第9回帝室御賞典(秋)(東京競馬場・11月2日) 優勝:エステイツ(騎手:田中康三)
障害競走
[編集]- 第14回中山農林省賞典障碍(春)(中山競馬場・4月20日)優勝 : ライハルオン(騎手 : 中野才一)
- 第15回中山農林省賞典障碍(秋)(中山競馬場・12月7日)優勝: ゼーアドラー(騎手:古賀嘉蔵)
リーディング
[編集]誕生
[編集]この年に生まれた競走馬は1944年のクラシック世代となる。
競走馬
[編集]- 不明 - カイソウ
人物
[編集]死去
[編集]競走馬
[編集]人物
[編集]- 不明 - 末吉清 (騎手)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 競馬歴史新聞編集委員会『新版競馬歴史新聞』日本文芸社、2004年。ISBN 4-537-25205-7。
- 一般社団法人 中央競馬振興会『日本近代競馬総合年表』中央競馬ピーアール・センター、2018年。