1945年サンマリノ総選挙
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1945年サンマリノ総選挙(1945ねんサンマリノそうせんきょ、イタリア語: Elezioni politiche a San Marino del 1945)は、1945年3月11日にサンマリノで行われた大評議会議員の総選挙(第12期)である[1]。
概要
[編集]1923年に政権を獲得したサンマリノファシスト党の下、大評議会は解散され、ファシストが多数を占める主権評議会が立法府の役割を果たした。しかし、イタリアのムッソリーニ政権が崩壊後、ファシスト党政権も崩壊し1943年に大評議会(定数60)を復活し、選挙の結果反ファシストの政治連合「統一リスト」が全議席を占めた。
第二次世界大戦で中立を維持していたが、イタリアのドイツ占領地域でイタリア社会共和国を建国し、サンマリノも共和ファシスト党の影響を受けたサンマリノ共和ファシスト党が参画する国務委員会が事実上統治していた。
1944年9月にサンマリノをドイツ軍は占領したが、サンマリノの戦いでイギリス陸軍を中心とする連合軍がドイツ軍を排除し、共和ファシスト党政権は崩壊した。イギリス軍はファシストに友好的な政治家を最終的に排除するため、新たな選挙を要求していた。
これを受けて、前回総選挙では「統一リスト」で協力した各党は独自に、右派はキリスト教民主党と民社党を中心とした政党連合「人民同盟(AP)」を、左派は社会党と共産党による政党連合「自由委員会(CdL)」をそれぞれ結成し、選挙に臨んだ。
その結果、CdLは大評議会60議席のうち40議席を獲得し、勝利した[2]。
選挙データ
[編集]執政
[編集]- 選挙前:アルヴァロ・カザーリ、ヴィットリオ・ヴァレンティーニ
- 選挙後:フェルッチョ・マルテッリ、セコンド・フィオリーニ
投票日
[編集]- 1945年3月11日
改選数
[編集]- 60(
)
選挙制度
[編集]選挙権・被選挙権
[編集]- 満24歳以上のサンマリノ男子
有権者数
[編集]- 5,846
選挙結果
[編集]| 政党連合 | 獲得 議席 |
得票数 | 得票率 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 自由委員会 | PdA | 40 | 2,214 | 65.97% | |
| 人民同盟 | AD | 20 | 1,142 | 34.03% | |
| 総計 | 60 | 3,326 | 100.0% | ||
| 有効票数(有効率) | 3,326 | 99.114% | |||
| 無効票数(無効率) | 30 | 0.89% | |||
| 投票総数(投票率) | 3,356 | 57.41% | |||
| 棄権者数(棄権率) | 2,490 | 42.59% | |||
| 有権者数 | 5,846 | 100.0% | |||
| 出典:Nohlen & Stöver | |||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ Dieter Nohlen & Philip Stöver (2010) Elections in Europe: A data handbook, p1678 ISBN 978-3-8329-5609-7
- ↑ Nohlen & Stöver, p1690
