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1951年の広島カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1951年の広島カープ
成績
セントラル・リーグ7位
32勝64敗3分 勝率.333[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島県総合野球場
球団組織
監督 石本秀一
« 1950
1952 »

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1951年の広島カープでは、1951年シーズンの広島カープの動向をまとめる。

この広島カープは、石本秀一監督の2年目のシーズンである。

概要

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広島カープの当年及び近年のシーズン成績
年 最終成績 リ
丨
グ
試
合
勝 敗 分 勝
率
総
得
点
総
失
点
打
率
本
塁
打
盗
塁
犠
打
四
死
球
O
P
S
防
御
率
完
投
失
策
監
督
1951 リーグ7位7位9932643.333402555.245426177310.4.6343151石本秀一
1950 リーグ8位8位13841961.299511877.243817452447.5.2059229石本秀一

前年オフに西日本が経営難により西鉄と合併し、セントラル・リーグ所属チーム数が奇数(7チーム)になった。所属チーム数が奇数となったことで、試合日程を組みにくくなったことから、球団数をさらに1チーム減らすべきであるという論調が強まっていた。資金難から選手への給与支払いが滞り、大量解雇したカープが削減チームの筆頭候補となり、2年目にしてチーム消滅の危機を迎えていた[2]。開幕前に一時は大洋との合併が報じられたが、所属選手・市民のチーム存続の訴えを受ける形で、資金を集めるべくチーム後援会が結成された。チーム後援会は株券を発行し企業に限らず、個人の出資も受け、広くからの資金調達を受けることで経営資金を得ようと考えた。後援会発足や出資のことが地元紙で報じられると、チーム存続への強い思いを持っていた広島市民は株券への出資の他に募金も積極的に行い、チーム経営は一気に黒字に転じた。前年に引き続き2年連続で最下位に終わったものの、経営難によるチーム消滅の危機を脱した[2]。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 遊白石勝巳
2 三武智修
3 中長持栄吉
4 捕辻井弘
5 一井上嘉弘
6 左岩本章
7 右高木茂
8 二磯田憲一
9 投杉浦竜太郎
1951年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人--
2位 国鉄0.0 松竹1.5 名古屋3.5 名古屋11.0 名古屋14.0 名古屋18.0
3位 名古屋2.5 大阪2.0 松竹7.5 松竹14.5 松竹19.0 大阪20.5
4位 大洋3.0 名古屋4.5 大阪9.0 大阪15.0 大阪19.5 松竹27.0
5位 松竹3.5 国鉄 大洋12.5 大洋18.5 国鉄25.0 国鉄31.5
6位 広島4.0 大洋4.5 国鉄13.5 国鉄18.5 大洋25.5 大洋37.0
7位 大阪4.5 広島7.5 広島17.0 広島25.0 広島33.5 広島41.0
1951年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ79296.731---
2位名古屋ドラゴンズ62483.56418.0
3位大阪タイガース61523.54020.5
4位松竹ロビンス53575.48227.0
5位国鉄スワローズ46592.43831.5
6位大洋ホエールズ40644.38537.0
7位広島カープ32643.33341.0

[1]

選手・スタッフ

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オールスターゲーム1951

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選出選手及びスタッフ
ポジション名前
投手長谷川良平

この年の広島からは監督推薦による選出のみであった。

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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