コンテンツにスキップ

1946年の近畿グレートリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1946年の近畿グレートリング
成績
レギュラーシーズン優勝
65勝38敗2分 勝率.631[1]
本拠地
都市 大阪府堺市
球場 中百舌鳥球場
球団組織
経営母体 近畿日本鉄道(南海電鉄分離前)
監督 山本一人(鶴岡一人)
« 1945
1947 »

テンプレートを表示

1946年の近畿グレートリング(1946ねんのきんきグレートリング)では、1946年の近畿グレートリングの動向をまとめる。

この年の近畿グレートリングは、職業野球公式戦再開1年目のシーズンである。

概要

[編集]
近畿グレートリングの当年及び近年のシーズン成績
年 最終成績 リ
丨
グ
試
合
勝 敗 分 勝
率
総
得
点
総
失
点
打
率
本
塁
打
盗
塁
犠
打
四
死
球
O
P
S
防
御
率
完
投
失
策
監
督
1946 リーグ優勝優勝10565382.631567413.2732420060477.3.0871169山本一人
1945 太平洋戦争の戦況悪化により休止
1944 リーグ6位6位3511231.32485126.20132923130.2.093066加藤喜作
1943 リーグ8位8位8426562.317178266.18466077308.2.485499三谷八郎
1942 リーグ6位6位10549560.467267286.2021113290408.1.9058185三谷八郎
1941 リーグ4位4位8443410.512217214.195125544383.1.8244108三谷八郎
1940 リーグ8位8位10528716.283242424.19669377394.5232.4463253高須一雄
1939 リーグ5位5位9640506.444336342.2301513066402.6132.5152169高須一雄

前年の東西対抗戦に出場した選手に加えて、兵役等から復帰する選手や新入団選手を受け入れて、職業野球の再開に臨んだ。チームは6月終了時点で貯金3の4位と5割強の成績に留まっていたが、7月・8月に貯金19を一気に重ねて首位に躍り出た。最終盤まで巨人と優勝を争ったが1ゲーム差で逃げ切り、職業野球再開後初のシーズンを球団史上初の優勝で飾った。対戦成績は2位の巨人に6勝8敗1分と負け越したが、新球団で5位のセネタースに12勝3敗で貯金9を稼いだ。

チーム成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
開幕オーダー
1 二安井亀和
2 三宮崎仁郎
3 中岡村俊昭
4 一山本一人
5 左堀井数男
6 右丸山二三雄
7 遊桶川隆
8 投松川博爾
9 捕筒井敬三
1946年日本野球連盟順位変動
順位5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位 近畿-- 巨人-- 大阪-- 近畿-- 近畿-- 近畿--
2位 阪急0.0 阪急2.5 巨人3.5 大阪1.5 巨人3.5 巨人1.0
3位 巨人1.0 大阪4.0 近畿5.0 巨人3.5 大阪6.0 大阪7.0
4位 大阪 近畿4.5 阪急8.0 阪急9.0 阪急13.0 阪急14.0
5位 ゴールド2.0 パシフィ8.5 中部日本11.5 ゴールド17.0 セネター17.0 セネター19.0
6位 パシフィ4.0 ゴールド8.5 ゴールド15.0 セネター17.5 パシフィ19.5 ゴールド22.0
7位 セネター4.0 セネター10.0 セネター15.5 パシフィ18.5 ゴールド20.0 パシフィ22.5
8位 中部日本4.0 中部日本10.0 パシフィ17.5 中部日本21.0 中部日本21.0 中部日本
期間
成績
11勝7敗
勝率.611
7勝8敗
勝率.467
11勝5敗
勝率.688
16勝3敗
勝率.842
11勝8敗2分
勝率.579
9勝7敗
勝率.563
1946年日本野球連盟成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝近畿グレートリング65382.631---
2位東京巨人軍64392.6211.0
3位大阪タイガース59460.5627.0
4位阪急軍51522.49514.0
5位セネタース47580.44819.0
6位ゴールドスター43602.41722.0
7位中部日本42603.41222.5
7位パシフィック42603.41222.5

個人成績

[編集]

主な投手成績

[編集]
  • 色付きは規定投球回数(150イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
選手登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
 
別所昭423528501913----.5941381325.02924136--511532127892.461.32
丸山二三雄464029402515----.6251468332.03047202--7146021411143.091.52
松川博爾281672084----.667539121.0113184--8323060483.571.63
清水秀雄12541082----.80034080.062541--1490032273.041.29
櫛田由美彦9431032----.60019541.053126--2110026234.931.93
野口渉6300002----.0008419.016016--0500762.841.68
長沼要男3200000------398.0817--0300644.001.88
長谷川治4000000------439.01212--0300987.201.56
田川豊2000010----1.000479.01208--1400555.002.22
大橋一郎1000000------82.0100--0000000.000.50

できごと

[編集]
  • 4月30日 - 藤井寺球場における初のプロ野球公式戦、グレートリング対阪急戦が行われ、5対2で阪急が勝利する。
  • 7月15日 - グレートリングが8回に対ゴールドスター戦において、8回に1イニング11安打と、1試合で28安打のそれぞれ日本プロ野球記録を更新、プロ野球史上3度目の毎回安打、全員安打を達成している。この日登板したグレートリングの別所毅彦が8回、1イニングで本塁打と三塁打を記録している。試合は26対0でグレートリングの勝利[2]。
  • 10月4日 - パシフィックが元の所属球団の了解を得ぬまま契約した白石敏男とヴィクトル・スタルヒン(以上 元巨人)と藤井勇(元阪神)の3名を強引出場させた4試合に対し、巨人・阪神からの抗議を受け入れた連盟は、5月20日のセネタース戦、23日と26日のグレートリング戦、5月24日の阪急戦を全て「没収試合」とする。これにより、唯一パシフィックに負けていた26日のグレートリング戦が「9×0」でグレートリングの勝ちに変更された。
  • 11月5日 - この日、巨人が敗れたため、既に全日程を終了したグレートリングが球団創立以来初の優勝が決定する[3]。なお最終的にはグレートリングと巨人のゲーム差は1ゲームとなり、5月26日のパシフィック×グレートリング戦がそのままだったら同率となってプレーオフをする事になったため、巨人の抗議でグレートリングが優勝する結果となった。

選手・スタッフ

[編集]

[4]

表彰選手

[編集]
リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
山本一人 最優秀選手初受賞
打点王95打点初受賞
河西俊雄 盗塁王39個初受賞

脚注・出典

[編集]
  1. ↑ “年度別成績 1946年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2017年8月8日閲覧。
  2. ↑ 講談社刊 宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑(昭和11年‐平成4年)」300、304ページ
  3. ↑ 巨人と阪神以外の球団が優勝したのも初
  4. ↑ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。


⌬ Phoenix Mesh CID: bafkreifj5nc7m2kycqr… 🔄 P2P起動待機 PQS A84